(時姫少年×叶子嬢)


 隣に、その人は居た。居る。此処に。ソファの肘掛けに寄り掛かりながら本を読む彼女の長い髪の先を、気付かれないくらいそうっと弄ぶ。俺も隣で本を読んでいて、其処に言葉はなくて、それでも彼女は此処に居た。それは今の、この瞬間の話で、これだけが俺の永遠なら良かった。ずっとだとか汚い言葉で彼女を呪えたなら、どれだけいいだろう。

「本当に死ぬのか」

 読んでいた本を閉じながら(芋虫は少し悪趣味だ、と、彼女は言った)、俺の口が言った。それは一つの呼吸だけでかき消せるくらいのか弱い言葉だったから、もしかしたら届かなくて無かったことにならないか、なんて思ったりして。
 言ってからの後悔と言うよりは、後悔してからの発言だった。俺の言葉を理解したらしい叶子は読みかけの本から目を上げて、まず、一つ呼吸をした。息をしているというのは、生きているということだった。

「そう、多分。でも、それは時姫も、でしょ?」
「俺は貴方ほど柔じゃ無いから」

 なら、わたしは柔でもいいかも。もしも好きすぎてそれが溢れてしまって、それで死ねたなら、わたしは幸せかもしれないから。
 叶子が柔らかく笑う。俺の身体のいちばん奥の方が、痛いと泣いた。涙の作り方を早く思い出さないと、間に合わなくなってしまうと思った。

 人は、弱って死ぬのではなくて、きっといっぱいになったら死ぬ。目一杯にまでものを詰め込んで、これ以上の容量が無くなるから、いのちが破裂して、きっとしんでしまうのだ。
 俺の父もきっとそうだったのだろうし、そうでなければ、許せなかった。俺も叶子も、他人を許せなかった。黒梨にとった彼女のような死に方など、俺は許さないだろう。

「だとしたら、俺は貴方を殺すことになる」
「違うよ。時姫が、わたしを幸せに終わらせるの」

 わたしは最初からとても小さな容器で、何を詰め込んでもきっと早くて、それならそこには時姫を詰め込んでしにたい。叶子のそういう泣きそうな笑い方は、すごく傷つける。綺麗だけど、きらいだ。
「お茶でも、飲む?」
 言いながらふらりと立ち上がろうとした叶子の手を掴む。手入れされた指先が、何より愛しいと口にできない自分のほうが、もっと嫌いだと、気付いた。

「そんなもの、馬鹿じゃ、無いか」

 あの日、俺に触れた手はそして俺が掴んだ手は、もの凄くつめたくて、俺はこの人の体温にはなれそうにないと思った。
 ずっと貴方の体温になりたかった俺からしたら、酷く痛い出来事だった。心臓の下にきっと心があって、そこが痛むのは貴方の所為だと、何度も言ってしまいたかった。

「時、姫?」
 驚いたような、傷ついたような、何かを制御できないような感情をして、叶子の綺麗な顔が歪んだ。
 掴んだ、冷えきった指先が俺の手から逃げそうになるのを、少しの力を込めて引き止める。痛くしてしまっただろうか。少しだけ不安になったけれど、その指先を失う不安には変えられなかったから、ごめんね。

「俺にはきっと、そんな価値が無い。権利も、なにも無い」

 このひとを何処にもやりたくなかった。だけど同時に、俺なんかの所で時間を使ってなんか欲しくなかった。どこか遠くに行ってしまえばいいって、思っていたんだ。貴方の限られた時間を与えてもらえるほど、俺は、いいひとでも、なんでもないから。

 だから、俺はひとりきりで良かった。彼女が遠くで笑っていて、いつしか死んでしまってから好きだったと言って、一生をそこに残してやろうって。それだけが俺の青春で良かった。
 そう思っていた。なのに、貴方はいつも俺にやさしくするから。ねえ、頼むから、甘えだって突き放してくれよ。もしも此処に居てくれるなんて言われたら、拒める程強くない。強くないんだよ、なあ、俺は。

 俺の持っている時間なんてものじゃ足らないって、そう言って捨てて、要らないって言って。でないと、俺は貴方の時間を有らん限りに盗んでしまいそうで、怖い。きっと、ころしてしまう。

「わたしは、時姫が良い」
「分からない」
「時姫が、わたしで良いのかの方が分からないよ」
「俺はいい」

 叶子が、いい。

 わたし、居なくなるよ?
 叶子の口がそう言ったのと、俺が彼女を引き寄せたのと、どちらが早かったのかは分からなかったけれど、俺の身体は変なタイミングで涙の作り方を思い出したみたいだった。何で今だ、畜生め。

「ちょ、っと」
「ごめん、」

 声は震えていなかった、と、思う。喉の奥の方、鼻と繋がるくらいの場所がきぃんと痛む。息の仕方を忘れた。叶子は、少し苦しそうに息をした。
 腕に力が入って、彼女の細い身体が少し軋んだ、気がした。そのまま殺してしまえたらよかったのに。そしたら俺は一生貴方を忘れなくていいだけの権利を、得られるのだろうか。

「もう少しだけに、する」
「はなさ、ないで」
「……許されるなら」
「離さないでよ、時姫」

 お願い、と、彼女はか細く言った。指先が白くなるくらいの力を込めて、俺の服の裾を握るのが横目に見えた。小さく震えるそのひとは、ごく普通の女の子で、俺の大切なひとで、それだけではなにがいけなかったのか。

「離さないよ」

 自分に出来うる中でいちばん優しくその背中を撫でて、きっと、彼女がほんの少しだけ不細工に泣いたら、それが俺の世界です。







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