馬車は車輪を止めた


滅多に着ないスーツを着ていた。
クローゼットに4枚だけ掛けている制服を含めた持ち服は全て白く、1着だけの黒いスーツは色彩的には目立っていたが、もはやクローゼットの影として隅に追いやられていた。

そもそも着飾らなければいけない場面は性格的に不得意であり、パトロン共を手の平の上で転がしている最中に不手際をされては困ると懸念したエルヴィンが俺に参加の意を聞くまでもなくその場で断りを入れるのは常だった。

だからもうこいつを着る時なんざ、調査兵団の兵士じゃ程遠い誰かの祝いの席くらいだろうと思っていたのに・・。

「まさか、二度目があるとはな。」

一度エルヴィンに騙されて参加した宴はミョウジ公爵のおかげで胸糞悪い時間を満喫し、部屋も料理も招待客の面々の肩書きですら悪趣味だったとしばらく思い出すだけで苛立っていた宴に、今から招待状を片手に再び出向こうと言うのだから。

自分でも馬鹿だと思う。
しかし宴に参加した時間だけナマエの事をもっと知れるのなら構わない、とも思う。

知ってることも幾つかあるが、知らないことの方が多く、幾つか知ってるナマエは俺にもっと知りたいと思わせる姿ばかりだ。
例えばあんなに動き辛そうな服を着てお嬢様らしく動き回るクセに、どうやって屋敷から抜け出しているのか、など。想像の中のナマエはいつも誰かしらに見つかったり、ドジを踏んで結局捕まってしまうので一度もバーに辿り着けないままなのだから。


無事に見つけた何年振りかも分からない革靴に足を入れ、クラバットの代わりにネクタイを締める。

雑に分けている前髪を何とかして後ろへ流し、ミョウジ家へ出向く身なりは整った。

試しに隣にナマエを思い描いてみると、やはり自分の不恰好さが嫌というほど際立つような気がして、すぐにでも兵服へ着替え、いつでも飛べるようにベルトを体中に巻き付けたいがそういう訳にもいかない。

重い革靴で地面を踏み歩く。履いたのはたった二度目なのだから馴染んでいないのは当たり前だ。

食堂で夕飯を済ませる日常を選ばなかったのを後悔しない程度には、嫌いな人種の前で少々自分らしさを押し殺してでも尽力する決意くらいは持っていた。


「似合ってるな。」

馬車へ乗り込んだ俺を見るなりそう口にするエルヴィンは何というか、流石だと思う。
ただでさえストレスの多い世の中では言いたくない台詞は黙り、言いたい台詞は遠慮せずに吐かねえとやってられないってのに。
思ってもない褒め言葉を口に出すなんざ、自分には出来そうにない。

「はは、思ってもないことを、って顔だな?
確かにリヴァイらしくはないが、よく似合ってるよ。本当さ。
それより大丈夫か?ナマエのお父様の相手は骨が折れる上に蔑ろに出来ないぞ。」

これから始まる試練に備えてなのか口調は努めて軽い、が。
決して冗談なんかではないことは分かっている。

「大丈夫だエルヴィン。ミョウジ家に着けば俺は無口なお前の横についてるだけの男だ。」

舌打ちもしないと付け加えると、エルヴィンは了承したように頷く。

「・・・きっと今お前が思い付いている以上の言動を振りかけてくるが、とにかく耐え忍んでくれ。あれは怒る価値もない人間だよ。」

ミョウジ家であるナマエに躊躇なく慰問させてしまう様な柔軟なエルヴィンにココまで言わしめてしまうとは、本当に救いようのない公爵らしい。

結論は出ている。
要するにクソ公爵に何と言われようと口を開かなければいいのだ。
エルヴィンも”下手に喋ろうとはせず、ただニコニコ笑ってやってるんだ”と続けた。
”微笑みさえ絶やさなければ別に持ち上げなくてもミョウジ公爵は一方的に好き勝手な事を喋り倒し、気分が良くなると破格の資金を提供する手筈を自然と整えてくれる”と屋敷に着くまでに俺に説明するエルヴィンの表情は冷たく、この宴に不必要な感情は全て本部に置いてきたのだと悟った。

いつもなら一言何か嫌味でも言って仮面を剥がしてやりたいところだが、今宵は何も言うまい。たった今から、俺も仮面を被るのだから。

車窓に目を向けると、移り行く剪定された植木の艶やかな葉が月明かりを運んでいる。

いつの間に敷地に入っていたのか。
壁の中の限られた土地を一族がこれだけ悠々と所有している事実に驚愕するが、続く同じ景色にやがて呆れてしまう。地下では身を置くスペースすら因縁の付け合いだったというのに、地上の貴族だとこれだ。きっと上手くやれば勝手にこの辺でキャンプを広げたって気付かれなさそうだ。馬車が通った時にだけ、手身近な植木に身を隠せばいい。

「もうすぐだぞ。」

膨らませていた現実逃避とも言える空想を掻き消すと、確かに白塗りの塊が少しずつハッキリ城の形に浮かび上がる。

慰問以来、初めてナマエに会う。

きっと、今宵をきっかけにもう引き返せなくなるだろう。
そんな予感がしている。それでも知りたい、もっと。

そんな風に考え込むのは、とっくに引き返せないものになっちまっているからなのか。たった一度、出会ってしまっただけだと言うのに。

目前で小さな石橋を渡り、ようやく馬車は車輪を止めた。