普通の女の子 × 地下街のゴロツキ | ナノ



兵長の特効薬と困った上司
原作編


その女性(ひと)は突然、殺伐とした兵士の中にほんわりと現れた。


「〜♪」

「・・・・・。」

古城の中に漂う、夕食の香り。

突然巨人化してしまったらしい俺の身柄は、知性のある俺の巨人を唯一確実に安全に仕留めれるであろうリヴァイ兵長へと引き渡され、監視されることになった。

殺せるのかと問われ、「むしろその中間が無い事にある」と答えてのけた目の前の上司が怖くて堪らない。

既に生えてきたはずの折れた歯が痛む気がする。

もはや兵長の眼球が動いたのを捉えると同時に、またあの蹴りが顔面へとめり込んでいるような気さえしてくる。

椅子に腰掛け紅茶を嗜む兵長のすぐ傍に座り、指一本動かさず、瞬きだけを繰り返す。

動いていないのに、こめかみに妙な汗が流れる。
さっきから流れてくるこの上機嫌な鼻歌が兵長を刺激してしまわないかと狼狽えていた。

「〜♪」

しかし、兵長を見る限り全く気にならないらしい。
むしろ審議場や、兵舎にいた時よりもかなり機嫌がいい・・のは気のせいか・・?

高貴なものを飲んでいるからなのか、そのカップの持ち方が独特だとしても、兵長の動きの流れには穏やかさがある。

一口飲み、ソーサーに置く。
その一つの動作をとっても、磁器のカップとソーサーが触れ合う音は僅かなカチャリとした音だけ。
もし仮に俺と兵長が談笑でもしていれば、聞こえないような音量だった。

「エレンよ「!は、はい!!!」

食い気味に、しかもほとんど叫ぶような返事に兵長が目を見張る。

やってしまったと青褪めた。

「あのな、そんなに気を張る必要はねえよ。
特にココでは。」

ココ、というのは古城のことだろうか。

周りに一般市民が居なくて、ある程度広く、立体機動を生かせて尚且つ目立たない事を条件に選ばれた俺の監視城のことだろうか。

兵舎よりここの方が気を張らなくていいと言われる意図を捉えきれなかったけれど、とにかく「はい。」と、今度は声を抑えて静かに返事を返した。

「兵長、城の周りに異常はありませんでした。」

「ご苦労だった。もうじき飯が出来上がる頃だ。」

見回りに行っていたリヴァイ班の面々が戻って来た。

「いい匂いがしますね。」と立ち込める食欲をくすぐる香りに胸をときめかせながら微笑むペトラさんが俺の隣に腰掛けてくれたので、緊張も少し解れる。

ここに着くまでに交わした言葉が多かった所為か、この顔ぶれの中で一番気負わずに話せる相手だった。

安堵の溜息を漏らすと、腕が肘にそっと突つかれる。

「エレン、そんなに緊張することないのよ。特にココでは、ね。」

兵長と同じような言葉に、疑問がさらに募る。

それを察してか、ペトラさんは言葉を続けた。

「兵長、機嫌がいいと思わない?」

兵長に聞こえないよう手を添えて、にっこりと微笑む。

「はい、気のせいかと・・思ったんですけど・・。」

ちらり、と盗み見てみる先の上司はやはり、違う。
さっき審議場で縛られた無抵抗な一回り年下の青年を、一方的に、容赦なく、少しばかり過度に痛めつけた人間の雰囲気とは思えない。

ペトラさんはなぜか可笑しそうに、愛おしそうに笑って、「女の子と会わなかった?」と言う。

「はい。会ったというか、見かけたぐらいですが・・。」

廃れているとはいえここは紛れもない”城”であり、メインとなるこの談話室も兼ねたこのダイニングに辿り着くまでに幾つかの部屋を横切った。

その中の一つのスペース。

俺が住んでいた地域の一般的なキッチンの2倍程の広々としたキッチンに立ち、鍋をかき混ぜる女の人を見かけた。

「先に行ってろ。ここを真っ直ぐ行ったら出る。」とかけられた声に背中を押され、止まることなく通り過ぎただけなので顔すらはっきり見えてはいない。

ただ今になってよく思い出してみると、「おかえりなさい!」とか「ただいま。」が聞こえたような・・・。

「ふふふ。あのね、あの人はね、兵長のーー」

そこまで言いかけた言葉はそれ以上続けられなかった。

「エレンくーん、ちょっと手伝ってくれないー?」

と、今まで鼻歌を歌っていた噂の声の主に呼ばれたからだ。

「は、はい!今行きます!」

まるで母親が子供に手伝いを頼むような物言いに、嫌な気持ちはしなかった。
むしろ頼ってもらえた事が嬉しい。

母さんによく手伝いを頼まれていた時期を思い出して、懐かしいような寂しいような・・。

そんな事を考えながら椅子から立ち上がると、物凄い殺気に襲われた。

「・・・え・・・・?」

さっきまで機嫌良く紅茶を楽しんでいたはずの兵長が、物凄い顔で俺を見ている。
審議場でのことも相余ってか、殺されそうな雰囲気だ。

「エレンよ・・疲れただろう、俺が行く。」

隣の穏やかに微笑んでいたペトラさんも身を固くして、顔を青褪めさせている。

「い、いえ!兵長に行かせる訳には・・!自分が行きます!!」

一番下の俺を気遣っての言葉と汲み取ったのは、間違いだったらしい。

「座ってろと言ったんだ。」

それはそれは恐ろしい顔で凄まれ、ついでに胸ぐらを掴まれて、空気を抜かれたように尻を椅子に着けた。

鬼の面を貼り付けたような兵長が部屋から出て行き、凍りついていた空気がどっと解れる。

「おいエレン!ふざけるなよ、兵長が機嫌を損ねたらどうするんがぁ!!〜〜〜っ!!」

「エレンは男の子なんだから、ナマエと二人きりになるのは極力・・ううん、絶対避けて!」

「は、はぁ・・。」

また舌を噛んだらしい悶えるオルオさんを気遣ったり、何がいけなかったのかペトラさんに詮索する気力はもう微塵も残っていない。メンタルには自信がある筈なのに、ここまで気疲れしたのは初めての経験だった。

これが次の壁外調査まで続くのかと考えるだけでゲッソリしてしまう。

「お待たせー!いっぱい作ったからおかわりする人は遠慮なく言ってね。」

そこにバケットを抱えて来た兵長と、一人ずつトレーに配膳されたスープとサラダ、シチューを載せたワゴンを押して、ナマエさんが戻って来る。

目の前に置かれた、いかにも丁寧に作り込まれた芳しい湯気の立つ家庭料理は、訓練兵時代から作り置きされた食事に慣れた俺達の目を簡単に輝かせた。

感嘆の溜息が揃って口から漏れる。

「ナマエの料理は久しぶりだな・・・冷めねえうちに食うぞ。いただきます。」
『いただきまーす!』

ぱくり、とシチューを口の中へ運ぶ。

熱いものが熱く食べられる幸せを噛み締め、泣きそうになった。

「こ、ここに来て良かった・・!」

堪らず溢れる気持ちを言葉にしてしまい、皆がはたとスプーンを止める。

また何か余計な事を言ってしまったんじゃないかと現実に引きずり戻され、絶望に似た感情に落ちる。

「ほう。そりゃあ良かった。まだ欲しいなら言えよ、食は兵士の基本だ。」

「そこまで言ってくれるなんて、本当に嬉しいわ。
何か食べたい物のリクエストがあったら教えてね?」

しかし、返って来た言葉はとても暖かいものだった。

ナマエさんと微笑み合う兵長は底なしに優しく穏やかで、この人にもこんな顔が出来るのだと見惚れる。

食事を摂るリヴァイ班の雰囲気はアットホームでたまの笑い声もある。とても居心地の良い、いい雰囲気だった。

「リヴァイは立場上厳しい顔が多いけど、本当はとってもとっても優しいの。」

「ね?」ととびきりの笑顔を見せるナマエさんに兵長は何も言えないらしく、「そうかよ。」と一言だけ短く返し、グラスを傾けて誤魔化す。

そんな兵長の腕にナマエさんが手の平を寄せる。

二人の穏やかな時間がそのまま部屋に浸透し、居心地の良さを作り出しているんだ。

「だからあんまり気負わないでね。今日はゆっくり休んで、明日に備えてね。」

「はい!ありがとうございます・・!」

やっと、兵長やペトラさんの言っていた事が分かった気がする。

ここなら隅々まで自分達の目が届くし、息がかかる。

そんな場所だから兵長は安心してナマエさんから目を離せるし、引き寄せも出来る。

それは兵長の心にとって、とても大事な事みたいだ。

この場所にナマエさんがいる限り、兵長の気は緩まる。
それを知っているからペトラさん達も気を緩める事が出来る。

ああ・・・やっぱり俺、この場所に来れて良かった。

和やかな食事の時間が城に満ちた。


ーーバーン!!!


「やあー!リヴァイ班のみんな、調子はどうだい?」

「・・・悪くなかった。お前が押しかけて来なければな。」

「やや!やっぱりナマエ来てたんだね!城の居心地はどう?悪くない?」

「うん!キッチンが信じられないくらい広いの!来てくれて嬉しいわハンジ。ご飯食べてかない?シチューなんだけど、張り切って作り過ぎちゃって。」

「おい、駄目だ、今すぐ帰ー「ナマエの手料理?!勿論頂くよ!嬉しいなー!」


すげえ・・完全に押されてる・・・あの兵長が・・・。

不快感を露わにする兵長の顔に気付いているのかいないのか。ハンジさんは全く勢いを落とさない。

もうこんなのは日常茶飯事なのか、ナマエさんが出してくれた食事を頬張るハンジさんにやれやれと溜息を吐き、「食ったら帰れよ」とすっかり諦めてしまった。

それでもここで摘み出されたりされる気配もないのは、ナマエさんと仲が良いからというだけではなく、やはり今までの戦友のよしみがあるんだろう。

凄い勢いで皿を空にし、グラスの水を飲み干し軽快に息を吐いたハンジさんを見計らって「それで。」と兵長が切り出す。

「クソ眼鏡がここに何の用だ。」

「そりゃあ、ナマエの手料理にありつけるかと思っ〜〜痛っ!!」

ぼかりと兵長の拳が頭に落ちる。
自分の事のように肩を竦めてしまった。

「殴ることないだろ〜?それもあったけど、ちゃんとした目的もあるんだからさ!とっておきの、滾るやつだよ・・!」

「・・エレンか。」

「ご名答!!」

指で持ち上げ、ギラリと光る眼鏡で俺を見た。

「え、俺・・ですか・・?」

「そう。君だよエレン・・正確には君の”巨人”にだが・・・。」

立ち上がり、まだ眼鏡を抑えながら口角を上げ、兵長の後ろをリズミカルに往復してみせる。

・・・・・何か・・嫌な予感・・する・・。

直感だが、ストイックな研究者が俺の巨人に用事となれば、粗方の想像はついてしまう。

溢れようとする喜びを堪えて震えるこの人の周りが見えない感じが、とても危なっかしい・・。

「リヴァイ、エレンの明日の予定は?」

「庭の掃除だ。ナマエは城内で手一杯だからな。早急に「良かった!エレンは借りるよ!」

「・・・・・・。」

ああ・・・もう何か本当にどうしようこの人・・・・。

少なくとも自分より大分大目に見て貰っているのに、さっきから物凄い勢いで兵長の不快感を加速させている。

話していた途中で遮られたお陰で唖然と開いたままの唇と、苛立ちに顔を曇らせる兵長をなだめるようにナマエさんの手がそっと兵肩に触れて言う。

「あの、ハンジ・・夢中になるのはいいけど、あまりエレンくんの害になるような事は、ね?」

「お前、下手にいじくり回されて死ぬなよ・・・エレンよ。」

この短時間で分かったこと。
リヴァイ兵長の特効薬はナマエさんだ。しかも即効性もある。
肩の上の白くて細い手に同じく手の平を寄せ、愛おしそうに撫でている。

もしかしてハンジさん。
これを分かっててここのタイミングで頼みに来たのか・・?!

「あ、あの、ハンジさん・・実験されるのは結構なんですが、その実験ってどういう実験なのでしょうか?」

せわしなく弄んでいた歩みがピタリと止まり、目の前に飛び込んで来たハンジさんに驚いて咄嗟に上体を反らす。

そっと俺以外の全員が椅子から立ち上がった。


「聞きたそうな顔してると思った・・!
そうだね、ではまず巨人の生態から説明するよ!
エレンもあのコたちの仲間入りしたようなものだし、実験に参加するにあたって知っていた方がいいと思うからね!
まず弱点が頸っていうのはもう知ってるよね?それじゃあ次は・・ーー」

「ハンジ、ほどほどにしてあげて!エレンくん疲れてるんだから。」

「そいつに構うなナマエ。行くぞ。」

「え・・でも・・・!」

オロオロして後ろ髪を引かれる様子のナマエさんの腰をしっかりと抱き、兵長は行ってしまった。
部屋から見切れる前に見えたナマエさんの目は俺を哀れみ、兵長の瞳は教訓を教えるような目だった。

まるで原稿でも読み上げているようにツラツラと言葉を並べ続ける目の前の上司に遠い目を向けながら、もう絶対この人の前で巨人の話なんかしないと心に固く、固く誓った。

prevnext