狐のお祝い

掛布が捲られひんやりとした外気に触れた瞬間、意識が浮上した。
今日も寝床に入る直前まで書き物をしていたせいだろう。
"侵入者"の存在にすぐに気付けたのは、まだ浅い眠りについたばかりだったからだ。
秋の夜気が背筋を撫で思わず身を竦めると、すぐに暖かい熱が背中にぴったりと張り付いた。
腹部にも熱は回り込み、熱源に引き寄せられる。
掛布以外に何も覆われていなかった素足も絡め取られ、完全に身動きが取れなくなった。

「………なに…?」
「あーぬくいわーしかも抱き枕にもぴったりだわー。」

機嫌の良さそうな低音が頭の上で響き、一気に目が覚めた。

「え!?ぎ、銀さん!?」
「んー?銀さんですよー」

何が楽しいのか間の抜けた笑い声が返ってくる。
慌てて腹部に手を添えると、がっしりとした銀さんの腕が巻き付いていることがわかった。
ということは、今私の脚に絡んでいる"熱"は銀さんの脚なのだろう。
私の頭頂部に顎を乗せるようにしてぴったりとくっついている"侵入者"は、銀さんだった。

「な、なんでここにいるの!?銀さんの部屋はここじゃないでしょ!」

夜這い。
思わず頭に浮かんだ単語を私は即座に否定した。
糖分とジャンプくらいにしか執着を見せないこのだらけた狐が、今さらそんな色事に積極的になるとは思えない。

「あー?俺が寝るところが俺の部屋なんですぅ。犬小屋だろうがダンボールだろうが住めない場所なんざこの世にないんだよ。寝られる場所はぜーんぶ俺の居住区。俺のホームなんですぅ。」

何を言っているのかさっぱりわからない。
腹部を圧迫する銀さんの腕をぺちぺちと叩いて抵抗すると、ますます深く抱き込まれた。
ぐりぐりと銀さんの顎がつむじを押し、じわじわと痛む。
銀さんの動きに合わせて甘ったるい匂いが振り撒かれた。

「銀さん臭い!お酒臭い!」
「誰が臭いだコノヤロー。地味に傷付くこと言うんじゃありません。」

銀さん泣いちゃう。
馬鹿げた台詞と共に今度は泣き真似をする。
そこでようやく、銀さんが酔っ払っていることに気付いた。

「…銀さん。また、蔵の御神酒飲んだでしょ。」
「飲んでませーん。」
「嘘ばっかり!じゃあどこからお酒なんて調達してきたの!」
「酒なんて飲んでないしィ。アレだ。般若湯的なアレだよ。うん。」
「結局お酒じゃない!」

般若湯とは、不飲酒戒を守らねばならない僧侶が酒を嗜むための隠語である。
酒に『知恵を得るための湯』という意味の名を付けることで公然に飲酒を行えるように抜け道を作ったのだという。
しかし、ここは土地神の社はあるが仏は祀っていない。
常日頃から守り神を自称しているにも関わらず神道と仏教を一緒くたにしている辺りに、銀さんのいい加減さが表れているような気がする。

「あーんないいモン仕舞いこんでんのが悪ィんだよ。いつもよりワンランク上の酒が目に付く場所にあんだからよー。ついつい手が伸びちまうのが人情ってもんでしょーが。」
「何なのその万引き犯の心理みたいな言い訳は………って、え!?ワンランク上のお酒!?」

結局、銀さんはあっさりと蔵から酒を盗み出したことは白状したが、聞き捨てならない一言が紛れ込んでいた。

「んー。大吟醸なんて久しぶりに飲んだわー。アレは美味かったわー。」
「大吟醸って…えええええええ!?」

深夜にも関わらず、私は大声で叫んでしまった。
私を抱き締める銀さんの腕を引き剥がそうと力一杯叩きまくる。

「うっせーな。地味に痛ぇし。何すんの●●ちゃんよォ。銀さん今いい感じで気持ちよーく眠れそうなんですけど。」
「なんであのお酒飲んじゃうの!」

全く離れようとしない銀さんの腕を叩きながら私は項垂れた。
銀さんが飲んでしまった大吟醸は、明日の祭りで捧げられるはずだった御神酒だ。
朝になったらすぐに祭壇に持ち運べるよう蔵のすぐ入り口に置いていたのが仇になったらしい。

「あの御神酒は明日のお祭り用だったの!朝一でまずは祭壇の準備から取り掛かる予定だったのにいきなり躓いちゃったじゃない!」
「祭り用ォ?明日の祭りは収穫祭なんだろ?どーせ地面に撒いちまうんだからその辺でカップ酒買って来て詰め替えとけば大丈夫だって。」
「神事を何だと思ってんの!?」

自称・守り神が聞いて呆れる。
神官の方々にどう説明したらいいのだろう、と私は頭を抱えた。

「銀さん、離して。今から明日の段取り考え直すから。」
「ハァ?考えてどうなんの。もう遅いんだから早く寝なさい。寝不足は美容の大敵でしょーが。」

明日の祭りの流れを思い起こし、御神酒を新たに入手する手筈を考えてみる。
いっそ御神酒なしで祭事を執り行うことも視野に入れるが、御神酒が行方不明になった言い訳がどうにも思い付かない。
めでたい祭りの日になるはずだったのに、私は胃の底がキリキリ痛むような憂鬱さを覚えた。

「明日どうしよう…」
「どーもしなくてもいいだろ。早く寝ろって。銀さんが添い寝してやっから。」

足の裏を刷毛のような感触が擽った。
足の甲、足首、ふくらはぎ、と順番に上ってくるその感覚は、間違いなく銀さんの尻尾だ。

「足先からあっためるとよく眠れっぞー。」
「擽ったいから。やめてくれる?」

怒っていることをアピールするべく抑揚のない声で言うと、少しだけ銀さんの腕が緩んだ。
が、尻尾がどんどん脚に絡み付き、するすると撫で付けてくる。

「そんなに目くじら立てんなよー。アレだよ?言っとくけど●●も悪ィんだからな?」
「は?何が?」
「お前アレじゃん。最近祭りの用意で忙しい忙しいってそればっかりだったじゃん。」
「………だから?」
「そーやって余裕のねェ生活して銀さんと意思疏通が図れてないから、飲んで欲しくない酒を飲まれちまうんだよ。守り神様が何を欲してるかちゃーんと汲み取れてないとか巫女サマとしてどーなの。ダメじゃね?ちゃんと銀さんとお話しとかなきゃダメじゃね?」
「人はそれを責任転嫁と言います。」
「俺、人じゃねーしィ。」

ふふん、と鼻を鳴らして堂々と宣う銀さんに私は脱力した。
子供染みた屁理屈に怒る気にもなれない。

「………要するに、最近構ってなかったから寂しかったってこと?」
「ハァ?何言っちゃってんの?ガキじゃあるめェし、んなわけねーだろ。」
「じゃあ、何なのよ。」
「巫女のクセしてお狐様を粗末に扱うなってことですぅ。」

パタンパタンと銀さんの尻尾が寝台と私の脚を叩く。
酔っ払ってはいるが、少しは後ろ暗く思っているところもあるようだ。
落ち着きのないその動きに気付くと、腹立たしいと思っていた気持ちが『仕方がないな』と許してしまう方に傾いてしまうのだから不思議だ。

「…もう。いいよ。どうせあの御神酒は銀さんに捧げられるお酒だったし。」
「………は?」

ため息混じりにそう言えば惚けた声が降ってきた。

「何それ。どーゆー意味?」
「だから、あの御神酒は明日のお祭りで銀さんにあげるお酒だったの。」
「…いや、だからなんで?」
「だって…。明日、銀さんの誕生日なんでしょ?」

隠していても仕方がない。
そう判断した私は、御神酒の本来の用途を白状することにした。

「…誕生日って…」
「銀さんは"守り神"なんでしょ。土地を守る神様の生まれた日を祝わないわけにいかないじゃない。」

いつの時代に、どこで生まれたのか正確には何も知らないけれど、10月10日が銀さんの誕生日なのだと聞いたことがあった。
この土地に留まる神が存在する以上、その日が特別な日になるのは当たり前のことだ。
ちょうど作物の収穫時期とも重なったため、収穫祭の意味も込めた祭りを執り行うことにしたが、それはあくまでもオマケだ。

「急遽、今年から始めることにしたから段取りとか一から考えないといけなかったの。前例がないお祭りだったから、決めることも多くて。」

だから最近は、この祭りのための合議が多く行われ、銀さんや神楽ちゃんたちと顔を合わせる機会があまりなかった。
書き物だとか一人で行える仕事は部屋に持ち帰りギリギリまでこなしていたため、食事も共にできない日々が続いていた。
確かに銀さんの言う通り"意思疏通の図れていない"状態だったと言える。

「収穫祭って作物の無事を祝う催しでしょ?つまり、作物を実らせた土地に感謝するってことだから。この地にいる神様に感謝するのは当然じゃない。」

未だに銀さんが守り神なのか糖分を集るためだけに居座るタチの悪い妖なのか判別しかねるところはあるのだが。
それでも今は、"守り神"を自称する銀さんの言葉を尊重していたい。

「ほら、ただ神様を崇め奉る祭事だと形式ばったことしかできないから。お祭りにしちゃうと屋台とかも出せるし。銀さんはわたあめとかリンゴ飴とかの方がいいでしょ?」
「………オメーさんはバカですかコノヤロー。」

ぎゅうっと強く抱き締められる。
力強い腕に鳩尾を圧迫され少し息苦しくなる。

「ちょ…銀さんっ、苦しっ」
「誕生日パーチーどころか土地を上げて祭り開くとかどんだけ大袈裟なんだよ。お前、どんだけ俺のこと好きなの。」
「は?何言ってんの。巫女として"守り神"様を敬うのは当然じゃない。」

この土地に奉仕し、神に仕える巫女が最大限の敬意を表すのは何らおかしなことではない。
"巫女のクセして粗末に扱うな"と銀さんも言っていたし、その言葉に従う扱いだと思うのだが、何かおかしなところでもあるのだろうか。

「あのな。フツーは誕生日を祝うっつったらケーキとパフェとイチゴ牛乳用意してパーチーだろ。どこの世界に祭りを一からブチ上げるヤツがいんだよ。」
「…ケーキはともかくパフェとイチゴ牛乳を用意するのが普通だとは思わないんだけど。」
「んな細かいことはいいんですぅ。俺が言いたいのは、どんだけ銀さんを特別扱いするのか、ってことだよ。そんな大袈裟な祭りなんてやんなくてもだな、俺は」
「別に特別扱いなんてしてないけど。」
「………は?」
「ちゃんと神楽ちゃんと定春の誕生日もお祭りするよ?神楽ちゃんの時は御神酒は行事用で酢昆布を献上するつもりだけど。定春はドッグフードか骨ガムかなあ。」
「祭事に酢昆布とドッグフードって…オメーさんこそ神事を何だと思ってんの。」

この土地に留まってくれる以上、神楽ちゃんも定春も立派な"守り神"だ。
たまたま銀さんの誕生日が先に来たから銀さんのお祭りを先に執り行うことになったが、別に特別扱いをしているつもりはない。
贔屓なんてしないし平等に敬っている、と伝えたのだが、何故か銀さんの機嫌が悪くなった。
掛布の下で九本の尾がばしんばしんと私の脚を叩いている。

「………ほんっとーにわかってねェな、●●ちゃんよォ。」
「何が?」
「なーにが『巫女として』だよ。全っ然銀さんの気持ちを察してねェじゃん。ぜーんぜんわかってない。」
「え?何が?なんで?」
「そーゆー祝い方だと銀さんは納得しませーん。むしろアレだよ。祟っちゃうからね。お稲荷さん舐めんなよ?五穀豊穣の神サマだかんね?本気になれば収穫祭なんてイチコロだかんね?」
「ちょ…!何する気なの!ていうか急にどうしたの!何が不満なのよ!」
「明日わたあめとリンゴ飴を献上しないと許しませーん。」

銀さんは私の髪に顔を埋めながらボソボソと言った。
頭蓋骨を通して響くようなその声に、私は首を傾げる。

「え?それはいいけど…。元々そのつもりだったし。ちゃんと屋台を回れるように手筈は整えてあるよ?」
「…どーやって?お前は祭りの運営やら神事やらでバタバタしてんだろ。」
「うん。だから、新八くんにお小遣い預けておくから、新八くんと神楽ちゃんと一緒に回ってもらおうかと…」
「はい失格ー。」

ぱしん、と銀さんの尾が私の脚を叩く。

「神に仕える巫女サマならちゃんと自ら銀さんにご奉仕しろよ。メガネに役割ぶん投げて楽をするんじゃありません。」
「へ?別にそんなつもりじゃ…」
「大体な。お前なんにもわかってねーよ。」

今夜、私は何度銀さんから『わかってない』と文句を言われたのだろう。
しかし、言葉とは裏腹に銀さんの声は少し穏やかになった気がする。
九尾が再びすりすりと私の足先を撫で暖め始めた。

「俺は、この土地を守ってやるつもりなんてねーの。オメーさんのことしか守んねーの。だから●●以外のご奉仕は受け付けねーの。」

そこんとこ間違えんじゃねーよ。
そう言った銀さんの声は掠れていた。
泥酔した状態で喋り倒したから疲れたのかもしれない。
とろとろと微睡むような声に、少しの寂しさを感じ取ったのは私の気のせいなのだろう。

「やっぱり構ってもらえなくて寂しかったんだ…?」
「違いますぅ。●●が職務怠慢なのが気に食わないだけですぅ。」

駄々っ子のようなその言葉に笑いを隠しきれない。
腹部に回る銀さんの手に、私は自然と指を絡めた。
明日の主役は、ずいぶん寂しがり屋だということを私は気付いていなかったようだ。
確かにこれは、神に仕える者としては致命的ミスなのかもしれない。

「…明日、ずっと一緒にはいられないけど、添い寝はしてあげるよ。」
「………。」

返事はなかった。
しかし、一瞬だけ力が込められた銀さんの指が了承の返事だと思った。
私もそのまま目を瞑る。
今夜くらいは偏屈な狐を甘やかしてみたい。
それが"守り神様"の望むことなのかはわからないけれど、見当外れということもないだろうと信じ私も眠りについた。


***

「え?ちょ、なんで?なんで●●がここで寝てんの?プレゼント?昨夜サンタさん来たの?あれ、今日クリスマスだっけ?あ!違う!銀さんの誕生日だった!」

翌朝、私は騒々しい銀さんの声に叩き起こされることになる。
昨夜のやり取りもすっかり忘れてしまっているらしい泥酔狐は、見事に二日酔い狐になり、一日中私の寝台を占拠した。
『頭痛い気持ち悪い酒はもうやめるわでもわたあめは食えっからあとリンゴ飴とチョコバナナと人形焼きとケーキとパフェと団子とイチゴ牛乳も』などと騒ぎまくる守り神様のおかげで、私は祭事の取り仕切りもそこそこに銀さんの看病をする羽目になった。
しかし、真っ青な顔をしているくせに掛布からはみ出た九尾だけは楽しそうにぱたぱた揺れていた。
祭りが予定通りいかなかったにも関わらず、これでいいか、と思ってしまった私は銀さんに甘過ぎると反省するべきなのかもしれない。


遅刻しました…でも愛は込めたのでいつもよりデレデレ狐でお祝いします。
まだ恋愛感情のない二人で。

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