チョコレートの行方

●●のミニスカサンタが見たかった。
その野望は、酒のせいで締まりがなくなった口が盛大に吐露してくれたらしい。


クリスマスの夜。
仕事が長引いたという●●が、クリスマスパーティーという名のどんちゃん騒ぎをしていたスナックお登勢を訪れた時、まともな人間はいなかった。
人間にカウントできない化け物ババアとからくり家政婦しか会話が成立しないという状況下で、当然俺もぐだぐだに酔っぱらっていた。
カウンターに突っ伏し管を巻いていた俺は、隣に座った●●に盛大に絡んだらしい。

もうね、オメーさんがなっかなか来ねェから銀さん飲み過ぎちゃったじゃねーの。
そうなの。銀ちゃん、私を待ってたの。
そうだよ。ちょー待ってたよ。どうすんだよ、こんなにべろべろに酔っぱらってちゃ神楽の枕元にプレゼント置くの無理だよ。うっかり転んで押し入れの襖に頭突っ込んじゃうよ。寝ぼけたチャイナ娘に蹴り入れられて俺が夢の世界に旅立っちゃうよコノヤロー。
え。銀ちゃんって神楽ちゃんのサンタさん役やってるんだ。なんだか意外。
仕方がねェだろ。あいつガキだし。サンタさんに肉まんねだっちゃうようなお子様だし。
銀ちゃんも、ちゃんとお父さんやってたんだねぇ。
誰がお父さんですか。銀さんはまだピチピチのアラサーですぅ。
神楽ちゃんの夢を壊さないようにしてるんだから、立派なお父さんだよ。偉い偉い。
酒くっさい息を振りまきながら千鳥足のサンタってどーなのよ。
平常運転の銀ちゃんだね。
オメーさん、俺を何だと思ってんの。俺ほど清く正しく美しく生きてる人間はいねーよ。
いつから銀ちゃんはタカラジェンヌになったの。似合わなさすぎでしょ。
あ。今、銀さんは傷付きました。●●の言葉に傷付きましたー。罰としてオメーが今年のサンタやってこい。寝相が究極的に悪いお子様の枕元に忍び込む役やってこい。

俺は●●に『サンタ役をやれ』としつこく繰り返したらしい。
神楽のサンタを自分が務めていいのか、と戸惑う●●に、オメーも俺の家族の予定なんだから問題ねーよちゃんとサンタコスも用意してあるからとにかくやれやってくださいお願いしますもうミニスカサンタになってくれるなら何でもいいから早く脱げ早く生脚見せろ300円あげるから、と迫りアダルトショップで購入したペラッペラのサンタの衣装を押し付けたらしい。
オロオロと困っていた●●も俺の懇願に折れ、『わかった。じゃあ私が神楽ちゃんのサンタさんやってみせるね』と、見事に神楽を起こさないまま枕元に大江戸マートの肉まんと酢昆布を置いておくというミッションをやり遂げたらしい。
そして、その様子を嬉しそうに報告する●●に俺は次なる指令を下したらしい。

銀ちゃん、ちゃんと置いてきたよ。神楽ちゃんもぐっすり寝てたわ。これで今年も神楽ちゃんの夢は守れたね。
おう。よくやった。よし、次のミッションだ。
え。なに。
今年の大仕事を終えて安心した銀さんを労え。膝枕で。

そう言ってポカンとする●●を無理やりソファの端に座らせ、俺はその膝を枕にしたらしい。
恥ずかしがる●●の声を無視し、うるせー俺は眠たいんだよムラムラしてんだよでも飲み過ぎたせいで勃たねーんだよオメーがとっとと来ねェから銀さんの銀サンもおやすみモードだよサンタさん待っちゃってんのよミニスカ●●がプレゼントくれねェと起きられないのおらとっとと起こせよでも銀さんはもうおねむなのでおやすみなさい、と捲し立て本当に●●の膝の上で寝たらしい。

俺は何一つ覚えていなかった。
●●が来ないから拗ねて飲んだくれてただとか、神楽の保護者としてなんちゃらだとか、ミニスカサンタに興奮してどーたらだとか、●●の膝の上に永住するからほにゃららだとか、見栄も本音も全て余すことなく吐き出してしまっただとか、もう、何一つ覚えていない。
翌朝、二日酔いでグラグラする頭を抱えて苦しむ俺に、●●は慈愛に満ちた笑みを残し颯爽と帰っていった。
そして事態を把握できず呆然とする俺は、たまの眼球部に取り付けられた高性能過ぎる録音録画機能で全てを知り、更に悶え苦しむのだった。
ただでさえ女子力アピールをし過ぎたが故に●●の女友達ポジションを確立するという馬鹿げた状況に陥っていたというのに、俺は一夜にして神楽のお父さんアピールと、年頃の娘と同居しているおかげですっかりご無沙汰の欲求不満アピールを同時にするという器用過ぎる真似をしでかしたらしい。
器用過ぎてもう、何がなんだか訳が分からない。
女友達で、保護者で、ムラムラしてるアラサー男って一体何者なんだ。
記憶から抜け落ちたクリスマスの出来事を詳細に解説するたまの目の前で、俺は崩れ落ちるしかなかった。

***

バレンタインデーを菓子業界の陰謀だとか陳腐なことは言わない。
世のOLの七割が消滅を願う行事だということも気にしてはいけない。
親や姉妹から受け取ったチョコレートは貰った数にカウントされないだとか、学校内のヒエラルキーの見直しを行う学内統制機能を有しているだとか、不幸自慢をして安心する通過儀礼だとか、そんな細かなローカルルールなど問題ではない。
重要なのは、チョコレートは糖分の塊だということだ。
女がいそいそと台所に立ち、菓子作りに励むということだ。
いちご牛乳にあんこを混ぜるとめちゃくちゃ美味いように、美味いものに美味いものを掛け合わせると大抵美味い。
組み合わせを間違えなければ至上の味を創り出すことが出来る。
そして、甘いチョコレート菓子を可愛い●●が作るという現象は、間違えようもない最高の組み合わせなのだ。
その理論以上に重要なことなど何一つない。
俺は、生チョコもトリュフもガトーショコラもフォンダンショコラもチョコレートブラウニーもチョコレートプリンも全部好きだ。
●●が作るチョコレートなら何でも好きだ。
もうむしろ、作らなくてもいい。
●●が俺のために用意した物なら市販のチョコレート菓子でもいい。
はい、銀ちゃん、受け取ってね、と上目遣いで差し出してくれるものならもう何でも美味い。
しかし、もしもう少し欲張ってもいいならば、チョコレートで全身をコーティングされた●●が欲しい。

「いいわ!銀さん私に任せて!このさっちゃんが、あなただけの甘ーいスイーツになっちゃうゾ!」
「あーいいよなー俺だけの●●。全身チョコ塗れとか義理チョコも配りようがねーしな。本命チョコしか作れねーしな。チョコに浸かった●●が欲しーな。」
「しかし、万事屋。全身チョコというのは意外に難しいぞ。チョコが完全に固まると、身体を動した途端にひび割れる可能性が高い。しかし、この時期は暖房のせいで意外に室温が高いから中途半端に粘度を保つとすぐに溶けてしまう。全身チョコは移動手段がほぼないから製作から受け渡しまで台所じゃないと無理だ。」
「さすがゴリラ。全身蜂蜜塗れだけじゃなくチョコ塗れも経験済みか。経験者の話は説得力があるな。」

さっちゃんは、どこからか取り出してきたチョコで満たされた金タライの中に頭を突っ込んでいる。
その様子を見ながらゴリラが、うむ、と感慨深そうに頷いた。

「そうだ。このように大きな入れ物の中で絶えずチョコを浴びる状況を作り出さなければ、人間チョコレートフォンデュは難しい。別の場所であらかじめ用意しておくのは難しいだろう。」
「なるほどな。でも目の前で脱ぐところから始まるのもいいな。白い肌が少しずつチョコに染まるのを観察するのもいい。」

恥ずかしがりながらも俺の言うことに逆らえず、のろのろと着物の帯を緩める●●。
本当にやるの?と不安そうに俺を見ながら許しを乞うのだろう。
銀さんが一番欲しいチョコをくれよ、と俺が言えば顔を真っ赤に染めて俯くのだ。
果実の皮を一枚一枚剥ぐように着物を脱いでいき、最後にはせめての抵抗として掌で大事なところを必死に隠す。
俺はその手を無理やり引きはがし、こう言うのだ。
なあ、●●をくれよ、と。

「素肌とチョコのコントラストを堪能するならやはり王道の乳首チョコだな。自宅で仕込みができるし、脱ぐまでわからないサプライズ感がある。人肌で溶けていく様を観察するもよし、舐めて溶かすもよし。」
「ゴリラの乳首チョコは想像もしたくねーが●●の乳首チョコは美味いな。」
「まあ!銀さんったらいやらしい!そんなにさっちゃんの乳首が舐めたいの!?いいわ!バレンタインは特製チョコ水着で突撃しちゃうから存分に恥ずかしがる私を舐めればいいじゃない!チョコが溶ける様を眺めればいいじゃない!」
「チョコ水着…●●とチョコプレイか…。」

ホワイトチョコでもいいかもしれない、と新たな●●に想いを馳せていると、ばりっ、と小気味いい音が響いた。
音の発生源には、白けた目をした新八と神楽がいる。

「…なんで変態が増えてるアルか。」
「神楽ちゃん。この国にはね、”類は友を呼ぶ”っていう言葉があるんだよ。つまり、欲求不満のまるでダメなおっさんの傍には真に堕落した大人が集うんだ。」
「なるほどナ。ストーカーの周りにはストーカーが集まるってことか。ストーカーが一匹いたら他にも二匹は隠れてるって思った方がいいってことアルな。」
「そうだよ。ストーカーっていうのはこの世の害悪、ゴキブリみたいなものだからね。アイツらの生命力は半端じゃない。あの姉上を以てしても駆除できない存在なんだよ。」
「…おい。オメーら、なんで俺を見ながら毒吐いてんの。」

俺たちのチョコレート談義などまるで意に介さず、二人は豪快に煎餅を齧っている。
時々、ケッ、と唾を吐く神楽と頭を振りながら重い溜息を吐いて見せる新八は、バレンタインに夢など持っていない、とでも言いたげな達観した顔をしていた。
若いくせに希望の見えない子供たちの姿は、俺を密かに心配させた。

「なんだよ、ガキにとってもバレンタインは一大イベントだろ。モテバロメーターをリセットする大事なイベントじゃねーか。くっさい下駄箱が甘酸っぱい香りに包まれる至上の日じゃねーか。スカしてないで素直に楽しそうにしてみなさいよ。」
「ここまで欲望に忠実にはしゃいで見せるおっさんを見てると胸やけがするアル。これ以上にどう騒げばいいネ。」
「100%不可能な妄想に心躍らせる人を見てたら嫌でも現実見ますよ。誰だって冷静になります。」

子供らしくはしゃいでいいんだよ、という大人の優しい誘い文句を一刀両断した二人は、鼻で笑って煎餅をバリバリと齧った。
煎餅と共に楽しい妄想まで砕くようなその言葉に、俺はこめかみを引き攣らせる。

「うっせー!俺だってわかってらァ!●●がチョコプレイも生クリームプレイもしてくれねーなんてことわかってるっての!銀さんが”イイお友達”ポジションだってことはじゅーーーぶん承知してるっての!」
「銀ちゃんは●●の”女友達”であることは確かだけど、”イイお友達”かどうかは怪しいネ。”悪いお友達”の間違いアル。」
「やかましいわ!それくらい夢見たっていいだろ!できもしねーことはわかってんだから妄想くらいしたっていいだろうがァァァ!!」

ごりごりと心を削るような毒舌をぶつけてくる二人に思わず反論すると、憐憫の情がこれでもかというほど乗ったような冷えた眼差しが突き刺さった。

「…一応そのくらいの分別はついてたアルか。エライアル。」
「…大人になりましたね。妄想で留めて置けるようになりましたか。よかった。」
「おい。お前ら俺を何だと思ってんの。人を性犯罪者みたいな目で見るのやめてくんない?」
「歩く猥褻頭が何言ってるネ。」

鼻で笑った神楽に向かって拳骨をくれてやったら、それ以上の勢いでアッパーを返された。
理不尽だ。

「…で?現実を知った銀さんはバレンタインどうするんですか?諦めて義理チョコに切り替えるんですか?」

童貞の癖に上から目線で窘めてくる新八に標準を変えたが、ゴリラが立ちはだかった。
俺の義弟に乱暴をするな!と叫び出したので、とりあえずゴリラをしばいて鬱憤を晴らしておく。

「新八、オメーは馬鹿ですか。義理チョコねだるなんて試合放棄も同然だろ。安西先生がそんなこと認めるわけねーだろ。」
「じゃあ、どうするんですか?」
「決まってんだろ。俺は●●の友チョコを貰う!」

ぐっと拳を握り高らかに宣言すると、新八と神楽から訝し気な眼差しを向けられた。

「…それのどこが試合放棄じゃないと言えるんですか?」
「わかってねーな。ぱっつぁんよォ。義理チョコと友チョコじゃ友チョコの方が断然上だ。しかも友チョコってのは友達同士で交換する場合が多い。つまり、交換相手のスキルが高けりゃ高いほど、よりレベルの高いチョコを用意する可能性が出てくる!俺が手作りチョコを用意すれば、●●もよりハイレベルな手作りチョコを用意するはずだ!」
「…要するに銀ちゃんが●●に逆チョコするってことアルか。」
「そうだ。しかも一緒に作る。」
「は?」
「バレンタイン当日に万事屋に●●を呼んで一緒にチョコ作るんだよ。俺が凝ったチョコを作れば作るほど●●が俺に渡すチョコも同レベルになる!しかも本命チョコを作ろうとしてたらその場で阻止できる!つまり、今年の●●の手作りチョコの最高傑作を俺が食えるチャンスが生まれる!」

しかも今年のバレンタインは日曜日。
●●の仕事が休みだということも確認済みだ。
もうハロウィンやクリスマスと同じ轍は踏まない。
完璧な作戦だった。

「…”最高傑作の友チョコ”を狙うんですか。涙ぐましい…。」
「身の丈を知り過ぎてて掛ける言葉もないネ。」

前回の反省を踏まえた完璧なプランを公開すると、新八と神楽がスッと目を逸らした。
なぜか二人で頷き合っている。
銀さんの逆チョコ!と叫ぶさっちゃんと、俺もお妙さんとチョコバナナだ!と意気込むゴリラ。
そしてオレの笑い声が万事屋の中に響き渡った。
…別に空しくなんてない。

***

バレンタイン当日。
チョコレートやら砂糖やらの材料を両手に抱えた●●は、昼時を少し過ぎた頃に万事屋を訪れた。
直前まで寝ていた俺は、あくびを噛み殺しながら●●を出迎える。

「今日はよろしくお願いします…って、銀ちゃん。まだ寝てたの?」
「おー…銀さん昨夜ちょーっと夜更かししてたから。」
「また飲み歩いてたの?もう、相変わらずなんだから。」
「ま、まーな。いや、そんな、飲んでないけど。うん。」

困ったように笑う●●に、俺はあらぬ方向へ視線を飛ばしながら適当な相槌を打った。
“酒”と”●●”の二つのキーワードが合わさると、どうしてもクリスマスの惨劇を思い出してしまう。
決して深酒をしてしまったから寝坊したわけではないのだが、あの悪夢から(いや、●●の膝枕は素晴らしいプレゼントだったが)目を逸らすため、俺はすぐに●●を台所へと押しやった。


「じゃあ、とっとと作るか。」
「…え?もう?」

●●との料理教室はもう何度も開催している。
今日のお題はザッハトルテだ。
●●が試行錯誤して俺に頼る姿が見たい、という理由から妙にハイレベルなものを選出してしまったが、ザッハトルテって家庭でできるの?と目を輝かせた●●が見られたので、俺は腹を括った。
そもそもザッハトルテなんて小洒落たものはこれまでに数えるほどしか食べたことはないのだが、おおよそのレシピは本屋で立ち読みしたしなんとかなるだろう。
なにより、ザッハトルテは冷蔵庫で冷やす工程がないというところがポイントだ。

「銀ちゃん、チョコとかアプリコットジャムは持ってきたけど…」
「おー。卵とかバターはこっちで用意してあっから持ってきたモンその辺並べとけ。」

持ってきた材料を一度冷蔵庫に仕舞おうとする●●を押しとどめ、俺はすぐさま台所へ向かった。
いつもの●●との料理教室では、まずは居間でだらだらと話し込んでからのんびりと調理を始める。
しかし、今日はソファに腰かける間も与えず早速菓子作りに取り組んだ。
ザッハトルテはやたら手間暇が掛かるということもあるが、バレンタイン当日に●●と二人きりで話し込むという状況で、浮かれたセリフを口走らない自信がなかったというのもある。

「ねえ、銀ちゃん。そういえば、昨日神楽ちゃんがウチに来たんだけどね、」
「あ?神楽…?…アイツ、なんか変なこと言ってないだろうな!?」
「え?何も言ってなかったけど…どうかしたの?」

かちゃかちゃと一生懸命溶かしたチョコと砂糖を混ぜ合わせていた●●が、ふと思い出したかのように言ったその言葉に俺はぎょっとした。
まさかあの酢昆布娘、俺の悲壮なバレンタインの決意を●●に漏らしたんじゃあるまいな。
そんな不安に駆られて大声を出すと、●●はキョトンとした顔で俺の顔をまじまじと見た。

「銀ちゃんこそ、神楽ちゃんから何か聞いてないの?」
「何かって…ナニ?」
「…ううん。何も聞いてないならよかった。」

そう言って安堵の表情を浮かべた●●に俺は首を傾げる。
しかし、心底安心した様子が顔に出ているのはきっと俺の方に違いない。
反抗期かと問いただしたくなるほど最近やけに俺を小ばかにするきらいがある神楽が、俺がつい口に出したり出さなかったりした●●としたいあれこれを本人に告げ口する可能性は大いにありうる。
こうして平然とした顔で●●が万事屋を訪れているということは、あまり突っ込んだことはバラしてはいないのだろうと判断したいのだが、神楽が●●に俺のことをどういう風に話しているのか確かめるのは正直恐ろしい。
楽しい●●とのクッキングをそんな不安を抱えた状態で続行したくない俺は、神楽ちゃんとね、とまだ神楽の話を引っ張ろうとする●●の言葉を無理やり遮り菓子作りを再開させた。

「ほら、そのメレンゲをちょっとずつ生地に混ぜて。せっかく泡立てたんだから泡潰し過ぎないようにな。」
「う、うん…。あの、銀ちゃん、昨日ね、」
「できたらそいつはオーブンで焼くぞ。その間にグラサージュ作っから。」
「…。」

てきぱきと指示を飛ばすと、●●も口を噤み菓子作りに身を入れた。
型に流し込んだ生地をオーブンに放り込み、チョコレートと砂糖水を火にかける。
焦がさないように真剣に小鍋をかき混ぜる●●の横顔を眺めていると、また●●が俺に話しかけてきた。

「銀ちゃんはこの友チョコ誰に渡すの?」

友チョコ、という響きに切なさと虚しさを感じた。
しかし俺はそれをおくびに出さないようにし、んー、と考える素振りをしてみせる。

「そーだなー。とりあえず新八と神楽かね。つーか神楽に食わせたら他に配るほど残るわけがねーし、渡す相手なんてほとんどいねーな。」
「そっか。」
「あー…あとはお前にやるくらいだな。」

最後の言葉は少し早口で付け足した。
俺が渡す相手は、子供二人と●●だけだ、ということを強調してみたがどれだけこの意図が伝わるのか。

「…そうなんだ。新八くんと、神楽ちゃんと、私だけ、なんだ。」

しかし、●●の反応は薄かった。
俯き加減で小さく笑っただけで、また鍋をかき回す作業に没頭する。
俺が作るものならなんだって喜んで食べる●●のことだから、これだけ手の込んだザッハトルテならことさら喜んでくれると思っていたのだが。
予想よりもずっと淡泊な返事に、俺はたちまち心が折れそうになる。

「あ!あー!えーっと、●●は本命チョコとか義理チョコは作んねーの?友チョコだけ?」

妙な空気を振り払うため、俺は今日の目的の一つを達成するべく●●に話を振った。
本命チョコを作りたい、と言い出したら阻止するための説得文句を昨夜のうちに10パターンは考えてある。
俺は息をのんで●●の言葉を待った。

「え?私も今日は友チョコしか作らないよ?」

その言葉に俺は心底安心した。
しかし、同時にものすごくがっかりした。
●●が本命チョコを渡すような特別な相手がいないことは喜ばしいが、やはり俺は”友チョコを渡す仲”の一人でしかないということを●●の口から直接聞くと、なかなかにショックだ。

「そ、そっかー…。ちなみにその友チョコは銀さんももらえるの?」
「え?銀ちゃんも友チョコ欲しいの?自分で作ったザッハトルテだけじゃ足りないの?」
「あったりめーだろ。この糖分王がザッハトルテの1ホールや2ホールで満足するわけねーだろ。」
「…そんなに欲しいならいくらでもあげるけど…。」
「マジでか!あ、いや、えーっと、●●が作る友チョコ楽しみだなー…。」

しかし、この動揺を素直に口に出そうものなら余計に事態がややこしいことになるのは目に見えている。
何せ俺は、"料理談義をする女友達"で、"神楽のお父さん"で、"ムラムラしてるのに膝枕で爆睡する男"である。
●●の中で俺という人間がどういう位置付けになっているのか掴めなくなってしまった今、告白なんてしたところでまともに受けてもらえやしないだろう。
ぷつぷつと煮立つ砂糖とチョコのシロップは、諦めきれない俺の未練が逃げ場を失っているさまを表しているようだった。


焼き上がった生地を三層になるよう切り、程よく冷めたらアプリコットジャムを挟み込む。
生地にグラサージュを回し掛けたら、あとは常温で固まるのを待つだけ。
初めて作ったにしてはなかなかの傑作に、俺は何度も頷きながら己の仕事を称賛した。

「やっぱり銀ちゃんの方が上手だね。」
「そうか?●●のもいい感じじゃね?この段々畑みたいなチョコの層に味がある。」
「…綺麗に均せなかったこと馬鹿にしてる?」
「んなこと言ってねェって。鍾乳洞のつららみたいなチョコの垂れ方がまた手作りの味わいっていうか…」
「…。」

●●が作ったザッハトルテを褒めてみたが、あまりお気に召さなかったようだ。
●●はじとりと俺を睨みつけ、なんで銀ちゃんはこんなに上手なの本当に初めて作ったの?と恨めし気に呟く。
●●の機嫌を取るべく、慌てて綺麗な方のザッハトルテ…もとい、俺が作った方のザッハトルテを切り分けてやる。

「ほら、●●。特別に銀さんの友チョコ最初に食わせてやるよ。」

言っとくけど、友チョコなんて初めて作ったからな。超レアだからな。だから●●が作った方の友チョコ食わせろよ。
そう言ってザッハトルテを●●に差し出すと、●●はまた複雑そうな顔をした。

「…●●、どうした?」
「銀ちゃん、本当に強調してくるね…」
「な、なにが?」

どきりと心臓を跳ね上げさせながら、俺はまた目を泳がせた。
少々露骨だっただろうか。
●●のチョコが欲しいという主張が、あまりにあからさまだったのかもしれない。
俺の姑息な計画に気付いたのだろうか、と弁解の言葉を紡ごうとした時、威勢のいい声が玄関から聞こえてきた。

「ただいまヨー!銀ちゃん!チョコケーキできたアルか!?」
「ただいま戻りましたー。ほら、神楽ちゃん、まずは手を洗わないと。」

いつも通りの騒がしい神楽の声と所帯じみた新八の声が台所まで聞こえてきた。
その騒々しさに救われたような気がして、ほっと安堵のため息を吐く。
しかし、●●が胡乱な眼差しを俺に注いでいることに気が付いた。

「…●●ちゃん?な、なんですか、その目は。」
「今、明らかに『助かった』って顔したね。」
「そそそそんなことねーよ!勘違いだ!」
「…白々しい。」

●●は大きなため息を吐くと、エプロンを外した。
居間に置いてあったバッグと上着を取りに行くと、そのまま玄関に向かった。

「え?●●?」
「…銀ちゃん。今日ずっと上の空だったね。私の話も聞きたくない感じだったし。」
「へ?ち、ちげーよ!そんなこと…」
「しかも友チョコ友チョコってやたら強調するし。」

どきりと音を立てた心臓と共に肩も跳ね上がった。
ばれている。
俺が●●のチョコを得るために必死になっていることは、やはりバレバレだったらしい。

「し、仕方がねーだろ!俺、糖分王だし!目の前にこんな美味そうなチョコがあんのに欲しがらねーわけねーだろ!」

さりげなく●●のザッハトルテをもう一度褒めてみた。
俺が作ったものより膨らみも足りないし、表面はざらざらとした段差ができている不格好なザッハトルテであっても、それでもここで褒めちぎっておかなければならない。
●●の手作りチョコ欲しさにここまで必死になっているのだから、ここで●●の機嫌を損ねるわけにも、●●と妙な雰囲気になるわけにもいかないのだ。
しかし、俺の最後の足掻きなど何の効果もなかったらしい。

「…そう。じゃあ、このザッハトルテ全部食べていいよ。」
「…え?」
「今日はもう帰るね。お邪魔しました。」

そう言うと●●は本当にさっさと帰って行ってしまった。
あれ、●●さん、もう帰るんですか、という新八の言葉にもおざなりな返事だけを返し、足早に去っていく。
残されたのは、事態が把握できない俺とザッハトルテたち。


「●●さん、チョコケーキ作るだけで帰っちゃったんですか?手付かずみたいですけど…。」
「美味そうな匂いがするアル!…でも何で●●と食べなかったネ?」

●●と入れ違いに台所へ入ってきた新八と神楽は、不思議そうな顔でザッハトルテを見た。
そんなことは俺が聞きたいくらいだ。
ザッハトルテの褒め方がマズかったのだろうか。
段々畑だなんて味気ない比喩を用いず、荒れた海の波打ち際だとかもっと臨場感溢れる表現をするべきだったのかもしれない。

「…銀ちゃん、もしかして●●からチョコ貰わなかったアルか?」
「いや…このザッハトルテ全部食っていいって言われたんだけど。」
「そうじゃなくて、●●が作ったチョコのことアル。」
「は?」

己のボキャブラリーの貧困さに頭を抱えていると、神楽が妙なことを言った。
このザッハトルテも●●が作ったんだけど、と返せば神楽は心底呆れたといわんばかりのため息を吐く。
芝居掛かったその仕草に、わけわかんねぇ、と睨み付けると、神楽はぽん、と小さな包みを俺と新八に向かって投げてきた。

「くれてやるネ。感謝しろヨ。」

ピンク色の包装紙に包まれた手のひらサイズの包み。
赤いリボンが十文字に掛けられたその中身は、今日がバレンタインデーだということを考慮するとチョコレートの類いなのだろう。

「…お前、いつの間にこんなモン作ってたんだ?」
「昨日、●●の家で作ったネ。」
「…へ?」
「どっかのヘタレが夜中に台所を占領しそうだったから、●●の家で一緒に作ったアル。」
「え?●●の奴、昨日もチョコ作ってたのか?」
「●●が昨日作ったのは”友チョコ”じゃなかったけどナ。」

鼻をほじりながら吐き捨てるように言った神楽の言葉に、俺は今日●●と交わした会話を思い出した。

神楽ちゃんから何か聞いてないの。
今日”は” 友チョコしか作らないよ。
銀ちゃん、本当に強調してくるね。

もしかして、●●が”強調している”と感じたのは、俺の『チョコが欲しい』という主張ではなく、『友チョコ』の部分だったのだろうか。
俺が●●に”友チョコ”を渡したい、と言ったから喜ばなかったのではないか。
それは、半ば願望が混ざった憶測だった。
しかし、そんな風に考えてしまうと俺は居ても立ってもいられなくなる。
俺はすぐさま冷蔵庫を開いた。
●●に見られないようにと冷蔵庫に隠していたそれは、昨夜俺が夜なべして作ったのだ。
ラッピングもされておらずトレイの上にラップが掛けられただけのそっけないものだったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

「ちなみに●●は、渡せなかったら自分で食べるって言ってたアル。」
「マジでか!」

俺はトレイの上に並べられたチョコレートたちが落ちないよう気を付けながら慌てて玄関に向かう。
適当にブーツをひっかけると、台所の二人に向かって叫んだ。

「その友チョコはオメーらにやるわ!…あ、でも●●が作った方は食うなよ!その潰れたスポンジで毛羽立った方のは食うな!扇状地なのに岩場があるみたいなザッハトルテは食うな!!いいな!?」
「どこまで失礼なんですか、アンタ。」
「あとで●●に言いつけてやるネ。」
「お願い!やめて!!」

俺はトレイを両手に抱えたまま走り出した。
目指すのはもちろん、●●の家だ。
今日の俺の目的は、●●が本命チョコを誰かに渡すことを防ぐことだった。
その”誰か”には、当然●●自身も含まれるのだ。

貴重な本命チョコが●●の腹の中へ消えていくかもしれない不安と、何も気が付けなかった自分自身への苛立ち。
そして、これから起こるであろう出来事に胸を躍らせながら、俺はひた走る。

友チョコの交換ではなく、本命チョコの交換をするために。


最終決着は、ホワイトデーにて。
ハロウィンの夜と同じ展開になりそうですが。

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