阿呆共の意地

書生姿のその男の第一印象は、とても悪かった。
濃紺の詰襟シャツに白藍色の矢絣模様の着物。
皿回しする曲芸師のごとく鳥打帽(ハンチング帽)を人差し指でくるくると回しながら、店の敷居を跨ぎ放った第一声は、

「で?この店のおねーちゃんはどこまで触っていいわけ?つーか、カフェーの癖に露出度低くない?」

だった。
鼻の下を伸ばしながら言ってのけたその下劣な台詞に、私は会って間もないこの男が大嫌いになった。

「申し訳ございませんが、ここはそういった趣向の店ではありません。」

引きつった顔を修正する気にもなれないまま、私はつっけんどんな応対をしてやる。
すると、あろうことか男はへらへらとした笑いを浮かべた挙句、私を嘗め回すようないやらしい視線を向けてきたのだ。

「でも、ここカフェーじゃねえの?」
「そうですが、ここは健全に珈琲をお楽しみいただく純喫茶です。」
「あれ?おねーちゃんが隣に座って乳揉ませてくれる店じゃねーの?」
「違います。」

下劣な視線へ挑むように睨み返すと、男はこてりと首を傾げた。
銀色のふわふわとした髪のその男は、どうやら頭の中身の方もすかすからしかった。
店員と客(恐らく)という力関係があるとはいえ初対面の人間にここまで下品な物言いをするだなんて、知識人の社交場といわれる純喫茶にふさわしい人格を備えているとはとても思えない。

「じゃ、いいや。おねーちゃん仕事はいつ終わんの?」
「は?」
「店の中で揉ませてくんねーなら外で乳揉ませてくんね?それならチップいらねェし。」

俺、金ねェし。
そう言ってにやにやと笑う下心満面のその顔を見て、私は生まれて初めて殺意というものを覚えた。

「そういう相手は花街で探してください!」

***

頭の中も外もふわふわした上に目まで死んだ魚のようなその男の名前は、坂田銀時といった。
私が雇われるこの純喫茶は、帝国大学からほど近い場所に立地しているため大学生やら教授やらのインテリ層が多く来店する。
そんなお堅い殿方が客の大半を占めているせいか、この店に集う客は珈琲の味や女給にはあまり興味を示さず、知識人との意見交換の場としてここを必要とする人たちが多かった。
そんな店の雰囲気にすっかり慣れきっていたため、若い女が客の隣に座り身体を触らせてくれるという巷で大流行のカフェー―――特殊喫茶―――を期待して来店した坂田さんの発言は、あまりにこの場にそぐわないものに思われた。
純喫茶であるこの店も”カフェー”と名乗ってはいるが、女給は私のほかには店主の奥様しかいないし、そもそも席数も4人掛けのテエブルが4つしかないという水茶屋と変わらない規模の店だ。
装飾品は洋式であっても男女の駆け引きを楽しむような洒落た仕掛けもない店内の様相を見れば、この店が性風俗とはかけ離れたものだとすぐに分かりそうなものなのだが、銀髪の癖に桃色思考の坂田さんにはそれがわからなかったらしい。
坂田さんは、客商売に不適切な私の不遜な態度にも挫けることなく堂々と席に着き、珈琲牛乳を注文し、一口飲むごとに私に対して下品な野次を飛ばし、そうして満足そうに帰って行った。
私もそれほど長く女給を続けているわけではないが、これほどまでに下品な客は見たことがない。
しかも、その日から坂田さんはこの店の常連となったのだ。
女給という仕事を格段楽しいと思ったことはないのだが、苦痛に感じたのはこの日が初めてだった。

***

坂田さんの発言からは品性の欠片も伺えたことはないのだが、それでも一応は帝国大学に通う学生らしい。
時折、ご学友と思われる男性を連れて来店することがあったのだが、その顔触れもまた異様だった。
バンカラ風の学生服に身をまとった隻眼の学生、本物の女性と見間違うような完璧な女装をした長髪の男性、断髪令が出されて久しいこのご時世に月代を剃った紳士、整った面立ちからは想像もできないほど不可思議な味覚を持つ美男子など。
坂田さんは、まるで統一感のない様々な友人を店に連れてきては多種多様な話題を振りまき、そしていつも私にいやらしい野次を飛ばした。
幸いなことにどのご友人も、坂田さんの下品な冗談を窘めてくれるような常識を持った殿方ばかりだった。
そしてどの方もそれぞれ整ったお顔立ちをしておられたため、にたにたとしたいやらしい笑いを浮かべた坂田さんは彼らと比較してより一層私の苛立ちを煽る存在と認識された。
いくら学があろうとも、こんな男に触れられるなど絶対に嫌だ。
私は坂田さんが来店するたびに、「乳揉ませて」とちょっかいをかけられるたびに、そう強く思った。
しかし一方で、様々な身分・職業のご友人を連れる坂田さんはいつもたくさんの笑顔に囲まれていて、そこだけは少しうらやましいと思うのだった。

***

坂田さんは三日と空けずに店を訪れるようになった。
一杯の珈琲牛乳をちびちびと啜りながら長時間店に居座り、何かと私にちょっかいをかけてくる。
自分以外の客がいない時には堂々と私に卑猥な言葉を投げつけ、青筋を立てる私の反応を見て楽しんでいた。
別に知りたくもなかったが、勝手にべらべらと始まる坂田さんの世間話によると、坂田さんは近所に住む大学教授の家に下宿しているらしい。
尊敬する”先生”が、見識を広めろ、と紹介してくれたのがこの店だという。
最初は、なんて余計なことをしてくれたのだろうか、と顔も知らない”先生”とやらを恨んだ。
しかし、見識を広めろ、と言ってここを紹介したということは、”先生”は坂田さんに、知識人の社交場としてこの店を活用しろ、と言いたかったのかもしれない。
だとすれば”先生”に罪はない。
やはりおかしいのは卑猥な妄想ばかりを頭に詰め込んだ坂田さんの方だと私は確信した。

「着物に前掛けって色っぺーのな。乳見えねーけど。」

思わず持っていたお盆で胸元を隠した。
なんとかと天才は紙一重だというが、こんな煩悩塗れの男でも入れる大学とは一体どのような場所なのだろうかと常々不思議に思う。

「つーか、いつ乳揉ませてくれんの?ケツだったらいいわけ?」
「…この店で飲む珈琲代を貯めて花街にでも行かれたらどうです?餅は餅屋と言いますし。」
「わかってねーな。俺ァ、町内の餅つき大会で素人につかれまくったべちょべちょの餅じゃなくて、蒸しあがったばっかりのもち米がつきたいのよ。」

最低の喩えだと思った。

「…慣れた女ではなく、生娘にちょっかいを掛けるのが楽しいということですか。」
「ちげーよ。別に俺はおぼこ娘で遊びたいわけじゃなくてだな。初心なデカプリ娘が好きなだけで…。」
「本っ当に最低な人ですね。こんな方がお国の未来を背負う帝大の学生だなんて末恐ろしい。雑司ヶ谷に行って土下座するべきだわ。」
「俺、英文科じゃねーし。」

帝国大学といえば、かの有名な夏目漱石先生が英文科にご在籍だったというが、偉大な文豪と同じ赤門をこの男が潜っているなど到底信じられない。
今すぐ漱石先生が眠っておられる雑司ヶ谷の墓地へ謝罪に行って欲しいと切に願ったのだが、そんな私の皮肉など簡単に切って捨てられた。
このような返しを造作もなくしてくるところが、この男の賢しさを見せつけてられているようでなんだか悔しくなる。

「意外に物知りなのな、●●さん。」
「…常連の教授(せんせい)に教えていただいたので。」
「あー…教授っつーのは学外でも討論して知識をひけらかしたがる生き物だからな。女給ってのはそういう連中の相手もしなきゃなんないんだから大変だな。」

いいえ、口を開けば卑猥な嫌がらせばかりの誰かの相手より何倍も楽しいです、とは流石に口に出さなかった。
どうしてこういうところは察してくれないか不思議に思ったが、そもそも私が嫌がっていることなど十分承知の上でちょっかいをかけているのかもしれない。
やはりこの男、最低だ。

「学者先生のお話は勉強になるものばかりです。女の身であるにも関わらず、大学に行かずしてご教授いただけるのだからありがたいことです。」
「真面目だねェ。」

坂田さん以外の人のお話は為になるものばかりだと言外にほのめかしてみたが、やはり効果はなかった。

「俺はここには癒されるために来てんだよ。堅っ苦しい論議なんてごめんだね。」
「癒し…ですか。」
「そ。●●さんに癒されるために来てんの。」

だから、●●さんの乳揉ませてくれや。

最後に付け足された言葉は聞かなかったことにした。

***

坂田さんは成人男子には珍しく、ずいぶん偏った甘党で珈琲牛乳にもこれでもかというくらいに砂糖を入れる。
砂糖代を別個に請求しても罰は当たらないんじゃないかというくらい砂糖を使うので、坂田さんが来店するようになってから砂糖の発注数が増えた。

「いくらなんでも身体に障るんじゃないですか?」
「俺が一番美味いと思う飲み方で飲むのが一番なんだよ。」

鼻歌を歌いながら溶けきらない砂糖をざりざりと匙でかき回す坂田さんに、ため息をつきたくなった。
聞いたところによると、白米に小豆を乗せて食べることもあるという。
砂糖はもはや庶民にとって高級品とは言い難くなったこのご時世であっても、いくらなんでもやりすぎじゃないかと思うのだが、坂田さんは自分の健康になどまるで無頓着のようだった。

「下宿先でもそんなに甘いものばかり食べてるんですか?」
「さすがに夕飯に宇治銀時丼は出てこねーよ。だからこうして外で摂取してんの。」

自分の名前を冠した料理を馴染みの定食屋に出させるようにしたというのだから、もう始末に負えない。
飲み屋街をツケでふらふらと飲み歩くこともあるらしい。
大学を卒業して自活するようになったら一体どんな食生活を送るつもりなのだろう。

「なに?もしかして●●さん、俺の身体のこと心配してんの?とうとうおっぱい揉ませてくれる気になった?」
「お国に貢献することもなく早死にしそうな方に学費と宿を提供している”先生”の人を見る目を心配しているだけです。」
「なに言ってんの。長生きすることが世のため人のためになるとは限らねーって。太く短く生きるからこそ遺せるものもあるんでしょーが。」

幕末の志士然り。芸術家然り。
そう言ってにたにたと笑う坂田さんに、私は上手い返しが浮かばなかった。
西洋の文化を取り入れて以来、世の中の流れは速く、大きく変化するようになった。
戦争、商売、文化。
様々な方面で名を轟かせる英雄が生まれる一方で、生き急ぐように無茶をする若者も増えた。
坂田さんもまた、時代の中を鉄砲玉のように駆け抜けていく一人になるつもりなのだろうか。

「関心はしません。偉大なものを遺されたとしてもその恩恵を受けるのは後の世です。今、ここにある私たちには悲しみしか残りません。」

常々抱いていた素直な気持ちを吐き出してみると、坂田さんは大きく目を見開いた。

「…へェ?●●さん、俺が死ぬと悲しいんだ?」
「一般論です。」
「その一般論を●●さんが掲げてるってことは、●●さんも俺に早死にして欲しくないって思ってるってことだろ。」
「坂田さん以外の日本国民全員に対してそう思っています。」
「随分な博愛主義だな。世の男共全員におっぱい揉ませてやるつもり?」
「坂田さんは身体を触らせるかどうかで博愛精神を測るんですか。花街の女は全員菩薩だと思ってるんですね。」
「馬鹿高い花代さえ取らなきゃ、あいつら全員観音様だよ。」

へらへらと笑う坂田さんにがっくりと肩を落とす。
珍しく真面目な話をしたと思ったのに、結局はこれだ。

「心配すんな。俺が今一番揉みたいおっぱいは●●さんのおっぱいだから。」
「何の心配ですか。坂田さんこそ一番も二番もなく、そもそもお相手を務めてくれる女がいない可能性の方を心配したらどうです?」

坂田さんの見当違いな慰めを私は即座に切り捨てる。
そんなつれない私の態度にさえも坂田さんは楽しそうに笑った。
もし、本当に坂田さんが”太く短く”生きてしまえば、この馬鹿げたやりとりはなくなってしまう。
坂田さんとのくだらない言葉の応酬がなくなってしまうかもしれない可能性を考えて、私は少しつまらなく思った。

***

思えば、坂田さんと私の会話はお互いが”対等”な立場で行われるものばかりだった。
坂田さんは女である私に対していやらしい言葉ばかり投げつけてくるけれど、それに真っ向から反論する私を『女の癖に』と罵ったりはしない。
インテリという人種は笑顔で男の話に相槌を打つ可愛げのある女を求めるというが、坂田さんは可愛げのない私の反攻を甚く喜ぶ。
色恋の駆け引きを知らない生娘である私でも気が付いていた。
坂田さんにとってこの馬鹿馬鹿しい言葉遊びこそが、”癒し”なのだと。

***

「●●さんはさァ、あと何年この店で働くの?」
「え?」
「最近はカフェーっつったらお触りできる店が主流になってきて、純喫茶から鞍替えするところが増えてるんだってよ。」

いつものように背中を丸めただらけた姿勢で珈琲牛乳を啜る坂田さんが、思いついたように声をかけてきた。
坂田さん以外の客がいない店内では、格別大きな声でなくともその声はよく通る。

「ここはどーなの?趣旨替えしねーの?おっぱい揉ませてくんねーの?」
「する予定はありません。花街に行ってください。」
「だからそんな金ねーってば。つーか最近、俺以外の客を全然見ないんだけど。」

私は言葉に詰まった。
女給のサービスを主にした特殊喫茶方式に乗り換える純喫茶が増えている中、昔と変わらぬ古式ゆかしいこの店の客足は途絶えつつある。
閉店後に店主と奥様が店を畳むかどうか話し合っていることにも気が付いていた。
それほどまでにこの店の先行きは怪しかった。

「この店がそっち方面に乗り換えたら、●●さんはどーすんの?大人しく俺におっぱい揉ませてくれんの?」
「…別の仕事を探します。」

もし、本当にこの店が純喫茶から特殊喫茶に乗り換えるようなことになれば、私には”そういう”女給は決して勤まらないだろう。
まあ、この店の規模を考えれば店の趣旨替えよりも畳んでしまう可能性の方が高いであろうが。

「へぇ?このご時世にそう簡単に仕事が見つかるかねェ?」

小馬鹿にしたような言い方に口元が引きつった。
私だってよくわかっている。
婦人運動がどれだけ活発になろうと、女が自立して生きていく道はあまりにも少ない。
学もなくこれといった特技も持ち合わせていない私ができる仕事なんてないに等しいだろう。

「坂田さんにご心配頂くようなことはありません。放っておいてください。」

上手く言い返す言葉が見つからなかった私は、坂田さんに背を向ける。
身体全体で拒絶を示すくらいしか小憎たらしいこの男に反抗する手段が思い付かなかった。
…なにより坂田さんが、『女』を理由に私を小馬鹿にしたような物言いをしたことに少し傷ついた。

「俺さぁ、来年大学を卒業すんのよ。」

私の精一杯の抵抗など痛くも痒くも無いと言わんばかりの、呑気な声が響いた。
こちらの心情になど気づく様子もなく投げ掛けられる言葉は、独り言でもボヤいているかのような覇気のなさだった。
ますます腹が立つ。

「んでよォ、卒業後は弁護士でもやろうかなーなんて思ってるわけ。」

思わず耳を疑った。
弁護士。
口を開けば下品な冗談や人をおちょくるような阿呆な言葉遊びばかりのこの男が弁護士。
全く世も末だとしか言いようがない。
学のない私でも、弁護士という職につくということが如何に難関であるかは知っている。
そんな艱難(かんなん)で高潔な職である弁護士に、この下品な男がなるというのか。

「…ご立派なことで。」
「あ、信じてねーな?」

あまりに非現実的な坂田さんの計画に皮肉で返すと、坂田さんは私の生意気な態度さえも面白がるような声で返してきた。

「銀さんこう見えてもできる男だから。口先から生まれた男って言われてっから。」
「ああ。納得しました。」
「感心するところはそこじゃねえっての。」

いい加減な相槌を打っているのに、坂田さんはなぜこんなに弾むような声なのだろう。
背中を向けている私には、坂田さんの顔色はわからない。
満面の笑みなど浮かべていようものなら、私は更に苛立たしく思うだろう。

「来年弁護士になるっていうことは、今の下宿先出て自立して暮らすっつーことだ。」
「はあ。」
「つまり来年からは俺に飯作ってくれる人はいなくなっちまうし、部屋の掃除も洗濯も自分でどーにかしなくちゃならねェ。」

書生として下宿していたのなら、掃除や洗濯くらい手伝っていたのではないのか。
どれだけ甘やかされた居候なのか、と私は振り返って白い目を向けてやりたくなる衝動と戦った。

「けどよォ、代わりに収入は問題ないわけよ。俺が食うに困らねーくらいには。」

坂田さんの声音は実に楽しそうだった。
毎日三食自分の好みの物を外食できるようになるからだろうか。
まずは飲み屋のツケを払うべきだろうに。
そんな埒もない私の予想はあっさりと裏切られた。

「今度は誰かを養えるくらいには、な。」

私は何も言えなかった。
誰か、とは一体誰のことを指しているのか。
私は沈黙を返す。

「弁護士試験も受けなくていいしな。絵に描いたような成金生活が送れっかもよ?」
「…学生時代の負債の返済に追われるのが関の山でしょう。」
「まあ、その辺は小賢しい嫁さんが管理してくれんじゃねーの?」

突然、腕を引かれた。
よろけながらもなんとか振り返り、倒れこまないようにたたらを踏む。
無理やり態勢を崩してくれた犯人を睨み付ければ、愉悦を浮かべた紅目とかち合う。
ああ、やはり腹が立つ。

「で?もう一回聞くけど、●●さんはいつまでここで女給やんの?」

私は唇を噛んだ。
上手い切り返しが見つからない自分の貧相な語彙力を恨む。
なんて、なんて狡い男なのか。
親の許しもなく勝手な口約束で私を縛ろうとするだなんて。
それで私が唯々諾々と従うと思っているのだろうか。

「…先のことなんてわかりません。」
「そりゃ誰だって同じだ。俺はお前がどうしたいのかを聞いてんだけど?」

曖昧な誤魔化しも許してくれず、逃げ道も塞いでくれた。
なのに決定的な言葉は何もくれないのだからタチが悪い。
小賢しいのは一体どちらなのか。
私は苛立ちを隠すことなく舌に乗せた。

「私を迎えてくれる素敵な殿方が現れるまでは、ここで働きます。」
「素敵な殿方、ね…具体的には?」
「きちんと私の両親に挨拶してくれて、結納までの手順をきちんと踏んでくれる方です。」
「あ、やっぱりそれ、やんなきゃダメ?」
「一番重要なのは往来で破廉恥な発言をしない紳士であることです。ツケで飲み歩くなんて論外ですね。」
「ツケは、まあ、金さえ入ればなんとかするって。破廉恥破廉恥言うけどここには俺と●●さんしかいねーんだから気にすんなって。オメーさんしか聞いてないし、俺もオメーさんにしかおっぱい揉ませろなんて言ってねーよ。」
「…他にまともな台詞は浮かばなかったんですか。」
「銀さん正直者だかんね。素直な気持ちをぶつけて何が悪いよ。」
「いいところが何一つ見当たりません。」

坂田さんに掴まれたままの腕が熱い。
私は力強い腕を振り払えないまま、必死に言葉を紡いだ。
しかし、何を言おうと私が坂田さんを黙らせることはできないだろう。
そんな平行線を辿る馬鹿げた応酬をよく知る声が打ち切ってくれた。

「紳士…か。その条件だと銀時は土俵にも上がれんな。」

坂田さんのものではない凛とした声が店の入り口の方から響いた。
慌てて声の持ち主へ目をやると、桂さんと高杉さんが人の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。

「な…!お前らいつからそこにいたんだよ!」
「『大人しく俺におっぱい揉ませてくれんの?』からだ。全く貴様という男は求婚もまともにできんのか。」
「ほぼ最初っからじゃねーか!悪趣味なんだよ!」
「ヅラ、この毛玉に説教垂れたって無駄だろうよ。なんせ頭ン中にまで綿埃が詰まってるような馬鹿だ。気の利いた口説き文句なんて出てくるわけがねェ。」
「誰の頭がもこもこセーターだ!モテ天パなめんな!テメーらが邪魔しなきゃ即行で●●から返事がもらえたっての!」
「確実に”お断り”の返事がもらえただろうな。」

高杉さんが鼻で笑うと坂田さんは勢いよく立ち上がった。
そのまま取っ組み合いの喧嘩へ発展していく。
私は二人の争いを見ながら、ゆっくりとため息をついた。
…坂田さんとの会話が有耶無耶になったことに、私は少し安心してしまった。

「で?銀時にはどう答えるつもりだ?」

いつの間にか隣に立っていた桂さんがいたずらっぽい笑みを浮かべながら問いかけてきた。
どうやら桂さんは、私を逃がしてくれる気はないらしい。

「…来年改めてお返事します。」
「なるほど、焦らすのか。即物的すぎる銀時には有効なのかもしれないな。」

何やら感心したように頷く桂さんに、私は肩をすくめてみせる。
色恋の駆け引きを楽しめるほど、私は器用ではない。
だから、正直な気持ちを桂さんに打ち明けてみた。

「そんなのじゃないですよ。坂田さんが無事に弁護士になったのを見届けてからじゃないとお受けできないだけです。私のお給金だけじゃさすがに坂田さんを養えませんし。」
「収入さえあれば求婚を受け入れるということか。」
「それは最低条件です。来年、坂田さんが真っ当な紳士になっていれば考えてみましょう。」
「その条件が何より難しいだろうな。」

私たちは顔を見合わせてこっそり笑い合った。
私が"女"でいる限り、坂田さんに勝てる日は一生来ないかもしれない。
それでも、簡単に白旗を上げてやるつもりはなかった。

勝負は既についていたのだとしても、それを素直に教えてあなたを喜ばせてやるほど、私は可愛い女ではないのだ。


実際には、この時代は弁護士が増えすぎて極貧弁護士が多かったらしいので成金生活はできそうもありませんが。

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