血の鎖

坂田は、私が生まれる前からこの家に住んでいました。

家令の息子であった坂田は、華族令嬢である私にとって数少ない男性の友人であり、たった一人の「お兄様」でもありました。
一人っ子として甘やかされて育った私の遊び相手と世話係を兼ねることができる同年代の子供は、希少な存在だったからです。
私が華族女学校に上がるまで、私は坂田の事を「お兄様」と呼び、いつも坂田の後をついて回りました。
お父様やお母様は、私が坂田を「お兄様」と呼ぶと私の事を激しく叱りましたので、私は坂田と二人きりの時だけ「お兄様」と呼ぶことにしていました。
華族の娘が一使用人を兄と慕うなどあってはならない、ということを理解できるようになるまで、私にとって坂田は「お兄様」でした。
坂田は私が「お兄様」と呼ぶと、少し不機嫌そうな顔をして、「俺はオメーのお兄様じゃないっての」と返すのがお決まりでした。
お父様やお母様の前では決して使わない坂田のその砕けた言葉遣いが、私はとても好きでした。
だから私も、「知っていますお兄様」とお返しするのです。

坂田は幼い頃からとてもよく働き、お母様から厚く信頼されていましたが、他の使用人達からは腫れ物のように扱われていました。
お父様なんて、まるで坂田がそこに存在しないかのように無視してしまわれることもあったほどです。
坂田はそんな扱いを受けながらも、決して愚痴を言うことはなく、いつもへらへらと笑っていました。
私が坂田を庇おうとすると「大丈夫ですよ、おひいさま」と言ってすぐに私を遠ざけてしまうのです。
そうして私を巻いて別の仕事に取り掛かろうとする坂田を探し回り、寂しそうな顔をしている坂田を抱き締めるのが私の仕事でした。
悲しいことに、坂田は自分の容姿をあまり好きではないようでした。
自分が周りに受け入れてもらえないのは、その目と髪の色のせいだと思っているのです。
私は、坂田のくるくるの銀髪もうさぎのように真っ赤な瞳もとても好きでした。
ふわふわの前髪をかきあげ、坂田の身体を巡る血と同じような色をしているその目をじっと見つめることが、私の何よりの楽しみなのです。
坂田のその目を見るたびに、私の中に流れる血の色はどんな色をしているのか想像させてくれる、その真っ赤な目が何よりのお気に入りでした。
坂田はそんな私に困ったように笑い、「俺はオメーさんの髪と目の方が好きだけどな」と返すのです。
私も坂田と同じようなくせの強い髪の毛でしたが、椿油をたっぷり使わないと纏められない自分の髪はあまり好きではありません。
自分の容姿を好きになれないという共通点に、私はまた一つ、坂田とお揃いのものを見つけた気がして嬉しくなるのでした。

私が女学校に上がる頃、坂田もまた高等学校に通うようになりました。
長年我が家によく仕えてくれたことへのご褒美だと、お母様は当然のように提案されたのですが、それに対しお父様はいい顔をなさいませんでした。
入り婿であったお父様がお母様の決定を覆すことはありませんでしたが、坂田の立場がより複雑なものになったことは言うまでもありません。
坂田は、これまで以上に本音の見えない笑顔を貼り付け、一層仕事に勉学に励んでおりました。

私は女学校からの帰り道は、よく坂田に迎えに来てもらいました。
坂田の通う高等学校も同じ頃に終わるので、私たちはよく二人で寄り道をしました。
甘いものが好きな坂田は、カフェーでアイスクリイムを食べることが大好きでした。
私は屋敷では見られなくなった坂田の笑顔を見られることがとても嬉しくて、お給金をあまり貰えていない坂田をよくカフェーへ連れていきました。
坂田の幸せそうな顔を見られることが、私の幸せだったのですから。
しかし、坂田はアイスクリイムを頬張りながら私の話を聞く事が好きなのだと言いました。
だから私も坂田にその日あったことを全てお話しします。
カフェーは、私も坂田も笑顔になれる素晴らしい場所でした。

そんな日常は、突如舞い込んだ私の婚約話によって終わりを告げてしまいました。
世間では大戦景気に沸き、成金やら軍人やらが幅をきかせる世になっておりましたが、生業を持たない華族は没落の一路を辿る傾向にありました。
我が家もまた例外でなく、徐々に少なくなる家人を寂しく思っていたものです。
そんな折に降って湧いた縁談は、政略結婚以外の何物でもないのでしょう。
それが華族の娘に生まれた私の宿命なのでありましたが、そう簡単に受け入れられるほど私は大人にはなりきれていないのでした。
女学校を中途退学し、花嫁修業に打ち込まなければならなくなった私は、お稽古の時間以外は部屋に閉じこもるようになりました。
部屋に閉じこもっていると時間の流れを感じることはなく、この屋敷で過ごせる残りの期間を意識せずに済んだのです。
そんな後ろ向きな時間を過ごす私を外へ連れ出したのは、やっぱり坂田でした。
「遊びに行こうや、おひいさん」と覇気のない声で私を誘って、あちらこちらへ連れて行ってくれました。
浅草の活動小屋で活動写真を見たり、テント小屋で芝居を見たり、お母様たちに知られたら大目玉を頂戴してしまいそうな場所へこっそり案内してくれました。
そうして気晴らしをした日の締めはやっぱりカフェーのアイスクリイムで、私たちは久方ぶりの幸せを噛みしめることができました。
女学生時代とは違い、話をするのはもっぱら坂田の方になってしまいましたが、それでも私たちの間にある空気は変わりありません。
そうして幸せな時間を過ごした後に、迫り来る結婚という現実をより恐ろしく感じてしまうことだけが、あの頃との唯一の違いなのでした。

悲しくても寂しくても、この家に帰れば坂田に会うことができます。
それを心の支えにすれば、お嫁に行くことも受け入れられると思えるようになった頃、私は恐ろしいことに気付いたのです。
お母様が坂田を見る眼に深い愛情が含まれていることに。
それは、血の繋がりのある者にしかわからないであろう、とても些細な変化でした。
しかし、同じ血が流れる私にはわかったのです。
お母様が坂田を特別な目で見ていると。
それがわかった時、私はお嫁に行けば坂田に二度と会えなくなるかもしれない可能性に気が付きました。
私が抱く坂田への恋慕の情を知られれば、お母様は私と坂田を引き離してしまうに違いありません。
坂田もお母様の視線に気が付いていたようでした。
お母様に見つめられるたび、居心地の悪そうにする坂田を見て、私の決意は固まりました。
その頃、お父様が坂田に良からぬ事をしようとしていることを知ってしまったことも、私の背を押すきっかけになりました。
華族と使用人の醜聞を記者になど知られたら、世間の格好の餌食になると恐れられたのでしょう。
だから私は、婚約者との顔合わせの前日に、坂田を誘ってカフェーに行きました。

「坂田、私を攫って頂戴。」
「…何馬鹿な事を言っちゃってんのよ、おひいさん。」

坂田は驚いたように目を見開くと、すぐにへらりと笑いました。
坂田のその笑い方をあまり好きではない私は、坂田の手を握り強く訴えました。

「私、坂田と離れたくないのよ。お前に会えなくなるくらいなら、死んでしまった方がいいと思うくらい。」
「物騒なことを言いなさんな、おひいさん。"おひいさん"としてしか生きてこなかったオメーさんが、平民の暮らしなんてできるわけねーだろ。」

まるで取り合ってくれない坂田に、私はとても悲しくなりました。
私が華族令嬢として生きてきた時間と同じ分だけ、坂田と過ごしてきた時間があるのです。
「お兄様」と坂田を呼び慕ったあの日から、坂田との時間の全てが私の人生なのです。
坂田がそれに気付いてくれないことが、何より私を悲しませました。

「私はお前が何より必要なの。それ以外のものなんていらないわ。」
「すぐに忘れるさ。すぐに嫁入り先がオメーの日常になるんだから。俺の事なんてすぐに必要なくなるって。」
「坂田も?坂田もすぐに私を忘れてしまうの?」

縋るように問いかけると、坂田は口を噤んでしまいました。

「坂田は私の事なんて必要ないの?」

坂田は俯きました。
だから私は、いつかのように坂田の前髪をかきあげ、その目を覗き込みます。

「私はお前を忘れてしまうことなんてないわ。」
「…ズルい女だな、●●は。」

久しく坂田の口から聞くことのなかった「●●」という響きに、私は震えだしそうなほどの喜びを覚えました。

「●●のいない人生なんて、想像もできねーよ。」

坂田は困ったように笑い、私の手を握り返してくれました。
その日、初めて坂田はアイスクリイムを残しました。
互いの手を握り合うだけで、精一杯だったのです。
そうして私たちは駆け落ちしました。
全ての罪を背負って。

***

「男か女か…どっちが生まれてくるんだろーなー。」
「どちらでも構わないわ。私と銀時さんの子供なんだもの。」

うっとりと私の大きなお腹に頬を寄せる銀時さんの頭を、私はゆっくりと撫でました。
二人で暮らすようになってから、私は坂田を「銀時さん」と呼ぶようになりました。
私も「坂田●●」と名乗るようになったのですから。

「かーわいいこと言っちゃってまァ。…銀さんもどっちが生まれてきても嬉しいですけど。」

はにかみながら付け加える銀時さんに私も笑顔になります。
あれから銀時さんは、せっかく高等学校で得た学を捨てなければなりませんでした。
日々を生きるためにはどんな仕事もしなければならない、と言ってあちらこちらで様々な仕事を探してきます。
使用人として働いていた経験の方がよっぽど活かせる、と銀時さんは笑いますが、それでも銀時さんの生き方を変えてしまったことは事実で、それは間違いなく私の罪なのです。
そう言って謝罪する私を銀時さんはいつも豪快に笑い飛ばし、私を抱き締めてくれます。
「華族のおひいさんを掻っ攫って平民にしちまった俺の方がよっぽど罪人だっての。」と、銀時さんは言いました。
だから私は銀時さんに負けないくらいの力で、その大きな身体を抱きしめ返すのです。

「私、幸せよ。銀時さん。」
「…俺もだよ。コノヤロー。」

照れたようにそっぽを向く銀時さんを見て、私は私の決断が正しかったことを知ります。
学を捨てさせた私の罪と、私を華族から平民にしてしまった銀時さんの罪。
その二つを比べる銀時さんを見ることで、私はとても満たされるのです。
だから久方ぶりに私は懐かしい呼び名で銀時さんを呼んでみました。

「ずっとそばにいてくださいね、"お兄様"。」
「俺はオメーのお兄様じゃないっての。」

その返事に私はとても満足しました。
だってそれは、銀時さんが何も知らない証なのですから。


その返事は、銀時さんが私のお母様のお腹から産まれた事を知らない証なのです。


銀時さんが家人から疎まれていたのは、銀時さんがお母様と家令の過ちから産まれてしまったから。
お母様が銀時さんを見る眼差しが他とは違ったのは、自分の息子への愛情から。
そして、その事実を記者に嗅ぎつけられそうになったことに気づいたお父様が、銀時さんを手に掛けようとしていたということ。

銀時さんは何も知らなくて良いのです。
私のお腹の中で蠢く生き物が、新たな罪の証などということは知らなくていいのです。

真実は銀時さん以外の人の胸にしまっておけば良いのですから。
だって銀時さんは、"私のお兄様"で"私の坂田"なのです。
私は既に、銀時さんを永遠にそばに置く術を手に入れました。
私と、銀時さんと、私のお腹の中で育つ近親相姦の芽。
それは私たちを結ぶ罪の鎖。

私は、銀時さんを何よりも濃い血の鎖で繋ぐことができたのです。


元ネタは某黒い乙女ゲー。
幸せなのは、何も知らない銀さんだけ。

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