忙しなく動かしていた脚を止めて辺りを見渡すと、目下には見慣れたビル群の光の海。視細胞の下位は占領された。背を伝う汗が夜風で冷やされて体温を奪って行く中、繋いだ儘瞬間も離すことのなかった手の温かさだけが厭に現実的だった。事の始まりなんて覚えてなんかいないけれどそれでも、何に怯えて逃げているのかさえも分からないこの無意味な逃避行の理由の九割九分九厘を占めているのは、君への底無しの愛情なんだよ。大きく肩で息をして不安そうに汗を拭う愛しい彼女に最大級の優しさと安心を与えたくて、今まで生きてきた中で一番の笑顔を彼女に向ける。けれど苦しそうに歪まれたその表情の奥から奥から溢れ出しそうな思いを必死に食い止めようとする姿が酷く自身を掻き立てて、伸ばした腕は必然的に彼女を抱き締めていた。


「っい、ざ…」
「こわい‥?」


終わりのこの場所にたどりつく途中、新宿の喧騒の真ん中で立ち止まり、きみがつぶやいた怖いということばが俺の心臓をひどく握りつぶしたようなそんな気がしたから。憂いに溺れて仕舞いそうな横顔を見詰めるたびに、崩れてしまうくらい抱きしめてしまいそうになる。大切にしていたいと願うのに、込み上げてくる劣情のまま壊してしまいそうで。泣き出してしまいそうな琥珀にうつりこむひずんだせかいまでもが、彼女のこころを反射して悲鳴をあげているみたいで、無理やり背負い込んでいた人間の価値が途轍もなく重く感じた。


「……っこわいよ‥」


背に回された震える腕さえもこんなに愛おしい。涙に滲む声に応えたくて、月明かりにきらきら透ける髪の毛を飽くなき動作で愛撫をした後その唇にそっと噛み付いた。口を離した時の白い吐息のようにこの儘ふたりもひとつになって消えてしまえば良いのに。閉じた瞼の裏で考えた事は、以前彼女に言ったことのある台詞だった。抱き合った後のまどろみの最中彼女ははっきりとした口調で、ひとつになったらキスもセックスもお互いに触れ合う事も出来ないと漏らした。その言葉に酷く胸が熱くなって、思わず彼女の心臓の真上に噛み付いた。否実際は舌を這わせたとの方が正しいが、その時無性に彼女が、彼女の全てが欲しかったのだ。
今ではそれも褪せ行く思い出のひとつとなってしまった。長い口付けの後、互いに回した腕を解きながら抱き留めた彼女に囁く。


「でもシズちゃん、どうか最期はこわがらないでいてね。手を繋いでそのまま終わってしまえば、それだけで幸福になれるんだよ‥、だから笑ってみせて、よ、」


行き着く先は深い愛情の底辺なんだよ。






きみにエレジー






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