シズちゃん、と声を荒げながら華奢な手首を掴み上げて憂悶の淵から彼を浮き上がらせると、彼の琥珀のひとみは一層かなしく揺らいだ。手中の手首には、ナイフで掻き毟られたあかい線が生々しく存在していた。その疵を睥睨したままの瞳で彼を捕らえると、躊躇もさせてくれないそのひとみが少し怖くなる。それだけどその全てぜんぶが愛おしく感じているから、手首に籠めた力を解くことが出来ないのだ。無意味な疵に自分の存在を縋りついていたい彼の心情が、掴んだ手首越しに有り余るほど伝わる。彼が何に怯えて震えてその拙い感情に翳りを沁みつかせているのか解りきっているのに、救い出すための行動を出来ないまま、目の前の脆い構成線でできた細い躰をひどく抱きしめた。反動で離れた彼の手首は床に懐かせて。真っ赤な瞳で見る世界をひずませても、泣いてしまいたくなるのが厭で、それだから必死に耐えた。

もろいから。ふたりして、自分自身の底辺で翳りに冒された憂鬱に怯えているのだ。


「…いざ、……や、」


おわりが欲しいと、そして彼は臆病を洩らした。窓から見詰める月の陰にふたりきりで隠れて口付けるその瞬間も、刹那のためらいをみせる怯えた感情を抱きしめてみせた。終わりに希望を求めるなんて馬鹿な話だ可笑しな話だって笑われるかもしれないけれど、俺は、俺たちは。そんな概念を鼻で笑い飛ばしてしまいたくなるほど、終わりに憬れてしまっているのだ。積極的に死んでしまいたい訳ではない。ただただ、かなしいほどに、にんげん、に憧れている彼と一緒に居たいから、そう彼が望んでいたから。だって、彼が幸福ならただそれだけで俺は構わない。


「…どうかシズちゃん、幸福でいて」


底なしの琥珀に映りこんだ自分の赤目が不安にひずみかけているのがわかる。両の手でやさしく皮膚細胞を撫で上げながら呟いた言葉が嘘でも偽りでも偽善でもなんでもないことをわかってほしくてただの本望なんだってわかってほしくて、こぼれそうな愛おしいをくちびるにのせて、ちいさく彼のそれにおくった。甘えも懐きも悲しみもへたくそな彼が、この世界中でだれよりもいちばんに幸福になってほしい。そうであるべきなんだよ。そしてそのときに君のとなりで笑うのが俺であればいいだなんて、我侭を言うことはないけれど、鼻腔の奥のいじらしい微熱で燻ぶられた脳内に浮かぶのはいつだって、きみの笑顔でしかないんだ。そういって笑った俺の顔はひどく情けないものだったのだろうか。


「、…臨也、も」


幸福に。

目の前の琥珀の水晶から零れ落ちたあたたかい泪を吸い込んだ親指がかあと熱くなる。呟かれた名前のあとに続く言葉がとてもいとおしかった。俺は愛され方を知らないし彼は愛し方を知らないけれど、それだからふたりで欠陥を補い合って、ふたりきりがこんなにもうれしいと素直に感じることができる。


「俺のたったひとつの幸福は君の生きている鼓動にあるんだよ…」


終わりに憬れても構わない。幸福になれるんだ。だからこそ、憂悶と後悔が染み付いたそのナイフに、ふたりで永遠のさよならをあげよう。






あるふたつの欠陥品についての考察






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