床になつかせた、細い構成線のその躰。肺と心臓の真上で圧迫するだけの体重をかけた。引き倒したときの衝撃に瞑るひとみの儘、その視細胞を自分の闇で独占すると、ふつふつと優越感が沸くと同時に、つたない劣情。視界を覆ったのは、隠れていたかったからだ、そのだいきらいな赤い目から。視界を奪われた当人は驚いたように空気を歪ませて、剥き出しの手首に手を掛けたかと思えば、いっしゅんで理解したかのごとく。それから抵抗は一切なかった。そういうところが、と。てのひらに全体重をかけて、真下の頭を崩してしまいそうになった本能が牙をむく。猛禽の真っ赤なひとみを優しくにじませて笑いかけてくる口許も、壊れ物にさわるみたいに撫ぜるたおやかな指先も、脳裏に焦げ付く羨望を孕ませた言葉も、いちいち、絆されていく気がするんだ。そのくせ、ばけものだとか、人間じゃないくせにとか、また突き放してくるから。

わからないよ、お前が。


「…わからないんだ」


喉奥に閉まっておきたいふるえた声と、心理をやきつくす戸惑いの熱。てのひらに感じるまばたきの蠢きが厭に現実味を帯びているような、そんな気がして。吐息と布擦れの音しか聞こえない静寂に、目眩がした。見詰めたてのひら越しの赤に感情を見透かされているみたいだった。それがこわくて。
ゆれた視界に、泪が滲んだことをしって酷く瞼を綴じたとき、不意に、子供をあやすようにやさしく名前をよばれた。無抵抗に溺れた腕を持ち上げて手首に触れた低い体温が、躰の底辺から侵蝕をはじめる。やめろさわるな、厭だ、厭だ、この手を退けてしまったのなら、そしたら。


「ねえシズちゃん、君を視させて。…その視界に映っていたいんだ」


無感情を世界から排除して、こぼれたやさしい言葉で自分の口内に孵るのは、排他的な否定の戦慄き。厭だよ。肺から搾り出した空気にのせた、かすれたちいさな声ごと包むように、ほそい華奢な指が頬の皮膚細胞を撫ぜる。その儘、また言葉を吐き出して。


「…ねえもしも例えば、見えてしまうのが異常なことだとして、まわりから後ろ指をさされる真実であっても、…それでも俺は見えてしまいたいよ。だってそんな、泣きそうな顔、」


目尻を這う指先が、見透かされていたということを教えてくれる。幼いころから切実に望んでいた他人の体温がこんなにも近くにある燦然とした現実に、酔って仕舞ったのだろうか。てのひらによって闇に溺れさせられた真下の視細胞には緩やかな解放を。そして晒された赤目から隠れるように、こんどは自分を闇に沈めた。だけど。咎めるように手首を掴んだその腕は、いとも簡単に闇を吸い込んで。おびえた目には焦燥が、喉許を駆ける憂悶。ぜんぶがいっしゅんで風化していく。


「心理を愛そう、シズちゃん。何にもおびえる必要なんてないんだよ。視たくないなら俺がぜんぶ隠してあげる。ねえ、手を握ろう。そうしてふたりで微睡みに溺れてしまおうよ、それできっと幸福になれるんだ」


感傷のみずうみに浸かる底なしの赤を、なめらかな翳りが蝕んでいく。その翳りが泪だと気付くのにそう時間は掛からなかった。彼も泣いていたのだ、夜より濃い暗やみの中で。うんざりするほど満ちてしまった孤独を、がらんどうの躰にたずさえて。


「まだせかいを愛していて。俺と一緒に、」




終焉と見間違えるほど世界は終わってはいないのだからと、吐き出しながら。




幸福論






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