第六感

ホラー要素有り。謎の疾走感

黄瀬涼太の記憶

 俺は幼いころから何かと奇怪なものと縁のある子供だった。一番印象的だったのは実家の近くの公園で遊んでいる時の記憶だ。半袖ですら汗ばむほどの季節だというのに、真っ赤なレインコートを着た大柄な女が公園の入り口から俺の方をじっと見つめていたのだ。もちろん幼い俺は、彼女とは一切面識はない。
「りょぅちゃぁん」
 どれくらい見つめあったのだろう。黄ばんだ歯をのぞかせて彼女は笑った。涼ちゃん、と。確かにそう聞こえたので俺はもちろん首をかしげる。初めて会ったはずの彼女は、自分の名前を知っていることに些かの疑問を感じはした。しかしその時の俺は今以上に馬鹿だったから、おいでおいでと手招かれているのに気付いて、何も考えないで彼女のいる入口の方に足を向けようとしたのだ。しかし、それを阻むようにガシ、と誰かが自分の手を掴んだ。
「何をしているのだよ」
 それは近所に住んでいる、同級生の緑間真太郎だった。彼はまるで俺をそこから動けなくするかのように俺の腕を、赤くなるほどぎりぎりと掴んできた。その痛みに顔をしかめていると、公園に響き渡るほどの金切り声が聞こえたから、俺が振り返ろうとする。しかし自分と同じくらいの背丈の真太郎がまるで汚いものから目を背けさせるように、手で目を塞いできたのだ。瞼の向こう側で真太郎の柔らかく冷たい手のひらがどくどくと暗闇の中で脈打っている。
「お前は何も知らなくていい」
 背後から抱きしめるように、耳元で囁かれ、馬鹿で鈍感で純粋で、どうしようもないほどに異形を引き寄せる俺は、うなずくしかなかった。

「変態が興奮するフェロモンでも出てるんじゃないんですか」
「やっぱそう思う?」
「おっぱいのでかい美人なネエチャンなら俺も大歓迎なんだけどな〜」
 コンビニで買ったオカルト雑誌を読みながら俺はミネラルウォーターでパンを流し込む。ジャムとマーガリンが塗りたくられたコッペパンで腹がいっぱいになるなんて、まったく低燃費にも程があるだろうと青峰はすでに早弁をしたため購買で買った焼きそばパンに舌鼓を打ちながら言われたのを聞かなかったことにする。ちなみに、すでに彼は先ほど購買のおばちゃん特製の大きな焼きおにぎりも平らげている。
「はは、もし美人な人が来たら青峰っちに連絡したげるね」
 へらへらとした俺の話しぶりに、青峰は眉間に刻む皺を深いものにする。青峰は顔は怖いが、こんなことを言いながらも兄貴的な一面を持って俺に接しているのはなんとなくわかっていたから、彼に余計な心配をかけさせてしまうことに少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「お前さ…何かあってからじゃ遅いんだからな」
「そうですよ、もしまたそういうことがあったら僕たちにちゃんと言ってください。すぐにとっ捕まえてどてっぱらに蹴りを入れてあげましょう」
 いつになくバイオレンスに意気込んでいる黒子に、俺はくすりと笑ってしまった。華奢な腕をからかわれている黒子と、黒子の腕と自分の腕を比べる青峰をみていたが、ポケットに入っていた携帯が小さく振動していることに気付いた。緑色に点滅するランプに、誰からの着信かすぐに分かった。液晶をタップし、要件を確認する。
『今日は午後から雨が降りそうだ、昼飯を食べ終わったらすぐに教室に戻ること。体長を崩したら元も子もないのだよ』
 いくつになっても俺を子ども扱いする緑間にため息をつきながら俺は一向に雨雲が見当たらない空を見上げる。予報でも今日の降水確率は0%だった。緑間は口うるさく俺に何度もメールを送るけど、いつも彼の言っていることは正しかったから、俺は最終的には従ってしまう。

 その日、緑間が言った通り青空が突如陰るほどの分厚く灰色の雲が空を覆い、五時間目が始まる前には校庭に水たまりができるほどの雨が降り注いだのだった。



黒子テツヤの告白

 その日、黄瀬くんは部活を休んでいました。部活を休んだ、と言うよりは体調が悪くなったせいで早退したといった方が良いでしょうか。中学の家庭科の授業は大抵3・4時間目に行われ、調理で出来上がったものが昼食代わりとなるのがほとんどでしょう。
 黄瀬くんの体調がおかしくなったのは、紫原くん曰く家庭科の授業の後だと言います。出席番号の離れている紫原くんと黄瀬くんは別々の班で調理をしたと言いました。大好きな家庭科の授業で、紫原くんもきっと浮かれていたのでしょう。だから彼は赤司くんの言いつけである『あること』を完全に失念していたのです。
「何回か吐いてたみたいだったし、今は家でじっとしてると思う…毒とか入ってたらどうしよう」
 監督に言って僕と青峰くんと紫原くんで黄瀬くんの様子を見るため、歩いている時の事です。紫原くんは猫背気味の背中をさらに丸めながらとぼとぼと地面とにらめっこをしていました。
「黄瀬ちんってさ、たまに『えっそれは口に入れたら危ないでしょ』っていうもらいものとか、平気で食べようとするんだよ…」
 目を離した隙に食べてしまったのかもしれない、と紫原くんは親のお通夜のような表情でぼそぼそとしゃべりだす。一方部室からここまで、青峰くんは何もしゃべらないままでした。常ならば黄瀬くんの失態を揄彼は、まるでこの世の終わりのように口を堅く閉ざしたままでいます。
「守ってやるって言ったのに…」
「青峰くんのせいではありませんよ」
 僕は青峰君の背中を二度叩き、赤司くんから渡された地図に目を通しました。緑間くんに黄瀬くんの家への案内を頼もうと思ったのですが、あいにく彼は委員会で席を外しているらしくそれは適いませんでした。
「ここだ」
 そうこう考えていると、平凡な一軒家の前に青峰くんは立ち止まりました。表札には何も書かれていなくて、その意味をなんとなく悟った僕は背後をきょろきょろと確認します。紫原くんも念のため周辺に目配せをしていましたが、怪しい人影はありません。
「家の人はいるんでしょうか」
「寝てたら可哀想だよね、インターホン二回ならして出なかったら帰ろ?」
「そうだな…って、は?」
 青峰くんが何気なしにドアノブを押した瞬間、重たいドアは簡単に開いてしまいました。鍵をかける暇もなかったのか、もしくは。僕らはお互いを見ながら、ゴクリと息を飲みました。玄関に転がっているのは、黄瀬くんがつい先日買ったというコンバースのスニーカーでした。家人は誰もいないらしく、薄暗い玄関を見つめていた僕らは、黄瀬くんの名前を小さく呼びながら敷居をくぐったのです。

 黄瀬くんの家にあがった青峰くんは、迷うことなく一階のリビングへと足を運びました。僕らは黙ってそれに続きます。スモークガラスのドアを開けると、カーテンの閉め切ったリビングにはテーブルを囲むようにソファが三つ並んでいます。それを見た瞬間、誰のものとも言えない悲鳴が小さく上がりました。
 ちょうどテレビを正面から見ることができる、縦長のソファの肘置きから、ぶらりと足首が垂れ下がっていました。靴下をはいていない、裸足のそれは爪の先まで真っ青で、肝心の顔色は土気色に近く、意識をもうろうとさせながらソファの上で黄瀬くんは瞼を震わせていたのです。
「涼太」
 青峰くんが近寄ろうとした瞬間、背後で誰かが普段はめったに呼ばない黄瀬くんの下の名前を呼んだ声が聞こえました。その声の低さに紫原くんも驚いたのか、肩を震わせながら僕と自分の後ろに立っている同級生である彼を見下ろしていました。
「涼太、大丈夫か、涼太」
 音も無くフローリングを歩みながら、青峰くんを押しのけるように彼は黄瀬くんの前に膝をついています。譫言の様に黄瀬くんの名前を呼びながら、緑色の亡霊は黄瀬くんを抱き起して、頬、唇、喉を慈しむように撫でるところを僕はただじっと、見つめているだけでした。あれは一体誰なのでしょう。僕はあんな顔をする男のことは知りません。僕が得体のしれない何かに怯える一方、紫原くんは本能的に何かを感じ取ったのか、台所に放置されていたすすいだコップに水道水を満たし、黄瀬くんの元に駆け寄りました。
「青峰、台所の食器棚にある、白いボウルを取ってきてくれ、至急だ」
「ああ…」
 そのあと、緑間くんはテーピングのまかれていない、珍しく深爪している自分の指を黄瀬くんの口元に突っ込んで胃の内容物が透明になるまで吐かせ、紫原くんと手伝って彼の部屋へと黄瀬くんを運びました。顔色が幾分かはよくなり、僕らの呼びかけにもちゃんと応えてくれるようになった黄瀬くんに紫原くんはたれ目の目じりに涙をためながら安心しているようでした。しかし僕の隣にいる青峰くんは、やっと一命を取り留めた黄瀬くんではなく、眉間に皺を寄せながら悲しげに緑間君を見下ろしていました。その視線を一言で表すなら、僕はこう書くでしょう。憐憫、と。


青峰大輝の確信

 俺が学校生活でバスケ、飯の次に好きである体育の授業は教師による自習を言い渡され、俺たちは珍しく体育館の壁に寄りかかってバトミントンやらバレーをするクラスメイトを眺めていた。バスケをやりたい、と思ったが大多数の意見によりバレーのネットを引かれてしまい、リングにボールを入れることすら適わない。
 思えば、緑間とは同じクラスだというのにあまり話したことがないような気がする。緑間は口下手で、俺もしゃべることに関してはあまり得意じゃない。ここに黄瀬やテツが居れば俺や緑間が好きそうな話題を出して会話を繋げてくれたのかもしれないが、生憎あいつらは違うクラスである。昼休みまで会うことはできないのだ。
 黄瀬といえばこの間の家庭科事件である。黄瀬の胃腸から出てきたのは長い黒髪の束であった。黄瀬はそれを何とも思わないで咀嚼したのだと思うと、俺の背筋は凍りつくようだった。紫原は黄瀬をこんな目にあわせた犯人に対し、怒りを感じていたし黄瀬をちゃんと見守れていなかった自分に憤っていた。
「そういえばお前、なんであの時黄瀬の家にいたんだよ」
「赤司にお前らが黄瀬の家に行ったと聞いてな」
「ふーん」
 ソファでぐったりしている黄瀬を見つけた時、正直血の気が引いた。救急車、と紡ごうとした唇が音にならなかったのは、自分を押しのけるようにして黄瀬に駆け寄った緑間の存在に驚いたせいだったが。
「黄瀬ってさ、ガキの時からあんな感じなのか」
「まあな、あいつには妙なものが寄り付きやすいのだよ」
「…」
「今日はやけに食いつくな、青峰」
 勘ぐるような視線をよこされ、俺はコートに視線をそらす。緑間は時々、蛇のような目をする。俺はそれが少しだけ苦手だった。
「今日はそういう気分なんだよ」
「…そうか、そういう気分なら、しょうがないな」
 きっとテツと紫原は気づかなかっただろう。俺を押しのける瞬間の緑間の横顔を見たのは、きっと自分だけだったから。緑間の目は、黄瀬にまとわりつく「あいつら」とは違う、神聖すぎる故に得体のしれない不気味な何かを感じた。でも、不思議と恐怖と言うものは一切沸かなかったし、いつもひた隠しにしようとしていた緑間の本質が、そこから垣間見えたような気がしたのだ
「なあ、緑間」
「なんだ」
「あいつには妙なものが寄り付きやすいってお前は言ったよな」
 コート反面を使ったバレーの試合は、デュースにより一進一退を繰り返している。歓声と野次に包まれた体育館で、隣に立つ緑間だけはまるで蛇が頭をもたげるように、舌をちらつかせながら俺の反応を伺っている。蛇の鱗のような滑らかなものに首を締め付けられるような息苦しさが当たりに漂っていた。喉がカラカラになるのを感じながら、俺は回りのざわめきにかき消されてしまいそうな小さな声をようやく振り絞る。

「それじゃあ、お前はどうなんだよ緑間」
 お前も、黄瀬に惹かれてしまった一人だろう?


緑間真太郎の秘密

 ベッドに横たわる幼馴染の手を握り、俺はようやく赤みの差してきた頬に安堵した。すでに紫原や黒子、青峰は家に帰っているため、黄瀬の部屋にいるのは俺だけだ。シーツの皺を伸ばすように手を伝い、つま先から手のひらまで、まんべんなく触れる。つい先日までは少年の柔らかさを残していた体は、彼がバスケを始めた途端にすっかりと大人になってしまったような気がする。しかし、俺の心に寂しさと言うものは訪れない。むしろ黄瀬と同じ時間を刻めるという事実を実感し、俺の心はひどく満たされている。

『はじめまして、黄瀬涼太です』
 鈴を転がしたような可愛らしい声を初めて聞いたのは8歳の時の夏の事だった。空色のTシャツを着て、半ズボンからすらりと出ている白い足は夏の太陽を浴びてキラキラと光っていた。

 突如俺のいる街に引っ越してきた黄瀬は同年代の友達が居らず孤立していた俺をどういうわけか気に入ってくれて、他の活発な少年や可愛らしい少女たちよりも俺のような人間を何よりも優先させてくれた。そんな事情もあり、碌に他人と話すこともできなかった俺の中で、黄瀬涼太という存在はあっという間に大きくなっていった。
「真太郎くんの手は冷たくて気持ちいっスね」
日差しの下で肌を晒し、あどけない笑顔を晒す黄瀬は幼いながらに美しかった。汗の玉が浮き上がる白い額にぺったりと張り付く前髪が気になって黄瀬の肌に触れた時だった。黄瀬は心地よさそうに目を細めて笑った。体温を放出する黄瀬とは違い、俺の手はまるで彼の体温を奪う金属のようにひんやりとしていた。
 俺が彼と自分が違う生き物だと知ったのは、その夜だった。
『可哀想な真太郎』
 赤く長い舌をチラチラと見せながら『母』は微笑んだ。彼女の腹は不自然なふくらみがあり、以前その中に俺の父が眠っているという話を聞いた。母はそういう生き物なのだという。愛する人を腹の中で飼い、子供を産み落とす。自分もまた、彼女の様に永遠を共にする伴侶を得た場合恋人を腹の中に納めるのだろうか、と思っていたがどうやら俺の体は母のものと性質が違うらしい。
『私は神様を産み、育てるための器でしかない。あなたが神になった時、私は役目を終えればこの人と一緒に高天原へ行けることとなっている』
 愛おしげに腹を撫でる母を見て俺は思う。俺が人でいる限り、母の腹は膨らんだままなのだと。しかし、父と母が旅立った後、俺はどこに行けばいいのだろう。金色の目に、細い瞳孔。白い下半身を引きずる母はまるで蛇そのものだった。彼女の血を受け継ぐ俺は、もしくは彼女以上に蛇としての習性を受け継いでいるのかもしれない。白い鱗が均等に敷き詰められている体に包まれ、父は今日も赤子のように母の腹の中で来るべき逢瀬を夢見ている。俺は母との未来が約束されている父が心底羨ましかった。


 黄瀬が『それら』に好かれるようになった原因の一つは確実に俺の所為だろう。清潔なほどに清められた黄瀬の気を好み、異形の彼らは俺が目を離すとここぞとばかりに黄瀬に近づいてきた。公園で幼い彼が手招きをする女についていこうとした時、彼はずっとそばで遊んでいた俺の存在すらも忘れてしまうほどの幻覚に惑わされていた。使いの蛇を使って女を食い殺した後、俺は黄瀬にしがみつきながら祈った。どうか自分が神になれるまで、黄瀬が誰のものにもなりませんように、と。
 年を重ねるごと自分が人から神に変化しているのが実感できる。視力が下がった代わりに千里眼と予知夢を見るようになってきた。これも、母が言っていた神通力の一端なのだろうか。一方で人であることをどこかで望む自分が、神に変化していくそれを拒んでいるのも事実だった。もう少しだけ俺は仲間たちと一緒にいたいと言う気持ちがわずかながらに芽生えかけてきていたのだ。
「緑間っち…?」
 すっかり日が落ちた部屋で、俺は一瞬たりとも黄瀬から目を離すことなく看病していると、緩やかに長い睫毛に守られた瞳が開かれる。琥珀色の深い色の瞳は、母のそれよりもずっと温かく、人の形をしている。
「起きたか…心配したのだよ」
「また、迷惑かけちゃったんだね」
 いつもごめんね、と黄瀬はかすれた声で吐き出した。自分のせいで俺が巻き込まれているのだと本気で思ってくれているのだ。意識が覚醒していないのか、再び舟をこぎだしてうとうととしている黄瀬を世界から遮断するように手のひらを瞼にかぶせる。冷たい手のひらが黄瀬の体温を奪っていく。この先、そう遠くはない未来で、俺は体温だけではなく黄瀬の人としての生涯を奪う夢を、連日毎晩のように見てしまうのだ。
「真太郎くんの手、冷たくて気持ちい…」
 舌足らずな譫言を紡ぎながらそれっきり深い眠りについた黄瀬から俺は手を離していく。名残惜しそうに離れた手のひらを目の前に翳す。皮膚の表面がうっすらと鱗のような模様を浮かび上がらせている。自分が穏やかに彼らと笑いあえるタイムリミットが近づいていることを、無言で訴えかけてくるようだった。
 きっと、その時が来たら俺は黄瀬の有無を聞かずに目の前の少年を自分の伴侶にしてしまうだろう。そして自分と同じようにこの土地に縛り付け、永過ぎる神としての時間を罪悪感を覚えつつも黄瀬と過ごすことを迷わず選ぶことになる。人でありたいと思う反面、俺は蛇としての習性を受け継ぎ過ぎていた。

『近所に引っ越してきたんだって。同い年だから仲良くしてあげなさい、真太郎』
 肩に手をかけて黄瀬と握手をするように母に促され、俺は差し出される黄瀬の吸い付くような滑らかな手のひらを、おずおずと握り返す。しっとりと汗ばんだ肌に体中が麻痺するような甘い電撃が走ったのは昨日のことに様に覚えている。そして頭の中で俺は直感した。永遠の道ずれを世界で一人選ぶとしたら、涼太しかいない、と。
「謝るのは俺の方だ、涼太」
 奪われる前に、奪いつくせ。自分の第六感はあの時から絶えず俺に囁いているのだ。


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