これが愛と言うなら僕は、
「周助、」
「詩音どうしたの?」
「昨日周助ん家にジャージ忘れた。取りに行っていい?」
「あぁ、あの黒の。いいよ。ついでに晩御飯食べて行ったら?」
「え…き、昨日も食べさせて頂いたばっかなんだけど…」
「どうせ今日もおばさん、遅いんでしょ?」
「そうだけども…。」
「じゃあいいよね?」
「…ありがとう。」
小さく笑って詩音は自分の教室に戻っていった。
その後姿を見送って、読んでいた本に目線を落とす。
前から視線を感じて、再び顔を上げた。
「ねぇねぇ。不二と詩音って本当に付き合ってにゃいの?」
前の席に座った英二が不思議そうに首を傾げて聞いてくる。
僕は小さく笑って本を捲った。
「付き合ってないよ。」
「えぇ〜今の会話とかモロ彼氏と彼女の会話だったじゃん。」
「家が隣なだけだよ。」
「幼馴染だからってあんなに仲良くないだろ、普通〜!」
「そう?」
「そうだよ〜!」
何故か不服げな英二に笑い返してまた本を捲る。
すると今度はクラスの男子が話しかけてきた。
「英二また言ってんのかよ。」
「だってどう見たって恋人にしか見えないじゃん!!」
「まぁそりゃそうだけどよ〜」
「芹澤って彼氏いるんだろ?」
思わず本を捲くる手が止まる。
今まで通り紙に綴られた字を追うけど、目線は滑るばかりで頭に入らない。
本を持つ手に力を入れて、頭を軽く振る。
僕は面に笑みを貼り付けて、言った。
「そうだね。彼氏のプリクラ見たことあるよ。」
「だってよ。英二!つかお前アイツに彼氏いんの前から知ってんだろ?」
「そーだけどー…だってさー…不二との会話のが彼氏っぽいじゃん。」
「あー…ま、そりゃ確かに。」
「…そんなこと、ないんじゃないかな。」
僕は笑ってソレに応えた。
窓ガラスに映る僕は、なんだか滑稽だった。
部活終わりの帰り道。
夕暮れの迫るこの時間は汗をかいた後だと肌寒い。
カラスが鳴いているのを聞きながら、今日はやけに大人しい英二に話しかけた。
「どうしたの、英二。今日はやけに大人しいね。」
「…不二、昨日詩音が晩御飯食べに来たんでしょ?」
「あぁ…うん、そうだね。」
「今日も来るの?」
「いや。今日は自分で作るって言ってたよ。」
そう返すと何故かまた英二は黙ってしまう。
もう一度声を掛けてみようかと思ったけれど、眉間に皺を寄せて考え込んでいる様子に僕も口を閉ざした。
隣から自転車が通り過ぎていくのを見ながら、僕は暗くなる空を見ていた。
するとようやく英二が口を開いた。
「不二は、……辛くないの?」
消え入りそうな声で言われて、小さく笑った。
辛くないの、って聞いてきた方が何でそんなに辛そうな声なんだろう。
優しいな、英二は。
「辛くない。って言ったら…嘘になるかな。」
「やっぱり詩音の事好きなんだろ!?」
必死な様子で聞いてくる彼に、曖昧に笑った。
そんなに態度に出てたかな。
僕なりに隠してたつもりだったのに。
「……そうだね。好きだよ。」
「じゃ、じゃあ!」
「でも、愛じゃないかな。」
「……………っへ?」
戸惑ったような英二に苦笑する。
前を向いて歩きながら、僕はもう一度口を開いた。
「愛じゃないよ。」
「…それ、恋愛対象じゃないって事…?」
先へ進もうとする僕の前に乗り出してきた英二が眉を八の字にして聞いてくる。
不安そうに揺れているその目に、まるで僕は自分自身を見ているようで、笑みが薄れていくのが分かった。
「俺、知ってるよ。」
「…何を?」
俯いた英二がぽつりと呟いた。
彼らしくない覇気のない声。
どうしてそこまで心配してくれるんだろう。
嬉しい半面、不思議だった。
だって普通、彼氏がいる子を好きになるなんて報われない。
一緒になって悩むなんて、英二も苦しくなるだけなのに。
今にも泣きそうな顔で、英二は顔を上げた。
「詩音の彼氏って不二だろ、って聞かれる時、嬉しそうに笑うの、俺知ってるんだからなっ!」
涙声で言われて、僕は押し黙った。
彼の真剣な言葉に押されたのもあるし、なによりその通りだった。
詩音の彼氏でしょ?
間違いであっても、それを否定しなくてはいけなくても、
その瞬間だけは詩音の一番近くに居るのは僕だと思えるから。
その度に僕は笑顔になる。
すっかり足を止めてしまった僕らの傍を、自転車や車が通過していく。
それを見送りながら、僕は自嘲気味に笑った。
「…うん、そうだね。」
「じゃあやっぱりさ!」
「でも、やっぱり愛じゃないよ。」
「不二!!いい加減にしろよッ!!なんで嘘吐くんだよ!俺には言えないのかよ!!」
「嘘じゃないよ。」
「嘘だよ!!」
「嘘じゃない。」
「じゃあ何で詩音の彼氏って言われて喜ぶんだよッ!!」
ムキになった英二が叫ぶように怒鳴った。
周りにいる人たちの視線がこちらに向かう。
夕暮れの陽光に目を細めながら、僕は笑った。
それが微笑みだったのか、自嘲だったのか、
目を見張った英二の表情からは読みとれなかった。
「愛じゃないんだよ。」
自分の口から出た声は、驚くほど抑揚がなくて自分の声とは思えなかった。
目の前にいる英二も目を見開いて僕を見つめている。
彼の口が開くより先に、僕はまた笑った。
笑うしかなかった。
「詩音は気付いてないんだよ。気付かない方がいいんだ。」
「で、でもそれじゃ不二は…ッ」
「気付いて距離を置かれちゃう方が僕は辛いから。」
「不二…、」
今にも泣いてしまいそうに目を潤ませる英二は、
どれだけ僕と一緒に悩んでくれているんだろう。
どれだけ僕の気持ちを共有してくれてるんだろう。
どれだけ、僕を理解してくれているんだろう。
「これが愛と言うなら僕は、詩音を愛せない。」
大きな目から零れた涙に、僕は微笑んだ。
end
愛じゃない。
愛ではいけない。
愛せない。