日傘03
山の頂に池はなかった。水鏡のあったところは草で覆われていた。堤が崩れたのか、埋められたのか、判ずることはできなかった。
ここに泳ぐさかなはいなくなってしまった。さかながいなくなってしまったということは、ここはもう、さかなの地ではなくなってしまった。
黒鱗が飾り紐を結んでいた樹木は、金鱗が箱を埋めていた木塊は、どうなったのだろう。
草を踏み潰しながら、水をたたえていたはずのところを、うろついてみる。
緑陰のなかに、水の筋があった。筋と呼ぶことも躊躇われるような、薄く滲んでいるだけのものだった。それでも、あたりの土は水を吸って黒く、透きとおった膜は陽にきらめいていた。
屈んでみると、崩れた繊維が、湿った土塊に呑まれかけていた。この一帯を布で覆っていたのだろうか。腐った覆いであったものを持ち上げて、細く伸びるものがあった。若芽のようであったが、稚樹かもしれなかった。まるみを帯びた艶やかな葉が、深い緑をもって陽を弾いている。その葉はあの大樹のものと同じだった。
ここはもうさかなの庭ではない。もはやこの地はあの声にまもられてはいない。饗されるべきものが降り立つ梯は、天と遮られてしまった。
梯に降りるものは、わたしがそこにいたというだけの理由で、声をくれた。わたしと会うことだけを目的として、おとなってくれた。
あの声をまた聞くためには、どうすればいい。
さかなさえいれば、あの歌を詠むものは降りくるのだと、金鱗はいっていた。ならば、この地ではないどこかであっても、梯さえあれば降りてくることができるということにはならないだろうか。
常緑の葉に指先で分け入って、細い幹をつまみ、手折る。
それからというもの、地の続くかぎり、梯となるであろうかけらを挿しながら、わたしは周遊するようになる。
<日傘 抜粋03>
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