風結びのはなし
その街は灰色を印象としていた。
透きとおっているわけでもなく、霞んでいるわけでもない。曇っているわけでもなく、ぼやけているわけでもない。透明度はひどく高く、彩度だけがひどく低い。そんな灰色が、晴れていても曇っていても、その街を覆っていた。街にとって、海は近しい位置にあったが、波音が聞こえるほどではなかった。時折、湿った風が潮の香を運んでくるが、街にとって、海とはその程度のものだった。それでも、天候に関係なく、街を覆う色彩が薄ぼんやりとしているのは、多分に海の影響ではあった。大気の中を歩いているにもかかわらず、水の底を泳いでいるように錯覚させるだけの潤いを、海は街にもたらしていた。
それは、初夏を迎える、薄ぼんやりとした日のこと。
その街のとあるカフェにて、テラス席にひとりの青年が座っていた。それは、長身で、細身の、白にちかい半端な長さの金髪の、青とも緑ともつかない彩りの目を持つ青年だった。シャツとジーンズというラフな服装で、半ば中身のはみ出た革鞄をテーブルに投げ出している。風貌の無造作な印象とはちぐはぐに、纏う雰囲気はどこか荘厳でもあった。理想を模した大理石の彫像が、ほのかな熱と、ささやかな息遣いをもって、筋繊維を駆使し、稼動している様を、ある人は青年のそれと重ねる。青年の肌には、蝋のやわらかさと大理石の透明が、繊細さとすべらかさが、生々しく、白々しく、冷ややかに、あでやかに、宿っていた。
街が午睡にまどろむ昼下がり。金髪の青年はコーヒーを啜りながら書き物をしていた。その手もとに影が落ちる。ほやけた陽光を潰すそれは、街を満たす印象としてありふれているぼんやりとしたものではなく、輪郭の明瞭な、ひどくくっきりとした影だった。
金髪の青年が眼を上げる。そこには、バンドで束ねた数冊の本を小脇に抱えた、黒髪の青年が立っていた。
「ここ、いいかな?」
さして上背はないものの、痩身を印象とする黒髪の青年は、ひどく人懐っこい。小腹が空く時間帯であるからかカフェは混んでいたから、金髪の青年は首肯しながらテーブルの上の鞄を片付ける。ありがとう、と、弾けるように笑って席につく黒髪の青年は、宝物を見つけた少年のようでもあり、仔犬が目を輝かせながら尻尾を振っているようでもあった。
テーブルの上に散乱する紙を眼に留め、黒髪の青年は問う。
「詩人さん?」
新参者が抱えた書物の題を眼で撫で、金髪の青年は問うた。
「学生さん?」
面白そうに口角を上げ、黒髪の青年は目を眇める。黒かと見受けられた虹彩は、どうやら、紅が凝った果ての黒であるようだった。詩人と呼ばれた青年と似たような格好の黒髪の青年は、羽織ったジャケットのポケットから緑のハンカチを覗かせている。ハンカチは今にも風に飛んでいきそうだったから、詩人は緑を指さした。学生と呼ばれた青年はきょとんとすると、悪戯っ子のような笑みをたゆたわせつつ、ポケットからそれを引き抜く。鮮やかな緑のハンカチには、結び目がみっつ、つくってあった。詩人が問う。
「風でも呼ぶつもりかい?」
「どうしてそう思うの?」
「帆船の船乗りは凪を恐れるものだよ」
「たしかに、凪は好きじゃないかな」
「おまじないかい?」
「何でもお見通しだね、詩人さんは」
「そんなことはないよ。君こそ、すべてを透徹しているように見える」
くすり、と、学生は笑った。そして、己の目を指さす。
「妖精の目を、持ってるからね」
(『風結びのはなし』/了)
(初出:ADVENTURES Project発行 創作アンソロジー『創作旅行』)
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