扇骨01
枯れ草の擦れる音に、細枝の折れる音が重なる。斜面に沿って足裏を置くと、おのずから顔は斜め上方を仰いだ。背中から転げ落ちないように前のめりになるまでの間に、青に朱の注しかかった空を見る。日暮れが近い。
小脇に抱えている小枝の集まりに眼を落とす。今夜の暖を取るにはかろうじて足りるだろう。心もとないが、帰路に着くことに決める。踵を返すと、踏み敷いた小枝が折れ、音をたてた。背にした斜面を、さざめきのような枯れ草の擦れる音が伝い落ちてくる。
足場を明確にするために、下りとなった傾斜に眼を凝らす。登っているときには見落としたのか、そこには折れた枝が転がっていた。落とさないように集めた薪を抱えなおし、身を屈め、腕を伸ばす。枝に触れかけた指先が、纏わりついてくるような見えない流れに絡まれて、ひやりとした。
「霧?」
常よりも低い視界から、指先に触れた冷気の上流となるのであろう傾斜を振り仰いだ。ここからどれほど登るのかは知らないが、この先には里山の頂きがあるはずだ。上方から、ゆるやかに渦巻きながら、白の粒子が流れ落ちてくる。静けさのうちに揺らぎ続ける白は、霜枯れの山を掻き抱いていく。翳りかけの空を、落ち葉に覆われやわらかな斜面を、葉を落とした樹木を、俺の指先を、大腿を、腕を、包みこんでくる。
縋りつくように落ちていた枝を握り、抱えた枝の束に挿しこみながら、立ち上がる。肩に纏わりついた白が尾を曳きながら霧散する。背筋を伸ばして周囲を見渡すものの、近いところにあるはずの樹木ですら、白く霞んだ幕越しにぼやけた影を漂わせるだけだ。
霧に霞んだ林で、途方にくれる。
葉を落とした里山は、流動する白の皮膜に呑みこまれていた。
霧は、水たる粒を蜜にし、濃さを増していく。皮膚から染みこみ、肉を硬化させ、骨を蝕む。肌を撫で、骨の髄を啜り、熱を奪っていく。息をすることで口より吸い、臓腑の納まった胴なる洞を満たしていく。夜気をもとめたところで、霧の凝った水塊が喉を塞ぐのか、渇えるばかりであるのに喘ぐことすらできない。
鳥は鳴きやみ、獣は息を殺すのか、霧が呑みきれないでいる静寂をさざめかせるのは、かすかな水音だけだった。
このあたりに水の流れなどあっただろうか。
里山の麓であれば、集落と周囲の田畑から里山へ入るには川に架かった橋を渡らねばならない。だが、その川がどこからどのように流れてきているのかを、俺は知らなかった。川であるのならばどこかに水源があるはずで、もしかすると、それはこの山の頂に近いところにあるのかもしれない。
霧の白がすべてを塗り潰す。どれほど時が経ったのかも判然としない。落日がもたらすべき夜を目指して満ちていく仄暗さに上塗りされた厚く濃い白は、掻き抱いた光を弾くことを繰り返し、眩い。宵闇を透かしているようにも、呑みこんだ残照を遊ばせているようでもある。
目印になるものは何も見えない。下手に動けば迷うだけだ。
「霧に喰われそうになっているな」
水面に波紋が弾けるように、霧のなかから、愉快そうな声が浮かんできた。
<扇骨 抜粋01>
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