碧淵10






 潮騒が聞こえる。磯の香が満ちている。
 痛みはない。渇きも飢えもない。思考は冴えている。長い間、このようにものごとをとらえることから離れていたような気がする。
 ここは波打ち際であるらしい。
 夜天に雪が舞っている。潮を受けとめる海辺の林には、紅が燈っている。紅の花を咲かせた樹木の腕が、傘のように、水際に迫り出していた。
 その樹の肌には見覚えがあった。裂けて、崩れて、ところどころ腐りかけていたけれど、根だけであっても荘厳を湛えていたあの樹の肌は、これによく似ていなかったか。
紅の花が、首ごと落ちてきた。
 この身はその花冠よりも小さかった。この身はしろいかけらだった。砕けて焦げた骨のかけらが、水の路をどのように通ったものか、ここに流れ着き、小石の間にひっかかって、波に遊ばれていた。
 花の首が落ちてくる。樹根の這い回る地面が紅に染まっていく。根づいた地に紅の天幕を横たえていくように、降る花は砂礫を埋め、うずたかく積もっていく。
 潮騒が聞こえる。磯の香が満ちている。
 海辺に燈る紅の蓋に、深く、この身はうずもれていく。

<碧淵/了>

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