沈め石 04



叔父はこの家にひとりで住んでいるはずだった。夕暮れの座敷蔵で聞いた声は、どこから聞こえてきたのか、その源を見出すことはできなかった。空耳かもしれないものを口に出すこともできないまま、次の日、電話で職場に呼び出された叔父の車を、ぼくは見送る。
朝食の食器を洗い、洗濯物を干して、宿題にとりかかる。鉛筆を握ることに飽きてきた頃、川底に沈めた竹籠の様子を見に行くことを思いついた。
麦藁帽子をかぶりながら外に出て、玄関の鍵を閉める。
空は曇っていて、蝉がにぎやかに鳴いていた。
川に足をひたすと、まろやかな流れが膝裏を撫でた。上から覗きこむ竹籠は、昨日そこに沈めた時と変わったところはない。叔父のはなしによれば、魚が住み着いたり籠のかたちをしている割竹が崩れて周囲と同化するといったことが起きるかもしれないというのだが、さすがに一日くらいで生じる現象ではないようだ。
水飛沫のきらめきが、鮮やかさを捨てた。低いところまで落ちていた雲の笠が翳りをもたらす。曇天は透きとおった黒をもって空を潰していた。肌にまとわりつく水気が、その密度を増す。青田の波打つ音がする。土の香が鼻先をくすぐる。空から落ちてきた水滴が腕を叩いた。

「洗濯物!」

 大粒のぬるい雨に叩かれながら、ぼくは叔父の家へと走る。
 
辿り着いた玄関の戸は開いていた。叔父が戻ってきたのだろうか。上がり框に足を置く。灰色の日傘が戸口に立てかけてあった。通りかかる部屋を横目で窺いながら、物干し場を前とする窓のある廊下へと駆けていく。勢いよく窓を開けると、乾きかけの洗濯物が雨粒の痕を模様としながら湿った風にひるがえった。慌てて取りこんだ洗濯物を、腕ごと廊下に投げ出す。床の高さとなった目線が、廊下の先に現れた人影に絡んだ。
 その人影は座敷蔵から出てきた。薄暗い廊下に白いワンピースの裾が広がった。それは夜の海にひるがえる魚の鰭のようだった。暗がりにゆらめく白を纏うのは、おとなとこどもの境にあるように見える、おんなのひとだった。
 長い髪をなびかせながら、そのひとは廊下を歩み始めた。洗濯物に顎を埋めているぼくの前にまで来ると、そのひとは廊下に膝をついた。銀糸のような髪をかきあげる手は、融けかけの雪塊のように白かった。ぼくの目を覗きこんでくるそのひとの目は、外の雨模様を映す鏡であるように、光沢のある潤みを帯びていて色彩が定まらない。月輪の虹彩が赤や金色にきらめくのだけれど、地色は青であるようだった。その変化する様は、身をよじらせる魚の、鱗の色が移ろうかのようだった。

「家主に伝えろ。あれののぞみをきいてやれ、と」

かたちの優雅さを裏切って、そのひとの口調はぞんざいだった。
そのひとは立ち上がり、玄関の方へと去っていく。そのひとの残した音にうながされて、ぼくは座敷蔵へとつながる暗がりに眼を転じる。
そこには、衣の袖を引き摺るようにして、裸足の幼子が立っていた。

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