道化と偽王03


 栓を抜かれた瓶の口から葡萄酒が落ちていく。杯に注がれゆく紅の筋は、さざめく燭火を弾き、黒とも黄金ともつかない煌きを撒いていく。
 瓶を卓に置き、杯を手にしたのは、長椅子に座る矮躯の老人だった。嚥下された葡萄酒は酔いをもたらす熱をもって老人の咽喉を焼いたが、温厚という膜にくるまれた老人の表層を揺らめかせることはない。
 昼とも夜とも知れない昏さが、老人しかいない小さな家を満たしている。広間を照らすものは薪を覆う程度の暖炉の火と卓上の燭台でゆらめく三本の蝋燭の炎のみであり、葡萄酒だけの饗卓を濡らすことはあっても今の時刻をほのめかしてはくれない。
 呑まれ続ける葡萄酒は酩酊となって老人を蕩けさせる。床に沈んでいる冬の冷気は老人の骨を軋ませたが、肉の火照りが老人に杯を重ねさせた。
 三本目の瓶の栓を抜いた時、家を囲む森に茂る針葉の鳴りが老人の耳を叩いた。
 燭火が気流に靡く。
 馬の嘶きが、回る車輪に弾かれた礫の音が、風鳴きに重なって老人の耳を抜けていく。

「秘蔵の年代物?」

 響いてきた声に、長椅子に座ったまま、老人は背後を振り返った。外の森に繋がる扉があるはずの老人の視界を、卓に転がる酒瓶に手を伸ばす青年の大外套の黒が埋め尽くす。瓶を掴んで身を起こし、銘に眼を走らせる青年を、酔いに霞んだ目で老人は眺める。

「初物でしたか」

 卓に瓶を戻し、青年は老人に微笑みかける。呆然と青年を眺める老人の唇から呻きのような声が洩れた。

「今日は、祝祭ですから」
「その割にはあまり楽しそうではない。祈りも願いも叫び尽くしたかのような顔をしている。街はあんなに浮かれているのに」

 黒の短髪を揺らしながら、青年は肩越しに扉を見遣る。扉は細く開いていて、風に乗った祝祭の喧騒が吹きこんできている。
 酒に掠れた声が、老人の唇から零れ落ちた。


<道化と偽王 抜粋3>

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