The tail of Merrow 01


 酷暑の残滓が地にわだかまり、噎せるような潮の香を夜風が運んでいた。
 崖上の集落へ続く海辺の道を、覚束ない足取りの若者が歩んでいた。酩酊に導かれた心地よい蒙昧に身を委ね、上機嫌で左右にぶれながら、若者は道をのぼっていく。若者は船乗りで、崖下の集落にある酒場で飲んだ帰りだった。
 寄せては返す波音が、幾重にもかさなり轟きを産む。水平線はぼやけ、上澄みの夜は澄みわたり、無数の星が瞬いていた。
 波飛沫すら闇に融ける断崖の、淵に近い曲線で、脚のもつれた若者は大きく道から外れた。砂礫が崖を転がり落ち、轟く潮騒が若者の耳を塞ぐ。浮遊を伴う轟きに、酔い痴れて夢に溺れる若者は、声をあげて無邪気に笑った。
 吹きあがる風が波音を打ち上げる。耳をかすめた落下の音に、若者は初めて焦操を覚えた。
足を踏み外し、崖から落ちる若者は、声をあげることすらできずに天球を仰ぐ。

「おいおい、大丈夫か」

 無骨な短い指が、若者の落下を妨げた。夜にすら映える朱の髪と、目の冴えるような緑の服が、引きあげられた若者の目に飛びこんでくる。岩と砂の混淆たる地に転がり、いまだ恐慌から抜け出せずにいる若者の目は、焦点の定まらないまま緑の服の小男を映した。

「ありがとう、たすかった」

 角の磨り減った滑舌に、しゃがみこんで若者を覗きこんでいた小男は呆れたように鼻を鳴らした。

「家まで送る。足取りが危ういったらない。崖上の集落に住んでるのか?」

 若者を助ける折に放ったのか、少し離れたところに転がっていた籠を小男は拾い上げる。蔓草で編まれた鳥籠のようなそれは、何かを囚えているらしく、編み目の内側から薄ぼんやりとした光を放っていた。
 ランプのように籠を提げ、先を歩く小男を、立ちあがった若者はよろめきながら追いかける。松明でもカンテラでもない光が、潮騒に溺れる夜道を仄かに照らし出していた。追いついてきた若者の問いかけるような眼に気づき、小男はからかうように唇を歪める。

「海に漂うものを蒐集するのが趣味でね」
「海に漂うもの?」
「たとえば、難破船から漂ってきた魂、だな」

 若者が身を強張らせた。小男は豪快に笑ってみせる。

「冗談だよ」

 海原を駆けてきた潮風が、鮮やかな朱の髪を掻き回した。風に押されるように、小男は若者の前に出る。若者は小さな背中を追う。

「噂じゃ、あんたの嫁は人魚なんだってな」

 前を見据えたまま声を投げてくる小男に、若者は自慢げに頷いた。

「そうだよ。俺の嫁さんは人魚なのさ」


<人魚のはなし 抜粋1>

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