ひたすらに、ひたむきに



 穏やかな日々は、いつか終わりが来る。身をもって知っているからこそ、僅かな時間を大切にしようと思えるのかも知れない。

 宮殿での日々は、表面上穏やかに過ぎて行った。
 現状の把握に数日を費やしたのは仕方が無い。そしてその間、用がない限り極力自室から出ないようにしていたのは自衛の為だ。カストルの件もあることだしそこまでの懸念は過剰かも知れないが、万が一ということもある。怯えて殻に閉じ篭る趣味もないが、先走る者達の手に易々とかかってやるつもりもない。
 ある程度の自由が許されるよう日々の鍛錬や、知識の補完は最低限必要なことと怠らず。定期的に訪れるアカキオスとの会談は憂鬱であるものの、必要なことと腹を決めてこなしている。まあ向こうとしては、憎しみにかられたスコルピウスが自分達の思惑外で暴走するのを防ぐ、という意味合いがあるのだろうが。それ以前に憎しみ自体抱いていないスコルピウスは、その無駄な努力に腹の中で笑ってやる。
 それとは別に、ここ最近習慣化してきたことが二つある。その一つが、信用出来るという確証がないという名目で夜毎訪れるカストルとの密談だ。
 勿論こちらに対する疑心というのは単なる口実なので、やっていることは筆談での情報交換と今後の方針についての意見のすり合わせだ。これはカストルが提案したことだったのだが、監視の関係もあり自分からは動けない事情があったスコルピウスとしては好都合だった。実直すぎるカストルは演技が事の外苦手なようで、最初の内こそかなりぎこちなかったものの何度か繰り返す内に慣れたのか、今では辛辣な言葉を吐きながら全く違う感情を書き綴る手に迷いは一切見られなくなった。
 それに訪問の目的として明確な言い方こそしていないものの、カストルなりにレオンティウスとの仲を取り持とうとしているのだろう。さり気なくレオンティウスの様子を伝えてくる辺りその意図はあからさま過ぎる位で。カストルが言う限りではこちらに対して悪感情は抱いていないようだったが、下手に動けないというのを口実に知らぬ振りをして流している。きちんと向き合うことから逃げているのではないかと言われてしまえばそういう意図が無かったとは言い切れないのだが、ある程度の覚悟は決めているので、時期が来たらきちんと決着はつけるつもりだ。
 正直、スコルピウスがかわす度にあからさまに落胆する様子を見ていると申し訳ない気持ちが首を擡げるのだが、万に一つも向こうに気取られてはならないのでそう簡単に応じることは出来ない。ただ、近い内に何かしら動きがあるだろうとスコルピウスは考えていた。
 そしてもう一つ。

 物が割れる音に集中が途切れ、スコルピウスは顔を上げると音のした方へと視線を巡らせる。するとそこには、粉々になって散らばった物を前に顔を青褪めさせるコリーナの姿が。
 スコルピウスはその状況に何が起こったかを察し、息を吐いた。余り良い意味で使われないそれは、だが決して相手に対する侮蔑や怒り、ましてや嘲笑といった負の感情交じりのものではなく。その証拠に、スコルピウスの方を見るコリーナの顔にスコルピウスに対する怯えは無い。そこには、ただ己の失敗によって壊れてしまった物と、集中を途切れさせてしまったスコルピウスに対しての申し訳ないという思いだけがあった。
 スコルピウスは相手の感情、主には仕える相手であるスコルピウスの感情が読めるようになったコリーナを褒めるべきか否かと一瞬迷いながら、机の上に広がった諸々を纏め始めた。失敗したということはその原因となる要因があり、それを見付け正すことが最優先だろうと考えたからだ。そして、その行動が当たり前になるほどに繰り返されたものであることと根本的な原因がコリーナには無いというのを知っている以上、放置できないと思っている。
 その行動は自分が居なくなった後の彼女自身の身の振り方を案じてのことだったが、同時に子供達との日常を思い起こさせるコリーナをそれなりに気に入っていたからだ。
 スコルピウスは広げていた羊皮紙や道具を纏めて机の隅に寄せると、椅子から立ち上がり割れた物を片付けているコリーナの傍へと向かうと、当たり前のように膝を折る。
 はじめこそそんなスコルピウスの行動に驚き戸惑っていたコリーナも今は慣れたものなのか、焦る様子はない。

「怪我は無いか」
「はい、何ともありません。殿下のお邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした」

 コリーナは一旦手を止めると深々と頭を下げ、スコルピウスの返答を受けて顔を上げると晴れぬ表情のまま再び手を動かし始めた。
 スコルピウスはそんなコリーナを慰めるでも片付けを手伝うでもなくその様子を――正確にはコリーナの手元を――観察する。勿論それはコリーナの失敗をあげつらう為ではなく。コリーナの方もスコルピウスの意図を知っているからこそ見られている故の緊張こそあれ、別段不快を感じることなくそれを受け入れていた。ごみと化した物を片付けていく手つきは、慣れていないからか若干のぎこちなさを覚えるものの、丁寧な作業は決して不快なものではない。寧ろ教えたことをきちんと身に着けようとしているのが伺えて、満足にも似た笑みが口元に上る。

 コリーナとの最初の顔合わせ以来、少女は毎朝決まった時間にスコルピウスの元を訪れ、その大半をスコルピウスの自室で過ごした。勿論それがコリーナに与えられた仕事であり、どこかスコルピウスに怯えている部分はあったものの、それでも仕事を疎かにしない姿に好感を持つなと言う方が無理な話で。
 そんな、与えられた役目を全うしようと一生懸命に仕事をするコリーナが傍にあることを当たり前と受け入れるのに、さほど時間がかからなかったのは言うまでもない。
 元々、初対面の時からどこか子供達を髣髴とさせるコリーナに対し垣根が低かったのだろう。その所為か使用人という立場のコリーナに対し、嘗て宮殿にいた時に傍仕えの者達にしていたような態度を取れずにいた。それに森での生活で自分のことは自分でやるようにしていたこともあり、世話をする側の立場というものが少し理解できるようになっていたのも大きな要因かも知れない。
 そうしてコリーナがいる生活に慣れてしまえば、全く会話の無いまま時間を過ごすのも奇妙な話で。結果それなりに彼女の身の上を聞く機会も出来た。そうして得た情報の中、コリーナが過敏なほどにスコルピウスに怯えていた理由も聞くことができ、またコリーナの方でも脅すように聞かされたスコルピウスの情報が本当ではないことを察したようだった。
 だが正直、嘗てはそう言われても仕方の無い態度を取っていた自覚があるだけに、真っ直ぐに信頼されると困ってしまうのだが。
 出奔する前もできるだけ周りの手を借りずに生活してはいたが、それは単に周りを信用していなかったからだ。置かれていた立場上仕方のないことだったのかも知れないが、必要以上に警戒し過ぎていたのかも知れないと今なら思う。
 そんなスコルピウスの壁を破り、強引に隣に並んでくれたのがポリュデウケスだった。自分だけで完結していた世界を広げてくれた彼には、何度感謝してもし過ぎることはないと思っている。そして、ポリュデウケスほど万能な人間はいないとも。
 勿論彼にだって苦手なものはある。特にデルフィナとの件に関しては、何度背中を押していい加減に気付けと言うべきかと思ったかも知れない。だがそんな不器用なところを差し引いても、彼には一生敵わないだろうと思う。
 恩人、などという簡単な一言で済ませてしまうには、ポリュデウケスの存在は大き過ぎた。スコルピウスは、自分の人としての根っこの部分はポリュデウケスによって形成されたとすら思っている。
 そして、嘗て全てを投げ出して人形のように生きてきた己という大きな荷物を負うことを厭わなかった彼に、どうしたら報えるのだろうかと。彼がいない今、強く思う。きっとそんなことを悩むなとポリュデウケスなら言うだろう。だがそんなポリュデウケスだからこそ、人としていられるようになった自分は何かを返さなければと思うのだ。
 今回の件に関してもそうだ。嘗ての愚かな自分のままであったなら、アカキオスの甘言に惑わされ、あっさりと暗示にかかっていたかも知れない。だが今の自分は、ポリュデウケスに教えられた平和がいかに尊いものかを知っている。そしてアカキオスの理想の中にそれが無いことも。
 だからこそ、彼が決して望まないだろう道に進む気には到底なれなかった。その先に大切にしたい者達の笑顔がないと知っていれば尚更に。
 そして例え本人に報えないまでも、貰ったものをせめて自分の周りに返していきたいと思うのはきっと間違ってはいない。だからこそ、子供達のことは勿論、コリーナのこともレオンティウスのことも、そして出来るなら自分の手が届く者達に対して少しでも何かを返していきたいと思った。









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