終わりと始まりの鐘が鳴る



 乾季の訪れに草木は眠るように萎れ、荒涼とした大地は常にない静寂に満ちていた。
 永遠に続くかと思われた静寂を討ち破ったのは、荒々しい馬の足音。現れたのは、黒と形容されるに相応しい集団。煌々と照らす月の光に浮き上がる様は、まるで白い大地に落とされた染みのように。
 その一団は、えもいわれぬ緊張感を醸し出していた。枯れた潅木まじりの岩山の間を縫うように人目を忍んで進む様は、追手から逃れる罪人たちのようにも、罪人たちを追い詰める断罪者のようにも見えた。
 時折、何かを確かめるように馬足を緩め、周りに視線を投げていたかと思えば、すぐさま馬に鞭を当てる。集団の中、交わされる言葉も無く。聞こえるのは、急かすように当てられる鞭の音と馬の荒い息遣い、そして地を蹴る音のみ。年齢も、ましてや性別すら定かではない彼等は、髪の毛一筋漏らさぬよう頭から被った外套の裾を翻し、ただ黙々と前へ進んでいた。
 土煙が視界を遮るかのように舞い上がってもその足並に一切の乱れは見られず、変わらぬ速さで馬は走り続けた。決してなだらかではない道を行く所為か、馬の背に跨がる人影が馬の動きに合わせて跳ね上がるも、体勢を崩す者は誰一人としていない。

 やがてある丘の上まで来たところで漸く一団の足は緩み、丘の頂に到達するころには完全にその足が止まった。先頭にいた人物がここまでほぼ休みなく走らせた馬の労を労うかのようにその首元を撫でれば、馬の口から漏れる鞴のような荒い息がそれに応える。
 何事か確認することでもあるのだろう。先頭にいた人物一人を残し、残りの者達は馬首を返して丘を下って行く。一人残された人物は遠ざかる後ろ姿に外套の下から無感動な一瞥を投げ、すぐに興味をなくしたかのように目を逸らした。
 幸い、と言っていいのだろうか、己のいるこの丘は特に遮る物のない、非常に見通しの良い場所だ。それに、今宵の月は殊更明るく。黒を纏う己の姿は、くっきりと浮かび上がっているに違いない。つまりは、多少離れたところで自分の姿を見失うことはないと、そういうことなのだろう。
 労せずその意図に辿り着き、彼の口元が皮肉気に歪む。だが、監視の目はあれど、宮殿に入る前に一人の時間があるのはありがたかった。こうして誰に気兼ねすることもなく、己の思考に浸ることが出来るのだから。
 まだ信用されていないことなど分かり切っているし、こちらとてそれは同じこと。寧ろそうやって監視の目を緩めずにいてくれた方が、こちらとしては都合がよかった。いずれ綺麗に隠している尻尾を掴み、全てを白日の下に晒してくれよう。だから今は、せいぜい不審に思われないよう奴らの操り人形を演じてやればいい。

 物理的距離が開いたことで、少し心に余裕が生まれたのだろうか。僅かに肩の力が抜ける。
 もう良いだろうと、深く被っていた外套を後ろへと流す。すると、その隙間から零れ出たのは鮮やかな赤。スコルピウスは、夜の空気を内に取り込むように静かに息を吸い込んだ。遮るものの無くなった視界に、記憶の底にしまって久しい景色が飛び込んでくる。

「漸く着いたか……」

 最後にこうして外から見たのは、出奔した日のことだったか。感情の浮かない眼差しを向けた先、闇に沈んだあの時とは違い煌々とした月の光に照らされて、王の座す宮殿が常と変わらぬ荘厳さを保って鎮座していた。
 それが良いものであれ悪いものであれ、少しは何か感じるものがあるだろうかと道中考えていたが、ここまで凪いだ気持ちで立つことになろうとは考えておらず。それが、とうに自分の居場所という認識を持ち合わせてはいないからだと気付き、そんなものかと笑いとも呆れともつかぬ息が漏れた。
 実際こうして向き合うまでは、もし自分の中に少しでも執着が残っていたらばと対策を考えていたが、どうやらその必要は無いようだ。少なくとも、己の目的を果たす為の最大の障壁になる可能性のあった自身の感情という点は問題にならないだろう。ならば余計に遠慮する必要も無いというもので。
 決して背後の気配たちに気取られぬことのないよう、脳内でこれからの算段をつけながらひっそりと笑みを洩らした。

 権力を誇示したいアカキオスのこと、堂々と表から帰還するものと思っていたがそこまで愚かではないらしく。再び顔を隠したスコルピウスが立ったのは比較的人の気配がない一角だった。
 馬の手綱を放し、改めて自分の居場所ではなくなって久しい宮殿を見上げたスコルピウスの脳裏に、ここに至るまでの日々がよみがえってくる。

 極限まで衰えてしまった筋力を再び鍛えなおすのは、思った以上に骨だった。最初は身体を起こすのすらままならず、生まれたての小鹿のように震える腕を何度忌々しく思ったことだろう。人に支えられねば満足に動けぬ身体が煩わしく、その原因となったアカキオスに対する憎しみは、尽きるどころか増すばかり。
 だがそれもまた、この状況においては都合がいい。アカキオスへの憎しみをレオンティウスへのそれと意識的にすり替えて、夜毎繰り返される暗示の確認をするような囁きに、それ以上の憎悪と殺気を上乗せしてやる。
 すると、それがレオンティウスに向けられているものだと信じて疑わないアカキオスは満足気に笑うのだった。それは自分を偽ることに長けているスコルピウスだからこそ可能なことで。彼が本気で相手を騙そうとしたのなら、その心の内を正確に理解できる者は片指の数にも満たないだろう。
 その度にスコルピウスは、己が図った事とはいえ何ともおめでたいものだと内心でアカキオスを嗤う。そうして、こんな単純な人間にいいようにされてなるものかと、心の壁を一層厚くするのだ。そんな些細な意趣返しが、孤独な戦いを強いられるスコルピウスの支えになっているのは皮肉な話だった。
 そうやって周りの目を欺きながら、少しでも早く大切なものを取り戻して二度と奪われることがないように、今まで以上の力を手に入れようと必死に鍛錬を続けた。
 己の野望の為に完璧な布陣を敷く事に余念のなかったアカキオスが、スコルピウスの鍛錬にも並々ならぬ関心を向けていたお蔭で、影たちとの鍛錬に水を差されることもなく、スコルピウスは着実にその技を自分のものにしていった。
 味方のいない孤独な日々の中、スコルピウスを支えていたのは離れてしまって尚消えることのない彼等の存在。もう二度と会えない二人と、今頃自分以上に辛い日々を強いられているであろう子供達。守れなかった己に絶望し、憎んでいるかも知れない。それでも、それでもあの子等が生きているのなら、迎えに行ってやらなくてはならない。もう一度、日の当たる場所へ連れ出してやらなくてはならないのだ。








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