妖艶に嗤え






 外界から切り取られたその部屋は、明かりを取り込む窓もない。あるのは木製の扉で塞がれた小さめの出入り口らしきもの。そして、室内に申し訳程度に置かれた粗末な家具のみであった。
 そんな、およそ人が生活するには不十分な薄暗い空間に、こつ然と現れた影が一つ。
 黒と形容するに相応しいその影は、寝台に近付くと暫しの間傍らに立つ。すると、その視線の先で何かが動く。影は暫しその様子を観察すると、おもむろに傍らの棚に置かれた器へと手を伸ばした。蓋の部分を持ち上げ、懐に手を入れ何かを取り出すと、器の中にそれを注ぐ。
 無駄のない動きで再び蓋をかぶせると、影は器から手を離すと、現れた時と同様に音もなく姿を消した。すると影が消えるのを待っていたかのように、器からゆらりと煙が立ち上る。再び、室内は静寂に包まれるのだった。

 昼ともなく夜ともなく、スコルピウスは昏々と眠りつづけた。その呼吸は不自然で、意図的に眠らされたものだということがよく分かる。白い煙が、横たわるスコルピウスを覆い隠すように包み込み、無防備な体内へと侵食していく。
 幾日か後、その部屋にスコルピウス以外の人間が人らしい音を立てて入って来ても、彼は最早何の反応も示さなかった。そんな半ば廃人のようなスコルピウスの姿に、アカキオスの口元が弧を描く。どうやら彼にとって今のスコルピウスの状態はとても都合が良いようだ。

「スコルピウス殿下」

 僅かに上下する胸元を確かめ、アカキオスはその耳元にそっと声を落とした。
 すると、力無く閉じられていた瞼が震え、その下から濁った赤が姿を現す。常に湛えていた力強い輝きはそこにはなく、焦点の定まらぬ眼差しはアカキオスを見ることはなかった。
 アカキオスはより一層笑みを深め、スコルピウスの状態をじっくりと観察する。もう既に拘束は解かれていたが、投げ出された四肢を見る限り、彼が逃げだすことはないだろう。
 ただ、杞憂するべき点もあった。久方ぶりに見た時よりも、明らかに腕や足が細くなっている。暴れられても困ると思ったが、普通に生活をするのにも支障が出るようでは、計画の妨げになる可能性もある。肝心な時に使い物にならないのでは話にならない。
 それに、前準備に時間を割けば割くほど後の流れが滞って来る可能性もある。この状態ならもういいだろう、アカキオスはそう結論を出し、身を屈めスコルピウスの耳元へと唇を寄せた。


 間を置いて、一日に何度も繰り返される囁き。己の中の憎しみを増大させ、己を絡め取り意のままに操ろうとする意思を含ませながら、尚耳障り良く響く声。部屋に満ちる甘だるい匂いと相まって、あからさまな暴力こそないものの、スコルピウスの精神は着実に蝕まれていった。
 そしてもう一つ、アカキオスは更なる責めをスコルピウスに科した。それでなくとも満足に食事も与えられていないスコルピウスの身体は衰弱しており、気を失うように眠りに引き込まれそうになるのだが、その度にアカキオスはスコルピウスの耳元で手を叩く。すると大きな音に、反射的にスコルピウスの瞼が持ち上がる。そうやって何度も眠りそうになれば音で覚醒を促され、スコルピウスは眠りを奪われ続けた。
 精神的にも肉体的にもスコルピウスを追い詰め、アカキオスは笑う。

「眠ってはなりませんぞ、殿下。眠りたいのであれば、私の意思に沿うとおっしゃいなさい。私の望む通りの王になると。話すのが辛いのでしたら頷くだけで良いのです。さあ、スコルピウス殿下」
「―――っ……」

 促されるまま、スコルピウスの口元から意味のない音が漏れる。それを了承と取ったアカキオスの眼差しが期待に輝く。スコルピウスが頷き、傀儡にする為の布石を打てたと思ったのだ。
 だが頷くと思われたその首は、次の瞬間弱々しく横に振られる。
 アカキオスの表情が、そこで初めて歪んだ。一瞬前の温和な雰囲気ががらりと変わり、スコルピウスが正気付いていないのをいいことに忌々しげに舌を打つ。もう既に自我など無いくせに、何と強情なことだろう。

 その後、幾度も繰り返された囁き。だが結局スコルピウスが僅かにも頷くことは一度もなかった。

 日に日にアカキオスの機嫌は降下していた。何せ至極簡単にいくと踏んでいた些細なことが上手くいかないのだ。王に対するよりも余程難しい相手だということが、スコルピウスを最初から見下していたアカキオスには面白くなかった。
 本来ならレオンティウスにもしものことがあった場合の保険でしかないスコルピウスは、一生日陰の身でいなければならないのだ。それなのにポリュデウケスが勝手に連れ出したりした所為で、余計な自我を芽生えさせてしまった。役に立たない傀儡など、いっそさっさと始末して代わりの人形を用意すべきなのか。
 計画に綻びが生じる危険性を感じ、アカキオスの脳裏に物騒な考えがよぎる。だが、例えそれをしたところで代わりが役割を果たせるだろうか。王家を守護するブロンディスが代わりの存在を容認するとも思えない。
 だからと言って、正当に王家の血を継ぎ、恐らくスコルピウスよりは御しやすいだろうとはいえ忌み児を使うわけにはいかない。結局、アカキオスの理想を叶えるにはスコルピウスの存在が必要不可欠なのだ。
 アカキオスの視線の先、寝台の上では、スコルピウスがピクリとも動かず仰臥している。薄く開かれた瞳は色を無くし、最早どこを見ているのかも定かではない。時折上がる掠れた呻き声や、僅かに上下する胸の動きがなければ、ただの人形のようだった。
 この状態で何を考える必要があるというのか。いや、考えるという行為すら最早出来ていないも同然。それなのに、決して頷こうとはしないことがアカキオスには不思議だった。
 ふと、アカキオスの視線が枕元の香炉へと投げられる。そこからは未だ白い靄が立ち上り続けていた。もう少し薬の量を増やすべきだろうか。一瞬浮かんだ考えはだがすぐに己の中で打ち消した。
 ただでさえぎりぎりの量を調合させているのだ。これ以上は命の保証が出来ないと薬師が言っていたではないか。時間が惜しいのは勿論だが、焦って折角の駒を壊してしまっては意味がない。
 アカキオスは諦めにも似た溜息を吐いた。焦る気持ちはあれど、ここは腰を据えてやるしかないのだと。

「殿下は賢いお方だ、何が一番ご自身の為になるのかご存知の筈。近い内にきっと色好い返事を聞かせていただけると信じておりますぞ」

 スコルピウスに正常な判断をすることが出来ないと知りながらぬけぬけと言ってのけると、傍らに在る気配に後を託しアカキオスは衣擦れの音と共に部屋を辞した。スコルピウスの瞳にちらつく、不可思議な色に気付くことなく。










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