顎を逸らして前を見る






 気づけばそこは、薄闇に支配された森の中。黒く塗り潰されたような景色と同化した木々が立ち並び、足元に広がる下草もはっきりと判別出来ない酷く曖昧なものに映った。
 そんな森というには奇妙な場所の中にあるぽっかりと明いた空間に、感情を削ぎ落としたような表情を浮かべたスコルピウスは一人、立っていた。どこか余所余所しい雰囲気の漂う場の空気に、戸惑いが生まれる。
 そもそも、何故自分はこんな所に?その疑問に対する答えを記憶の中から探り当てようとするも、靄がかかったようにはっきりしない思考では、何も見付ける事は叶わない。
 そんな不自然な違和感を覚えながら、スコルピウスは困惑の色を表情に乗せて辺りを見回した。何かが足りないような気がするも、それが何であるのか分からない。自分の中の噛み合わない何かに疑問が生ずるも、答えに辿り着く気配は一向にない。そのことにどうしてか、酷く苛立ちを覚えた。
 苛立たしげに眉を顰め、舌打ちを一つ。何か手がかりを探すように目を凝らすが、沈黙を保つ森の中には動くものもましてや気配も、見付ける事は叶わなかった。不自然な沈黙が辺りを支配しており、微かな物音すらしない。森の中ならあって然るべき空気の流れる音すら存在しないことに、異様な沈黙に、だがスコルピウスは気付かない。否、そこに思考が至らないという方が正しいだろうか。
 とにかく今のスコルピウスには冷静に状況を分析し、判断するという考えが欠如していた。だから気付かない。自身が何者であるかまでもが、己の中からごっそりと抜け落ちてしまっている事実に。

「―――っ……」

 自分の存在そのものが不安定なものと化してしまったかのような、不安と焦りが首を擡げ、スコルピウスはそんな弱気な思考を振り切ろうと強く頭を振った。と、己が発するものとは明らかに違う音が耳を掠める。
スコルピウスは慌てて辺りを見回した。が、音の発生源と思われるものは見当たらず、薄闇の森は沈黙を保ってそこに在った。だが、音を拾おうと集中したのが功を奏したのか、今度は先程よりもはっきりと音を捉えられた。だが、微かに聞こえている音は辺りに反響していて、耳の良いスコルピウスといえど正確な方向と距離が測れない。
 もしや気にし過ぎて幻聴が聞こえたのだろうかと首を捻るも、次いで聞こえてきたそれに、スコルピウスの表情が曇る。
 それが人の、しかも小さな子供の声のように聞こえたからだ。これが笑い声だったとすれば、ここまで気にはならなかったかも知れない。いや、寧ろ警戒していただろう。だが、聞こえてくるのは泣いている声だった。何故このような場所に子供―声の混じり具合から推察するに一人ではないだろう―が。
 子供だけでこんな視界の効かない森の中に入るなど自殺行為だ。夜目が利くスコルピウスでさえ余り視界が良くないというのに、子供なら尚更歩くのも儘ならないに違いない。
 スコルピウスは、せめて方向だけでも掴めないかと耳をそばだてる。

「―――…ま……こ?」
「に……まぁ―――」

 泣き声の中に、明らかに混じる誰かを探し求める声。はっきりとは聞き取れなかったが、その悲痛な声に込められた必死な想いだけは痛いほど感じ取れて誰の声かは分からなくとも胸が締めつけられる。と同時に、誰とも知れぬ本来子供達を庇護すべき者に対して怒りが込み上げて来る。
 もしかしたら子供であることもあり、或いは親を探して森に入ったのかも知れない。だがそれでも、子供達の傍に誰か一人でもいい、彼等を見守る者がいればこの事態は防げたはずだ。
 スコルピウスがここにはいない者に遣る瀬無い憤りを抱いている間にも、子供達の声は森の中、こだまし続ける。
 もういっそ、ここにいると声を上げてしまいたい衝動に駆られた。己が子供達の捜している相手ではないことなど百も承知で、だがきっと心細くて仕方が無いであろう子供達の心情を思うと何かせずにはいられない。それであの子等が泣き止んでくれるというなら、それくらい容易い。
 そこまで考えたスコルピウスの脳裏に、一瞬過ぎる何か。それは酷く曖昧な、だが見過ごせないもので。
 今、自分は何を思った?この森のどこかで泣いているであろう子供達に何を、誰を重ねた?
 スコルピウスが弾かれたように顔を上げる。と同時に、靄がかかったように曖昧だった思考が徐々にはっきりしてくるのを感じた。数瞬前までまるで自分のものでは無いかのように儘ならなかったが、漸くいつもの思考能力を取り戻していくような感触を覚える。スコルピウスの脳裏に次々と情報が浮かんでは消えた。
 自分は誰で、そもそも何故こんな所にいるのか。ここに至るまでの経緯、自分の身に何が起こったのか。
 自分自身を取り戻していくような感覚と、湧き上がる疑問符の羅列。スコルピウスはその疑問一つ一つに答えを当てはめていった。
 今自分が置かれている状況、その切っ掛けとなったと思われる事象、寸前まで共にあったのは……。スコルピウスは次第にはっきりしてくる記憶の中、浮かび上がったそれに息を呑む。と同時に顔を上げ、焦りに顔を強ばらせながら忙しなく辺りを見回した。
 何故忘れていた?守ると誓っておきながら何たる様だ。己の不甲斐無さに思わず舌打ちが漏れる。
 そんなスコルピウスの耳に、再び聞こえてくる何処からか響く声。今度は先程より意味のあるように聞こえる。
 ぴったりと身を寄せ合い、さ迷いながら自分を探す幼子二人。いつもは子供らしい笑みを浮かべている顔を、不安と怯えに染めて。頬を濡らす涙は止まることを知らず、後から後から溢れ出ていて。自分を呼ぶ舌っ足らずな声。ああ、先程から聞こえて来るのは……

「っ!?」

 スコルピウスは弾かれたように走り出した。スコルピウスの記憶の中の子供達と、聞こえてくる声が重なる。茂みを掻き分け木々の間を走り抜けながら必死に必死に辺りを見回し、時折立ち止まっては耳を澄ます。
 見覚えのないここが何処であるのかはまだ分からない。だが、今のスコルピウスにそんなものは瑣末な問題でしかなかった。今彼の脳裏を占めるのは、大切な2人のことだけ。一刻も早く彼等を安心させたい、それだけだった。
 未だ声が聞こえてくる正確な方向は、はっきりしていない。闇雲に走り回っても無駄に体力を消耗するだけなのだと、己の中冷静な部分がそう言っている。でも、あの子等が泣いているのだ。自分の姿を求め、悲しみに苛まれているのだ。なのにどうして暢気に構えてなどいられよう。一刻も早く二人の下に行かなければ。二人を抱きしめ、もう大丈夫なのだと言ってやらなければ。
 スコルピウスは全力で走った。方向など分からなくても、今正に心細さに泣いている幼子2人のことを考えれば立ち止まるなど出来よう筈がない。追いかけて来る絶望という名の闇を振り払い、神経を研ぎ澄ませ僅かな手がかりも見逃すまいと目を凝らし、その心には大切な2つの温もりを思い描いて。









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