もっと卑怯で自意識過剰だったなら






 最初に感じたのは、身の毛が総毛立つような感覚。無意識に己の腕を抱き込み血の気の引いたひんやりとした感触に思わず手を引く。
 そんなスコルピウスの様子に、横を歩いていた子供達も足を止め、不思議そうに様子を覗っている。こちらを見上げる二対の眼差しに、そこに心配の色を見止めたスコルピウスは何でもないというように苦笑を浮かべながら首を振る。子供達はそんなスコルピウスの内心など知る筈も無く、頷きに安心したのか再び家の方角へと歩き始めた。
 一歩遅れる形でその後ろを歩くスコルピウス。だがその表情は依然として晴れず、纏わり付くように胸中に渦巻く漠然とした不安感は拭えずにいた。それとなく周囲のへと注意を払うも、前を行く子供達含めいつもと変わりない風景が広がるだけでそこに記憶との齟齬は無い。息を潜めこちらを伺うのは森に住む動物達ばかりであり、なんら不審な点は見られない。だがいつも通りの筈の光景の中にありながら、どうしても湧き上がる違和感に内心首を傾げる。今まで感じたことのない、久しく無かった感覚。
 それが一体何なのかは明確では無いのだが、あまり歓迎すべき類のものではない事は本能で感じていた。どんな違和感も見逃すまいと神経を張り詰めていたスコルピウスの耳に、微かな音が飛び込んできたのは、それから数刻も経たぬ内であった。

「?」

 進行方向から聞こえてくるのは、金属同士が打ち合わさる音。余程力がこもっていると推察できるそれに、スコルピウスの足が止まる。どうやら前を行く二人の耳には届いていないようだ。
 最初、それは鍛冶屋の槌打つ響きにも聞こえた。実際何度かその情景を目にする機会があった為、それを連想するのは容易い事で。だが、規則性の無い音の羅列はどう考えてもあの熟練の技とは程遠いように思えた。それに、この近くに鍛冶場は無い筈であるし、そんな場所が出来たという話も聞いた事がない。明らかにこの付近で耳にするには不自然な音に、スコルピウスは他の可能性へと思考を巡らせ、辿り着いたものに目を見開いた。

「エレフ!ミーシャ!」

 音の正体に見当が付いてからのスコルピウスの行動は早かった。
 前を行く二人を呼び止めると、その身を乱暴に抱き上げ有無を言わさず近くの茂みへと押し込む。普段ならばありえない突然の暴挙に疑問の声を上げる二人と視線を合わせるように屈むと、あまり声を出さないようにと自分の口元に人差し指を押し当て、その意思を示す。
 すると、スコルピウスの発する切迫した気に幼いながらも何かを悟ったのだろう。まずアルテミシアが自らの口元を手で覆い身を縮こませ、それを見ていたエレフセウスもアルテミシアに倣う。緊張した面持ちで見上げてくる二人の瞳に揺れる不安げな色を見て取り、安心させるべく表情を和ませようとするものの、恐らくは間違っていないであろう非常事態にその試みは失敗に終わる。
 代わりに伸ばした手を二人の頭の上へ。軽く撫でると優しく自分の方へと引き寄せた。

「二人とも、よく聞きなさい」

 しっかりと目を合わせるスコルピウスに、それを受け止める二人の眼差しも真剣味を帯びる。子供に対しても誤魔化さず接してきた事が功を奏し、自然と話を聞こうとする体制になるのが今のスコルピウスには有難かった。

「私が戻ってくるまで、ここでじっとしていなさい。私が声をかけるまで、決して出て来てはいけない」

 ただでさえ状況を把握し切れていないのにこの上頼みの綱であるスコルピウスが傍を離れるとあって、子供達は声こそ出さなかったものの口元を押さえていた手を離し、スコルピウスの服の裾を掴んだ。置いて行かれるのが不安で仕方が無いのだろう。いやいやと首を振る二人の瞳にうっすらと膜が張っている。
 ちょっとした事で泣くエレフセウスだけでなくアルテミシアまでもが泣きそうになっている状況に心が痛まないと言ったら嘘になる。だが、それでも現在進行形で危機に陥っているだろう彼等の事を考えれば、ここでぐずぐずしている時間は無かった。
 スコルピウスは、余程力を込めているのか血の気の失せた二人の手をそっと包み、慰めるように撫でながら、今では然程苦労も無く浮かべられるようになった笑みを浮かべて二人の顔を交互に見た。

「安心しなさい。父様と母様の所に行って来るだけだ、すぐにここに戻って来る。ただ少し急がなくてはならないから、ここで待っていて欲しい」
「…ほんとう?」
「スーにいさま、すぐきてくれる?」

 余程不安なのだろう。伺うような眼差しに、スコルピウスは大きく頷いて見せた。状況次第でどうなるか分からなくても、この約束だけは破るまいと言うように力を込めて。その笑みに少しは安心したのか、二人は表情を和らげると漸くスコルピウスの手を離した。だが心から安堵したのではない事は、すぐさま繋がれた互いの手が証明していて。二人の間、縋るように硬く結ばれた手にスコルピウスの節くれだった手が乗せられる。自分より小さく頼りない、だがスコルピウスを闇から引き上げてくれた手。
 本来ならこうして触れ合う事すら無く失われていたかも知れない温もりに、スコルピウスは誓いを立てる。決してこの手を離さないと。


 踵を返したスコルピウスの顔に、一瞬までの柔らかさは欠片も残っておらず。腰に佩いたクシポスの感触を確かめる様は、既に戦地へ向かう戦士のそれへと変貌していた。
 一歩進む毎に嫌な気配は濃厚になり、その覚えのある気にスコルピウスの眉間の皺は深くなってゆくばかりで。自分に向けられているものではないとはいえ、不の感情が込められたそれはスコルピウスがかつて向けられていたものであり、決して明るい記憶とは結びつかないものである以上歓迎したいものではない。それでも足を止めないのは、この先に今正に危機に直面しているだろう大切な家族がいるからだ。
 昔のスコルピウスならば、危険であると知る場所へ自ら進んで飛び込むような真似はしなかっただろう。それが例え信を置いていたポリュデウケスを助けるという名目があったとしても。どんなに疎まれていようとも、最後まで生き残るのが王族の義務なのだと教え込まれていた彼にはそれが当たり前だった。だから、聞こえる音に耳を塞ぎ予見される情景から目を逸らし、踵を返し必要なら子供達さえ捨て置いて逃げるのが本当は正しいのだろう。だがそうしようにも、芽生えてしまった感情が邪魔をする。無謀と言われようとも、どんな事をしても助けたいと思ってしまう。一瞬、スコルピウスの口元に自嘲の笑みが浮かぶ。だがそれでも足が止まる事は無く、長く共にある内にポリュデウケスのお人好しがうつったに違いないと、そう言い訳のように己を納得させる。
 先程までの柔らかな日差しはどこへ行ったのか、まるで今の状況を象徴するような淀んだ空に、だがスコルピウスは好都合といったように進む足に力を込める。大体の数は判ったが、どれ程の手練なのかは把握し切れてはいない。ただ、ポリュデウケスが苦戦しているらしい事から相当腕の立つ者達であろう事は想像に難くない。だが、いくら手練とはいえ地の利はこちらにあり。視界の利かない森の中に入ってしまえばこちらにも勝算はあるというもの。
 ならば己のすべき事はポリュデウケス達が森へと逃げ込めるよう時間を稼げば良い。筋道さえ立ててしまえば腹も決まるというもので。スコルピウスは脳裏を占める不安を無理やり意識の外へと押し出した。











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