夢の終わりに






 森の中にある小さな家とは名ばかりの小屋。かつての生活とは間逆の、清貧とは名ばかりの決して裕福ではない暮らしの中、それでもそこに住む者達はいつだって幸せそうに笑っていた。成り行き上一緒に生活をしているだけの、一部を除き血の繋がらない彼等は、しかし誰が見ても家族であった。
 まだ幼子の域を出ない子供達は、半分だけ血の繋がった青年を兄と慕い。青年もまた、子供達を大切に慈しんでいた。そんな彼等を微笑ましそうに眺める男女は、本当の親のように彼等を慈しんでいて。森の中という閉鎖的な空間にありながら、息苦しさは欠片も感じさせぬただひたすらに光と温もりに溢れた生活。
 幸せなのだと当たり前のように感じられる生活の中、不自由はあれど。だがあの閉鎖的な王宮にいた時よりもずっと自由だと感じていて。息をするのすら辛かったあの日々に比べ、そこは確かに楽園だったのかもしれない。
 だが、光と影が表裏一体であるように、それは着実に迫っていた。幸せ故に気付く事が出来なかった確かな陰り、そこに落とされた闇。


 突如降って湧いた気配に、ポリュデウケスの視線が走る。向けられた先には、生い茂る森の木々。太陽の光に惜しげもなくその身を晒し、その恩恵を一身に浴びて輝く姿はいつも通りのもの、の筈だった。が、ポリュデウケスはどこか場違いなほど剣呑な眼差しを周囲へと向け、家の壁に立てかけられていた筈のクシポスを手にしている。いつでも対処できるようにと腰を落とし、構える姿は戦士のそれ。そして、彼の勘がそうせざるを得ない不穏な何かを感じ取っていた。

 ポリュデウケスの傍らに腰を下ろして談笑していたデルフィナは、和やかな雰囲気が一瞬にして塗り替えられた事に戸惑いの色を浮かべ。だが、ポリュデウケスがそうするには何か理由があるのだと分かっているので、邪魔にならないよう散らばった物を一纏めにして抱えると、足早に家の中へ。
 何も言わずとも望むように動いてくれるデルフィナの気配に内心胸を撫で下ろしながら、ポリュデウケスは扉が完全に閉まると同時に口を開いた。

「こちらの様子など疾うに知れているのでしょう。いい加減、出て来てはいかがですか」

 ポリュデウケスは、警戒の色を浮かべ一点を見据えている。何の変哲もない茂み、傍から見れば滑稽なものと写ったかもしれない。だが、ポリュデウケスは確信を持っているのか殺気さえ滲ませている。
 すると案の定、正にその場所にある茂みが不自然に揺れる。と、間を置かずして現れた人物に目を見開いたのは一瞬、すぐに表情を引き締めた。予想通りとはいえあまり当たってほしくは無かった目の前の存在に、内心で盛大に舌打ちをしながら。

「こんな森の奥に隠れ住んで、さぞや勘も鈍っているだろうと思ったが、中々どうして。流石は歴戦の戦士、といったところか」

 皮肉を上らせる薄く笑みを刷く口元、老いて尚狡猾さの滲み出た眼差しには、嫌と言うほど覚えがあった。元老の一人に数えられたその人物は、ポリュデウケスとしては二度と相見える事が無いようにと願うほど、関わりたくない相手で。

「貴方ほどの方が、こんな辺境まで何の御用ですか」

 多大に嫌悪と棘を含んだポリュデウケスの物言いにも、まるで爬虫類のような笑みは僅かにも揺らぐ様子は無く。忘れたくても消えてくれない記憶の中と変わらぬ気分の悪くなる笑みに、自然と眉間に皺が寄る。無いとは思っていたがその性格も恐らく変わってはいないのだろう事が手に取るように分かる。
 王に擦り寄る手腕は見事なものだったが、耳障りの良い言葉を吐くこの男の底の浅さに辟易したのは一度や二度ではなかった。いつだって己の利を第一に据えるこの男にとっては自分よりも地位の高い者、それこそ主君と仰いでいる筈の王ですら、自分の地位を守る道具でしかないのだ。


 だが、王とて馬鹿ではない。どころか誰よりも早くこの男の危険性を察知し、ある程度の距離を置くようにしていた筈。故にこの男は独断で此処にいる、そう考えるのが自然で。だが、ポリュデウケスの中に拭えぬ違和感があったのも確かだった。 自身の感情を律する事に長けたポリュデウケスでさえ、この男に対する嫌悪だけは隠しようのないもので。それを知っていながら全く態度を変えない男はある意味大物と言えたのかもしれない。
 森の中、神経を尖らせながらポリュデウケスの僅かな動きにすら注意を払い潜む者が数人。確かな人数を把握できないのは、彼等が卓越した技術を持つ証拠。ポリュデウケスにすらその存在を察知させない程の手練であるという事だ。それは、そこらにいるごろつきでは決して出来ない芸当で。確信は無いがそれなりの訓練を受けた者達である可能性は大いにある。
 それが、ポリュデウケスの違和感の正体だった。だが、そんな隠し玉をこの男が持っているとは思えなかった。この男は、自分の利の為なら他者を追い落とす事など容易くやってのける男だったが、一度たりとも武力による排除を行ってはこなかった。あからさまなそれをする事がいつか自らの首を絞める事に繋がると知っていたからなのか、男は専ら人の弱みに付け込むような手段を用いていて。
 そして、先程彼等の気配を探った折、覚えのあるそれに気が付いた。独特の気配の消し方、それは王の影達と同じものではないか、と。
 行き当たった答えにポリュデウケスの瞳が僅かに見開かれ。男は目敏くそれを認め、口の端をより一層引き上げた。

「ほう、気付いたか。一時とはいえ属していたお主に隠しきれるとは思っておらなんだが。…聡いお主の事だ、それがどういう意味か気付いているのだろう?」
「まさか…」
「そう、そのまさかじゃよ。今回の事、余程お怒りと見える。故に、この儂に事態の一切の収拾をお命じになった」
「……っ」

 有り得ないと。そう思うのに、言葉は形となる前に消え、ポリュデウケスの口から出たのは掠れた音だけ。あの王が、この男を頼りにするなど例え天地が反転したとしても無い。その筈なのに、この男がこうして王の私兵ともいえる者達と共にこの場に在ると言う事は、男の言葉が事実であると語っていて。混乱する思考の中、それでも何とか男の中に含まれる嘘を見出そうと必死に平静を装うポリュデウケス。しかし、そんな努力を嘲笑うかのように、男は更なる爆弾を投下する。

「王は蝕の御子を滅びの象徴と、そう断じられた。最早あの双子は我が国にとって災いの種でしかないのだよ。それなのに、そんな忌み子を後生大事に守っているなど、愚かにも程がある」

 頭を殴られたような衝撃。最早ポリュデウケスはただ呆然と立ち尽くしているのみだった。イサドラからの懇願も勿論あったが、王とて己の血を分けた者達をみすみす死地に送り込むのは望んでいない筈だからと、そう思っていたのに。
 王として時に非情に徹する事を余儀なくされていたとしても、本来は情に厚い人物であるのは側近であるポリュデウケス自身、よく分かっていたつもりだ。だからこそ、王の怒りを買う事は重々承知でこうして死を望まれた子供達と隠遁する道を選んだのだから。だが、この事態を判断材料とする以上ポリュデウケスの考え自体が間違っていた事になり、どころかこんな男に頼らざるを得なくなるほど王を追い詰めてしまったのだと言われても反論する余地は無い。
 独りよがりの暴走とも言える今回の自身の行動が、かの王に与えた負担はどれ程のものだったのだろう。それを思うと心の中、頭を擡げるのは自身に対する怒り。
 後悔に嘆くほど己の行動に責任を持てぬ歳ではなった。が、だからといって心を痛めずにいられるほどポリュデウケスは甘さを捨てられずにいた。ポリュデウケスは一度己の懐に入れたものを簡単に切り捨てられず、それ故に王の良心とも言われていた。
 だがそんなポリュデウケスの甘さを、王は良しとしていて。だから、ポリュデウケスは非常時以外はそれを隠す事はしなかった。他の者達に厭味交じりに諭されても、それは変わらずポリュデウケスを構成する一部としてあったのだ。
 今が非常時と言えばそうなのだろう。一人逃げるという選択肢を選ぶ余地も残されていた。男にとってポリュデウケスの存在は王からの信頼を無くした過去の人間であり、立ち塞がらない限りそれ程重要ではないのだろうから。
 だが、男が狙うのはポリュデウケスの大切な家族なのだ。どんなに困難だと知っていても、逃げる訳にはいかない。男が彼等を害すると分かっている以上、そこにどんな大義名分があろうともこの男の存在は排除すべき敵と見做すに十分であり。それを成したいと思う限り、ここから退く謂れはない。











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