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 眉間に寄る盛大な皺。見るもの全てを威嚇しているような表情で見つめるのは据え付けられたオーブンの中。その眼差しは、至極真剣なもので。未だ熱を帯びている為に歪んだ空気の中から慎重に取り出されたものに、周りにいた子供達から歓声が上がる。
 我先にと伸びてくる子供達の手を掻い潜りながら、傍にあったテーブルの上にそれを置き盛大に溜息を吐いて振り向いた。

「冷めるまで待ちなさい。火傷をしたらどうするのだ」
「っ…」
「あ…」
「ごめん、なさい…」

 顔を顰めて咎めるスコルピウスに、子供達の声が止む。俯く子供達の表情は己の犯した失態に悲しげに歪んでいて。
 スコルピウスは、そんな姿を前にもう一度溜息を吐くと目の前にある小さな頭を端から順に撫でてやる。そうすれば、一瞬前の落ち込みようはどこへやら。たちまち子供達の顔に笑顔が戻って来るのだった。
 そんな子供達の様子に内心そっと安堵の息を吐きながら、背後にある皿から人数分の焼き菓子を摘み上げた。念の為程よく冷えている事を確認し、手渡そうと改めて子供達を見れば、皆一様に瞳を輝かせながらスコルピウスに向かって口を開けていた。さながら、餌を強請る雛鳥のように。直接口に入れて貰う事を期待しているのは明らかで。躊躇いは一瞬。鹿爪らしい顔で、順番に口の中へ放り込んで行く。アルテミシア、エレフセウス、オリオンの順に。そして…

「何故、ここにいる…」

 三人の子供達に習うように口を開けるオルタンスに訝しげな眼差しを向けるも、当人は何も言わずにただ笑っている。ただ、一向に口を閉じる気は無いようで、期待しているのは明らかだ。結局根負けしたのはスコルピウスの方で。子供達にしたように、その口に焼き菓子を放り込んだ。

「ん〜。美味しいですわぁ」

 味わうように暫く租借していたオルタンスは、口の中のものを完全に飲み込むと満面の笑みを浮かべた。程よく焼けたそれはさっくりとした食感と、くど過ぎないさらりとした甘さの物で。これならば、いくらでも食べられそうだった。

「あたりまえよ。スー兄さまは料理がとくいなのよ。ね?エレフ」
「もちろん。兄さまの料理は何でもおいしいんだ」
「だなあ。マズいの作ったことないよな」
「まあ、殿方なのにお料理が得意なんですか」

 得意げに胸を逸らす子供達は、スコルピウスを自慢したくて仕方が無いといったようで。そんな子供達の証言に、まるで子供のように目を輝かせるオルタンス。そんな彼等が話しているのは他の誰でもない己の事で。スコルピウスは込み上げてくる気恥ずかしさに、目の前の状況から目を逸らした。すると、

「……何を笑っている」

 スコルピウスの視線の先、傍らのテーブルに縋り俯くシリウスの姿が。それだけ見れば具合が悪そうに見えない事も無かったが、如何せん肩は小刻みに震え声を出さないよう口元に当てられた手は余程力を込めているようで、血管が浮き出ている。その時点で隠し切れていると思うほうが間違いだ。
 スコルピウスに気付かれたからか、はたまた我慢出来なくなったのか―恐らくは後者であろうが―盛大に噴出したシリウスは、口元を覆っていた手を腹部へと移動させると身体をくの字に折り曲げ、声を上げて笑い出した。
 突然の声に驚き、咄嗟に子供達がスコルピウスの後ろに隠れた事によりその声は益々大きくなり、暫く止まりそうになかった。


「もてもてじゃないですか、殿下。何とも羨ましい」

 漸く笑いの収まったシリウスは、開口一番にそう言った。
 だが、その表情に羨む気持ちなど欠片も見出す事は出来ず、明らかに面白がっていて。そんなシリウスに対し渋面を作り目を眇めるスコルピウスだったが、悲しいかなその足元には子供達と何故かオルタンスまでもが張り付いていて。迫力が無いことこの上ない。
 シリウスの視線を辿りその事に気が付いたスコルピウスは、咳払いを一つ。子供達の方へと向き直る。

「さあ、もう手伝いは終わりだ。準備が整うまで皆で遊んでいなさい」

 目を瞬かせて見上げてくる子供達と、何故か当たり前のように加わっているオルタンスに、積まれた山から掴んだ焼き菓子を数個手渡すと、また順番に頭を撫でた。子供達は、擽ったそうに笑いながら互いに顔を見合わせ頷くと、揃って厨房の出口へと駆け出した。
 オルタンスはと言うと、流石に駆け出しはしなかったものの、手の内にある焼き菓子を嬉しそうに眺めながらどこかへと歩いて行った。恐らくは、片割れの傍へと戻るのだろう。
 楽しげに笑いながら出て行く子供達を見つめるスコルピウスの眼差しは優しげで。シリウスは再び噴き出しそうになったが、これ以上はマズイと何とかそれを飲み込んだ。
 そうこうする内に、子供達から目を逸らしたスコルピウスがシリウスへと視線を投げる。数瞬前の雰囲気はどこへやら、そこに一切の熱は無く。だがシリウスが動じた様子もなく肩を竦めるのを見て、鼻を鳴らすと視線を逸らした。そして、何事も無かったように完全に熱の取れた焼き菓子を用意していた皿に並べていく。その手付きは流石子供達が自慢するだけあって馴れたもので。
 行きがかり上、同じテーブルに置いてある自らが作った菓子と見比べたシリウスは、そのあまりの違いに思わずスコルピウスの手元を凝視してしまう。

「…何だ」
「あ、いえ…」

 視線が鬱陶しかったのか、手を止め顔を上げたスコルピウスは、胡乱気な眼差しをシリウスへと向ける。半ば無意識ゆえの行動だった為、シリウスは柄にも無く慌ててしまい。そんなシリウスに何事か言わんと口を開いたスコルピウスだったが、何かに気付きその口を閉じた。
 唐突に視線を逸らしたスコルピウスに、シリウスは訳が分からず首を傾げる。が、そんなシリウスの疑問をよそに、深々と溜息を一つ。次いで焼き菓子を小皿に乗せ、テーブルの端へと置いた。一見意味の無いその行動にシリウスが訝しげに眉をひそめたが、さらりと無視して再び作業に戻る。

「欲しいならそう言え。もう何も言えぬ子供ではないのだから」

 視線は手元の皿に固定したまま。だが言葉の向かう対象は明らかに人であった。
 スコルピウスはそれきり口を噤み。シリウスは答えの出ない謎掛けをされたような気分に顔を顰めた。だが、それも突如出現した気配によって生温い笑みへと変わる。

「兄上…」

 シリウスが振り返ると、そこには予想通りの人物が。まるで迷子のような頼りない雰囲気を醸し出し、佇んでいた。勇猛果敢と謳われた普段の姿とはかけ離れた彼、レオンティウスのどこか遠慮がちな様子に、ああそういえばと思い出すのは、腹違いの兄弟である彼等の関係だった。兄と慕うレオンティウスが、同時に常に遠慮がちな態度を崩さない事は誰もが知っている事実で。だがそこにどんな理由が潜んでいるかを推測する事は出来ても、本当のところは結局当人達にしか分からないのだ。

「ああ、そうだ」

 唐突に顔を上げたスコルピウスは、今度は真っ直ぐにレオンティウスを見。その行動に、突然声をかけられたレオンティウスの身体が面白い位に跳ねる。

「子供達の様子を見てやってくれ。好奇心旺盛なあの子らの事だ、目を放すとどこに潜り込むやも知れん」
「え?……は、はい!」

 頼まれたのが余程嬉しかったのか、スコルピウスの言葉の意味を理解するなりレオンティウスは満面の笑みで頷き、軽く頭を下げると善は急げ悪は延べよとばかりに踵を返すと足早に厨房を出て行く。そんなレオンティウスの態度が忠犬の様に見えたのはあながち間違いでもないかもしれない。そんな事を思いながら視線を戻したシリウスは、視界に映ったスコルピウスの表情に僅かに目を見張った。
 視線こそ疾うに外されていたが、スコルピウスの口元にはうっすらと笑みが刻まれていて。もしかしたら、周りが思うよりこの二人はちゃんと兄弟なのかもしれないと思った。

 ぼんやりとそんな事を考えている内に、スコルピウスの方は作業を終えてしまったようで。使用した器具を手早く片付け始めたのを見て取ると、何となく盛り付け終わったと思われる皿へと視線を移した。そしてその状態を理解したシリウスの口元が面白そうに歪む。

「殿下は意外とマメなんですね」
「…何が言いたい」
「だってそれ、子供達にやる分考えて作ったんですよね」

 ニヤニヤと笑うシリウスを睨みながら、だがその口から反論の言葉は出てこない。何故ならそれは事実以外の何ものでもなかったから。
 綺麗に積み上げられた焼き菓子の山は、それ以上多くても少なくてもバランスを崩すだろう。その見事さは、裏を返せばそこには最初から子供達に渡した分は含まれていなかったという証明のようなものだった。
 殺気さえも滲ませるスコルピウスを前に、だがこの数分の間に垣間見た普段とは違う姿にその迫力は半減していて。
 シリウスはふと、いっかな勝てる気がしない相手だと思っていたが、弱点は随分と近くにあったものだな、とそんな事を考えていた。











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