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 ポリュデウケスはデルフィナに穴の空くほど見つめられて居心地の悪い思いをしながら、それでも自分から視線を逸らす事はしない。だが、明らかに何か言いたそうなのに一向に口を開く気配がないデルフィナに、内心は酷く困惑していた。何の動きも無い沈黙だけが支配する中、もしや己のあからさまな態度が伝わってしまい、どう断ろうかと悩んでいるのだろうか。等と、斜めの方向に思考が逸れている事にも気付かないポリュデウケス。そんな困惑を余所に、もう既に笑みを浮かべる事も出来ず唇を引き結ぶデルフィナ。二人とも、スコルピウスが呆れ顔でその様子を見つめている事には全く気付いていないようだ。
 暫しの沈黙。聞こえてくるのは子供達の笑い声だけ。そんな中、デルフィナは恐る恐ると言ったように口を開いた。だが、声が音になるより先に目に涙が盛り上がってくる。それはすぐに堪えきれなくなり、頬を伝う流れとなった。そんなデルフィナに驚いたポリュデウケスは、原因が分からず戸惑いを露にして意味もなく視線を彷徨わせた。と、こちらを見ていたスコルピウスと視線が合い、その眼差しが救いを求めていると感じたのだろう。スコルピウスが深々と溜息を吐いた。
 その様子からスコルピウスが何かしら知っていると感じたポリュデウケスが動くより先に、スコルピウスは立ち上がると服に付いた埃を払い落とす。その足が向かう先はポリュデウケス達の下、ではなく無邪気に戯れる子供達の方へ。歩いて来るスコルピウスの姿に気付いたアルテミシアが、遊びを中断して飛びついて来る。それに半歩遅れてエレフセウスも。
 嬉しそうに纏わり付いてくる子供達の頭を撫でる手は事の外優しく、きらきらと目を輝かせて見上げてくる二つの眼差しを受け止める表情は穏やかだ。

「さあ、ここにいては目の毒だ」
「どくー?」
「どくなーに?」

 スコルピウスの言葉を反芻するアルテミシアとエレフセウス。だが何の事やら分からないと小首を傾げている二人の子供。スコルピウスは意味が分からず目を瞬かせながら見上げてくるアルテミシアの背を押し、エレフセウスの手を引くとポリュデウケス達に背を向けて歩き出した。扉をくぐり、向かうのは勝手知ったる森の中。陽の当たる少し開けた場所までの経路を脳裏に描き、もう既に背後の二人は意識の外へ。
 突然のスコルピウスの行動に、面食らったのは当の二人。デルフィナにいたっては突然の事に滲んでいた涙も引っ込んでしまった。スコルピウスの真意が分からず戸惑い顔を見合わせる二人。だがスコルピウスは答えをくれる気は微塵も無いようで。ポリュデウケスは焦って一歩踏み出した。

「殿下!?」

 必死な想いが声に出ていたのだろう。スコルピウスが足を止め、半身だけ振り返る。その顔にははっきりと、呆れの二文字が刻まれていた。

「…お前達はもう少し、素直になって話し合ってみろ。当人同士だけが気付いていないなど、全く笑い話にもならん」

 言いたい事を言うと、今度こそ茂みへと分け入ってしまい。意味が分からず呆然と見送ってしまったポリュデウケスが我に返った時には、もう既にその姿は完全に森の中へと没していた。
 ポリュデウケスは、己が何を見落としてしまっているのか分からず首を傾げる。しかもスコルピウスの言を借りるならば、それはデルフィナにも言える事らしい。ポリュデウケスは、己の後ろで、恐らく己以上に困惑しているだろうデルフィナへと向き直る。と、同じように呆然とだがどこか熱の篭った眼差しとかち合った。先程とは明らかに違う潤んだ瞳に、ポリュデウケスの心臓が大きく跳ねた。

「私の、妻になってはくれないだろうか」

 込み上げる衝動に突き動かされるまま口を突いて出た一言に、ポリュデウケスは咄嗟に口元を覆う。だが一度口にしてしまったそれを取り消す事など出来はしない。視界の中、息を呑んで身を硬くするデルフィナの姿が目に止まり、ポリュデウケスは思わず逃げるように俯き視線を逸らした。何を自分勝手なことを口走っているのかと呆れているのだろうと思うと、恥ずかしくて顔を上げる事すら出来ない。今までだって想いを寄せる女性に対し、好意を口にした事はある。だが、恥ずかしさこそあれ今のように余りの緊張に手に汗まで掻いた経験は無かったような気がする。昔と今の何が違うというのか、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られる。それでも何とか踏み留まっているのは、ここで逃げ出してしまったら、もう二度とデルフィナの顔を見れなくなるのではと、そんな気がするからだ。

「私はそれほど顔も性格も良くはないし。年だってずっと上だ。それに、君をこんな不自由な所へ連れて来た張本人で。好意も持っていない相手に、そんな事を言われても困るのは分かっている」

 顔上げないまま、必死に捲くし立てる。何か喋っていないと沈黙に絶えられなくなりそうだったから。
 もしここで彼女に断られても仕方ないのだ、自分にはそれを止める権利は無いのだから。彼女がどんな答えを出そうとも、彼女を守って行く事には変わりないのだからと。脳内で回る思考に翻弄されるポリュデウケスは、デルフィナの眼差しに気付かない。その熱の篭った吐息の音すら耳に入っていないだろう。

「…顔を、上げて下さい」

 僅かに震えている声。それ以上に、ポリュデウケスの肩が跳ねる。デルフィナの望みを叶えるには多大な努力と覚悟が必要だったが、ポリュデウケスは己に喝を入れると、恐る恐る顔を上げた。途端、飛び込んでくるデルフィナの姿に、再び落ちそうになる顔を気力で押し止める。ポリュデウケスは緊張に身を硬くしながら、デルフィナの視線を受け止める。そして、

「貴方と共に在る事を、望んでも、良いのですか?」

 歓喜に震える声と、流れる涙。柔らかな微笑みを浮かべる、彼女の顔。ポリュデウケスは一瞬何を言われたのか理解できなかった。だが、デルフィナの言葉の意味が脳内にじわじわと浸透するごとに、そこに込められた意味にポリュデウケスの内から湧き上がってくるのは紛れも無い喜び。それはつまり、ポリュデウケスの願いを受け入れてくれると、それどころか彼女もそれを望んでいたという事で。
 ポリュデウケスは震える手を延ばし、デルフィナの身体をそっと引き寄せた。デルフィナは、ポリュデウケスの腕の中に収まると当たり前のように寄りかかってくる。抵抗する素振りの全く無い、それが答えだった。決して交わる事は無いと思っていた線が漸く触れ合ったような、そんな気がした。

 こうして身を寄せ合う事で感じる互いの熱と音が、それぞれが抱く想いを確実に相手へと伝えてくれる。だから、これ以上の言葉は必要ないという気さえしてくる。だが、抱く想いを素直に伝えていたのなら、もっと早くこうなっていたのかも知れないと思うと、言葉を尽くす事を惜しんではならないのではという気にもなるのだ。だからこそスコルピウスは話をしろと、そう言ったのかもしれない。
 ポリュデウケスは腕の力を緩めると、デルフィナの身体を開放した。だが、どこか気恥ずかしくてその顔をまともに見る事が出来ず、室内を意味も無く見回す。すると、それを見ていたデルフィナの口から僅かに漏れる笑い声。その声に引かれて視線を向ければ、恥ずかしそうに頬を染め、それでも笑顔のデルフィナがいた。自然とポリュデウケスも息を漏らす。嬉しさゆえの笑みを交わす二人の柔らかな笑いが、漣のように広がり室内を満たしていった。

 一頻り笑ったポリュデウケスは、ぽつりと一言「話をしよう」と。これまでの事を、そしてこれからの事を。話す話題は尽きそうに無いが、ゆっくりと時間をかけて埋めていけば良い。これからも共に在るのだから。


「何だ、気を利かせてやったというのに。双璧と謳われた勇者が、情けない話だ」

 スコルピウスが遊び疲れた二人を伴って戻ったのは、もうすぐ日が沈むという時分。足元の覚束ない二人を支えるようにして家の中に入って来たスコルピウスは、ポリュデウケスを見るなりつまらなそうに吐き捨てた。ポリュデウケスがスコルピウス達に気付いて作業の手を止め顔を上げると呆れ顔のスコルピウスと目が合い、思わず苦笑が漏れる。

「お気遣いいただきまして、ありがとうございます」
「皮肉か?」
「いいえ、とんでもない。心からありがたいと、そう思っております」

 実際、スコルピウスがあの時切っ掛けをくれなければ恐らく今でも誤解したままだったのだろうと思えば、感謝しこそすれ恨む気持ちは皆無だった。
 スコルピウスはそんなポリュデウケスの様子に訝しげに眉を顰め、すぐに視線を外すと鼻をならす。

「これからは、もう少し勘を働かせるのだな」

 少し休む、と。そう言い置いて、スコルピウスは自室へと向かうべくポリュデウケスの横を通り過ぎ。その際、ポリュデウケスの前に軽い音を立てて何かが置かれた。スコルピウス達を見ていたポリュデウケスが音に気付いて視線を向けると、そこにあったのは小さな花束。よく見ると、大小様々な大きさの色とりどりの花々が、少々不格好ながらそれなりに整えられ一つに束ねてある。

「殿下、これは…?」

 顔上げた時、既にスコルピウスは二人を抱えて階段を上っているところで。声が聞こえているのかいないのか、返答は無かった。
 そんなスコルピウスから回答を得る事を諦めたポリュデウケスは、改めて目の前に置かれたままの花束へと視線を戻す。スコルピウスの事だ何かの意図があるのだろうと、ポリュデウケスは何の気なしに花束を手に取る。と、微かに鼻腔をくすぐるどこかで嗅いだ覚えのある香り。その正体を掴もうと改めて花束を観察していたポリュデウケスは、花に隠されるようにして紛れていた香りの正体を発見した。それはオレガノと呼ばれる香草で、幸せを呼ぶものとして暫し結婚式の際の花冠にも使われるものだ。
 スコルピウスの意図に漸く気付いたポリュデウケスは、二階へと続く階段へと目を向けた。勿論、スコルピウスがそこにいない事は承知の上だったが、自然と目が行ったのだ。

 その後、花はデルフィナの手へと渡る事となり、それを見たデルフィナの瞳が目に見えて輝いていたのが印象的だった。デルフィナは暫くの間皆の目に止まる食卓の中央に花を生け、盛りが過ぎてからは乾燥させ、いつまでも大事に飾っていたという。











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