繋いだ温い手






 楽しげに笑う二人の幼子。まったく同じ見た目の、だが性別という差異故に同じではない二人は、幼児特有のおぼつかない足取りで外へと繋がる扉へと向かう。その手にお互いのではなく、自分たちの背よりも上方にある手を握って。

 まるで盾に取られてしまったかのような手の持ち主であるスコルピウスは、両の手を握る自分より遥かに小さく頼りない手に複雑そうな表情を浮かべている。しかしその眼差しに含まれているのは嫌悪では無く困惑の二文字。振り払う事も出来ずに流されるまま、半歩送れる形で二人の歩みに従い足を動かしている。二人がかりとはいえ彼等はまだ力も無い幼子。対するスコルピウスは腕が鈍らぬようにと日々の鍛練を欠かした事はないし、ポリュデウケス達の手伝いで力だってそれなりにあるのだ。嫌ならばその手を外すのは容易である。だがスコルピウスの中にその選択肢は無いらしく、結局は唯々諾々とはしゃぐ二人に従っていた。それが当たり前になる程には二人の存在に慣れてしまったのだという事を、果たして本人は自覚しているのだろうか。

 緊急事態であったとはいえ自ら進んで関わったあの日から、スコルピウスを取り巻く状況は急速に変化していった。その最たるものは、スコルピウスに向けられる双子の態度だった。
 まず始めに、エレフセウスがスコルピウスが傍らになければ眠らなくなった。そして、間を置かず片割れであるアルテミシアも。それからすぐに起きている時にもスコルピウスがいないとその姿を探すようになり。結果、スコルピウスの部屋に二人の寝台が移されるまでそう長い時間はかからなかった。何せ、この世の終わりのように目に涙を溜め必死にスコルピウスを求めるものだから、そんな二人にスコルピウスが絆されたのも無理のない話だ。
 ポリュデウケスは鬱陶しがりながらも生来の気質ゆえに放っておく事も出来ず、結局何くれと世話をするスコルピウスに「完全にお株を取られてしまいましたなあ」などと言ってデルフィナと共に笑っていた。そんな彼等に内心で歯噛みしたのは一度や二度ではなく、故にその後のポリュデウケスとの打ち合いでは苛烈を極めたという。
 始めの内こそそんな二人の態度に機嫌を降下させていたスコルピウスも、純粋に慕ってくる彼等を無碍に扱う事は出来なかったらしい。こうしてその我侭に付き合う事も今では当たり前のように受け入れていた。最近では二人を前にした時のみ、僅かだが笑みを浮かべる事すらあるらしい。

 張り切る双子と、そんな二人に引っ張られながら扉を開けて外へと出て行くスコルピウスの背中に注がれる視線。デルフィナと二人並んで傍目には実に微笑ましい三人の姿を見送るポリュデウケスの脳裏に、この状況に至るまでの日々が甦ってくる。

 ポリュデウケスは、スコルピウスが嫌がる素振りを見せてたのは承知していたが、二人に害を成す事は無いだろうとあえて一切の助け舟を出さなかった。それどころか寧ろ積極的に彼等だけになるように家を空けるようにしていた。
 元々近しい間柄だったポリュデウケスにだけは共に生活する事になってからも変わらず気を許していたようだったが、他の者とはそう簡単にはいかないようで。特に王妃付きであったデルフィナに対しては、隠してはいたようだがどうにも苦手意識が拭えないらしく、自分から進んで関わろうとはしなかった。それも何れ長の時を共に過ごせば変わって行くのかもしれないが、如何せん何事も無く過ごしていける保証はどこにも無い。ポリュデウケス達を取り巻く状況は、いつ何時どのような事態に陥ってもおかしくは無い危ういものであり、小さな綻びすら見逃す事は出来ない。だからこそ、ポリュデウケスは双子がスコルピウスの心情に変化を齎してくれる事を望んでいたのだ。
 そして、そんなポリュデウケスの思惑は確実にスコルピウスの中にあった壁を、少しずつではあったが壊す事に成功したようだった。
 その証拠に、デルフィナに対する態度が目に見えて変わったのだ。
 スコルピウスは、朝にポリュデウケスとの手合わせを行う事を日課としていた。腕を磨くのも勿論だが、どうしても胸に燻り続ける複雑な思いを振り払うように、ただ無心で剣を振るう。雑念がある時は剣を握るのはどうかと常々思っているポリュデウケスだったが、この事に関しては仕方がないと思っていた。スコルピウスにとっての気晴らしになっているのが分かってしまったというのも勿論あるが、今まで強く何かを願うという事が無かったスコルピウスが、これに関しては誰の都合でもなく己だけの為にそれを望んだからという部分が強い。

 王宮にいた頃から常に自分の事を一番後に位置付けていたスコルピウスは、望むという意志が希薄だった。それは全てが、己の命すら自分のものではないと考えていた彼にとって当たり前の事で。望むのすら分不相応なのだと思う傾向あったスコルピウスの、だが生きている限り欲はあるもので。それは生きるために必要なものもあれば、そうでないものもある。ほんの些細なものですら、スコルピウスは周りに漏らそうとしなかった。そして、真の意味でスコルピウスに仕えていなかった周りも、そんな彼の心情に気付く事は出来なかった。数少ない例外がポリュデウケスであり、出来るだけスコルピウスと時間を共有するようにし、何くれと世話をしていた彼だからこそスコルピウスが望むものを察する事が出来たのだ。そうしていなければ、ただ息をするだけの人形となってしまっただろうスコルピウスは、だがポリュデウケスの行動の意図を察してからは、少しずつ血の通った人間になっていった。それでも、場所と己の立場を弁え過ぎていたスコルピウスが、自分の我を通す事は余りにも稀であった。
 そんなスコルピウスがはっきりと自分の意志を示した時、ポリュデウケスは一も二もなく頷いていた。それと共に、湧き上がる喜び。不自由な生活を強いられる現状を嘆いているのではと密かに懸念していたが、やはり良かったのだと思えた瞬間だった。

 それからというもの、毎朝日が出る前にポリュデウケスとスコルピウスは森の奥へと向かう。剣の稽古ぐらいなら家の前にもその程度の広さはあるので出来ない事は無かったが、音で眠っている者達を起こしてしまっては気の毒だ。それに、まだ何も知らない無垢な幼子や戦に直面した事の無いデルフィナに、稽古とはいえ本気で打ち合う姿を見せるのは憚られたというのが何よりも大きな要因だろう。
 それに関してはスコルピウスも同様の考えだったらしく、家の方に異変があればすぐに対応できる程度に離れた、だが家の方からは見えない位置にある丁度良い広さの場所を稽古場と定めた。
 元々ポリュデウケスはスコルピウスの剣術の指南役でもあった為、場所が変わってもやる事は変わらない。基礎を大事にするポリュデウケスに、スコルピウスも反対するでも無く真剣に取り組んでいる。が、今までとは違う部分も勿論ある。それは、剣を握る意味と覚悟。今までスコルピウスに必要だったのは、戦場で最後まで生き抜く事と日常の中で身を守る事だった。だからこそポリュデウケスはずっと己を守る為の戦い方を教えてきた。だが、今は自分以外に守らなくてはならない者が存在していて。彼等には自身を守る術が無い以上、力のあるものが守らなくてはならないのだ。故に、ここに来てからは自身と後ろにいる者を守る為の剣を教えている。勘の良いスコルピウスの事、ポリュデウケスの意図には気付いているだろう。だが、それに関して反対する様子も無く。それどころか、双子に懐かれてからというもの身に付けようとする意識が強くなったように思う。稽古中も、それとなく家の方に意識を向けているのが良く分かり、ポリュデウケスはその度に込み上げる笑いを気取られぬようにするのが大変だった。

 そろそろ夜が明けるという頃になると自然とお互い礼を取り、稽古は終わりを告げる。
 その後、ポリュデウケスから稽古中の注意点などを聞きながら家へと戻るのだが、いつも気付かれないようにと気を付けているにも拘らず、既に起き出していたデルフィナが必ず家の前に立っていた。
 目の前に差し出される布を受け取りながら、ポリュデウケスは横目でスコルピウスの様子を窺う。笑みを浮かべていはいるものの、明らかに緊張した面持ちで布を差し出すデルフィナと、それを無表情に見下ろすスコルピウス。一種の緊張が走る瞬間。いつもの事ながら流石に毎日では疲れてしまうだろうと、ポリュデウケスが声をかけようとしたその時、それより先にスコルピウスが口を開いた。

「すまぬ…」

 いつもなら、軽く顎を引く程度の反応しかしていなかったスコルピウスが礼を言った事に、デルフィナは暫し固まり。その後弾かれたように顔を上げ、だが何も言わずに頭を下げると家の中へと足早に戻って行った。そんなデルフィナの態度が不可解だったのか布を手に彼女の去った方角を見据えていたスコルピウスは、自分の何がデルフィナを驚かせてしまったのかに漸く気付き、逃げるように視線を逸らした。と、

「……何を笑っている」

 逸らした視線の先に笑いを堪えるポリュデウケスを見付け、眉間に盛大な皺を寄せる。そんなスコルピウスの照れ隠しにポリュデウケスは益々笑いが込み上げてくるのだったが、これ以上笑ったら機嫌が悪くなるのを知っているので腹筋に力を入れ何とか笑いを収めると、体勢を整え誤魔化すように咳払いをする。その後、同じく持ったままだった布ですっかり引いてしまった汗を拭う仕草をしながら、家の方へと歩き出す。

「さあ、朝餉の支度が整うまでに着替えてしまいましょう」

 スコルピウスの返事を待たず歩き続ける。そんなポリュデウケスの態度に、何事か言いかけたスコルピウスも結局何も言わずにその後に続く。そんなスコルピウスの気配を背後に感じながら、ポリュデウケスの口元には笑みが浮かんでいたが、背を向けていた事もあり幸いにも気付かれてはいないようだ。

 そんなこともあり、スコルピウスは少しずつここの生活と人に馴染んでいき。今では自らデルフィナに声をかけるようにもなった。喜ばしい事この上ないと、ポリュデウケスは思っていたが、やはりと言うかなんと言うか、デルフィナの方はまだ完全に馴染んではいないようだった。
 スコルピウスがやんごとない身分であるというのと、双子とは違い相応に年を取っている事が原因だろう。それに加え、普段のスコルピウスの愛想の無さに身構えてしまうというのもあるだろう。愛想の良いスコルピウスなど想像出来ないが、もう少し何とかならないものだろうか。このままではお互いに神経をすり減らす一方ではないだろうか。
 そんなポリュデウケスの懸念は、唐突に解消される事となった。











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