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「殿下、このような場所にどのような御用がおありなのですか」

 ポリュデウケスの戸惑いは最もだった。
 スコルピウスが向かったのは、宮殿の中央に位置する、いわば為政者の為の場所。今は王の他に王妃や第一王子であるレオンティウスだけがそこに暮らす事を許されている。恐らく宮殿内のどこよりも重要な場所と言っても過言ではなく。故に警備の数が膨大であろう事は想像に難くない。間違っても極力人目を避けようとする者が立ち入るべき場所とは思えない。だが、スコルピウスはそんなポリュデウケスの声が聞こえているのだろうに、足を止める気も、かといって彼等が納得のいく説明をする気も無いようだ。
 そうこうする内に、スコルピウスは階段のある場所までやって来た。その階段を上れば王の寝所はもう目と鼻の先で、だが丁度交代の時間なのか、見回りの者がやって来る様子は無い。スコルピウスの足は真っ直ぐ階段の方へ。だが上るのかと思いきや、その横をすり抜け最終的にスコルピウスが足を止めたのは、階段の下に隠されるようにあったごく小さな扉の前。周りの色に馴染むように着色されたそれは、一目でそれが扉であるとは分からないように細工されていた。その証拠に、ポリュデウケスはスコルピウスが足を止めて初めてそこに扉があったのだと気付いた位だ。

「ここは?」
「…私が…捨てられずにいた、場所だ」

 訝しげなポリュデウケスに、スコルピウスは僅かな逡巡の後ポツリと呟き扉を押し開けた。

 人が三人も入ればいっぱいになってしまうような小部屋は、噎せ返りそうな量の埃が降り積もっている。人から忘れ去られ、何年も人の手が入っていない事は明白で。一体こんな所に何の用があるというのか。外套で口元を覆う二人に対し、スコルピウスは僅かに眉を顰めただけで、もうもうと埃の舞いしきる中、奥の壁に手を添える。そして何かを探しているのか壁に触れた手を彷徨わせていたが、唐突に、石壁の一部を押し込んだ。すると、壁が微細な振動と共に外側へと開かれてゆく。ポリュデウケス達が驚きに目を見開く中、数瞬前まで確かに行き止まりであった場所に、突如奥行きが生まれる。
 予想外の展開に声も出せずにいる二人に対し、スコルピウスは何の事は無いとでも言うように、無言で止めていた足を再び動かし奥へと進んで行く。
 慌てて追いかけて来る二人の気配を感じながら、スコルピウスは長い階段を確かめるように踏みしめて緩やかな傾斜を進む。硬い石の感触と湿り気を帯びた冷たい空気に、思わず外套の前をかき合わせた。雨に濡れた足元を撫でるように過ぎ去る地下のひんやりとした空気は他者を拒むかのように、容赦なく体温を奪ってゆく。長居するに相応しい場所とは到底思えなかったが、それでもここを通る方が上を行くより何倍もましと言うもの。何故ならここは、王と、それに連なる者のみに連綿と伝えられてきた、有事の際の抜け道なのだから。

 暗く湿った空気の凝る空間。明かりも無い上に、複雑に枝分かれする通路をスコルピウスは迷わず進む。ポリュデウケス達は、迷路のような道を始めから道筋が分かっているかのように進むスコルピウスに不可思議な感情を抱いたが、一刻も早く城から抜け出す事が何よりも大事なこの事態に、無駄な時間を浪費しようとは思わない。従って、彼等はただ黙々と歩を進めた。
 王族を逃がす為だけの目的で作られたその通路は、正しい道順から僅かにも逸れてしまえば、無粋な侵入者を排除するべく用意された罠が口を開けている。存在は聞かされていたが、本来の道筋を伝えられる前に終えた以前の生活。そしてその後の生活の中、スコルピウスの足は幾度となくこの道を辿った。命の危険と隣り合わせになりながらも、いざという時の為にという大義名分で己の心を誤魔化し、出口を求め彷徨った、何度も、何度も。元々有事の際にという目的で作られたこの場所に、地図というものは存在せず。また歴代の王族が書き記したものも一切ない。連綿と続けられてきた口伝の習わしに従い、スコルピウスもまた頭の中に順路を刻み込んでいった。記憶するという部分において人より抜きん出ている事が、初めて役に立ったような気がしたものだ。
 スコルピウスは、初めてここに足を踏み入れた日の事を思い出す。あの時の己は、暗い通路に何かを見たのだ。それは、こうして実際ここを使う事態になって初めて明確な形となった。何の事はない、あれは己にとっての微かな希望だったのだ。その後の行動は、いつでもここを抜け出せるようにする下準備。心の奥底にしまい込み、誰にも、それこそポリュデウケスにさえ曝け出す事が出来なかった、願望の発露。
 生きた屍としての生に興味はなく。いつだって身一つで放り出される覚悟も、自ら抜け出しそれによって泥に塗れる事すらも覚悟し、受け入れようとしていた。飼われていた檻の中から誰の目も気にする必要のない『外』へと抜け出し、スコルピウスは初めてまともに息が出来るのだろうと思いながら、微かな希望に縋り生き続けてきたのだ。
 だが、それは同時に守りたいと思えたものを全て捨て去る覚悟が必要で。己の立場と望みを無意識に秤にかけ、結局スコルピウスは立場を捨てる事が出来なかった。民を見捨てて一人楽になるなど出来ようがなかったのだ。

 それまで何の迷いもなく進んでいたスコルピウスの足が、僅かに乱れる。ポリュデウケスは、追っ手が先回りしていたのだろうかと緊張に身を強張らせながら、スコルピウスの肩越しに前方へと視線を向け、息を漏らした。

「…出口だ」

 ポリュデウケスが何かを言う前に、それまでずっと押し黙っていたスコルピウスが口を開いた。スコルピウスが言う通り、彼等の歩いていた道筋の先がぼんやりと歪み、冷たい風が前方より吹いて来るのを感じる。
 ポリュデウケスの背後にいた人物は、小さく安堵の息を漏らした。何時終わるとも知れぬ闇の中から、漸く抜け出す事が出来るのだ。ポリュデウケス自身、こうもあっさり脱出が叶うとは思っておらず、故に口元が僅かに弛む。
 スコルピウスはそんな二人の喜びを背に受けながら、唇を引き結んだ。その表情は、緊張のため強張っている。
 確実に出口へと近付きながら、己の中、首を擡げる思考。本当にこれで良いのかという、内からの問いかけ。もう迷わないと決めてはみたものの、己の芯の部分をきちんと御しきるには、絶対的に時間が足りなかった。
 スコルピウスは、先程のポリュデウケスとの会話を思い出す。彼は、己の立場に唾棄しながらもそこから動こうとしなかったスコルピウスが間違っていると気付かせてくれた。守るべきと定めていたポリュデウケスが、己を常に気にかけ、見守り、支え続けてくれていたのだという事に漸く気付いてみれば、彼は己が拘り続けていたものをあっさりと否定し、それどころか縛られた立場から抜け出す為に手を差し伸べてさえくれたのだ。それで良いのだと、他でもないポリュデウケスが言ってくれた事は、スコルピウスにとってどれだけ心強かったか。だからこそ、スコルピウスはここに立っている。

 ポリュデウケスが、もう一人と共に出口に向かって歩き出す。スコルピウスはそんな二人の背中をぼんやりと見つめた。
 この出口の先に何があるのかを確認した事はなかったが、抜けてしまえばそこはもう、王の座す宮殿とはまったく違う場所。もう二度と戻らぬ宮殿に僅かに思いを馳せれば脳裏に浮かぶのはレオンティウスの顔。途端湧き上がるのは憎しみと言う名のほの暗い感情。だが、

「もう、いらぬ」

 未だ己の中に燻っているものを振り払うかのように、スコルピウスは強く地面を蹴る。
 いきなり考えを改める事など不可能だが、もう関わらなくても良いのだと思えばいつかそんな己の感情と折り合いがつく時もあるのだろう。それに、初めて自らの意志を持って生きて行くのだ。置いてきたものに心を残しておく余裕など、きっと無い。











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