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 少年は、無言で迷路のような路地を迷う事無く進んで行く。既にどこをどう歩いているのかさえ判らなくなったメルツは、不安がじわじわと己の内を侵食しているのを感じながら、しかし目の前の少年がいたからこそ打破できた事に、感謝の念を抱きその背を見つめる。
 ふと抱いているエリーザベトの身体が微かに震えているのを腕に感じ、少年の背中からエリーザベトへと視線を移せば、薄暗い中に浮かび上がるエリーザベトの顔色が、青褪めているように思えた。

「エリーゼ、大丈夫かい?」
「え?ええ…」

 湿り気を帯びたひんやりとした空気が肌を撫ぜるのを感じながら、エリーザベトは不安気に辺りを見回す。メルツが傍にいるとはいえ、凡そ見当も付かない場所に連れてこられた気持ちは押して図るべきというもので。
 これからの事を考え、少年の真意を知るべく口を開きかけるも、それが音となる前に少年が口を開いた。

「あんた、じさまの知り合いなんだって?」

 少年が突然足を止め、振り返った。突然の事に僅かにたたらを踏んだメルツは、少年の言葉に直ぐにそれが誰の事であるかを悟り、ゆっくりと頷いた。

「あの無茶しいな爺さん。あんたに協力したいからって、俺達まで駆り出してさ」

 まったく参るよな。と、肩を竦める少年の表情は、言葉とは裏腹に何処か楽しそうで。メルツの脳裏に、エリーザベトを助けてくれと言った時の姿が蘇る。あの老人は本当にエリーザベトを心配し、メルツを信用してくれているという事が良く分かった。

「あのご老人は、君の…?」
「うんにゃ、しいていえば……師匠?みたいなもん、かな?」

 少年自身も自分にとっての老人の存在をどう説明すべきか考えあぐねている様で、何とも曖昧な物言いをした。だが、少年の態度を見れば老人に信頼を置いている事は明白で、ならばメルツがそれ以上言及する必要も無い。

「何にせよ、君のお陰で助かった。ありがとう」
「私からも、ごめんなさい私の所為で危険な目にあわせてしまって。でも、助けてくれてありがとう」

 少しは不安が払拭されたのか、メルツに続き、エリーザベトも柔らかな微笑を浮かべている。少年はそれを目の当たりにし慌てて視線を逸らした。よく見ると闇の中でもはっきりと認識出来るほどに頬に朱が差している。

「と、とにかく港に行くんだろ?じさまが知り合いの船長と話つけてあるって言ってたから、その船まで案内するよ」

 少年は、足早に歩き出した。メルツは、老人の慧眼に改めて舌を巻きながら、エリーザベトと視線を交わし、少年に遅れないよう歩きだした。


 路地を進む内、僅かに開けた場所へと至る。その時、視界に飛び込んできたものに、2人は頭上を振り仰いだ。視界を埋め尽くさんばかりに降って来たのは、色とりどりの花びら。どうやら上窓から身を乗り出した街の人々が、手に持った籠いっぱいのそれを降らせているようだ。
 逃亡中な事を考慮してか控えめな歓声に、それでも2人にとって驚くには充分で。突然の事に目を白黒させる2人。

「皆、あんた達に幸せになって欲しいんだってさ」

 見れば、悪戯が成功したかのように、得意げに鼻の下を擦る少年の姿が。気付けば路地は街の人々で溢れかえっていて、人々の表情は一様に明るかった。
 ドレスの裾を引かれ、視線を下へと向ければ満面の笑顔を浮かべ花を差し出す少女の姿が。メルツに屈んでもらいその花を受け取ると、少女は嬉しそうに歓声を上げた。少女がくれたのは真っ白な野薔薇。エリーザベトの瞳に透明な雫が盛り上がる。

「聖女様、どうかお元気で」
「聖女様がいつでも笑っておられるようよう、お祈りしております」

 優しい言葉と共に送り出してくれる街の者達に、エリーザベトは泣きながら笑う。エリーザベト本来の性質そのもののような心からの笑顔は、見ている者全てを魅了し、同時に見る者全てに幸福な笑顔を齎した。

「聖女様を泣かせんじゃねえぞ!」

 聞き覚えのある声に視線を向ければ、そこにいたのは酒場で笑っていた男達だった。

「あ…」
「嫌がる聖女様を拐かすってんなら容赦しねえんだが」
「聖女様はおめえが良いんだとよ」
「あーあ、俺の方がよっぽどいい男だってのによ」

 赤ら顔の男達が冗談交じりに、それでも真剣な眼差しをメルツに向けている。
 男達はメルツと場所を同じくしていた事に気付いているのかいないのか、だがそんな事はどうでも良かった。今ここにいて、祝福してくれているのだから。

 時間が余り無いという事もあり、少年に促され人々の間を縫いながら歩き出すメルツ。エリーザベトはメルツにしっかりと掴まりながら人々の姿を目に焼け付けようとするかのように、何度も視線を巡らせている。
 未だ状況は完全に安全であるとは言い難かったが、それでも心は余程軽くなっていた。自分が何を為そうとしているのかを知っていて、それでも手を差し出してくれる存在がありがたく、彼らの恩に報いる為にも無事逃げ切らなくては。そう、改めて思った。











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