陽気な彼等は何処へ行くのか






 港には、珍しい形の船が一隻。

 今日は祝いの日ということあり、普段よりも多くの船が停泊していた。他国からの船も多い為、普段なら変に目立ってしまうであろうその船も、他に紛れて普段より曖昧なものとなっていたのは幸いだったか。
 だが、注意深く観察していた者ならば直ぐに気付いた事だろう。その船に乗る水夫達が他とは違う雰囲気を纏っている事に。

「船長ー」
「何だ、見えたのか?」

 見張り台に立つ者の間延びした声に、船長と呼ばれた人物は視線を港に据えたまま、それに答える。

「あれが船長の言ってた奴等かはわかんねえですけど、街のもんが大勢こっちに向かって来やす」

 男は見張りを任せた部下が指し示す方向に、視線を向ける。と、確かに誰かが近付いてきているのだろう。落ち着きの無い空気が広がっているのを感じた。

「それと」
「あ?」
「お城の騎士団みてえな奴等もこっちに向かってるみてえです。まだ遠いが、ありゃ例のお客さん目当てじゃねっすか」

 僅かに警戒の滲む声色。男の位置からはその様子を見る事は出来なかったが、誰よりも眼のいい部下がそう言うのだから、それは確かな事なのだろう。
 男が軽く上げた右手を、薙ぐように振る。すると、傍で控えていた伝令の者が素早く動いた。瞬間、船内で忙しく歩き回っていた船員達の纏う空気が俄かに変わる。どこか暢気な空気は完全になりを潜め、変わって警戒と緊張が甲板上に伝播していく。
 予め決められていたいくつかの命令。それに従い動き出す船員達の様子は、統率された兵団もかくやと言わんばかりで。男はその様子を満足気に一瞥すると、再び視線を港の方へと向ける。正直厄介な、と思わなくも無かったが一度乗りかかった船だ、下りる気は毛頭無い。国に繋がれるという事を好いていないどころか嫌悪さえしている男は、意地悪そうな笑みを浮かべ、今はまだ見えない筈の兵達がまるで目の前にいるかのように、獰猛な光を瞳に宿し、睥睨する。
 そうこうする内に、本来の目的だった筈の彼等はもう既に傍までやって来ていた。


「メル、大丈夫?」

 僅かに上がる息をすぐ傍で聞きながら心配そうに見上げれば、言葉の代わりに返ってくる笑顔。
 随分長い間エリーザベトを抱え走っているメルツは、街の者達がどんなに代わりを申し出ても決してエリーザベトを離そうとはしなかった。
 片時も離れたくないと思っている事がありありと伝わってきて、嬉しい反面、心配になるのも仕方が無い事。
 元々それほど逞しくは見えないメルツは、端から見てそれほど体力は無いように見える。それなのに足を挫いたエリーザベトを抱え、更には街の者達の協力があるとは言え、この先何が待ち受けているか分らない逃亡の途中なのだ。体力的にも精神的にも辛いのは目に見えている。
 あの時足を挫いてしまった事が返す返すも悔やまれる。それさえなかったら、メルツに余計な負担をかける事も無かったのに。
 悔しげに表情を歪め俯いていたエリーザベトは逃亡の終着点が近付いている事に気が付かなかった。

 街の者達に守られるようにして走っていたメルツは、漂ってくる潮の匂いに安堵の表情を浮かべた。と思えば、薄暗い路地裏に光が差し込み始める。どうやら路地はここで終わりのようだ。

「エリーゼ、港に着いたみたいだよ」

 腕の中のエリーザベトに視線を向ければ、今始めてその事に気が付いたのだろう。驚く顔が眼に止まる。港の方へと視線を向けるエリーザベトの瞳に僅かに見え隠れする隠し切れない興味。そういえば、森で暮らしてきたエリーザベトは海を見た事が無かった。この城に居を移してからも、城下に下りた事は余り無かったようだし、それならば海を見るの事態初めてなのかもしれない。そう思い至ったメルツは、その様子が可愛らしく思えて口元に笑みを刻む。

「目を瞑っておいた方がいいよ」
「え?」

 そっと耳元で囁けば、首を傾げるエリーザベト。何故なのか思い至らないまま、メルツが瞼を下ろしたのを見て同じように習う。メルツが路地から一歩足を踏み出した時、その理由は容易に知れた。
 薄暗い路地から一歩表に踏み出せば、光の洪水が2人を包み込んだ。太陽の光を反射し、尚一層の光を投げる海はいっそ暴力的で。もし目を開けたままであったなら光に目をやられ、暫く視界が効かなかった事だろう。
 何とか光に慣れようと瞬きを繰り返していると、メルツが足を止めたのを感じた。どうやら、目的の船へ知らせに走った街の者を待っているようだ。
 何となく手持ち無沙汰な中、エリーザベトは海が気になるのか、ちらちらと視線を向けている。

「ねえ、メル。海は塩辛いって本当かしら?」
「ああ、試しに舐めてみた事があるけれど、すごく塩辛いんだ。後で舌が痛くなったよ」
「そうなの…」

 どうやら自ら試してみたかったようで、メルツの体験に残念そうに肩を落とす。そんなに塩辛いと分かっていては、容易に舐めてみたいとは思えなくなった。それでも、空の青より尚深い紺碧に興味は尽きず、メルツも初めて海を目にした時の驚きを思い出したのか、エリーザベトに習って海を見つめていた。

「よお、あんたらか。駆け落ちするってぇ2人は」

 突然の声に、完全に油断していた2人の肩が驚き跳ねる。慌てて声のした方を振り仰げば、視線の先、船の手すりに身を預けてこちらを覗き込む男が1人。男は視線がかち合うと、皮肉気に片頬を引き上げ、ひらりと手を振るなり身を翻した。
 どうやら上がって来いという事らしい。困惑の表情を浮かべるメルツがどうすれば良いのか視線を彷徨わせていると、ずっと自分達を先導してくれた少年の姿が眼に止まる。
 少年は、船を指差し頷いていた。どうやらこの帆船こそが目的の船であったようだ。
 メルツは、自分達をここまで連れて来てくれた街の者達に、改めて頭を下げた。すると、再び野次のような声が其処此処から上がる。メルツはそんな人々の送り出す声を聞きながら、改めて船の方へと向き直る。
 ふと視線を落とせば、僅かに不安の色を浮かべ、それでも気丈に顔を上げているエリーザベトと視線が合う。2人はどちらからともなく頷き合った。メルツはエリーザベトを抱え直し、歩き出す。向かう先は船の甲板。



「家の都合で引き裂かれた哀れな2人が、祝いの騒ぎに乗じて手に手を取って逃げるんだとばっかり思ってたんだが、まさか聖女様御自ら御出奔なさるとは、ねえ」

 男は2人が甲板に辿り着くなり、そんな言葉を投げかけた。
 男はやれやれと肩を竦めると、不躾な眼差しをエリーザベトへと向ける。
 エリーザベトは、湧き上がる罪悪感に視線が落ちる。確かに、今回の事で確実に迷惑を被る人々がいて。街の人達だって、エリーザベト逃亡を手助けした事が露呈すれば唯では済まないだろう。何の力もない己では、誰一人助ける事は出来ない。エリーザベトは申し訳なさに唇を噛んだ。
 メルツは、そんなエリーザベトの気持ちが手に取るように理解でき、その原因となったのが己である事を充分に理解した上で、男に対する怒りが湧き上がってくるのを感じていた。眉間に皺を寄せたまま、男を見る。
 男の口調は相手がエリーザベトだからという事を配慮してか、幾分か丁寧ではあったが、逆にそれが何とも癇に障る。一見丁寧なそれに敬意は欠片ほども感じられず。それどころか馬鹿にし、見下しているようにも感じられた。
 街の人達がエリーザベトを「聖女様」と呼ぶ時、そこから滲み出ていたのは、確かな敬意とそして好意。それがとても暖かかったのを覚えている。
 だが、今の彼からはそれは僅かも感じる事は出来ない。

「ま、高潔と名高い聖女様も所詮は―――」
「エリーゼ自身が自分の幸せを願う事が、そんなにいけない事ですか」

 メルツは、それ以上の侮辱をエリーザベトに聞かせたくは無くて、男の言葉を遮った。
 遮られた男は不愉快そうに目を眇める。メルツより頭一つ分大きい男は、そうしているだけで威圧感を感じさせる。でも、メルツは決して目を逸らさない。

「僕の事は何と言われようと構わない。でも、彼女を侮辱するのだけは許しません」
「へぇ?じゃあどうするってんだ」

 男の纏う空気が変わる。数瞬前までのふざけた様子はなりを潜め、鋭い眼差しと意図的にぶつけられる痛いほどの殺気に、メルツの喉が思わずといったように鳴る。
 殺気を放つ相手と対峙する機会など殆ど無いに等しかったメルツは、心臓を鷲掴みにされたような感覚に、知らず身体が震えてくるのを感じる。
 それは抱き上げているエリーザベトにも、勿論伝わってしまっているだろう。本当は、精一杯の虚勢を張ってでも大丈夫なのだと思わせたかった。でも、まるで喉元に刃物を宛がわれている様な感覚は、そんな些細な意地さえも剥ぎ取ってしまった。

「まあ良い。んで?その幸せとやらは俺達の協力なくしては掴めないようだが、俺達もまさか聖女様とは思ってなかったんでね、そこまで重要だと少々覚悟もいるってわけだ」

 ふと、男の纏う空気が弛み、メルツは知らずつめていた息を吐く。が、男の言葉に再び緊張が這い上がってくるのを感じた。

「騎士団の方々が、もうすぐここにご到着なさるようだが、あんたは俺達にそこまでのリスクを背負ってでも、逃がせと。そう言うんだよな?」

 意地悪な問いかけ。笑顔を浮かべ、だが目は欠片も笑っていない。真剣に、メルツに問いかけていた。折角辿り着いたのに、後一歩で自由になれるというここで捕まってしまうのは嫌だった。それは身の危険を冒してでも逃がしてくれた、街の人達の心を裏切る事にもなる。だが、目の前の男はメルツの返答次第では欠片の躊躇いも無く、メルツ達を差し出すだろう。メルツは命を奪われる事は当の昔に覚悟していたが、エリーザベトに待っている先は、生き地獄といっても過言ではなく。それだけは、許容する事が出来ない。ならば、メルツが取れる答えは一つしかなかった。

「僕はどうなっても良い。でも彼女は…」
「メル!?」

 弾かれたように顔を上げたエリーザベトの視線の先、穏やかにエリーザベトを見つめるメルツ。その眼差しは自暴自棄になったそれではなく、寧ろ全てを受け入れた者のそれ。メルツに、迷いは欠片も無い。
 だからといって、それをすんなり受け入れられる訳は無く、エリーザベトは必死な様子で口を開いた。

「そんな!」
「はっ、つっまんねぇ…」

 だが、エリーザベトの唇から言葉が紡がれるのを遮るように、目の前の男が心底くだらないと言わんばかりに吐き出した。見れば、数瞬前までの表情とは一変し、嫌そうに顔を顰めている。
 メルツは、あからさまに馬鹿にされているという事が分かるそれに、頬が朱に染まるのを感じた。
 己の真剣な想いをくだらないとはどういう事か。そう問いかけようとしたが、それより先に男が話は終わりだとばかりに踵を返す。

「何でそんな風に言われなきゃならねえって顔してるが、その理由がわかんねぇんだったらそれまでだ。今のままじゃ、どうしたって及第点はやれねえな。もし理由が分かったら、答え合わせ位してやるよ。もうすぐ出航だ、邪魔になるから開いてる船室にでも引っ込んでろ」

 傍らに立つ部下に何事か指示すると、男は完全に意識を別の方へと向け、そのまま2人に一瞥も寄越さず立ち去ってしまった。
 男が指示したのはどうやら2人への案内だったらしく、指示された部下が2人に付いて来るように声をかけ、船内へと向かって歩き出す。
 完全に出鼻を挫かれた形となったメルツは、部下に促されるまま歩きながら、脳内で先程の男の言葉を反芻していた。メルツの覚悟を男はくだらないと言った。今思うと、そこには呆れが多分に含まれてはいたものの馬鹿にしたような雰囲気ではなかった。ならば、何故男はわざわざあんな事を、しかも思考のヒントのようなものまで寄越して。
 そんなメルツをエリーザベトが心配そうに見上げていたが、返す笑顔も言葉もどこか上の空だった。

「さてと。お前ら、気合入れて行けよ。もしあんな下らねぇ連中に捕まるような事態になりやがったら、どうなるか分かってんだろ?」

 男は船員達に発破をかけながら、先程立ち去った2人が潜った扉へと視線を投げる。まったく、青いというか何と言うか。2人の間には侵しがたい絆があるのは良く分かったが、お互いを大切に思う余り肝心なところが抜け落ちてると感じた。

「答えが見つかるかどうかは、お前さん次第だぜ」

 男は今はいないメルツに向かって語りかける。それは、先程とは打って変わって優しい声色だった。











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