意外な参戦者






 抜けるような青空が広がる昼下がり。湿度が余り高くないお陰か、気温が高いにも拘らずさほど不快には感じない。そんな雲一つ無い快晴の中、降り注ぐ光を厭うかのように陰から陰へと移動する影が2つ。


 もうどれだけの時間走り続けたのだろうか。ドレスの裾を抱える腕は、半ば感覚が無くなっていた。
 大方の予想の通り、門へ近寄る毎に増える兵士の数に、正面突破は無理だと悟った2人は爪先を港へと向けた。
 今日は港に停泊してる船も常の倍以上の数となっている筈。運良くそのどれかに潜り込む事が出来れば2人は街から逃れる事が出来るだろう。
 その考えは決して間違ってはいなかった。だが、2人が港に至るまでにはまだ遠く、しかも街の構造をしっかり把握出来ていない2人にとって、まるで迷路のような路地を当てもなく彷徨うのは危険だった。
 両側に佇む無機質な石壁は何の特徴もなく、あまつさえ同じ所を走っているだけではないのかという錯覚を覚えるほどで。
 このままでは埒が明かないと判断した2人は、結果、より危険な、だが確実な道を行くに至った。

 2人に並行するように伸びる石塀。メルツは走りながら、時折その石壁に視線を向けた。
 何所かに綻びでもないものかと言う淡い期待は、未だに叶えられる事は無く。分厚いそれは2人の想いを打ち砕かんと、強固な身を晒している。壁一枚隔てた向こうには、今最も切望している自由が広がっていると言うのに。
 結局は、聞こえてくる音に細心の注意を払いながら物陰に隠れ兵をやり過ごしては走るを繰り返し、地道に目的の場所へ向かって行くしかないのだ。
 しかし順調に思われたそれも、唐突に現れた大きな通りの所為で再び唯ひたすらの逃亡を余儀なくされたのだった。


 先程より大きくなっている気がする騒がしい足音。確実に追い付いて来ているのだと感じさせるそれに、エリーザベトは思わず背後へと視線を向けた。その時、

「きゃっ!」

 手から滑り落ちたドレスが足に絡みつき、エリーザベトはつんのめる様に前へと倒れ込む。幸いドレスのお陰で直接地面に叩き付けられる事こそ逃れたが、その拍子に繋がれた手が離れてしまった。

「エリーゼ!」

 後ろに引かれた後離れた手にメルツは後ろを振り返り、エリーザベトが地面に手を付いているのを見て取ると、慌てて踵を返しその前にしゃがみ込んだ。

「ごめんなさい」

 心配そうに顔を覗き込むメルツに申し訳なく思いながら、差し出された手に掴まり立ち上がろうと、体勢を整えようとした。が、足首に感じた僅かな違和感。その正体に思い当たったエリーザベトの表情に、焦りの色が浮かぶ。
 どうやら転んだ拍子に足を挫いてしまったようだ。自覚すると同時に踝付近に熱が集まり、あたかもそこに心臓があるかのように脈を打ち始める。
 立ち上がろうと足に力を入れるも、返ってくる鋭い痛みに中々思うようにいかない。
 己の不注意が呼んだ状況に、エリーザベトは不甲斐なさに唇を噛んだ。過ぎてしまった事は今更どうにもならないが、あの時もう少し気を付けていればこの状況は防げていたのに。これでは、もう走る事は出来ないではないか。折角ここまで来たというのに。
 そんなエリーザベトの様子に、逡巡は一瞬。意を決して、メルツはエリーザベトが転ぶ原因となったドレスへと手を伸ばした。
 長い裾を手繰り寄せるメルツに、エリーザベトはその真意が掴めず首を傾げた。
 メルツは結婚衣裳特有の、長く引いた裾をエリーザベトに抱えるように持たせ、不思議そうに首を傾げるエリーザベトの眼差しを避けるように視線を逸らす。そして一言。

「ごめん」
「え?きゃっ!?」

 一体何を謝る必要があるのか。聞き返そうとした視界が揺らぐ。驚き伸ばした手が触れた乾いた布の感触。陽の光が遮られているのを感じ、顔を上げれば息がかかるほど近くにあるメルツの顔。
 エリーザベトはその段になり、漸く気が付いた。己の身体がメルツによって抱き上げられている事に。

「メ、メル」

 突然の事に戸惑うエリーザベト。その頬は、羞恥の為か赤く染まっている。幼い頃はともかく、年頃の女性へと成長してからはこのような扱いをされた事は無かった。しかも相手が好もしく思っている男性となれば、この反応も頷けるというもので。
 恥ずかしくてまともにメルツの顔が見れなかった。その為、エリーザベトは気付かない。己以上に赤くなった顔のメルツに。
 それもそうだろう。非常事態とは言え、手を繋ぐのだって先程の抱擁と同様、このような状況でなければ照れが先行してしまうであろう彼が、女性―しかも相手は憎からず想っているエリーザベトで―と長時間密着するような状況を自ら作り上げてしまったのだから。先程は焦りの為気が付く事の無かった甘い香りが鼻腔を擽り、メルツの心臓が大きく跳ねた。

「少し揺れるけど、ごめんね。なるべく早く着けるようにするから」

 幸いにも腕の中にいるエリーザベトは、そんなメルツの精神状態に気付いてはいないようで。ならばと移動を再開するべく前を見たまま早口で捲くし立てる。と同時に、一向に治まる気配が無く早鐘を打つ心臓を誤魔化すかのように走りだした。
 突然走り出したものだから、エリーザベトが驚き、慌ててメルツの腕に縋る。その温もりを感じ、メルツの頬が益々赤く染まった事など、恐らくエリーザベトは気付いていない事だろう。何故なら、彼女は彼女でどうしても気になる事があった。

 今の状態でそれを言うのは間違いなのだという事は重々承知している。逃げるにはこうするしかないと言う事も。でもどうしても…
 エリーザベトが思い悩んでいたその時、丁度分かれ道へと差し掛かり、メルツが辺りを窺う為足を止める。エリーザベトは小さく深呼吸すると、意を決して顔を上げた。が、丁度己を見ていたメルツと視線があった途端、思わず再び顔を伏せてしまう。
 エリーザベトが何事か言おうとしているのを雰囲気で察したメルツは、周囲を警戒しながらその言葉を待った。
 視線を泳がせ、何とも言い難そうにしてるエリーザベトに、その真意を察せずメルツが小首を傾げる。やがて少し落ち着いたのだろうか。挙動不審だったエリーザベトは、潤んだ眼差しをメルツに向ける。

「でも、あの………重い…でしょう……?」

 尻すぼみになる声と、上目遣いでこちらを見る眼差しが可愛らしく、メルツの口元が笑みを象る。
 そんな事をと笑ってはいけない。女性として気になると言うのも勿論、メルツを気遣っていると言うのも多分に含まれているのだから。だからこそ、

「そんな事は無いよ。寧ろ軽すぎる位さ」

 メルツはエリーザベトへ、飛び切りの笑顔を向けた。実際、この街まで旅をして来た過程で随分鍛えられたようで、エリーザベトを横抱きにして走っても、それ程の負担には感じていなかった。
 それに、喩え辛かったとしても、エリーザベトと離れなければならない可能性を考えれば、これくらいどうと言う事は無いだろう。
 エリーザベトがほっとしたような表情を浮かべるのを視界の隅に捕らえながら、メルツは港へ通じていると思われる方へと足を向ける。


 追いかけて来る兵士の姿が視界に入る。メルツは舌打ちしそうになるのを堪えながら、活路を見出そうと辺りに視線を向けた。
 どうしようもなかった事とはいえ、見通しの良い通りを行くにはもう少し注意が必要だった。音と気配には注意を払っていたつもりだったが、一度見つかってしまえばそんなものは何の役にも立たず。真っ直ぐ伸びた道では、撒く事も容易ではないだろう。
 このままではいずれ追い付かれてしまう。そう思ったメルツは、一か八かで目に付いた路地に飛び込もうと端へと駆け寄る。こうなったら袋小路では無い事を願うしかない。だがその覚悟は背後から聞こえて来た音により中断を余儀なくされた。

 それは随分と大きな音で、それが何であるかを確かめる前に、更なる音が重なる。金属同士がぶつかるその音は、最初のそれよりも随分大きく、そして長かった。そしてその中に混じる怒声。一体何が起こっていると言うのだろう。
 漸く収まった音に、恐る恐る振り向いた2人の眼差しの先にあったもの。もうもうと上がる土煙、散乱する籠や果物、陶器といった恐らくこれは立ち並ぶ屋台の商品か何かだろう。その向こうに見えるのは鈍色の甲冑、いやそれを着た兵士達だろうか。前の者に躓くようにして次々と倒れたと思われる兵士達。
 土煙が収まりを見せた時、ガラクタと化した物の上で身を起した人物に、メルツの瞳が驚きに見開かれる。

「おい爺さん、どうしてくれるんだ!商品がめちゃめちゃじゃねえか!!」

 どうやら屋台の店主らしき人物が戻ってきたらしく、散々な状況になってしまった己の店の状況を嘆き、原因となった老人に詰め寄っている。
 メルツは困った表情を浮かべる老人を助けようと足を踏み出しかけるが、それよりも先に起き上がった兵士が老人へと向かい何事か言い始めた。老人は、そんな兵士の言葉に驚いたように口元に手を当て、次いで申し訳なさそうに頭を掻く。

「ほう、こりゃあ騎士の方々じゃたか。これはこれはすまん事をしたのう。この通り儂は目が良く見えんでな、どうやらうっかり躓いてしまったらしくての。巻き込んでしまった方々には申し訳ない事をしたわい」

 そこでメルツは気が付いた。老人が立つ位置は通りの丁度真ん中で、どういう転び方をしたのか広くはない路いっぱいに物が散乱している。これでは決して身軽ではない兵士がそこを通るのは一苦労と言うもので。

「こっち!」

 老人の意図が何であるのかを察したメルツの耳に、飛び込んできた声。聞こえた声の方に向けた視線の先。そこには小さな少年が、どこか必死な様子で手招きをしていた。
 その意図を掴めずに、戸惑いの表情を浮かべながら立ち尽くすメルツに業を煮やしたのか、路地から一歩足を踏み出した少年がメルツの袖を掴むと路地の方へ強引にメルツを引っ張って行こうとした。
 腕の中にいるエリーザベトを落とすわけにもいかず、メルツは抵抗する事無く少年の後について路地の薄闇へと。ふと視線を戻したメルツの視線の先に老人の姿。詰め寄る兵士を屋台の主人の後ろに隠れながらやり過ごしていた老人は、顔を上げメルツへと視線を向けた。目が合った瞬間、老人が笑ったような気がした。











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