再会へのカウントダウン






 外套を目深に被り、その人物は門を潜った。
 あからさまに不審な様相に門を守る衛兵は怪訝な顔をしたが、持っていた通行証が城勤めの物が持つそれであった事もあり、大っぴらに咎める声は上がらなかった。
 衛兵は、足早に門をくぐるフードの男に訝しげな眼差しを向けていたが、すぐに他の通行人から声がかかり、あっさりとその視線を外した。
 何と言っても、今日は聖女と誉れの高い候女様の結婚式。普段の比ではない量の人で溢れ返っている。いくら不審だとはいっても、いちいちかかずらっている時間はない。
 それに、フードの男が所持していたのは万が一にも偽造される事がないようにと配慮されている特別なものであったから、これ以上詮索する必要もない。
 フードの人物は、被っていたフードの端を軽く持ち上げ門の方を窺い、衛兵の注意が自分からそれた事を確認すると安心したように息を漏らし、再びフードを被り直すと賑やかな通りへと歩き出した。

 まるで祭りが催されてでもいるかのように様々な屋台が立ち並ぶ一角まで来て、漸くフードの人物は足を止めた。
 その通りは人で溢れかえっており、皆笑顔を浮かべている。さり気なく周囲を見回し、誰もこちらを注視する者がいない事を確認すると建物の間へと足を踏み入れる。
 賑やかな通りから一歩逸れればそこに人の気配は無く、木箱の上にいた野良猫が突然の闖入者に身を硬くし警戒の眼差しを向けてきたが、それに気付いて黙って視線を合わせれば、素早く身を翻し闇の中へと紛れて見えなくなってしまう。
 数瞬前まで猫がいたそこにバサリと落とされた古めかしい外套。フードの下から現れたのは、闇色の中に幾筋かの白の混じった髪。しかしその髪の持ち主は年若い青年であった。瞳の色は鮮やかな銅(あか)。日に照らされる度色の深みが変化するその色は、不吉なものと例えられる事もあるであろうに、青年の気質そのままに澄んだ輝きを秘める瞳は、純粋に美しかった。いっそ病的なまでに白いその肌の色は、見るものに儚げな印象を与えても不思議は無かったが、しかし並々ならぬ決意を秘め立つその姿がそれを払拭していた。青年、メルツは、遥か遠くに聳え立つ王城を見つめ、感慨深げに息を吐く。

「やっと、着いた…」

 ここまでの道のりは、決して穏やかなものとは言い難かった。何せ闇に囚われてからというもの、否生まれた時分より1人旅というものをした事がなかった。母と一緒に居を転々としたものだったが、その頃の青年は視力というものを持ち合わせてはいなかった為、所詮は母親に頼りきりであった。
 思えばあの時の己は守られ、何不自由なく暮らしていたものだった。今になり、母の苦労を痛感する事になろうとは。

 そんな優しい母も今はいなく、世間知らずと言われても否定出来ない程度の処世術しか身に付けていない青年にとって、いくら旅の目的が己にとって何よりも優先すべき事だとは言え、その苦労は推して図るべきというもので。だが、何はともあれ辿り着く事が出来たのも事実である。
 青年は、外套を畳むと小脇に抱えた。これから自分が成そうとしている事を考えると、指先が冷えていくのを感じる。視線は自然と地面の方へ。もし上手くいかなかったら…メルツの思考に闇がそっと忍び寄って来た。でも。

 悪い方へと向かう思考を切り替えるようにメルツは強く頭を振り、顔を上げた。ここで立ち止まる訳にはいかなかった。
 愛しい彼女の為にも。そして何より、そっと背中を押して送り出してくれた、かの老騎士の恩に報いる為にも、俯いていては駄目なのだと、握った拳に力を入れれば、その中にある固い感触。手の中に視線を落とせば、青年の体温を受けほんのりと熱を持った通行証が眼に止まる。と同時に脳裏にそれを手渡してくれた時の、彼の心配そうな眼差しが蘇ってくる。


「私が共に行ければ良いのですが…」

 恐らく、自分には監視の目があるのだと、ワルターは悔しそうに表情を歪めた。
 何故、と問うまでもない。彼女にとって、誰も顔見知りの者がいない中、唯一幼い頃より自分を知っているワルターの存在は、どれ程の支えになっていたのかを推測するのは容易で。ワルターが言う通り彼女がこの婚姻を望んでいないとするならば、彼女の兄であるかの王が誰よりも彼を警戒するのは火を見るより明らかだった。

「いいえ、本来なら助力を望める立場では無いのに、これをお貸し下さるだけで、僕にはもう勿体無いまでの助けとなっています」

 何せ、今の自分には己を証明するものが無いのだ。そんな自分がそう容易に王の膝元ともいえる場所に立ち入る事が許されるとも思えない。それに、彼に会えなければ彼女がどのような状況下にあるのかを知る事すら出来なかったのだ。
 その事を考えても、この場所でワルターに会えた事はメルツにとってこの上も無い僥倖だと言っても大袈裟ではないのだ。

「お嬢様は諦めてしまっているのです。君がいなくなってしまった為に。恨み言を言いたい訳ではないのです。君にとって本位ではなかった事は重々承知しておりますから。だからこそ、君にここで再会出来た事が、君が今でもお嬢様を想っていてくれている事が、どれ程嬉しいか」

 ワルターは、柔らかな笑みを浮かべ、メルツを見つめる。その言葉が真実である事は、ワルターの表情を見れば一目瞭然であった。まるで久方ぶりに会えた孫との再会を喜ぶ祖父のような、とても優しい眼差しに、メルツは思わず目を逸らしてしまう。そうしなければ、折角乾いたものが再び溢れ出してしまいそうだった。

「私は唯一の、剣を捧げた方を守る事が出来ませんでした…」

 それが果たして誰であったのか、名を聞くまでも無く察しは付いていた。大罪を犯す事になると知っていようとも、かの人の願いを叶える為に出奔し、その願いのまま傍らで護り続けた相手を失う悲しみはどれ程辛いものであろうか。
 騎士ではないメルツにはそれを想像する事しか出来なかったが、ワルターがいかに誇りを持ってその人物、彼女の母親に仕えていたのかは、記憶を取り戻したメルツの中に刻まれていて。だからこそ、命を捧げた相手が、死出の旅に向かってしまったワルターがその後を追う事無く未だ生き続けているのが、何の為であるかなど考えるまでも無い事だった。

「ソフィお嬢様をお助けできなかった私が、こんな事を言う資格が無いのは重々承知しております。ですが、ソフィお嬢様が大切に慈しみ、守り続けた大切なお嬢様を助けていただきたいのです。これは他の誰でもない、貴方にしか出来ない事なのです。ですから、どうか、どうか…」

 ワルターは、メルツに向かって深々と頭を下げた。若輩者の己に対し躊躇う事無くそう出来るワルターの度量の広さと、彼女に対する深い愛情に、彼自身がそう出来ない事をどれ程歯痒く思っているのか痛いほど伝わってきたメルツは返す言葉が見つからず、

「必ず」

 と頷く事しか出来なかった。


 旅に必要な物等の知識が皆無と言っても良いメルツの為に、ワルターは己の持っていた荷物から必要な物を渡してくれた。
 一度は断ったメルツだったが、身一つの状態で決して近くは無い目的地に辿り着ける自信は無く結局はワルターの厚意に甘えてしまった。
 だが、そのお陰でこうして無事、ここまでやって来れた。

『行ってらっしゃい。お嬢様と無事お会いできるよう、祈っています』

 森の外まで送ってくれたワルターは、そう言ってメルツを送り出してくれた。
 そんなワルターの恩に報いる為、そして何より幼い頃の約束を果たす為、メルツは明るい通りへと足を向けた。


「いやー、何ともめでてぇ話だなぁ」

 まずは情報収集をしようと入った食堂で、そんな声を耳にしたメルツの動きが不自然に止まる。扉を押し開け一歩踏み込んだ状態のまま、まるで油の切れた操り人形のようにぎこちない動きで、声のした方へと首を巡らせる。
 視線の先には、祝いに託けて昼間から酒を飲んでいるらしい一団がいた。どうやら、先程の声はそこから聞こえてきたらしい。

「ほんとになあ。最近はきな臭い話ばっかでよ、あんまし明るい話題は無かったからな。何でも聖女様のお相手は見目麗しい美丈夫ってんじゃねえか。その上悪い噂一つ無いときちゃ、幸せになんねえって方が無理ってもんだろ」
「そうそう、しかも惚れたのは向こうからだってゆうじゃねえか。なかなか良い目をしてやがるのも確かだぜ。何せ聖女様はお優しくってお綺麗で、うちのかみさんとは大違いだからな」
「ばっか。天使様もかくやっちゅう聖女様と、おめぇんとこの母ちゃん比べるほうが間違いってもんじゃねぇか」
「まあ、それもそうだな」
「何にせよ、ずっとお独りだった聖女様が他国に嫁がれて幸せに暮らすってんなら、誰も文句はねえだろうなぁ」
「そうそう、俺達もこうして良い気分で酒が飲めるしな」
「これで俺の小遣いがもうちょい上がれば文句ねえんだけどな」
「どうせ飲み代に変わっちまうんだ。そう簡単にはいかねえだろうよ」
「ちげぇねえ」

 豪快な笑い声と、ジョッキが打ち合わされる音が聞こえる。

「兄さん、後ろがつまっとるんじゃが…」

 固まるメルツの背中に投げかけられた呼びかけに、無意識に詫びながら道を開けた。
メルツの後ろから入ってきた老人は、酔っ払いの一団に目を止めると声をかけながら近寄って行き、何事か言葉を交わしている。すると、彼らの間で再びの笑いが起こる。
 楽しそうな彼等の様子とは裏腹に、メルツの脳裏では先程の彼等の会話が繰り返されていた。
 『彼女の幸せ』彼等はそう言った。ワルターは、彼女が諦めているのだと言った。けれど、彼女がもしそれをも達観し受け入れると決めていたのなら、己の存在は彼女の幸せを壊す事に繋がるのではないか。そんな考えが頭を擡げる。彼女の幸せを考えれば、このまま何もせずに立ち去った方が良いのではないか……負の思考がメルツの中で湧き上がる。しかし、

「兄さん、あんた1人かね?」

 不意にかけられた声が、メルツの思考を中断させた。見れば、声の主は先程メルツの後ろにいた老人であった。

「は、はい…」

 戸惑うメルツに、老人はしげしげとメルツを見、次いで何事か思いついたのか1人納得したように頷く。

「丁度良い、儂も1人なんじゃよ。こんな枯れた爺とでも良ければ、此処で逢ったのも何かの縁というもの。少し付き合ってはくれんかね?」

 突然の申し出に、目を瞬いた。

「ですが、お知り合いの方たちは良いのですか?」

 見ず知らずの者と楽しく食事が出来るとは思えない。折角顔見知りの人がいるのだから、そちらに行った方が良いと思うメルツに、しかし老人は首を振る。

「あの連中の馬鹿騒ぎに付き合える程若くも無いんじゃよ。それに、あやつらと一緒に騒いで、折角の聖女様のお顔を拝見できる機会を逃したら事じゃからのう」

 老人はメルツの返事も待たず、店員に声をかけるとメルツの腕を引き、席へと連れて行く。突然の事に抵抗する考えも浮かばず、促されるままメルツは腰を下ろした。
 すぐさまやって来た店員が、2人の前に飲み物を置く。水かと思われたそれは、ほんのりと黄味を帯びていた。
 メルツが見た事の無いそれを観察していると、老人が店員と二言三言交わし、メルツが顔を上げた時にはもう店員の姿は無く、老人がそんなメルツを笑いながら見ていた。
 メルツは顔を上げ、改めて老人を見た。年の頃はワルターより大分上に見える。白い髭が口元を覆い、髪の色も同様の白。顔に刻まれた皺は、老人の歩んできた道のりそのもののようで。好々爺然とした風貌の老人。だが真っ直ぐに伸ばされた背筋と、臆する事無くメルツを見つめるその様子は、ただの老人とは違うものを感じさせた。

「それが珍しいかね?」

 メルツが数瞬前まで見つめていた飲み物を示し、老人は笑う。物を知らぬ子供に訊ねる様に、しかし馬鹿にした雰囲気は欠片も感じさせずに。
 旅の途中、常識を知らないメルツは幾度と無く小馬鹿にしたような笑いを向けられた。それは呆れや嘲笑といった類が多分に含まれていて、己が物を知らない事など百も承知ではあったが、傷付かない訳ではないのに。それでも彼等は、それを知ってか知らずかメルツを笑った。
 世の中常識を知らないと、こんなにも肩身の狭い思いをしなくてはならないのかと思ったものだったが、老人は恐らくこの街では当たり前に呑まれている物なのであろうそれを知らないメルツに対し、呆れるでも無く、この飲み物が何であるのかを丁寧に教えてくれた。メルツは、老人に促されるままそのほんのり甘い飲み物を口に運びながら、世の中には色々な人がいるのだと改めて感じた。











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