短編小説 | ナノ

▽ トランキライザー

私は、彼のような人とは無縁だと思っていた。
調子が良くて、緊張感が無くて、誰にでも愛想笑いをする。それでいて内心何を考えているか分からない。要するに私とは性格が合わない、嫌いではないけれど苦手な人。
それが第一印象だった。

人類の滅亡を目論む千年伯爵に対抗すべく悪性兵器AKUMAと日々闘う黒の教団。
この組織の中で私は医療に従事する身であるが故に、業務中は兵士達と一切関わらないという訳にはいかないので、なるべく自身からは近寄らず遠巻きに見聞きしていた。

やはり彼には共感しうる部分は無い。深く関わることはこれから先無いだろう。
そう思っていたのに。



本部に配属したばかりの私は、勝手を覚える為先輩方に付いて黙々と職務をこなしていた。そんな折、赤髪の青年が医務室へ現れた。教団内には彼ほど若い人手は殆どいない事と初めて見る教団員に多くの視線が集中した。
私も同じく芽生えた好奇心から、少し距離を取り自身の作業を行いながら様子を伺っていた。入団して初めての任務と戦闘を終えて帰還したのだそうだ。

打ち身や切り傷はいくつか有りそうだが深傷は無いようで、やけに平然としていた彼は「疲れたー」と言いながら笑っていた。見た限り私よりも幾つか年下に見える彼が、先刻までは死と隣り合わせの時間を乗り越えて来たのだと思うと、彼の笑顔の裏に多くの命の責任が重なっている事に胸が締め付けられた。
改めて、出来る仕事をもっと増やして前線で戦う人達の少しでも支えにならなければ、と強く使命感を感じた矢先であった。

「応急手当て、上手くできてるでしょ?任務先で知り合ったお姉さんがしてくれてさ」

対応に当たる班員に傷を見せるや否や、和かに話し始めた彼に呆気にとられた。
“知り合ったお姉さん”とは私の聞き間違いだろうか?彼らは常に命の危機に晒されているのではないのか?出会って間もない、素性も分からない人間を易々と受け入れたという事なのだろうか?

冗談として受け取っているのか、彼に対面する年配の彼女は手際良く処置をしながら「本当ね、これなら治りも早そうだわ」と穏やかな面持ちで会話をしている。

自身の心の狭さと余裕の無さ故なのかも知れないが、仮に冗談であったとしても、多くの探索部隊達が命を賭して情報を集めた地において、気を抜いていたと思われかねない発言を軽々と出来る彼の思考は理解できない。
もしも冗談で無かったとしたら、私が看護に当たっていたら人生で初めて人を殴っていたかも知れない。それ程、彼の緊張感の無さに、無性に苛立った。


私は本部医療班として着任した歴は浅いが、それ以前は別支部の医療班として活動をしていた。
多くの探索部隊達の治療に当たる中で、沢山彼等の話を聞かせてもらった。
故郷に残る家族との大切な思い出を嬉々として話してくれた人、長きに渡るこの戦争からより多くの人々を自分の手で守ることの意気込みを熱く語ってくれた人、仲間の死を目の当たりにし涙を流し自身の無力を嘆いた人…。しかしその半数以上の人々の声を聞くことは、もう二度と無い。

戦地に赴く事のない私では、事態の重さを正確には理解出来ないが、状況は芳しくない事だけは解る。

だから、痛いだとか下手くそだとか文句を言われようが、体を休める暇が半刻もなかろうが、微力であろうと、せめて生きて帰ってきてくれた人々の為に、馬車馬の様に務めるのだ。と、強く心に誓い此処に立っている。

きっと新入団員の彼にとっては深い意味を持った発言では無いだろう。ひいては私の思いや殉職した仲間達の思いなど、知る由もない事だ。それでも聖職者を支えんと決意する探索部隊や、私自身が馬鹿にされたようなそんな気がして堪らなかった。

屈託無く会話を続けている彼を遠巻きに睨んでいると、俄かに背後から肩を叩かれる。

「その顔良くないよ。向こう、一緒に手伝いに行こ?」
支部からの付き合いである同期が耳打ちし、私の腕を軽く引いた。独り善がりの思考を遮られた事で気が付いたが、どうも強く拳を握りしめていたらしい。
力を抜くと掌の肉に深く食い込んだ爪が赤々と皮膚に跡を残し、僅かに痛みを感じた。

仕事中に、私情を挟んでしまった事を恥じ、精一杯顔の筋肉を緩め返事を返した。
「ぎりぎり及第点」と私の眉間を指で突いた彼女は呆れながらも許容してくれたようだ。
前を歩く同僚の背中を見つめながら、気持ちを入れ替えるべく頬を一度だけ極力音を立てずに叩いた。



ささやかな休憩時間。やけに看護師たちが普段より賑わっている気がして、不快になる予感しかしなかったが彼女達の会話を聞いてみた。
「ラビ君って人懐っこくて可愛いわね」
…耳を疑った。知りたくもなかったが名前まで知ってしまった。あれやこれや若い新顔の彼について語る彼女達の声音は弾みに弾んでいる。色で例えるなら黄色や桃色といったところだ。

聖職者はその数も少なければ基本的に無駄口を叩かず、常に緊迫した空気を纏っているので、世間話などをしている姿は見たことが無い。唯一明朗に会話をしてくれるのは紅一点である少女、リナリーくらいだろうか。
私達の仕事において、本来なら癒しを求めるのは立場が逆というものだが、それでも陰鬱とした感情はじわじわと空間に伝染するので、空気を入れ替えてくれる存在は大変有り難い。

だから絶えず笑顔であれこれ話す彼は、若さも手伝って無邪気に映るだろうし、明るい性格は彼女達の心的な救いにも繋がるのだろう。

……それから見てくれが非常に良い。遠目から見てもよく分かる整った顔立ちは、正直喋りさえしなければ、私も忽ちに視線を縫い付けられ彼女達の仲間入りをしていたことだろう、とは思う。

けれど彼女達の話す彼について、聞けば聞くほど、誰彼構わず媚を売って自分の浅い居場所を広げてる人なのだと感じた。
ああいう人に限って相手の本心は偽りの心で暴く癖に、自身の本心は巧みに隠す。
それが計算であっても無意識であっても、どちらにせよ私は不用意に近づかず、関わりを持たないようにしようと思った。

選り好みなどあってはならない愚考だと重々承知しているが、返って下手に関わると我を忘れて偉そうに説教するか手が出てしまいそうなので、これが双方にとって最善の選択だから仕方がないと、半ば無理やり自信を納得させた。

幸いなことに彼はこの通り医療班での受けが大変良いので、先輩方を掻き分け押し退けでもしない限りは直接治療に当たることも、会話することもきっと無い筈だ。



教団内は多階層に渡って資料室や研究室、団員の個室等多くの部屋を有しているが、殆ど人が立ち入らず使用されて居ないものも案外多くある。
私は時折夜になると、一人で何も考えずに静かな場所で落ち着く時間が欲しくなる性分なのだが、生憎自室は二人部屋で相方がいる。なので持て余している部屋は私にとって憩いの場だ。

その中で偶々資料を探しに階下へ移動する内に、迷子になった先で見つけた一室がある。
広さはそこそこで、相部屋の自室よりも広い。部屋の北側は大きな出窓が明かりを室内に取り込んでおり、すぐ側には休息用なのか、天鵞絨張りの長椅子が置かれている。東西には天井まで書籍が敷き詰められた本棚の壁。過去は管理職の部屋として使用されていたのか、奥には年季の入った両袖机が鎮座している。

上等な一部屋が忘れ去られて放置されている事に物寂しさを感じたが、この部屋が誰かに見つかってしまうまでは自由に出入り出来ると思うと、高級な個人空間を与えられたようで気持ちが華やいだ。

折角なので部屋ごと埃を被っている本の内、読めるものは拝借しようと考え適当な箇所から物色すると、難解な言葉が羅列する専門書が大半だったが数冊隠すように四隅の一角に小説が置かれているのを発見した。以前の部屋の主の趣味かもしれない。

長椅子の座り心地も文句無しに快適で、この部屋に巡り会えたのは運命だ。と思い込んだ私は、夜間の担当日では無い日…二、三日に一度はこの部屋へやって来て、読書をするのに最低限の明かりのみ灯して数時間過ごす事が習慣となっていた。


今日も仕事を終え、誰も居ませんようにと願掛けをしながら部屋へ向かうが、普段とは空気が違う様子を階下へ進みながら感じ取った。
不安に胸がざわめくが、慌てずに扉の前まで辿り着くと、心臓が大きく飛び跳ねた。

扉が僅かに開いている。
毎回部屋を出る際は、無断で使用していると気付かれないよう、読んだ本を片付けて、戸締りにも気を配っていた。
偶々私が失念した可能性も捨てきれないが、先程からの胸騒ぎに誰かがこの部屋にいた、或いは今も居るかもしれないという推測が加速する。
しかし、こんな場所に訪れる人など今まで居たことはなかった。私の心理を支配しているのは、人ならざるものが部屋の中にいるのでは、という恐怖心だった。

それが杞憂か確かめるべく、隙間から室内を覗き込む。部屋の灯りは付いておらず、月の光が柔らかく室内を照らしている。目を凝らして見える範囲を見回す。

すると、見つけてしまった。見慣れた部屋の隅にたった一つ、見たことのない影。しかし此処からではそれが何なのかはっきり見えない。
高さは無いが、小さくも無い。人だとしたら蹲っているのだろうか。しかし、人なのか物なのか限られた視界と距離では判別がつかなかった。

人間とは不思議なもので、一度目に写ってしまったものははっきりとその存在を確認しないと気が済まない。
恐怖よりも好奇が勝っている。

自身が通れる最小限の幅に扉を静々と広げ、慎重に扉と壁の間をすり抜け室内に足を着ける。つま先から踵に流れる全神経を集中させてゆっくり奥へ近づく。漸く全貌が確認できた。
人だ。誰かが床に座り込んで、顔を両手で覆って蹲っている。

体調が優れず自力で動けなくなってしまったのだとしたら一大事だ。
急いで駆け寄り、側で屈み「大丈夫ですか」と肩に触れる。反応を見せたその人は、僅かに顔を上げた。
まるで大切な人を失ったかのような絶望と悲しみが伝わる表情。更に此方を向いている筈なのに、何か別のものを眼前に浮かべて虚ろに怯える隻眼。
黒い眼帯と、特徴的な眦で、直ぐに解った。出来ることなら仕事内外関わらず、絶対に会いたくないと思っていた彼だ。

しかし、髪を下ろしている事と辺りが暗い事を加味しても、別人だと思われても不思議ではない程、脆く弱々しい、余りにも普段と異なる姿だ。
こんなところで出会ってしまったという後悔より、一体何事かと案ずる気持ちが強くなり、私は躊躇いなく彼に呼び掛けた。

彼は緩く瞳を持ち上げ、漸く視線が交わった。再び「大丈夫?」と問い掛けると、私を見つめる瞳が突然見違える程に生気を宿し始めた。
眼を瞬かせた彼は、前触れなく背を伸ばしたかと思うと、何故か私の頬を両手で挟んだ。
突然生き返った様に動き出した彼に、なんの反応も出来ないまま、私は視界を彼に塞がれる。無意識に息を止めていた。更に忽ち彼が視界から消え、身体を何かに覆われる。

「やっと、会えた」
囁かれた声が真横から聞こえ、抱き締められていると知覚した。しかし彼の行動の意味は全く理解できない。私は突然の出来事に、微動もせず暫く放心していたのだった。

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