短編小説 | ナノ

▽ 

Sexy Little Darling
...Day three



深更の空は赤く灼けた暁光を遥か地平に湛え、その薄明かりは一叢の雲に白く照り掛けている。奇妙なまでに際立つ白銀は、天高く紺碧に染まる夜を別つ境界のようだ。

露台から見下ろす木々は、未だ黒々と眠りに就き森閑としている。石造の欄干に凭れて長々息を吐いた。

神秘的と形容しても相違ない北欧の夏空は、自身との迫害的な対比のようで、素直に美しいとは思えない。それどころか憎らしさすら芽生える。
「夜風に当たれば、少しは楽観的な思考が働くかも知れない」と期待をしていたが、只々身体が冷える一方で、何をしても無意味という結果しか得られなかった。


無慈悲に現実を突き付ける景色から逃げる気力も出せず、じっと睨みつける内に、階下から静々と近付いて来る靴音に気が付いた。

こんな時間だ。重なる激務に追いに追われた科学班員が、気が違える寸前に頭を冷やす為、逃避して来たのではないか。
だとしたら、他人と会話する余裕など無く、一人静かに頭の中を一時でも無にしたいと思っているだろう。
下手に交流を試みて、思慮無く相手の精神を捻じ切るよりも、直ちにこの場を譲る事が得策に違いない。

次は何処へ行って何に自身を否定されに行こうかと、卑屈に浸りながら欄干から身体を離す。

しかし、早々に立ち去りたかったが、階下へ通じる道は一つだけだ。更に、すれ違いが難しい幅狭な階段なので、此処までやって来る誰か…が登り切るまで待つ事にした。

なかなか姿を現さない靴音の正体は、居住階や研究室のある階層とは離れた場所だというのに、誰かを気遣っているように慎重だ。それとも足腰に体重が乗せられないほど疲労困憊しているのだろうか。


階下を見つめて暫く経ち、壁に取り付けられた小さな照明が、漸く音の主の姿を捉えた。

光を受ける見慣れた白い髪は、仄暗く地味な配色の石壁に囲まれ、一層異彩を放っている。彼は見上げた先で視線が交錯すると、矢庭に相好を崩して駆け上がった。

誰がやって来ても、適当に一言二言交わして降りて行こうと決めていたが、彼が大層安堵したように肩を竦めたので、無性に問い掛けずにはいられなかった。
「…アレン。もしかして眠れねぇの?」

「いえ、キミを探していました」

和かに首を横に振った彼の言葉が意外で、言葉に詰まる。
アレンは特に気にする様子もなく、隣に並んで夜空を見据え「こんな景色初めて見ました、綺麗ですね」と感嘆すら。対して夜空に背を向けたまま「そうだな」と呟くと、彼は本心を汲み取ったように、ゆっくり身体を反転させた。

「独りでいると、何でも悪い方に考えてしまいませんか?」

幼さの残る穏やかな笑みを向けられ、心苦しくなった。
アレンは人一倍健気な性分だ。失意に陥った人間を、例え構わないでくれと懇願されたとて、放っておける訳がない。
彼自身も随分疲弊している筈だが、オレを見つけるまでは朝が来ても教団内を延々行き回るつもりだったのではないだろうか。

アリスの傍を離れずにいてくれるリナリーにも随分気苦労を掛けてしまった。
一方的に任せてしまった所為で、責任感ある彼女の事だから、アリスの様子を具に慮っていて悠々とは休めていないかも知れない。

本来ならば年長の自分が彼らを気遣うべきであるのに、他者へ配慮する余裕を失った惰弱さを、ただ情けなく思う。

清廉な眼差しから眼を反らし「ごめん」としか他に口に出せる言葉が見つからなかった。


「ラビに責任があるだなんて、誰も思っていません。人一倍気を割いてくれていたじゃないですか。…どうしてそんなに自分を責めるんですか?」

「焦りと怒りで、正気じゃいられなかった。アレンが止めてくれなければ、オレはアリスの目の前で、人を殺めていたかも知れない…」

「大切な人を目の前で傷付けられて、冷静でいられる人の方が少ないですよ。同じ状況に遭ったらきっと、僕だって」

「でも」と訴えようとして押し黙った。
これではまるで慰めて欲しいみたいだ。そう思って自身の本心を整理しようと口を閉ざしたが、時を掛けず滲み出た答えは「誰かに話を聞いて欲しい、苦心を理解してほしい」で間違いなかった。

しかし、年齢を重ねている分壮丁らしくあるべき自分が、少年に宥められて良いものなのかと思惟した。
突然の沈黙に、アレンは気遣わしげに続く言葉を待っている。


「…年上なのに、何か情けないと思ってさ」
「キミ、大人ぶってますけど、十分僕と同じくらい子供ですよ」

漏らした本音に対して間髪入れず返された言葉に、思い掛けず頓狂な声を上げて聞き返した。
夜の静謐に反響する自身の声に、遅いとは分かりつつも背を縮こめて口に手を当てる。

何を以っての所見なのかと理解するべく、先ずは彼との身長差を視線で測ってみたが、早々に勘付かれて「見た目の話じゃなくて!」と止められる。

「それは良いとして…」と逸れた会話をアレンは引き戻した。


「過去をずっと悔いていても、キリがないですよ。…落ち度ならアリスをずっと任せ切りだった僕にあります」

居直り眉尻を下げて「すみませんでした」と口にする彼に、「そんなこと…」と反論を零すが、すかさずアレンはそれを静止した。

「余計な口論の元にもなってしまいそうですし、ね」

彼の言う事は十分納得出来る。
後悔と苦悩を重ねていても、アリスの傷心は癒せない。反省は必要だが、誰が悪かったのかと、責任の所在を奪い合う堂々巡りは、不要な争いを生むだろう。

今為すべきことは理解はしているつもりだ。だが彼女にどう接したら良いのか、自分が取るべき正解の行動は何なのか、脳を絞る程思考を巡らせても、一滴足りとも打開に繋がる名案は落ちては来なかったのだ。

それを率直に告げると、アレンは「僕もです」と眉尻を下げながら頬を緩める。
思いの外頼りない返答に「ええ〜…」と腑抜けた声が漏れた。
アレンは身を乗り出すように半歩近づき、他に勝る名案は無いと言いたげに「でも」と言葉を続ける。

「きっと疲れて頭が働かないだけだと思うんです。なので今日は休んで、明日一緒に悩みませんか?」

反論の感情が芽生えない程に真摯な瞳と、確信がない筈なのに安心感を与える前向きな声音に、アレンらしいな。と感心する。その朗らかな助言に、素直に従った。


彼に先を譲り、後に続こうと足を踏み出したが、安らかに凪いだ冷涼な空気に振り返った。
先刻、恨めしく睨みつけていた夜光雲は、相も変わらず水晶さながらの輝きを放っている。何故か立ち去るのが惜しいと思った。



夜明けを待ち望みながら、経過する時間に僅かな不安を感じる。

アレンのお陰で、苛責の情景が脳裏を巡る事は無くなった。それは幸いだったのだが、前向きの心情は先走り、今日は休むという彼との約束を破って、次に自身が為すべきことは何か。と自問自答を始めてしまった。
結果、上手く事が運ぶだろうか、上手く自分の言葉は伝わるだろうか。そんな焦燥が芽生え始める。

とうとう一処に落ち着かず徘徊る感情に振り回され、意識の覚醒を保ったまま、煌々とした朝を迎えてしまった。
こうなっては、今更眠気がやって来たところで、その欲求に従う訳にはいかない。
大多数の教団員が活動する時間にはまだ早いが、手早く身支度をして、司令室に足を運ぶべく部屋を出た。


昨日の問題の概要はアレン達により、ある程度はコムイに報告されているだろう。
ただ、詳細については当事者である自分にしか説明が出来ない。
コムイからしてみれば「理由が定かではないが、酷くアリスとラビが意気消沈している」という状況が放置されたままだ。
推測は可能でも、本人の意思を直接確認するまで納得は出来ない筈だ。
その為、今回の外出について深く関わる彼には、朝が来たら直ぐに報告しようと予め考えていた。

就寝や休憩中であれば出直せばいい。兎に角何か行動したい衝動の赴くまま、彼に会いに行く。
途中、科学班の階層を通りながら様相を覗き見ると、椅子に深く腰掛け仮眠を取っている者、意図せず睡魔の手に掛かり机に突っ伏す者、事情は様々だが誰しもが眠りの静寂に沈んでいた。
もしかすると、司令室も似たような状況かも知れない。


階段を一つ降る毎に、気分も落胆に傾倒し始める。最後の一段から足を離し、部屋に続く開けた廊下に踏み込んだ時、偶然目当ての彼が司令室から姿を現した。

彼も此方を視界に入れると、つい数時間前のアレンと似通った反応を見せる。コムイは底の薄い室内履きの音をぱたぱたと鳴らし、小走りに近付いて来た。

「丁度会いに行こうと思っていたんだよ。行き違いにならなくて良かった」

彼も同様、居ても立っても居られなかったのだろう。「休んでいたら悪いから、もう少し待とうと思ってたんだけど、来てくれて助かったよ」と隈の目立つ目元を細めた。

元来受け持つ仕事の所為もあるかも知れないが、昨日の件が彼の休めない要因となっているのだとしたら、説明は早急にした方が良さそうだ。
その場で話し始めようと口を開くが、「立ち話もなんだし」と部屋に入るように促された。彼との任務以外の畏まった対話に、僅かな緊張を覚えつつも司令室に入室した。


室内は昨日よりも書籍や書類の束で形成された山が増えており、かなり粗暴な景観になっている。通りがけに、無造作に上積みされた本の表紙や、書類の文字の断片を垣間見ると、医学研究書を始め、薬草、薬物とそれに纏わる成分、効能等の文献が大半を占めていた。

コムイは、長椅子に鎮座する分厚い本の群れを、別の山の上に下ろして席を空ける。
「いつもの事だけど散らかっててごめんね」と普段の調子で笑った。
それに対して、しっかり声に出せていたか自信はないが、首を振って「大丈夫」と短く答える。

今更ながら、立ち話のままで良いと我を通して、部屋へ案内される前に勢いのまま話してしまえば良かったと後悔した。
間違いなく、自身の非を受け止め、深々と反省をしているが、改まって確と傾聴する意思を表されると、希薄ではない間柄でも気が張るものだ。

急に弱気が顔を出し始めた心持を押さえ、意を決して沈黙を破る。語尾につれて、か細くなりそうな声調を懸命に維持しながら、昨日の事件の詳細を説明した。最後に自身の不手際や態度の謝罪を告げるまで、コムイは専心しつつも穏やかに相槌を打ちながら静聴していた。


一呼吸置いて、彼は温厚と自責めいた重苦が混在したような眼差しを伏せたが、程無く居住まいを正す。
「大変な思いをさせてしまって…本当に、申し訳ない」

彼には何も謝る理由がない。慌てて撤回させようと腰を浮かせかけたが、押し黙る。
ふとアレンに言われた「余計な口論」という言葉を思い出したからだ。
声に出して強く反論はせず「コムイが責任を感じる必要はない」との意を込めてゆっくり首を振る。

安心したように表情を和らげ、彼は微笑を浮かべた。

「アリスを助け出してくれてありがとう。ラビが居てくれたからみんな無事に帰って来られた。…大丈夫。あの子も、ちゃんとそれを解っているよ」

彼の声音は不思議だ。決して大袈裟に慰謝された訳では無く、寛厚な声調だというのに、細濁った心地が洗練されていく。気が付けば彼につられて頬が緩んでいた。
人の言葉ひとつで容易く心を動かされるこの性質は、紛う事なく子供のそれだ。同時に今彼の目に映っている自身の姿を想像し、忽ち気恥ずかしくなった。

知ってか知らでか「ボクからもひとつ、報告があります」とコムイは和かに人差し指を立てて新たな話題を持ち上げた。


「書類の山を漁っていたら、あの薬の実験段階の手記が残っていてね。成分が起こす反応についての検証結果に依ると、体内の蓄積や持続性は無いから時間経過で効果が切れる事が解ったんだ」

ゆくりなく伝えられた吉報に、立ち上がって再度彼の報告が定かか確認すると、彼は自信溢れる笑顔で大きく頷いた。

「早ければ三、四日のうち、長くても一週間を待たずに薬の作用は無くなるよ」

「それじゃ、明日には元通りって可能性もあるってことなんだな?」

「有り得るね。ただ、念の為薬の成分の再確認と、他にも薬の効果を相殺できる方法があるか、引き続き調べておくよ」

コムイの科学研究者としての能力は、活かし所はさて置き、間違いなく信用出来る。
彼が断言するという事は、それに足る要素が十分立証されたからに違いない。
暗雲が立ち所に霧散したようで、身体の奥底から気概が横溢し始めた。

「ありがとう。…コムイの頑張り、しっかりリナリーに伝えておくから」

「うんそれは勿論、是非とも頼むよ。何なら多少誇張して、ボクの奮闘を余す所なく語り尽くしておいてね!」



思いがけず事態の好転を告げられ、リナリーと話す口実も出来たことだし、アリスに会いに行かなければ。と勇んで司令室を後にした。しかし螺旋階段を上りながら、浮き足立って見落としかけていた問題を思い出す。

アリスは果たして自分に会いたいと思っているだろうか。
元に戻る為の端緒を得られた事と、彼女との間に生じた蟠りを解消する事とは別問題だ。
自分一人が晴れ晴れとしていても、対する彼女が恐怖を抱いたままでは無意味に空回り、余計に傷付けるだけだ。

どうやって彼女と接するべきか。またしても答えに行き着かない悩みに沈吟しながら、落ち着かず歩き回る内に、賑わいの反響する廊下に出ていた。
無意識に食堂に向かっていたようだ。ジェリーの忙しなく注文を反復して厨房に伝える声が薄っすらと聞こえる。

自身の存在をなるべく無に近づけながら、周囲を見渡した。
廊下には誰もいない。先程とは打って変わって慎重な足取りで陽気な喧騒に壁を伝いながら接近する。

静かな廊下と活況する食堂の境界となっている壁に空いた小窓から、僅かに顔を覗かせ観察する。
際奥から順に一列ずつ着席する人々を辿ると、周囲の人々に馴染んでいない小さすぎる背中を探し当てた。
食い入るように見つめ続けるが、どうやっても表情は汲み取れそうにない。
ただ、腕の動作は鈍いものの食事を摂ってはいる事は見受けられた。
どうにか彼女の表情を確認しようと盗み見に傾注していたが、僅かに視線を彼女から外すと、その対面にリナリーが座っていると気付き、急いで壁に背中を張り付けて身を隠した。

話せば彼女も此方の心情を理解してくれるとは思うが、食事風景を物陰から覗き見される事については、如何なる理由があっても、快くは思わないだろう。
リナリーは眼前の少女を偏に見守っていたので、恐らく此方の視線には気付いていなかった。

しかしあのまま眺望を続けていれば、彼女に勘付かれなくとも、この廊下を通る人間に怪しまれていた事だろう。
アリスに纏わる事象に於いて、悉く思考や周囲を顧みる前に行動を優先してしまうのは考えものである。

羞恥を和らげようと天井を見つめて深く息を吐くと同時に「アレン、ここに居たである!」と石壁に高々反射し、元より大きな音量が耳に刺さり、身体が跳ね上がった。

よもや、今までの行動を目撃されてていて、咎められてしまうのかと心臓が高鳴るが、近付いてきた声の主は、普段から気弱そうな表情を、より気遣わし気に翳らせている。

「どうしたんさ、クロちゃん?なんか元気なさそうだけど」

「…随分悩んでいると聞いてたである」とクロウリーは視線を廊下の端に向ける。その先に、申し訳なさそうに瞼を伏し目がちにしたアレンが立っていた。
推測するに、姿を見せないオレと鬱々としたアリスの姿を見たクロウリーに、何があったのかと、偶然出会った彼は問い質されたのだろう。

何も無かった、だなんて誤魔化しも、まして咄嗟に精巧な嘘をつく事も難しい。
アレンの表情は、当事者に断りなく事情を説明してしまった事への謝罪の表れだと察した。


「アリスと喧嘩して、口を聞いてもらえなくなったと…」
「そう、…………んん?」

厳重に身構えていたのに、予想だにしない明後日の方向から襲撃された気分だ。
「本当の事を話したんじゃないの!?」と念を込めてアレンに目で飛ばすと、余りにも不可解なウインクで返された。全く意味がわからない。
二人で目配せしあっても不自然だ。一先ず話を合わせて重々しく頷いた。
「二人が仲直り出来るように、私も協力するである!」
「………アリガト」



朝食時を過ぎ、人が空いた頃合いの食堂にてアレンとクロウリーと再結集した。
至極当然の事ではあるが、食事以外の用途で食堂を利用する団員は少ない為、この時間は内密の話し合いにはうってつけの空間となっている。

一つ問題として、厨房付近に常駐するジェリーに気付かれないかとの提起があった。
今朝のアリスの沈んだ様子を見ているであろう彼は、理由を聞くに聞けずやきもきしている筈だ。アレンやオレが視界に一瞬でも映れば、真っ先に飛んできてアリスに何をしたんだと激昂する可能性が非常に高い。

しかし、他の料理人に任せ不在にしているようで、注文口にも、奥の厨房にもその姿が見当たらない。

食堂が安全であると解り、迅速且つ不自然ではない足運びで片隅に集まり、男三人の妙な仲直り作戦会議がこの時開始されようとしていた。


…その前に「仲直り」という言葉について不満があった。
確かに広義ではアリスとの間に生じた溝を埋めたいという目的は、仲直りと形容出来るかも知れないが、事実に全くと言って良いほど基づいていない虚偽の原因は容認出来そうにない。

アレンは気を遣って、その場凌ぎの嘘で切り抜けようとしてくれていたようだが、人を疑う事を知らないクロウリーだから騙されてくれたようなもので、他の人間が聞けばこんなに現実味の無い嘘では誰も納得しないだろう。

そんな不満を内心で渦巻かせ、口を噤むオレを尻目に「じゃあ早速、解決策を話し合いましょう」とアレンが仕切り始めた折柄。

背後から殺気とも取れる張り詰めた空気を感じて素肌が震え上がった。

向かいの二人の顔をすかさず見る。彼等の目線は眼前を通り越した先を見つめ、揃って血色の失せた顔面を硬直させている。まるで異形の怪物のひと睨みの呪いに掛かり、震える事も許されずにいるようだ。
見たくない、動きたく無いと駄々を捏ねる身体に鞭を打つように振り返り、二人が見据える先を見る。

廊下の向こうにある暗黒の世界からオレを断罪する為、特徴的な形の黒眼鏡を掛けた、褐色の肌の魔の化身がやって来た。…ように錯覚した。

普段の女性らしい動きとは打って変わって、地鳴りまで響いて来そうな重圧。
見慣れた食堂の景色は彼の発する怒気に歪み、彼が歩みを進める度に清廉な白石の床と壁は、闇と血肉の入り混じった姿に変貌する幻影が揺らめく。

遮光の硝子越しであるにも関わらず、怒りに歪んだ眼が真っ直ぐ此方を刺していることは判然であった。
その眼を直視せずに済んでいるのは唯一の幸いといっても過言ではない。


執行者が立ちはだかった。三人の怯えた囚人は、彼が間近になるまで物音一つ立てずに萎縮することしかできなかった。
浅黒い屈強な肉体は、敵意を露わにされると聳える巨塔を彷彿とさせる。彼の特徴とも言える純白の料理着は、正にこれから紅く染め上げる為に仕立てられたと言わんばかりに、汚れ一つない。
地底の唸りにも似た声で、彼は静かに口を開く。
「コムたんに聞いたわ…」

言葉遣いは崩れていないが、太く強圧的な声音は最早口調など関係なく恐怖を煽る。
この形相で迫られれば、墓場まで持っていくつもりの隠し事も、誰もが大広げ、ぶち撒けるだろう。
気心知れているが故に、恐らく半ば脅される形で魔神のような彼に一対一で糾問されたであろうコムイに深く同情した。

「あの子が、街の男の子と仲良くしているのに嫉妬して…喧嘩したんですって?」
「ぐっ……!?…う…、はい。そうです……」

「なんでどいつもこいつも適当な嘘信じてんの!?オレそんなに子供みたいな喧嘩するように見える!?」と迫り上がる反感を嚥下し、縮こまったまま大人しく肯首する。

「それで、こんな所で何をしてんの」
「あの、仲直りをする為に…作戦を…」
細々と声を振り絞ってアレンが呟くと、ジェリーは立ち所にオレの胸倉を掴み、抵抗する間も無く思い切り引揚げた。恐ろしい程の力強さに腰が引けたまま起立させられる、上手く足に力が入らず立ち上がり際に椅子に足を打ち付けた。

「流しの隙間に沸く虫みたいにウジウジコソコソしてないで、とっとと謝りに行ったらどうなの!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!でも、これ以上アリスに嫌われるのが怖いんです!」
彼の語気に気圧され、双手を胸の高さまで上げて正直に白状する。いよいよ叱咤の一発が来る事を予期し、固く瞼を閉じて身構えた。
しかし、一向に衝撃も痛みもやって来ない。そろと薄く眼を開けてジェリーを見上げるが、言及する様子すら見えず、寧ろ先刻の憤怒が嘘のように空気に溶け切っていた。
俄かに服を引かれる力も失せ、緩んだ彼の掌から皺の寄った服がやっと逃げ果せた。

「仕方ないわね…」

呆れた息を吐いて、ジェリーは隣の椅子に淑やかに腰掛け実に女性らしい所作で足を組んだ。


「作戦会議よ」

この瞬間、仲直り作戦隊(仮称)司令長官が誕生した。
ひたすら被捕食生物の如く怯えきってしどろもどろしていただけで、何が彼の心変わりを誘発したのか知る由もなかったが、余計な水を差して疑問を解消するより、彼の助力を有り難く享受しようと、三人目で配せをして深く深く頷いた。

「よろしくお願いします!」



「まずは、そこの腰抜けが、アリスに接触する為の口実作りを考案しましょう!」
「腰抜け…」
高らかに告げられた号令と罵倒に、立ち直った瞬間から世界が優しいようで厳しい無情さに静々、心を痛めた。

「はい!贈り物はどうですか?」
いち早くアレンが開口する。
「ありふれてはいるけれど、分かり易くていいかも知れないわね」

「女の子だから…着飾る物を贈るのはどうであるか?」
「着飾る物…。そう言えば、師匠はよく女の人にキラキラした物をあげていたような」

「そうね…女性と言っても、人の好き好きはあるから…。アリスは何か好きなものは無いの?」

アリスが嗜好する物は何だったかと様々な情景を思い出す。しかし一旦思考を止め、そもそも、幼くなった前後では、自身の記憶はあまり頼りにならないかも知れない。
そういえば、小さなアリスは何が好きなのか。眼を閉じて沈思する。
不意に、閉じた暗い視界の端に何かが光った。覚えのある感覚だ。

「…そういえば、昨日結局落とした髪飾りを拾ってやれなかった」
呟きながら鮮明になる記憶の中、彼女が嬉々として見せてくれた輝く蝶がはっきりと頭の中に描かれた。

打ち合わせも無く、間髪入れずに三人は「それだ!」と満場一致し「じゃあ、作ろう!」と性急に次の段階についての討論で盛り上がり始めた。

「は?作るって…どういう…」
意図を伺おうとするも、あっという間に作戦会議は収束し、アレンとクロウリーに挟まれ、有無を言わさず何処かへ連行されそうになる。

ジェリーは満足気に頷き、健闘を祈る。と親指を立てて見送った。
作戦会議とは名ばかりの、かなり一方的で短絡的な仲直りに向けての第一段階が終了した。



アレンとクロウリーに振り回されながら着いた先は科学班の階層の研究室。目の前には使用用途のよく解らない金属製の機械と、講師然とした面持ちのジョニー。

「聞いたよラビ!アリスにオレと結婚してくれなきゃ嫌だ!って我儘言って怒られたんだって?」
「…もうそんな感じでいいさ…」

ジョニーは威勢良く「よし!始めよう」と告げるが、急いで「なにを!?」と濁流のような勢いをつけた場の空気に流されまいと説明を乞う。一人哀れにも怒涛の展開に取り残されたオレの頭の中にだけ疑問符が駆け回っていた。
「アリスにあげる髪飾り、作るんでしょ?」
「………オレが?」

ぐるりと見回して確認すると、その場の全員が「その通り!」との答えが胚胎された笑顔で頷くが、細い細い流木にしがみ付く心持ちで言葉を返す。

「いや、そんなん作った事ないし!素人が作るくらいなら既製品の方が良いんじゃねぇの?」

「ラビ。手作りの贈り物に、見た目なんて関係ありませんよ」
「心である、心」

説法を説く宣教師のような達観した眼を澄みに澄ませ、二人が背後から肩に手を添えてきた。
もうどうにでもなれと、半ば観念してこの濁流に身を委ねる決心を一言、声に出した。


螺子回しに近い形状の機械について、使い方を訊ねる処に依ると、この機械で高温に熱した金属と硝子を繋ぎ合わせて蝶を象るということらしい。主役である蝶だけ完成させれば、細部の金具の取り付け等はジョニーが請け負ってくれるのだそうだ。

「ところで、どんな形で作るのかは、もう決まってる?」
「それと、色はどうする?多分倉庫を探せば材料に成りそうな硝子があるかも知れないから、取ってくるよ!」

彼が人一倍、個々の団服作りに気合を入れる事はよく知っていたが、装飾品であっても変わらず意欲的だとは思っていなかったので、滔々と張り切る彼に気圧され、彼が駆け出すまで一言も交わす隙が見つけられなかった。

しかし、ここまで来て自分にも遅れて目的意識が横溢して来たようで、そこいらの机に煩雑に散らばる白紙と、床に転がって不貞腐れている短い鉛筆を拾い上げた。

「もうどんな形にするか決まっているであるか?」
「なんとなく…だけど、描けばもっとはっきりするかと思って」
「僕も手伝いましょうか?」

「………それは、うん。ダイジョブ」
アレンの親切な申し出により、悲劇の歪な生物が生まれてはならない。謹んで断りを入れる。彼は残念そうに嘆息を漏らしていたが、クロウリーが宥めてるので、脳が空想の造形を留めている内に紙面に急いで描き出した。


折しも想像図を描き終えると、ジョニーが硝子同士の接触音を足音にして、両手で抱える程の大きな木箱を携え、研究室に戻ってきた。
中には大きさや色、表面の加工が様々な硝子の板、半端な形の破片等が、各々の色を主張し合い、重なり混じり合い、実に賑やかに収まっている。
厚手の手袋を渡され、色や形が決まったらこの中から使いたい物を選んで欲しいと言われたので、先に描き終えた図を彼に渡す。

「こんな感じにしたいんだけど…」

彼は紙を受け取り食い入るように無言で見つめ、…そのまま停止した。
是非の具合が解らず、恐る恐る呼び掛け近づく。沈黙かと思っていた彼は自分自身に囁き相談を持ちかけている口調で早口に喋っていた。

耳を欹てるとどうも数字を唱えており、絵を見ながら実際の大きさやそれぞれ切り出す硝子部分の大きさを計算している事がわかった。
あの一瞬で自身の脳内に世界を丸ごと切り替え、周囲を遮断できる集中力の高さは、流石科学一班の研究員だと舌を巻いた。

ただ、そこまで綿密に拘っても、実際に硝子同士を繋ぎ合わせるのは此処に居る初心者なので、彼の努力が泡沫になってしまいそうであるが。


兎角問題なく製作に進めるであろうと判断し、細かい調整はジョニーに任せて、言われた通り木箱の中の硝子を出して机に並べる。
アレンとクロウリーが、横からこの色がいいだの、あれが良いだの、と騒ぐ声を適度に聞き流し、脳裏を飛翔する彩色を選び取る。


理想通りの蝶の色が全て見つかり、途中から半ば無視していた二人もどうやらこの選択に納得した様子で、光に翳して恍然としていた。
すると数字の世界から帰ってきたジョニーがいつの間にかアレン達と硝子を下から覗き合っていた。
あっけらかんと、紙面を此方に向けながら「この色はどの部分になるの?」と眼鏡ごと瞳を輝かせて尋ねて来たので、喉元まで上りかけた諸々の指摘は飲み下し、話を進めたのだった。



硝子を切り終えたジョニーが、よくこんな色遣いを思い付いたものだと感嘆しながら、蝶の形に合わせて丁寧に机に並べてみせた。

精巧に形どられた濃淡の異なる片は、想像通り深い夜から黎明に至る濃紺と淡青、その中に現れる白く輝く雲、そして地平から覗く鮮やかな朱色。
何の変哲も無い硝子であるとは分かっているが、あの時分の景色が蝶の姿に転写されたようであった。

「…思い付いたというか、思い出しただけなんだけどな」

「あっ、これって今日見たあの珍しい空…!」
いち早く気付いたアレンの声に、自身の配色に狂いは無かったと後押しされて、つい自画自賛の内心の小躍が表立ってしまいそうになるのを、慌てて押し返す。

「勢い付いて結構複雑な作りにしちゃったけど…オレ、こいつを作れるんかね…」

正直、想定を超えた色彩の再現とジョニーの精妙な作業に、感動が半分、尻込が半分といった心持ちであった。弱気を広げた所で、対する彼等の答えは想像出来るが。

「気持ちが篭っていれば、失敗しても大丈夫!」



間断なく高難関の蝶を作らされそうになるが、渋り譲らないでいたところ「そう言われると思って練習用に簡単な形の硝子も切っておいたよ!」と大層手厚い便宜を図ってもらい、入念に実技指導を受けることとなった。

アレンとクロウリーが他にも用意された硝子片を繋ぎ合わせて、半分遊びながら大量の花や独創的な形の何かを作る傍で、オレは手早く練習を終え、職人さながら黙々と大作の製作に傾注した。


時間の経過を忘れる程に集中していたらしく、完成と同時に脱力し周囲に報告しようとすると、既に間近で静粛に工程を見守っていた三人から、賞賛の声を落とされる。

「なんか…地味にショックです…。ラビは美的感覚ない部類だと思っていたのに」
「…アレンに言われると、怒りが湧いてくるのは何でだろうな」

「ラビ、手先が器用だからこれも自分でやってみなよ」と、当初は任せる筈だった金具の取り付けや、蝶の胴体の細部の接合等、後半の作業は全て自身で行った。

数時間掛けて幻想的な空を模した、片手に収まる程度の大きさの髪飾りが完成したのであった。疲労を上回って達成感が強く身に深く染み込む。長く着座作業をしていたお陰か、椅子と身体が一体化している気がする。

素人の製作であるので、勿論想像通りには作れなかった点が何箇所かある事が少々心残りだが、誰が見ても蝶であると認識してもらえることは間違いない。

室内灯の真下に蝶を掲げ光を通し見る。
無くしてしまった蝶のように、光を反射させる煌びやかさは無くも、通過する明かりを淡く取り込む様は、朧な光より生まれる夜光雲を孕んだ空に一層近づく。

これならアリスはきっと喜んでくれる気がする。意欲の高揚を動力源に、立ち上がろうと腰を浮かしかける。
すると思い掛けず彼女の驚嘆の声が右耳の奥に響いた。意識して記憶を探った訳ではないというのに、随分再現度の高い想起だ。

次いで、死角となっているが、何かが真横に寄り添っている空気を覚え、もしや彼女の幻覚まで見えるようになったか、と嘲笑気味に端無く右へ首を捻る。

突然にアリスが眼前に現れた。晴朗を思い出させる清く幼い瞳が、真っ直ぐ向いている。
我が目を疑う状況と、加えて殊の外近い距離に、意図せず大きく仰け反った。その拍子に同化した椅子ごと、実に無様で盛大に引っくり返った。


無機質な作りの天井。
打ち付けた背中が痛いが直ぐに起き上がる。慌てて駆け寄って来たアレン達に照れ隠しで気の抜けた笑いを向けつつ、手に持っていた蝶の無事を確認する。
咄嗟に両手に包んで守っていたので、蝶は呑気に細い触覚の先まで生き生きと手の平の上で翅を広げている。
それを見て、中腰に覗き込んでいる彼らと顔を合わせて胸を撫で下ろした。

しかし、その中に彼女の姿はない。部屋の四隅を見渡すも、物陰に隠れている訳でもなさそうだ。

廊下への扉が開け広げられたままになっている。恐らく驚いて逃げて行ってしまったのだろう。
彼女との予期せぬ再開に喜ぶ間も無く、今度は肩を悄然と落とした。
その落胆具合が火を見るより明らかであった為か、クロウリーが大きな身体を縮こめしゃがむと、わざわざ目線を合わせて笑い掛けた。
まだ諦めるには早いと言いたげだ。
彼女は何故こんな所に来ていたのかは不明だが、彼女はこの蝶に物珍しそうな反応を示したので、少しは彼女の気を惹く事が出来る。それが解っただけでも進展だと言えるだろう。


「まだ、其処にいるである」

「…え?」
小さく身体を折り畳む彼が、それに見合う声量で告げた言葉が信じられず咄嗟に聞き返した。再度「其処」と指刺す先は彼女が出て行った扉だ。
ジョニーが廊下側に声が漏れるのを遮るように口の端に片手を立てて「ほんとは結構前からここに来てて、ラビの側で作業してるのを見てたんだよ」と告げる。

蝶の完成が近づくにつれて、確かに周囲に全く気を掛けず黙々と手元に惑溺していたが、それを見られていたことはおろか、部屋に彼女が入ってきた気配すら気にも留めない程、自分がのめり込んでいたと思うと、今更になって恥ずかしさが込み上げる。
だが今はそんな羞恥は振り解く。

アリスがまだこの近くに姿を隠しているかも知れない。期待だけが無闇に膨らむ。

しかし、どうやって確かめたら良いだろうか。

ーーー廊下を覗き込めば其処に居るだろうか。だが本当に隠れていた場合、急に近づけば先程のように逃げて行ってしまうかも知れない。この部屋から呼び掛けて彼女に出てきてもらった方が良いだろうか。いや、それよりも、別の誰かに呼んでもらうか、連れてきてもらった方が…。

今まで成りを潜めていた、たちの悪い卑屈が偶然現れて逡巡を引き起こす。だが、猶予う思考を断ち切ってくれたのはアレンの一声だった。

「アリスはずっとキミを待っているんですよ」


背を押される心持で立ち上がった。
机上に丁重に蝶を降ろし、部屋の入り口に向かって踏み出す。まだ確信は持てていないので、隠れているであろうアリスに向かって控えめに呼び掛ける。

時を待たずして、怖々と体を半分覗かせて、壁の影からアリスが不安げに現れた。
その様子は恐怖に怯えていると言うよりは、まるで咎められている子供のように、許容の言葉を待ち望んでいる面持ちだった。

「驚かせてごめん。…大丈夫だから、おいで」

床に膝をついて屈み、大げさに手を広げる。言葉と身振りの意味を察知した大きな瞳は、瞬く間に虹彩を明朗に輝かせ開花した。

弾けるように駆け寄るアリスは、半ば体当たりに近い飛び付き具合で胸中に向かって来た。しっかりと華奢な身体を抱き竦め、擦り寄る小さな身体の感触に、喜びで身体が蒸気を発しそうだ。


彼女が止め処なく涙を流していたあの時、彼女に拒まれるのが怖くて、…既に拒絶されていると身勝手に確信して、目を逸らした。それが迷妄であったと今になって理解した。
アリスはきっと「もう大丈夫」だとオレの口から聞きたかったのではないかと。
保身に気を取られ、先に拒んだのは自分だったと気付くのに随分時間がかかってしまった。

もうアリスに対し、独り善がりで否定的に捉えることはしない。
そう誓いを強く込めて「ごめん」と耳元で告げる。彼女は此方の肩口に埋めていた顔を上げ、眦から落ちる雫が濡らす頬を、端正に和ませて微笑んだ。

投げ掛けられた言葉に対して、頷きも否定もせず受け止めるのは彼女の癖だ。
それに見惚れていると、背後から態とらしく咳払いが一つ。
肝心な事と、ついでに自分達の存在を忘れて二人の世界に入らないように、との諭しであった。


奮起のきっかけを与えてくれた彼らをすっかり差し置いて、人目を憚らず感涙に浸り掛けていた。
頭が火照るのを隠しながら、物惜しくもアリスから離れ、黎明の空を抱えた蝶を取りに戻る。


先程、意図せず彼女に見られてしまった姿だが、両手で包み込んで彼女の目の前に差し出す。受け取ろうと広がる小さな細い双手の上に、そっと蝶を乗せる。
彼女の白く繊細な手で寛ぐ蝶は、やけに誇らしげで、一段と色相を豊かに際立たせた。

アリスは自身の手を掲げたり顔の前に近づけて熱心に掌の中心を見つめ「みんな、ありがとう」と屈託無く笑った。

「早速着けてみてよ」と要望すると、いつの間に覚えたのか、彼女は器用に髪を横に軽く編んで慎重な手つきで留めた。

束ねた細い髪に止まった蝶は、命を思い出したように髪の艶色と同調している。微動だにしないよう接着した自身ですら、広げられた翅が今にも動き出すのではないかと思える程だ。
硝子の蝶は、この手の上に乗せた時は、未だ完成ではなかった。
彼女を飾り立てて漸く真に美しい物として生まれる事が出来たのだ。幻想の空を映す無機質の翅に胎動を与えた彼女は、陽の力で大きく開花した花のようだと、再び実感する。

オレが言葉を発する必要が無い程、他の男性陣が某妹至上主義室長の如く絶賛し、彼女も応えるように華麗に身体を回転して嬉しそうにはしゃいでいる。

賑やかなやり取りを見守り、口元を緩めていたが「ね、ラビ!」と唐突にジョニーに同意を求められる。

アリスの歓喜する姿を眺めるのに熱中していて、彼らが何について話していたか全く聞いていなかったが、この流れは覚えがある。予想していない時機に視線が一気に集中する状況。

昨日は妙な恥ずかしさに邪魔をされて紳士然と率直な感想を答えることが出来なかったが、すっかり立ち直って強固になった精神を阻害するものは何もない。彼女を見て堂々と声を張る。
「アリスは笑うと花みたいに綺麗だから、ほんとに蝶が良く似合うよな」

何故か全員沈黙した。各々目を点のようにして、この男は一体何を言っているんだ?という風に首を傾げる。
また、アリスは大きな瞳を更に見開いている。次第に頬を赤らめて視線を逸らし、慎ましい羞じらいの表情を浮かべ、前髪を整え始めた。

「本当にアリスの事しか考えていないんですね」
「は!?何?どういう事…」

呆れを溜め込んだ息を吐き捨てるアレンに視線を移し、次いでジョニー、クロウリーへと事態の解説を求め、眼で辿った。

「髪飾りの模様の話をしていたである…」
理解が追い付かない面持ちのまま、茫然と口を開いた彼の言葉を脳髄に落とし込んだ瞬間に、名状し難い羞恥がふつふつと上気し口を噤んだ。
反対に三人は、オレの反応に興味深げに笑みを湛え凝視する。アリスを一瞥、それからもう一遍視線を戻し、最後に三人で顔を見合わして、意味有りげに二、三度頷いたのだった。



「二人が仲直り出来て、本当に良かったわ…!ラビくんがアリスちゃんに平手打ちされたって聞いた時には、もうどうなる事かと…」

気が付けば昼時になっていたので、四人揃って食堂に顔を出した所、偶然居合わせたミランダが胸を撫で下ろし放った言葉である。

アレンはあからさまに顔を覆って「そうなんです。僕も、余りに衝撃的で…動けませんでした…」と爆笑を隠して肩を震わせていた。

最早誰が吹き込んだかどうかは追求するまい。
「ウン、オレモビックリデシタ」と激情を一旦掻き捨て、唯々無心に言語を紡いだ。

アリスはあらゆる方面で事実が湾曲されている事を知らないので、不思議そうに「ひらてうち?」と上目に問うてきたが「…ああ、ほら。ミランダにも髪飾り、見てもらおうぜ」とはぐらかす。
彼女は嬉々としてミランダの許へ進み出て、蝶を見て欲しいと踵を上げながら話し始めた。

何気無く廊下を遠見すると、二つに結われた長い黒髪を揺らして、やや俯いて歩くリナリーの姿が見えた。
傍でアレンも気が付き、すかさず名を呼んで手を振ると、彼女は呼び声を探して辺りを見回した。

その眼が目立つ白髪を捉えようとする刹那、悲鳴じみた叫びを置いてミランダが駆け出した。呆気にとられながらも前のめりになる背を眼で追った。

すると、勢い良く駆け出したのはミランダではなくアリスであった事が解る。あの小さな身体の何処にそんな力を溜め込んでいたのか、アリスは固くミランダの手を握りしめたまま、半ば引き摺り気味の強引な手引きで、リナリーの許へ疾風の如く脇目も振らずに向かっていたのだった。


大きな身振り手振りで高揚と何かをリナリーに伝え終えたアリスは、傍に肩で息をするミランダ、それを労い微笑むリナリーを引き連れて、実に威風堂々と戻ってきた。

ゆくりなくリナリーと視線が交わってしまい、この微妙な折に謝罪の言葉を掛けるべきなのかと躊躇う。
彼女は愁眉を開き眼を細め「ありがとう」と声には出さず判然と口唇を形どり口角を上げた。

これでは此方が謝っては意思のやり取りが破綻してしまう。送る前に先手を打たれて受け付けて貰えなくなった謝罪は行き場を無くしてしまった。
聡明な彼女の事だから、敢えてそうしたのだろう。僅かな悔しさと、惜しみ無い感謝を込め、差し当たって同じ表情を返事として送り返した。


瞬く間に出来た小さな集団を見渡す。アリスが縮んだばかりの日と変わらない周囲の笑顔が繋がり合っている。
堂内は広々としているので、通行の妨げにはなっていないが、席に座らず立ち話をしている集団は良く目立つであろう。早速厨房から飛び出し豪速で近付いてくる影が見えた。
影が合流したと思ったら、目にも留まらぬ速さでアリスが高く宙に浮く。

「やっぱり、女の子は笑顔が一番だわ!」
色素の濃い逞しい腕でアリスを抱きしめ、感極まって涙ぐんでいるのか若干震えて聞こえる料理長の悦喜に、腕中の彼女は愉快に喉を弾ませる。
唐突な二人の朗らかなやり取りに感化され、猶々清爽となった空気に包まれて昼食を過ごしたのであった。



食事が終わりに近づき、いち早く食器を置いたアリスは、何かを着想した様子で椅子から降り「ちょっとだけ、ジェリーのところに行ってくるね」と駆けて行った。

丁度いい機会が生まれたので、決心が揺らぐ前に、アリスと自分に気を配ってくれた面々に改めて礼を告げた。

「そんなに畏まらなくていいのに」「ラビも大変だっただろうから」と口々に労りを与えてくれる彼等に、朝一番に見た心の洗練を誘う室長の顔を思い出す。
……大事な報告も思い出した。

厨房を振り返り様子を窺うと、まだアリスはジェリーと話していた。
これも話すなら今の内だ。重要な結果報告と、朝の約束を果たすべく、コムイから知らされた吉報を皆に伝えた。
付け加えて、コムイは深く悔恨し、自身の責務を果たすべく粉骨砕身の気概で寝る間も惜しんで尽力したからこその結果であると、当人の努力がいかに眼を見張るものだったかを確固として力説した。

特に言伝すべき、彼の恩愛する令妹の受けをちらと見遣る。その眼差しは兄に対する敬意を内在しているように優しげであったので、上手く伝わったのだと一安心した。


然う斯うする内にアリスが席へ戻り、全員の食事も丁度終わってひと段落ついた。その折に、何を気遣ってか、男性陣がやたらとオレとアリスを余人を交えず過ごさせようとあくせく取り仕切ろうとする。

しかし、早朝から現在に至った結果を知らないコムイに、一声掛けに行くのを最優先したいと訴えた。
すると、リナリー曰く、先程訪ねた所疲れた様子で休んでいたらしい。
自分も彼に用があるので、時間を置いて、軽食を持って行きながら代わりに伝えておくから心配いらないと言ってくれた。

皆、彼女の取計らいに有り難く乗じるべきだ、と言わんばかりの視線を送ってくるので、食い下がる事はせず午後からは気長にアリスと過ごすひとときを貰った。


解散した後、アリスに何か望みはあるかと訊くと、本を読んで聴かせて欲しいという、何とも謙虚な願いを要望され、二つ返事で彼女の部屋へと向かった。

手渡されたのは絵本ではなかった。変わらず題材は児童向けのお伽話であったが、挿絵が数頁載せられている程度の、視覚を楽しませる絵本に比べると随分文学らしい物語の書籍だ。
たった二日で知識や精神が成長するものなのだろうか。それとも、身体的にはさして大きな変化は無い様子だが、薬の効果が切れる兆しであるのか。
彼女の変化に確信めいた勘は特に疼かなかった。


その勘に狂いはなく、彼女は気を遣っていたのか、語りを止める事は一切しなかったが、ふと膝の上に大人しく座る表情を一瞥した時、切迫した内容では無いにも関わらず渋い表情で口を尖らせていた。恐らくなんとか物語を理解しようと、必死の形相なのだと思った。

休憩を挟もうと考えたが、アリスが余りに真剣に文字を見つめながら聴き込んでいるので、健気な姿を堪能したいが為にそのまま読み進めたのだった。

きっと昨日の疲れも残っていたのだろう。読み始めて四半時も経っていないが、彼女はうつらうつらと船を漕ぎ始め、それから数分もしない内に寝入ってしまっていた。


幅狭く薄い背を預け、完全に脱力している彼女を抱き、丁重に寝台へ下ろす。
どうして、内容や言葉運びが難しい本をわざわざ選んだのか。と心で問い掛けながら寝顔を見つめた。

すると、存在を主張するように彼女の髪を留める蝶が銀雲を閃かせる。寝返りを打って壊しては大変だと思い、留め具を外して、脇の机の上で空を負う翅を休ませる。
蝶の下で渦を作っていた細い髪を、直線に流れるよう指で梳く。
柔らかく滑らかな髪は、指の通るまま伸び行く。病み付きになりそうな誘惑を残して指と指の隙間を撫でる髪で手遊びしながら、華奢な身体を眺めている内、規則正しくゆっくり上下する胸の動きに、段々と自身の呼吸も釣られて深くなった。

昨日から一睡しておらず、食事を摂って間もない身体は、意思の無いまま彼女の横顔に並び、また意図せぬまま瞼を閉じ、微睡みに為す術なく囚われてしまった。



意識を取り戻すと、傍の温もりが余韻すら無く冷め切っていて、彼女の姿を探して飛び起きた。身体を覆っていたらしい薄手の掛け布が、音も無く床に傾れた。
部屋を見渡すがどこにもアリスの姿は無い。人肌に包まれているような情緒の余韻すら残っていない。

彼女は何処へ行ってしまったのだろうか。もしも広大な教団の敷地に惑い心細くしていたら。或いは実験室の並ぶ階層に迷い込んで、危険な機材に触れてしまったら。窓や欄干から外の景色を眺める内、誤って足を踏み外すような事があったら…。

こんな過剰な勘繰りなど単なる空想でしかないと解っている。彼女は自身が考えるよりずっと思慮深く行動できる事も。
ただ、一度彼女を失いかけた事実が脳の深くに根を張り、未だ明確に想起できる恐怖を蘇らせた結果、これ程に容易く憂慮に苛まれてしまっているのだ。

寂寞の密室にこれ以上居られないと、堰を切ったように寝台から立ち上がった折柄、扉の取っ手が僅かな音を鳴らして、静々と扉がゆっくり開いた。


室内を探る彼女の瞳は、直ぐにオレの姿を確認して柔らかに綻んだ。
「わんちゃん、おやつの時間だよ」

アリスは後ろ手で扉を閉め、持っている何かを和かに掲げた。
しかし、それには眼もくれず立ち所に駆け寄って、跪くように身を屈め、彼女の腕を掴んで喫驚しても崩れない笑みを凝望した。

昨日の騒動は未だ解決しておらず、アリスは攫われたままで、都合のいい夢を見ているのでは、とさえ錯覚し始める消極的な思考を払拭したい一心だった。

纏わりつく思考に追い詰められ、彼女に覆い被さるように腕で包んだ。抱き締めた小さな体の温度と感触が、所々触れ合う箇所から滲出するように強張る身体を一瞬のうちに脱力させた。

「わ!どうしたの?」

「…なんでもない」

心弛びに声が震え、剰え涙が出そうになる。心細さに人に縋りたいと思ったのは、皮肉にも今腕の中にいる彼女と同じくらいの年の頃以来だ。情けなさを恥じるより、温もりを求める本心のまま、小さな身体に触れたまま微動もせずにいると、彼女はその細腕を背に伸ばし、あやす手付きで摩り始めた。

「ひとりにして、ごめんね?」
掠れ声でさえも出せず、黙って頷く。アリスはその身が解放されるまで、ずっと手を止めずに慰撫し続けてくれたのだった。



感情の高ぶりが静まり、身体を離すと「ジェリーがクッキーくれたよ。…食べる?」と嫋やかに微笑むアリスの声調に、再び喉元が引き攣ってしまったので、返事の代わりに口元を緩めて頷いた。
すると、彼女は熱にも似た光を帯びる瞳を偏に此方に向け、頬に二度、手の平で軽く触れる。

俄かに強く頭の中を弾かれたように、その仕草の真意を思い出した。
彼女が始めてこの独特の所作をした時、同時に零した言葉があった。「無理しなくてもいいよ」と。

自分自身でさえ、それが取り繕っているものだったと認識出来なかった程、いつの間にか自然に作られた虚栄。彼女から言わせると「無理に作っている時は普段の笑顔と少し違う」のだそうだ。彼女がその癖に気づいた理由はたった一つだった。
だからこそ、気付いた。その胸に抱く想いと、アリスという人間の本質は何ひとつ変わっていなかったという事に。


稚い子供である彼女は、異性愛を持ち合わせていないと決めつける一方で、彼女を女性として眼に映す自身の心理に罪悪感を感じていた。
けれどアリスの心緒は、自身のそれと違えてなどいなかった。道と道が繋がろうとするように、今、この瞬間でさえ、真っ直ぐ此方に向かって開き続けている。

だからこそ、彼女はこんなにもこの心を魅了して止まないのだ。


頬を温めるか弱い手を取り、彼女の熱を手中に受け止める。
アリスが眼前から消えてしまうのではという不安と過去が払拭された訳でも無いのに、彼女の挙動一つで安心に包まれた心地になれる単純さは、内心で自らに微苦笑を送りたい所である。

「ありがと。もう平気さ」
握った手を離し、柔らかな彼女の前髪に指先で触れる。偽りは無いかと顔を覗き込む気遣わしげな眼差しに惹起させられ、自ずと頬が緩む。

納得した様子で「よかった」と気を緩めた無防備な額に、心任せに口付けた。

仄々と花に似た香りのする髪から遠ざかり見下ろすと、アリスは分かり易い程顔から耳まで赤々と火照らせていた。

これでも殉情を抑えて親愛を表現したつもりだったが、まだ彼女とっては比興に値するらしい。
熱が冷めないままの彼女は、何を思ってか、ジェリーから貰ってきた菓子袋を開け、無言で中身を食べ始めた。木の実を頬張る栗鼠に似た動きで、一心に焼き菓子を頬張る彼女の頬が破裂しない内に、こみ上げる笑いを堪え、慌てて彼女を制止したのだった。



何事も無く穏やかに今日が終わろうと、仄暗い宵が室内に広がっている。
アリスの要望により、二人で眠りに就く事となり、そろそろ就寝する為、室内灯を消そうとすると、彼女は徐に衣装棚を開けて、中を見つめたまま動かない。
随分熱心に黙想している様子だ。明日着る服を選んでいるのだと見越し、傍で待っていたが、予想は外れていた。

「いつになったら、このお洋服が着られるくらい、大きくなれるかなぁ」

彼女は棚の端でひっそりと掛かっている衣服の裾を引き寄せ、羨望を孕んだ瞳で眺めている。

「…早く大人になりたいな」

「なんでそんなに焦ってんの?」と問い掛けると、彼女は微かに惟った動作の後「ひみつ」と凄艶に眦を細め、早々に寝台によじ登って布団の中に収まった。
疑問を浮かべて突っ立ていると、彼女は横たわったまま隣に来るよう掛布を広げて催促する。
深く詮索せず、求められるまま寝台に寝そべった矢庭に、アリスがしがみ付いてきた。

胸元に顔を擦り寄せる仕草はやはり風体と相応、無垢な子供だ。
それなのに、彼女は今も以前も変わらず自身を惹きつける魅力に溢れている、不思議な存在。

側から見れば、十幾つも歳下の幼女を好いている可笑しい男だと思われるかも知れないが、地平から見上げる頂点まで青々と澄んだ空と同じ爽快な心境は、何も迷う事は無いだろう。

可愛らしく甘え始めたと思えば、数分と経たない内に深い呼吸の音が懐から聞こえ始めた。目を閉じて規則正しく立つ寝息に耳を澄ませる内に、彼女と同じ夢の中に吸い込まれていく。

夢と現実の狭間にいる心地に意識が揺蕩う中、名前を呼ばれたような気がして、ぼんやりと瞼を持ち上げる。

幼くも妖美という不均衡な光を胚胎した眼が近付き、口唇に柔らかな感触を与えた。
心臓が鼓動をひとつ奏でる程度の僅かな時だが、確かな印象を残したそれが、何を意味していたのか理解する間も無く、茫漠と視界は暗く霞んで途切れた。



隣の彼女が身動ぐ振動に、思考が冴えていく。変わらない朝がまた今日もやってきたらしい。
まだ身体は起床を拒んでいる。夢うつつに柔らかい身体を抱き直そうと、寄り添う背に腕を回したが、眼を閉じていても解る程、幼女の身体の大きさから明らかに成長している。

視界に入れて確かめずにはいられないので、眠気を振り払い渋々眼を開くと、凛然として端正な形貌が真っ先に目に映った。

「おはよう」

横たわり微笑む彼女の肌は白い陽射しを受けて肌理細かく明るみ、口唇の薄紅も、鮮やかな虹彩も、余りにも耽美に縁取られる輪郭が、別世界のもののように感じられて、眼を瞬かせる。

「…夢?」

突拍子もない第一声に彼女は目を丸くする。くすくすと笑って「まだ寝惚けてるね」と手を伸ばして頬に触れたが、互いの体温が混ざり合う前に滑らかに離れていく。
アリスはいつもの調子で背中を伸ばして、甘える猫のように細く唸る。
本当に夢では無いのかと辺りを見渡し、寝台の脇机で鋭く光る物を見つける。
鋭く陽を返すそれに負けじと眼を凝らせば、硝子の翅が浮かび上がり、瞬く間に此処は別世界でも夢の中でもなく、現実だと認識し、脳が覚醒に向けて動き出した。


「あのね。夜中に苦しくて起きたら、子供用の服を着てたんだけど…。私、昨日飲んでた…?」

少し気恥ずかしそうに告げた彼女に、今度は此方が驚き、口を思わず開けた。

「覚えてねぇの?」
「現実みたいで不思議な夢を見てた…ってことくらいしか」

幼い彼女と二人きりで過ごした時間を、より写実的で濃密に体感したのは世界で自分だけなのだと思うと、誰も知り得ない彼女の秘密を独占しているようで、優越感を抱いた。

「それが、夢じゃないんだなぁ」

鼻を鳴らして笑って見せるも、彼女は合点がいかない様子で首を捻っていた。


「オレ、アリス限定で五歳からストライク出来る事が解った」
「ふふ、なにそれ?」
寝台から降りようとするアリスの腰に腕を回して抱き付き「行っちゃやだ」と彼女の香りに顔を埋めたまま戯れる。

「今日の君、なんだか駄々っ子みたい」

「そ。まだまだ子供なんさー。だから、もう少しこのまま…」

許しを乞うように見上げると、彼女は緩やかに微笑んで髪に触れ、そのままゆっくりと撫で始めた。
掌の温もりが伝わるような物柔らかな手つきは、三日間小さな掌が与えてくれたものと、寸分も違わない。
散ぐような心地良さの中で再認識し、気の済むまで彼女の朝を一人占めしたのだった。

[ BACK ]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -