短編小説 | ナノ

▽ Winter ephemeral

雪の絨毯に、ちいさな足跡を残して走り去る友人の後ろ姿に声を飛ばすと、小走りに遠ざかる姿が此方へ振り返り大きく両手を振った。
はーい。と弾んだ声が帰ってくる。
屋内に入っていく彼女を見送りながら、上を向いて深く息を吐くと、白く霞んだ空気が灰に淀む空に溶けていった。


事の発端は早朝のことだ。

初めて体感する刺すような寒さに目を覚ました。
私は暖かい国に生まれ育ち平穏無事な生活を送っていたが、半年前イノセンスの適合者である事が判明し、初めて故郷の国から離れ教団の一員となった。
まだ任務経験も少ない中でこれ程寒い思いをした事は未だ無く、これが本物の冬なのか。と部屋に広がる冷気に耐えながら、折角の休暇日に少しばかり朝寝坊をするという予定を実行する為、逃げていった眠気を呼び込もうと布団の中に潜って縮こまっていた。

漸く瞼が重たくなる感覚を覚えた頃合いに、扉の向こうから早朝に似つかわしくない程明るい声で呼び掛けられた。
声の主は同じ聖職者のミレンのようだ。

彼女は私と似たような境遇らしく、更に年も近い事も相まって入団早々に意気投合した。
まだ知り合って重ねた時間は短いが、家族であり親友のような特別な存在の一人だ。

しかし、心中の天秤がやや「二度寝」に傾いたので、大切な友に対して良心が痛むが、寝た振りでやり過ごそうと無返答を貫く決心をした矢先、運悪く施錠を忘れていた扉が元気よく開き、唯一の暖は無情にも引き剥がされる。

とどめには顔を合わせた瞬間、彼女は「外に出てみよう」などと罰に近い誘いを投げかけてきた。
全身全霊、懇切丁寧に断ったものの全く聞き入れてもらえず、数十秒で着替えさせられ、容赦なく引き摺られて、嫌々ながらも表に足を運ぶこととなった。

いよいよミレンが外扉に手を掛けても尚私は渋っていたが、とっておきの贈り物でも隠しているかの様な笑みを浮かべる彼女が、両手で勢いよく扉を押し開けた直後、鬱々たる寒さと眠気は、陽の光を鋭く反射させ白く輝く世界に飲み込まれた。


こうして、人生で初めて見た雪に私は大はしゃぎし、ひとしきり二人で雪と戯れた後、今に至る。

日がな一日楽しめそうな程私達の気分は高揚していたが、私を誘い出した張本人が朝からの約束事をすっかり忘れていたらしく、二人の遊びは敢え無く終了した。

私はまだ初めて触れる冷たさを楽しみたかったので、一人でも飽きるまではこの場に残るつもりでいたものの「朝一で神田に鍛錬の相手してもらうって言ってなかった?」とミレンに問われるまで、仲間に稽古をつけてもらう約束を無理矢理取り付けていた事をすっかり忘れていた。
けれど、彼なら鍛錬場に足を踏み入れただけで次から次へと挑戦者がやって来るので時間を持て余すことはないだろう。声を掛けておけば問題ない…筈。と判断して「ちょっとだけ遅れるね、ごめんね」との伝言を一足先に屋内へ戻る彼女へ託したのだった。


ひとり耳を澄ますと、辺りは生の気配が無く淋しさを孕んだ静寂が広がっている。
動かずにいると鋭利に肌を包む空気が痛いので、気を紛らわす為にその場で足踏みをひとつ、ゆっくりと行う。
新雪を踏みしめる感触は深く柔らかで、足元で凝縮されて固まる音と感触はミレンと遊んだ際と相変わらず、心地良い。

妙な衝動に駆られ、正面から倒れ雪の上に落ちてみる。
流石に綿や羽毛のような柔らかさはなかったが、白銀の絨毯は思ったより優しく受け止めてくれた。
顔が冷たさに耐えきれなくなり転がって仰向けになると、天を覆う雲の切れ間に淡い青が覗く。一時の平和な空間に笑みが溢れた。

私の心緒に合わせて陽気な歌が何故か頭の中で流れ出し、寝転がったまま目を閉じて聴き入っていると、俄かに扉の開閉に続いて雪の軋む音が聞こえた。
雪音は次第に近づき傍らで止まる。目を開け視線だけ向けると、そこには大きな影がいるものの逆光でよく見えない。

「珍しくねぼすけが部屋にいねぇと思ったら。何してんの?」
と影が呆れ半分な口調で笑った。片膝を着き屈んだ影の主が近づくと、周りの白には溶け込めなさそうな目立つ赤髪が視界に入る。
私は何も言えずに赤と白を見比べていると、彼は私の顔についたままの殆ど溶けきった雪を撫でるように退かした。
体の真ん中が捻られているようで、思わず顔に出そうになるのを抑えるために成るべく平然に声を振り絞る。
「ラビもあそぼう」
「その前に一度着替えた方がいいと思うけど」
彼は丁重に私の半身を起き上がらせると、私の肩や頭に乗った雪を払いまじまじと見据える。
今度は吹き出して声を弾ませた。
「すげぇ髪ぼさぼさ。ほんと、何してたんさ」
伸ばされた素肌の指先は、冷えた塊を巻き込み絡んでいた私の髪を器用に解く。あっさり解けた髪に、この裏切り者。と内心吐き捨てる。
「風邪引く前に、中に入ろうぜ」
「寒くないから平気だよ」
手を差し出し立ち上がらせようと促す彼に反発すると、諭すように私の手を取り両の手で包んだ。掌の中、触れている肌から温かさが伝わる。
寒くないなんて嘘をどうして吐いてしまうのか。自分の体が冷え切っている事を再認識する。
「ほらな、分かっただろ?」
柔らかく隻眼を細めて首を傾げる彼の仕草に捻れの奥が痺れる感覚を覚え、返事を考えるふりをして目を逸らした。どうしてか素直には答えたくない。
「…よくわからないよ」


ラビは、私が入団した時には既に一年ほど先輩だった。
双方人見知りせず好奇心旺盛な性格だった事が相まって、彼の案内で教団内を散策したり、科学班(というよりコムイ室長)の怪しい実験を見つからないよう盗み見たり、ミレンに負けず劣らず、かなり頻繁に時間を過ごした。
正直なところ、出会って間もない時分からラビが好きだ。勿論異性として。けれど彼の恋愛対象となるには私では幼稚な面が多すぎる。その判断材料は他人から聞いた情報ではあるものの、彼の好みの女性の特徴が私には一つも当てはまらない。
それでも彼が私の側で笑いあってくれるのは、妹や同性の友人と同じ存在だと思ってくれているからなのではないか。
だから私の気持ちは間違っても隠し通すと誓った。彼が私を女性として扱ってくれなくても、ずっと変わらず好いていてくれるだけでいいのだ。

しかし、そんな強い決意が数週間前から大いに揺らぎつつある。
それがこの距離の近さだ。
確かに元々仲が良かったとは言え、こんなにも積極的に触れられる事は今まで無かった。
暫く変化の発端は何かと思考を巡らせてはみたものの、見当がつかない。
強いて言えば、初めて同じ任務に就いた後から多少の違いを感じたような気がするものの、私が特に何かをした訳ではないので、これだという確証は無く謎が深まるばかりだった。

ただ間違いない事は、確実に彼の行動が変化した事だ。
よく私を気にかけてくれる事は変わらないが、時折髪を撫でたり、手を繋いだり、唐突に抱きついてきたり、まるで恋人かのように私を扱う。けれど、彼と深い仲になった言葉交わしの覚えはない。それなのに、もしかしたら。と、つい錯覚してしまうくらいに、彼の言動は自然だ。

私は日々それを気にせず自然に受け入れているかのように見せかけている。心はいつだって彼の言動の一つ一つに過敏に反応して平穏じゃないというのにも関わらず。
ラビの行動の意味を憶測して、私だけが特別に扱われているかも知れないなんて期待を膨らませては、別の女性に対する彼の行動を見聞きして、慢心だったかも知れないと一人で傷ついている。
言葉では表現しきれない感情が、湧き上がっては複雑に絡み合い、心を締め付ける。

いつからこんなに臆病で捻くれ者になってしまったのだろう。彼に心の内を悟られ、離れられてしまうのが怖い。このまま、前にも進まず後ろへも下がらない平穏な関係を保ちたいが為に、私の言葉は本心に相反するのだろう。


彼は私から視線を自らの手の平に移し、不思議そうに交互に開いては閉じ、その内何かを考えついたのか、ほんの一時動きを止める。何を企んでいるのかと一瞥すると、悪戯めいた瞳を綻ばせた。
「これでも?」
問われるよりも早く、両頬が暖かく包まれた。
全く予想していない事態に、思わず正面で、更に不幸な事に至近距離で、私は彼の瞳を見据えてしまった。
懐かしさを覚える夏の深緑に茂った樹と同じ虹彩は、こんな日和でも褪せることなく鮮やかで、熱すら感じられそうだ。それが一筋に私だけを写している。

ーああもう、終わりだ。きっと全て壊れてしまう。
隻眼を鋭く光らせる獣に追い詰められた気分だ。きっともう逃げる術は一つもない。
これ以上求めずにはいられない。願望が引きずり出されていく。
「これだけじゃ足りない…」
私の双眸は、命乞いをする被食者の如く情けない色をしているに違いない。
恥ずかしさと後悔が溢れ、離れて立ち上がろうと試みた刹那、緑眼の奥に光が揺らいだように見えて、思わず動きを止めてしまった。
頬の温もりがゆっくりと離れて行く。自重の効かない理性に嫌気を覚えた。それでも尚彼を追い掛けたいと暴れる衝動に、涙が溢れそうだ。
堪えて目を閉じるも、少し息苦しさを感じて直ぐに視界を開く。しかし目に入ってきたものは白の景色でも緑の瞳でもなく、黒い。

「オレの都合の良いように受け取るからな」
自体を理解できずにいると耳元よりも少し高い位置から、酷く落ち着いたラビの声が聞こえる。
事の起こりに遅れを取っている私は、身体が温もりを感じてようやくその腕に抱かれている事に気づく。
私は期待しても良いのだろうか?逸る気持ちと言葉は相変わらず噛み合わない。

「いいよ」
的確に私の気持ちを伝えつつ彼の思いを確認できる言葉があったのではないか。今まで本心を隠し、押さえ込んでいた反動か、他人事のように淡白な答えしか導き出せない。
私の背中を優しく包んでいた腕が小さく動いて、込められた力が少しだけ強くなる。
「…意味解ってないだろ?」
彼が疑念を抱くのは、余りにも口下手な返事とこれまでの反応の薄さ故だろう。
どちらも私の自業自得であり、今の私では上手い口説き文句なんて思いつかないし、万が一閃いてたところで、言葉にして伝えられる自信がない。
けれど、これ以上自分自身にも、ラビにも、気持ちを隠し続けるのはやめることにした。

私は身を捩ってお互いの身体の距離をあけ、ラビの両肩に手を添えた。
身構えられる前に力を込めて思い切り体重をかけて押す。
全く予想していなかったのだろう。思い通りに体は傾きラビが素っ頓狂な声を上げる。ついでに思い切り過ぎたらしい。勢いづいて一緒に倒れこんだものの、起き上がって見下ろすと、私の下になっているラビが雪に埋もれかけていた。
起きている事態が理解できていないのか、驚いた表情でラビは固まっている。
私が彼にそうしてもらったように、彼の髪や頬に落ちている雪をそっと払う。

払いきれず口許に残った小さな雪の塊に指で触れると、私の冷えた指の温度でもじわりと溶けた。互いの肌を僅かに隔てるそれを滑らせ呆けて開きかけている彼の口唇を濡らす。
微かに身体を震わせた彼が何かを言おうとするが、私は顔を近づけ目を閉じ、ほんの一瞬口付けた。

ゆっくり顔を上げながら目を開き、驚いているのか笑っているのか、判断のつかない表情で相変わらず硬直しているラビと視線が交わらせた。
自身の行動に恥ずかしさが込み上げ即刻立ち去りたくも思ったが、羞恥以上に扇情された感情は逃げるという行動を抑制した。せめて表情だけは見られまいと彼の身体に被さり首元に顔を埋めて隠す。
「意味、間違って、ますか…」
途切れ途切れで消えそうな語尾をなるべく振り絞って声に出し問うと、同じくらい弱々しい声が頭の上から帰って来る。
「間違ってません…」
何の意味もない返事を短く返すと、会話が途絶えてしまった。自分の感情に任せて取るべき行動では無かったのだろうかと、不安が胸を掠める。

「アリス。オレずっと言えなかった事があって」
私を片方の腕で抱いたまま上体を起こし、ラビが口を開いた。何時もの飄々とした話し方でもなければ、優しげとも言えない、彼にしては珍しく辿々しくてどこか懸命さが感じられる語気だ。
きっと彼は私を真っ直ぐ見つめてくれているだろう。気恥ずかしさで顔を上げられないでいるのが申し訳なく思えて来る。
「結構大事な事だから、こんなところじゃなくて…」

ラビの声が突然止まった。
腰に回された腕の力が無くなり、密着した身体を離して顔を上げると、ぱらぱらと割と大きめな雪の塊を頭の上から落とされている彼の姿が目に映る。
雪が降ってきたのではない。余りに粒が大きい…というより最早塊だ。
次いで雪をラビに落としている小さな姿が口を開く。

「神田が怒ってる」
先刻まで雪遊びを共に楽しんでいたミレンだった。真っ白なコートに薄桃色のマフラー、触りごごちが良さそうな耳あてに雪靴。過保護な誰かが、外に出るなら最低これくらいは着込んでください。と、てきぱき用意したであろう姿が容易に浮かぶ。
微笑ましい感情に浸っている場合ではない。ミレンが開口一番にぽつりと呟いた言葉を反芻する。
「………あ。また忘れてた…」
「真っ二つに叩き斬るって。早く行かないと」
私達の状況には一言も触れず、屈んでミレンは私の服の裾を控えめに引っ張る。
ラビは何か抗議したそうにミレンを見上げていたが、当の彼女は私を立ち上がらせると、早く引き離したそうに後ろから私を押して目的地へ誘導しようとする。

ミレンを振り切るわけにもいかず、途中になっている話はなかった事になってしまわないか、不安になり振り向く。
「後で、会いに行く。…だからユウに真っ二つにされるなよ」
その言葉を聞いて、自分でも分かるくらいに明るく短く返事をすると、ラビはひらひらと手を振りながら離れていく私とミレンを見送ってくれる。
「うん。待ってるね」
彼に届いたかはわからないけれど私も彼の言葉を噛みしめる様に、自分に言い聞かせる様に答えた。


「今日はお砂糖たっぷりのミルフィーユね」
早足でお怒りの鍛錬相手の許へ向かいながら、隣に並ぶミレンが微笑み弾んだ声で言う。
側から聞けば今日のティータイムの予定の様だが、これは彼女独特の比喩だ。私が浮き足立っていることはお見通しらしい。
「そうだね…普通の人は胃もたれしちゃうかも」
「隣に苺アイスを添えて」
「…もう」
ラビから引き剥がすように私を連れ出したので、あまり機嫌が良くないのかと思ったものの、私を茶化す笑顔は悪戯を楽しんでいる子供さながらで、呆れながらも安堵した。

それにしても、先程の事を数歩歩いては思い出し、嬉しさが身体中から溢れて少しも抑えられそうにない。
これから神田に謝りに行くというのに、間違いなく反省の意思なしと見なされて容赦なく叩きのめされる運命は変えられそうにない。
せめて真っ二つにされないようにするため、冷えて固まっている身体を準備運動をしながら足を進める。
「ずっと外にいたから、寒いでしょ?」
「今は、…もう平気」
顔も、指も、足も、まだ温まっていない身体中が寒さを訴えているのに私は相反する言葉を零す。

「…出来たてのフォンダンショコラ」
別れ際にため息混じりの親友の声を背に受けて、彼女の表現通りすっかり溶かされた身体の中心の温度を感じながら、私に熱を与えて止まない人の姿をもう一度思い浮かべた。

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