長編小説 | ナノ



 Le monde de arc en ciel d'étoiles


]]]U

浮遊感が消え眼を開けると、私は森の中に立っていた。
何が起きたのか全く状況の整理が出来ていない。恐らく、あの不思議な世界から脱出したのではないだろうか。

「皆は……」
周囲を見回すが、木立の群れがあるのみで人らしき影は見当たらない。
ふと、拳に違和感を感じて見遣る。いつの間に手にしていたのか、淡く光を灯す二対の歯車の中心で輝く結晶が手中に収まっていた。
どうやらイノセンスは無事回収できたらしい。僅かに胸中で安堵が生まれた。

明らかに本来の形ではない離脱をした私が無事だったのだ。ニアールやラビ達も無事である可能性は十分ある。
此処で闇雲に仲間を探すより、今は兎に角アクマと鉢合わせないよう慎重に町へ戻るのが先決だ。
薄く息を吐いて結晶を鞄に仕舞った。その折柄。

「誰カ、居まセンか」
背の方で抑揚が全く無いのにやけに大きく響く女の声が放たれた。
その途端に鼓動が驚きを上げ、緊張と共に巨大な脈打ちを始める。それを耳元に感じながらも早急に下生えを探して身を潜めた。
隠れてからも女の声は収まらず、延々と同じ台詞を同じ抑揚の無さで叫び続けている。

――どうも態とらしい。罠を張っているのかも。

ラビが教えてくれたように、周囲に他のアクマ達が潜んでいて声を上げるアクマを囮としてエクソシストをおびき寄せようとしている可能性がある。

――……或いは。

巡る思考がもう一つの仮定を出し切らない内に、極小さく背後で草を踏み締める音を聞き取り、反射的に振り返った。

「見付けタ」
真後ろに立っていたのは、口元だけを笑顔に模った中年の男性。その皮を被ったアクマだった。
目の前のアクマは既に身体を兵器型に転換しつつある。身を守りながら直ちにこの場を離れる以外の選択は無い。
強く地を蹴って目の前のアクマから距離を取った。するとそれを待ち構えていたかのように辺りの木々の影から続々とアクマ達が姿を現す。

――始めから囲まれていたんだ……!

狙いを定められないよう全力で駆け出しながらイノセンスを発動させる。
背中を狙う砲弾が飛び交い、私は木々を縫うように走りそれらを避けていく。駆ける最中で改めて周囲のアクマの姿を目視した。
――数は六、で間違いない。逃げるより戦った方が生存率は多分、高い。

息が切れる前に、機を見て発動の唄を放つ。
忽ち身体能力が強化され、より正確な状況確認をすべく攻撃を避けながら広く辺りを駆け抜けた。

その立ち回りの中で、強化された状態ならばレベル1のアクマの攻撃は余裕を持って避けられるのが分かった。
それから攻撃の法則も見えて来た。ラビが言っていた通り、かなり単調で確かに読みやすい。
私は素早く剣を抜き、もう一つの唄をうたう。剣の色が変わったのを確認し、そろそろ反撃の体勢を整える事にした。

六体のアクマの位置を把握したので、一旦木の幹に背を預けて身体を隠す。
すぐさま身を低く屈めて、深い草に身を隠しながら最も近い距離にいるアクマの背後を取るべく走る。

想定通り、実に容易く球体の真後ろを捉える事が出来た。周囲のアクマはまだ私の速度に追い付けていない。前進を止めず息を吸い振りかぶり、直ちに短く吐きながら打ち下ろす。
すると教団で像を断ち切った時と同様、機体は剣の軌跡に沿って真っ二つに割れた。
爆発に巻き込まれないよう足を止めずにその場を離れ、次に狙うアクマの元へ走った。

一体目のアクマの破壊に気を取られたのか、他のアクマ達の動作が一瞬停止した。これなら想定よりもずっと楽に動けそうだ。
私は二体目向かって更に加速しながら突き進み、動作再開の挙動が起こる前に両断した。
続いて三体目、と冷静に戦う内に、徐々にレベル1のアクマに対しての立ち回り方も解ってきた。

――これなら、一人でも凌げる……!

一撃毎に力が、速度が増していくのを感じていた。
それと同時に頭の中で新しい唄が流れ出す。もしかしたら新たなイノセンスの能力かも知れない、と唄声を追い掛け声に出しながらアクマの砲弾を避け、そして剣戟を放つ。

次第に頭の中の旋律に発声が追い付き始めた。
矢庭、新たなアクマが木立の間から四体現れるが、少しの焦りも生まれない。
それよりも、私の声と頭の中を流れる声がもう少しで重なる事に、何処か私は高揚していた。
先行されずとも旋律の続きが分かる。まるで身体が覚えていたかのように。

そんな最中だった。
跳躍しながらこの剣を振り抜かんとした時、もう一つ新たな声が現れた。しかしそれは私の声でも、内の声でもない。
まるで、相対するアクマが発しているかのように私には聞こえた。
しかし唄と呼ぶには悲痛で、叫びと呼ぶには儚い。救いを求める嘆きに近い。そう感じた。

声の振動が自然と私の切っ先を誘導する。力を入れず薙いだ剣はアクマの体には触れず、真上の空を斬る。
けれど空振りではない。重々しく硬い何かを断ち切った手応えが確かにあった。

その刹那だ。対峙する機体は、燃料が途絶えたのか鈍く震えて唸り始め、時を待たずして落下する。
留め具を全て失ったかのように、自重を支えきれず崩れていった。
音を立てて爆発する事もなく、地に落ち切るよりも先に静かに砂となりながら、霧散する。その折に、錯覚かも知れないが、微かな人の声で「ありがとう」と聞き取れる音が私の耳元に残った。

]]]V

一瞬、不思議な現象に気を取られたが、まだ頭の中で唄は続き、悲痛の声もそこら中で哭いている。
素早く体勢を転換して、次のアクマの元へ近付いた。
やはりそのアクマも同じく哭いていた。
助けに呼び寄せられるように剣を薙ぎ、そして見えない何かを切断すると、直後機体は散ぐ。
先程の現象は偶然ではなかったのだ。私の身に、或いはイノセンスに何らかの変化が起きているに違いない。

同時にいよいよ、脳内で流れる歌の先導無くして、私は新たな唄を、口にする。……その瞬間だった。

不意に耳を塞がれたように、唄声が途絶え、続きの音階も拍も何もかも分からなくなった。
その拍子に発動も解けてしまう。途端、身体が異様に重くなったように感じた。

能力酷使の反動だろうか。しかし過信を恥じている暇はない。
再びイノセンスを発動しようと唄を口にするが反応が全く無い。剣もただの金属製の武器に戻ってしまった。

何とか間一髪の所で砲撃を回避し、木の影に身を隠した。焦りがにじり寄る。
イノセンスを持っているのは私だ。なんとしてでも切り抜けなければならない。しかし、どうやって。
全くイノセンスの音が聞こえない、身体が思うように動かない。そんな状況でどう対処すればいいのか、それさえ考える間が無い。

アクマは私を探して辺り構わず砲弾を乱射している。隣の木は木屑を散らしながら倒れ、身を隠す木の幹にも大量の弾丸が一斉に打ち込まれ、私は身を屈めた。
どうやら更にアクマの数が増したらしい。
位置どころか、その数の確認すら今の状況では困難だった。

もう、逃げる事も不可能だ。
思考が凡ゆる情報を処理しようとしても、考える程に混乱する。どう立ち回ろうにも己の身体が銃弾を受けて肉塊になる情景しか見えない。
視界が白んでくる。
身体を縮こめて、何度も旋回する予測の中で固まった。

――アリスちゃん!」

突如、目の前に白いものが現れた。
視線を上に向ける。

「エマ、ティット」
――駄目、彼は戦えない。私が守らないと。行って、戦わなければ。じゃなきゃ、このまま、二人共……――

「アリスちゃん。落ち着いて、ちゃんと息をして」
――……いき、息。呼吸、深呼吸……。そうだ、ゆっくり吸って……。

告げられた言葉を理解した瞬間。
動き出した思考と共に、身体が反射的に大きく空気を取り込み小さく咽せる。長い時間無意識に息を止めてしまっていたらしい。
薄らいでた感触や感覚を取り戻して、身体が震えた。

「大丈夫だよ。ゴーレムはある?」
上手く声が出せず、頷いて手を鞄に伸ばす。しかし震えて思うようにゴーレムを鞄から取り出せず、手に取ったものの地面に落としてしまった。

こんな簡単な動作ですらままならない。この精神の弱さに泣きそうになる。
しかしエマティットは咎めもせず、私の頭に手を軽く置いた。髪を少し雑に撫でながら、地面に転がるゴーレムを拾った。
アクマの攻撃が鳴り止まない中、彼はゴーレムを手早く操作し、私の手の平に乗せて握らせる。

「直ぐにラビ達が来るよ。だから、此処を動かないで」
そう言って笑顔を残し、彼は茂みから出るとアクマの群れに向かって走り出した。
「イノセンスが欲しかったら俺に追い付いてみなよ、ウスノロ共!」

握った拳を掲げながら彼が叫んだ直後、一斉に砲弾を撃ち鳴らす音がけたたましく響く。身を縮こめて衝撃を覚悟した。しかし、砲弾はこちらに向かっては来なかった。その上騒音が次第に遠ざかって行く。

――嘘。まさか。エマティットを追いかけて行った……?

力の入らない足腰を動かし、よろけながらも茂みを出ようとするが、直ぐに力が抜けて膝から崩れる。
それでも這いながら前進し、何とか立ち上がった。
周囲を見回すが、アクマは一体残らずエマティットを追いかけて行ってしまったらしい。

レベル1は機体自体の動きは然程早くは無いが、無数に打ち込む銃弾がある。況してや彼を追いかける数は恐らく十近くはある筈だ。
彼が常人よりも優れた身体能力があったとて、逃げ切れる可能性は極めて低い。
……けれど、彼にその無謀な選択を取らせてしまったのは私の責任だ。

――助けなきゃ。お願い。唄を聴かせて。

深々埋まる弾痕と、薙ぎ倒された木々を追い掛けながら、何度も呼びかける。
――もっと早く走らなきゃ。どうか、間に合って。

どれだけ全力で足を動かしても、音に近付けない。それどころか遠ざかる一方だ。

――どうして、こんなに呼んでいるのに!

「……応えてくれないの!!」

涙ながらの懇願に、漸く僅かながら答えが返ってくる。何とか発動までは漕ぎ着けた。しかし、もう一つの唄は聞こえない。
それでも何とかこれならエマティットに追い付けるだろう。肺に痛みを感じながら、必死に足を動かした。

]]]W

――追い付いた!

アクマが打ち鳴らす砲撃の音から位置を予測して先回った結果、エマティットとアクマ達の丁度真横に辿り着く事が出来た。
このまま進めば上手くエマティットとアクマの間に入れる筈だ。

やっと見えた白い団服は砂埃や土で随分くすんでいるが、血の色は一つも付いていない。
その横顔に緊迫が胚胎しているものの、困窮の色はなく、まだ余裕すらありそうにも見受けられる。
きっとアクマを引き付けるのが彼ではなく私だったらこうは行かなかっただろう。発動は出来た。あとは剣に力を宿すだけだ。

――エマティットを守りたいの。だから……――

そう呼び掛け始めた時、俄かに一斉にアクマ達の攻撃が止み、隊列も停止した。
私は慌てて立ち止まり周囲を確認した。何もいない。なるべく音を立てないように近付きつつ、アクマの数と位置を確認しながら唄を紡ごうと息を吸ったその折柄。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、どこ……!」

銃声の代わりに聞こえてきたのは幼い少年の泣き声だ。
草葉を掻き分けて出てきたのは、声音のままの小さな少年だった。
涙で声を震わせながら覚束ない足取りでエマティットに対面するように進行方向から現れた子供は、彼に向かい歩み寄っていく。

少年を見据えたエマティットは、構えもせずただ直立に足を止めた。その面持ちは明らかに動揺の色を映している。
この状況ではあってはならない危険な反応だ。少年はアクマの可能性が非常に高い。私などよりも、それはエマティットの方が鋭く培われた勘で理解している筈だ。
もしや、彼にとって、理屈ではない何らかの理由があるのかも知れない。
けれど今は兎に角その足を再び動かす端緒を作らなければ。

「離れて!!」

私は直ちにエマティットの方へ駆け、声を張り上げた。
声が届いたのか、彼は足を後ろに引いて少年から遠ざかろうとするが、それよりも早く少年がエマティットにしがみつく。

白い外套を割き、エマティットの背から鋭い切先が突き出た。その剣身は赤い液体で濡れている。

「バーカ。まんまと引っ掛かったな」
少年は身を引き、剣に変貌した腕を愉快そうに掲げた。
エマティットは苦痛の表情で、刺された腹を押さえるが、膝から崩れて倒れ込む。

「ガキの姿は楽で便利で楽しいねぇ。もしかして。弟にでも見えたの? お兄ちゃん?」
いたいけな少年の声音が、獰猛な機械音を交えて野太く変貌する。
下卑た嗤いを上げて、小さな身体は張り裂けながら歪に姿を転換する。

――なんて、……何て卑怯な事を!!

私は怒りに叫び、衝動のままに斬り掛かった。
慟哭に似た唄声が耳の奥で鳴る。殉情のまま、音を引き摺り出すように唄にならない喚きを放った。

]]]X

それからどう戦ったのか、はっきりと覚えていない。けれど、自身とは思えない程の速さと荒々しい剣薙で、忽ちにアクマを一掃したのは薄らと記憶に散らばっている。
咳き込んだ途端意識が浮かび上がり、憤怒から自我を取り戻した。喉も身体も痛くて堪らない。
周囲には砂や土が撒き散らされ、木々がなぎ倒され、激しい戦いの痕跡だらけだった。

「……エマティット……!」
幸い、殆ど無意識ながら、彼が居る場所は荒らさないよう立ち回っていたらしい。
倒れ込んでいるエマティットの姿はすぐに見つかった。
その身体には多少の土が降りかかっているが、アクマの攻撃が当たった様子はない。
……貫かれて赤く衣服を染める腹部を除いて。

気を失っているようで、まだ息がある。
そして服への血の広がりがまだ少ない。まだ彼が傷を負ってから長く時間は経っていないのだろう。
私は剣で自身の団服を切って、止血しようと彼の傷口に押し当てる。
けれど直様布の許容を超えて血が溢れてしまい、全く意味を為さなかった。
傷は背中まで貫かれている。だから一方を塞いでも無駄かも知れない。
それでも、一縷の望みがあるのなら彼の命を繋ぎ止めたい。何としてでも。

すると、エマティットの口唇が小さく震えた。

「マルス……。ひとり、か? 父さんと、母さんは……」
彼は気が付いたものの、虚な瞳は私を見ているようで、焦点が全く合っていない。きっと、意識と記憶が混濁しているのだ。

「私だよ。アリスだよ。しっかり、エマティット……!」

「…………アリス……ちゃん?」
彼は起き上がろうとするが、身動いた途端にその面持ちが苦悶に変わる。自力では身体が動かせないのだ。
私は彼の上体を膝の上に乗せて、ゆっくりと支えながら抱き起こした。

――だめだ。血が……、止まらない……どうしたら……。
エマティットは視線を自身の腹部に移し、傷口を押さえる私の拳の上に手を添える。
私の指の間から溢れている血が、彼の手も容易く濡らし、赤く染める。
その様子を無言で見つめるエマティットは、悟ったように一度、眼を閉じた。

――不安にさせちゃ、生きるのを諦めさせちゃ駄目だ。死を受け入れさせては駄目。

私は震えそうな声を押さえながら訴えた。
「大丈夫だよ。さっき、エマティットも言ったでしょ? きっと、もうすぐラビ達が来てくれるから。だから。そうしたら……」
彼に希望を与えられる言葉を選びながら必死で口を動かしていた折柄、重なる掌が私の拳を握る。

「アリスちゃん」
呼ばれ、彼と視線が交わったその途端、気付かされた。彼の温度が恐ろしい程に冷え切っているのを。私は遂に言葉に詰まり、口を閉ざした。

「俺、後悔してない、からね……」
彼の瞳が何も映していない。
酷く虚ろで、忽ち生気が消え失せていく。光が消えていく。腹部に添えた手を離し、急いで冷たい彼の手を取る。
強く、強く握り締めた。

「待って……! エマティット、あと少し、もう少しだけ耐えて!」
彼の眼を覗き込む。けれど、反応はない。
体を揺すっても、もう瞬きさえしない。

「……。……返事して、エマティット。ねえ、お願い」
「…………お願い、だから」
どれだけ彼の名を呼び続けても、応えはない。どれだけ手を強く握っても、冷たい手は私の手を握り返してはくれない。

また、私の無力の所為で大切な命が犠牲となった。
あの家から解放されても、誰かを救える力を手にしても、私が私である本質は変わらない。

――私、には誰も救えない。
祖父が並べた論いの言葉が脳内に響く。視界が暗く濁った。

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