長編小説 | ナノ



 Le monde de arc en ciel d'étoiles


Y

向かう先は科学一班の階層。
三日前、ジョニーから出発前日の午前の内に団服とアクマとの戦闘に必要な備品を用意しておくので、取りに来て欲しいと言われていた。
その時間にはまだ早いが、これまで私は自分の事以外に気が回らず何一つ手伝いをしていない。僅かでも役に立てる事があればと考え、歩みを進めている次第だ。
階層を下って行くと、科学班員の面々が今日も変わらず一日の終わり間近のような面持ちで其々の作業に勤しんでいる。手を止めさせない程度の軽い挨拶を交わした。

「アリス、丁度良かった!たった今出来上がったよ!」
階段を降りている途中、私に気付いたジョニーが明るい声を掛けてきた。見下ろすと他の班員達も笑みを浮かべて待っている様子だった。
達成感を露わにした雰囲気に釣られて私も期待が一気に高まった。残りの階段を駆け下りて彼らの元に行く。
「なんとか間に合って良かったぁ」
脱力と歓喜の狭間といった相好のジョニーは、タップに支えられつつ折り畳んだ黒の衣服を高々と掲げる。
「ありがとう。……まさか、一人で作ってたの?」
「ううん。タップ達と手分けして作ったんだ。オレは仕上げをやってたとこ」
「そうなんだね。でも皆、大変だったよね。少しでも手伝えば良かったのに……今更でごめんね」
「気にすんなよ。団服作りはオレ達の専門分野みたいなもんだから」
タップが顔を向けた机には、金属製品でも作るかのような機械が散乱している。
衣服を作る為の機材には到底見えないが、布の切れ端も散乱しているのが何よりの証拠だろう。
彼等なりの気遣いの言葉であるのは勿論、下手に素人の私が関わろうとしても返って手間を増やしていたかも知れない。

「それはさて置き。ほら、見てみてよ!」
気が急いでいる様子でジョニーは私に団服を手渡す。受け取ってみると案外軽い。
その場で早速広げてみると釦や肩の装飾、そして薔薇十字の位置など基本的な意匠は他のエクソシスト達と同様で、リナリーの団服のように一続きになっている。
しかし彼女のそれとは違い、この服にはケープがあしらわれ、腰に何かを吊り下げられそうな細身のベルトも付いている。延いては有難い事に膝丈だ。他にも所々細部の作りが異なっているようだ。
依頼した日に告げた要望を正確且つ、私の為にと趣向を凝らし仕上げてくれたのだろう。
眺めているだけでもそれが伝わってくるのが、とても嬉しかった。

「すごく可愛い……」
「気に入った?」
「うん、みんなありがとう!」
「まだまだあるよ。ブーツと、それからポーチもね」
いつの間に後ろ手に隠していたのか、ジョニーは右手、左手、とそれぞれ手に持った物を高々と見せてくれる。
「あと、これはアリス専用のゴーレムな」
ジョニーに続いてタップがそう告げた矢庭、小さな羽音を立てて黒い物が此方に向かって飛んできた。
目の前で器用に羽搏きながら停止している単眼と視線が合う。
「私の?」
ゴーレムとはこの蝙蝠のような物体の名称だ。ラビがあの町で通信の手段として使用していたのを見ていたので、その存在は覚えていた。
しかし教団に来てからは殆どその姿を見ておらず、個人に支給される物だとは知らなかった。

両方の掌を差し出すと、ゴーレムはゆっくりと中心に降りて来た。
羽を休めるように私の掌に乗せる姿は、機械なのだと分かっていても何処か生き物らしくて愛嬌がある。
「使い方は後で教えるよ。……あと、これは作り手のわがままだけど。折角だから団服、着てみない?」
ジョニーがおずおずと尋ねた。対して私は思いもよらない提案に困惑した。

彼らが常に激務に追われているのは、この一月で連日と言っても相違無い程見てきた。団服の製作が終わった今、彼等にとっては物を渡せば漸く一つの作業の完了となる。
そうすれば直ちに次に取り掛かるべく、私には早々に立ち去って欲しいと思っているのではないか。そう予想していた。
ただ、教団の人々は心根の優しい人が多いので、ジョニーの言葉は単なる社交辞令なのかも知れない。
新たな服に袖を通すのは私だけが楽しみにしていると決め込んでいただけに、彼らに配慮するなら丁重な断り文句を述べるべきか、言葉のままを飲み込んで彼等の輪の中に居座っても構わないのか当惑した。

「自分のデザインがばっちり本人に似合ってるのを見届けるのが、ジョニーの楽しみなんだよな」
「そうそう。それに俺達も、少しは癒しが欲しいもんな……」
声を上げた班員の一人に続いて、共感の声が辺りから投げかけられる。「癒し」の意味はよく分からないが、彼等の発言から団服を着た姿を心から共に見たいと言ってくれているのだと、肯定的に受け取った。
「私も、皆に見て欲しいな。直ぐに着替えてくるね」
「行って帰ってくるの面倒でしょ?ちょっと待ってて」
大急ぎで着替えられる場所を用意するからとジョニーに言われ、手際よく人払いされた同階層の別室に案内された。
其処で胸を躍らせながらも早々と着替えたのだった。

Z

着替えを済ませてみたものの、いざ披露するとなると緊張と気恥ずかしさが増して、班員達の前に現れるのが躊躇われる。
壁に身体を隠しながら、気付かれないよう静々と顔だけ覗かせて皆の様子を窺った。
別室には丁重に姿見まで部屋に運び入れてくれていたので、何度も見直した為、着崩れてはいない筈だ。
けれど彼等の期待に添えなかったらどうしようかと、今更になって臆病心が顔を現した。
この団服自体は大層気に入っている。むしろ私には勿体ない位に素敵で可愛らしい。だからこそ折角皆が丹精込めて作ってくれた物の魅力を私が台無しにしていないか心配だった。

壁の影でまごついている私に最速気付いたのはジョニーだった。
「あっアリス!着替え終わった?」
すると彼は待ち望んでいたかのように満面の笑みを浮かべて、まるで子供のように駆け出す。
しかし、左右背後から伸びる他の班員達の手が彼を取り押さえた。
「ジョニー、一人で抜け駆けする気か!」
「急かさないで皆で静かに待ってようって言ったじゃんか!」
剣呑とした気配は感じないものの何やら私が遅い所為で揉めているのだろうか。私が出て行かないとジョニーが揉みくちゃにされてしまいそうだ。
「み、皆。待たせてごめんね……!」
壁の影から飛び出して、押さえ込まれているジョニーの許へ駆け寄った。
忽ち周囲から歓声に似た声が上がって、思わずたじろいだ。しかしあれこれと慮っていた思考は杞憂に過ぎなかったのだと、彼等の面持ちを見て覚った。

「やっぱり凄く似合ってるよ!」
班員達の隙間を潜り抜けてジョニーが現れた。心なしか厚い彼の眼鏡が煌びやかな光を帯びているように見える。
彼の一言を皮切りに他の班員達も其々に口を開き出す。
「リナリーちゃんの服も似合ってたけど、こっちの方がアリスちゃんには合ってるみたいだな」
「俺……なんだか、娘の制服姿を見ている気分だ……。娘いないけど」
「お前そもそも奥さんも貰ってないじゃねえか!」
楽しげに賑わう彼等の中心で、私も気付いた時には笑いながら言葉を交わし合っていた。
たったそれだけだとしても皆に元気を与える端緒が生まれたように感じて、希望の芽が大きくなっていく心地だった。

[

「おや。珍しく賑やかだと思ったら、もうお披露目が始まってたんだね」
賑わう声の間から、明るくも落ち着いた声音が聞こえてきた。
それが誰なのかは直ぐに分かったので、班員達が開けてくれた通り道を小走りに抜けて声の主の許に行く。
「コムイ!」
彼もまた他の班員同様、疲労が抜けていなさそうな挙措ではあったが、私が目の前に立つと円やかに笑む。
「僕もとても似合ってると思うよ」
「ありがとう!こんなに素敵な団服を作って貰えて、凄く嬉しい」
眦を細めるコムイは私に向かって手を近づける。頭を撫でてもらえるものだと期待して待っていたが、不意にその手が方向を転換してしまい、此方には届かなかった。
そして彼は思い出したかのように、口を開く。

「……そうそう。この団服は普通の衣服とは違って耐久値が格段に違うから、戦闘でもしっかり役に立つよ」
「確かに、いつも着る服とは生地が違うみたい」
袖を眺めながら呟いた。通常の衣服と異なるとは言っても、着心地は少しも不快にならない。寧ろ肌触りも厚すぎず硬過ぎず丁度良い。しっかりと体温を保ってくれるが、ある程度通気も良さそうだ。ジョニーが言うには暖、寒冷などの気候に合わせて生地を変えた服を、もう何着か用意してくれるという。
現在が初夏とはいえ、明日からの任務地はアイルランドの中でも北部且つ山沿いに位置した地域にあるので、今回の一着は寒冷地寄りなのだろう。
それでいて身体を防御する役目も兼ねているとは、彼等の技術力の高さには何度も感嘆を上げてしまう。

「それでね、アリス。団服を着る上で一つ、知ってもらいたい事があるんだ」
コムイの声音が僅かに低くなった。どうやら重要な要項があるようだ。私も緩みつつあった頬を引き締めて頷きを返す。
「以前、教団の外に出た時点でいつでも臨戦態勢に入れる状態でなければならないと、伝えたよね?」
「うん。イノセンスをアクマも狙ってるから、鉢合わせてしまう場合が多いって」
「それと、アクマとの戦闘が多いもう一つの理由が、団服の胸元に付いている薔薇十字なんだ」
彼は自身の胸元に飾られた十字に手を添える。
「この紋章の意味を知るのは、黒の教団と関係者や協力者。それから千年伯爵とアクマ達。……でも教団関係者達は、共通認識として僕達と出逢っても自ら話しかけてくる事はない」
その理由は、エクソシストが近づいてくる人間が敵か味方か判断し易くする為。
つまり、薔薇十字を携えたエクソシストに自ずから近づく存在は、敵である可能性を疑えという事だ。
……不意に想起した。私が薔薇十字の意味を知っていたのは、祖父とある男性との会話からだった。
思えば、あの家は教団の関係者だったのだろうか。一つの疑問が生まれる。

「コムイ。その人達以外にも、紋章を知っている人はいるの?」
「そうだね。一般市民でもエクソシストとの接触で知った人も中にはいるね。それから、同じ人間でありなから僕らの敵となる人々も」
「人間なのに、敵……?」
「そう。残念だけど、伯爵に加担する人々もいるんだ」
その一言に衝撃を隠せなかった。しかし考えてみればあり得ないことではない。現に、甘い言葉に唆されて愛しい人をアクマに変貌させてしまう人がいるのだ。確信を明かさず、都合の良い弁論を信じ、或いは洗脳されてしまったり、若しくは世界の終焉が正しい人類の道だと共感してしまう人がいる可能性は否定出来ない。

それは、祖父は教団ではなく、伯爵の協力者の可能性も捨てきれないという事にもなる。
況してやあの人は、己の利をかなぐり捨てて世界の平和の為に、なんて思想は持ち合わせていようはずもない。
もしも伯爵側が好条件と引き換えに協力関係を申し出たとしたら。間違いなくあの人は利害と信用性を鑑みた上で、手を取るに値すると判断した瞬間から協力者となるだろう。
報告すべきか迷った。けれどあの家が何の関係も無かった場合、余計な手間を増やす事になる。
一層のこと何も縁がなければまだ良い。仮にあの家が伯爵の協力者だったのなら、私の血縁は黒の教団に……神に仇なす敵と確定する。
そうしたら、私は一体どうなってしまうだろう。
私自身が血縁の罪に耐えられるかどうか、仲間達がそれでも私を此処に置いていてくれるかどうか。二重の不安が滲み出した。

しかし当時の会話の内容は、幼さ故に理解しきれなかった事もあり記憶が白濁し、その美しさから興味を強く引かれた薔薇十字の形とその効力しか覚えがない。
ただ、思えば佇まいや気品ある立ち振る舞い、上流階級特有の抑揚の少ない容認発音から、話し相手は英国の貴族且つ官僚だったのではないかと推測できるが、判断材料となりそうな情報は何一つなく憶測の域を出ない。
――今は、まだ言えない……。

更に、はたと気付く。私はラビと出会って最速、彼の胸にある薔薇十字に反応してしまっていたではないか。
ラビがユウのように短気な性分じゃなくて良かったが、思えばあの時から私がアクマではないかと内心疑心暗鬼であったとしたら、もうその時から私は彼に気苦労を掛けていたということだ。
――……悪い癖だ。今はやめよう。
新たな情報を得て、渦巻きながら落ち込む心緒を内心で手繰り寄せて前を向いた。折角みんなが元気を与えてくれたのに、自らそれを手放す愚行だけはしたくない。

\

「アリス、もう来てるかー?」
研究室から来たのだろう、階下からリーバーの声が聞こえた。
階段まで出迎えると彼もまた笑みを湛えて団服を褒めてくれる。
「だけど。これが無いとまだ完成とは言えないな」
私に見えるように何かを握っている諸手を上げた。
彼が持っているのは鞘に収められた細身の剣だった。差し出された剣を受け取ってまじまじと眺める。
振るうのに程良さそうな重さだ。
剣身を鞘から抜き出すと、その素材は鞘や握りの部分も含めて黒く鈍い光沢のある金属であった。
華美ではないが護拳に装飾が施されている。何を模しているかは分からないが、洗練されていて美しい形だった。
掲げたり角度を変えたりして眺める私にリーバーが言う。

「装備型のイノセンスの加工に使う合金を使ってんだ。重量と剣身の細さに比べてかなり強度は高いぞ」
装備型と聞いてラビが戦っていた姿を想起した。
大きく硬質そうだった爪を細い槌の柄で何度も受け止めていたのは、イノセンスの力に因る所が大きいのかも知れない。しかし、それだけ素材とイノセンスの相性も良いということにもなる。
自身のイノセンスの能力でこの剣を強化すれば、装備型の武器に追随する強度が得られるだろうか。そんな期待が高まった。

「本当に、私が貰ってもいいの?」
期待を抱きつつも、貴重な代物を手にしても良いものかと、彼を窺い見る。
「当たり前だろ。そこのベルトに付けられるようになってんだ」
リーバーは呆れた笑いを含みながら答えた。
「そんで、任務前にばたつかせて悪いんだけど。改良の参考にしたいから一度使ってみてくんねぇか?」
「勿論!早速身体を動かしてみたかったから、丁度良かった」
「よし。それじゃ、早速修練場に行くか」

「リーバー班長!イノセンスありで試すんですか?」
ジョニーが嬉々として手を挙げながら前に出る。
「出来ればそうして欲しいけど……。アリス、いいか?」
「うん。そのつもりだよ」
答えるや否や、続いてタップもジョニーに続く。
「もしかして、この前のアレを?」
問い掛けにリーバーが頷くと、若干興奮気味にタップも挙手をした。
「オレも見に行きたいっス!」
すると次々と班員達からの声が上がる。リーバーが渋ったがジョニー達が迫る勢いで意義を語るので議論の末リーバーが折れ、イノセンスの研究を名目に科学班員も数名見学する事になった。

「じゃあ僕も見させてもらおうかな」
意見が纏まって場が落ち着いた拍子に、発言したのはコムイだった。
俄かにほんの一瞬、室内へと急速に冷気が吹き込み、皆が硬直したかのような雰囲気が生まれた。
「室長は処理が終わってない書類があるでしょうが!」
諭すようにリーバーがコムイを制止するが、一方の彼は余裕を浮かべて笑んだ。
「リーバー君。僕を侮っちゃいけないよ」
「まさか……」
「今日はなんと、大方片付けてあるんです!」
腰に手を当てて意気揚々と告げたコムイに対し、リーバーは焦ったように反論する。
「いやでも、まだ控えてる書類が山積みになってるんで。やる気があるんならそっちも今日中に手を付けちゃって下さいよ」
「えー!」と残念がるコムイに対してリーバーが「さぼるから悪いんですよ」と司令室に戻るように促したが、私もコムイと同様、密かに気を落としていた。

コムイとヘブラスカは特に私とイノセンスの同調に対していつも憂慮してくれていた。きっと任務前の今も、私が任を果たせるかどうか心許なく思っているはずだ。
ヘブラスカはイノセンスに触れて疎通をはかれるので、私自身よりもこの力に詳しい。
けれどコムイは己の目で見ない限り、言葉では理解していたとしても本当にその通りの能力が働くのか、判然としないだろう。
大元帥達との折り合いもあり、その憂慮は計り知れない。
今、持てる限りの力を示せば、僅かでも心配を拭えるかも知れないと考えていたが、彼は誰よりも多忙だ。
仕方がない事だろうが、つい落胆を口から溢してしまった。
「コムイ、来れないんだね……」
「…………。十五分くらいなら。余裕がありそうです、室長」

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