死の結晶


 友人が受け取ったのは、綺麗なボトルだった。
 綺麗、といっても繊細な装飾が施されているわけではない。至ってシンプルな外見だった。
 掌より少し大きい立方体は、淡青の硝子がどろりと水飴のような粘り気を帯びながら型を使わず無造作に作られたようで、厚い面は指に馴染む滑らかな凹凸を描いていた。青みがかったその色は水溜まりに浮かぶ空の色のような、はたまた泡を浮かべた浅い海のような美しい透明感を携えている。側面から覗くと、少年の靴が水面の上で揺れていた。
 口は遠慮がちに天井に向かって細い線を描き、その中にコルク栓が居据わっている。真空になることはないが、コルクが外の世界とボトルの中をはっきりと隔てているのがよくわかった。ボトルの中は別世界なのだ。他には出来ない特別なことで、つまりこのボトルは特別なものなのだ。そう思うと、興奮を抑えるのに精一杯になった。

「ありがとう、おじさん」
 友人は落ち着き払って丁寧に礼を言うと、一度僕を見て階段へと向かった。
「中に何を詰めるんだい?」
 友人と並んで一階へと降りながら、僕は尋ねた。
 このボトルは密かに特別を抱き、叔父はそれに気付かず友人に譲った。愚かだ、とは微かに思ったが、友人を羨ましいとは思わなかった。それが正しい選択だったと頷けたし、こうなると決まっていたのだと確信があった。僕が受け取るより、友人の手によく馴染んで静かに息を潜め、微睡みはじめているボトルを眺める方がよっぽどいいと判断できたのだ。友人が冷たい底に沈める何かを想像するだけで、胸が高鳴った。
 友人はポケットにそれをしまうと、ずり落ちたサスペンダーを元に戻しながら、すまし顔で
「何か素敵なモノをね」
と答えた。
 ぎしりと板床が軋んで、一階の飲み屋に繋がるドアを押す。まだ昼間で準備中だからか、子供が店の中を通り抜けても咎める者はいなかった。僕らは真っ直ぐ出口へと向かった。
「何か詰めたら、ぜひ見せてよ」
「あぁ、そうだね」
 積もった雪を踏みしめつつ、彼は足早に去っていった。しんしんと降り積もる雪の音がいやに耳についたが、特に気にすることもなく家へ戻る。
 ボトルの事が、忘れられなかった。



 しばらく経って、僕は彼の部屋に呼ばれた。忘れていた訳ではないが、一瞬考える程度の時間が経っていた。
 僕は急いでブーツに履き替え、コートを取り上げると階段を駆け降りた。無意識のうちに足取りを早くしていたようで、気が付けば杉林の前を抜け、雪解けのぬかるみを避けて通り、瞬く間に彼の家に辿り着いていた。
「御免ください!」
「やぁ、早かったね」
 彼は玄関で待っていた。鼻を赤くし、白い息を吐いている僕を見て少し笑うと、早くおいでと階段を上がる。僕は変に緊張して、そわそわしながら後に続いた。
「コーヒーを淹れてくるから、待っててね」
 ドアを開けて僕が中に入るのを促してから、また階段を下りていく彼を見送って、息を一つ飲み込み僕は部屋へと乗り込んだ。

 果たして、ボトルはすぐ見つかった。彼の机の中央にぽつんと置かれていた。相変わらず冷たく輝きながら凛とそこにいたが、この間とは明らかに様子が違っていた。僕が呼ばれた理由通り、透明の中に何かを孕んでいた。僕はゆっくりと机に近付きながら目を凝らした。
 少し離れたところで、入っているのが丸々と太ったネズミの死骸だと気付いた。

 底を陣取り横たわっているネズミは、少し窮屈そうに丸くなっていた。長い尾が、体に沿うようにして壁との間に隙間を見つけて円を描いている。動物実験で使うハツカネズミなんかよりはるかに太っていて、茶色い毛が僕の気配を感じたのか、怯えたように僅かに震えた。口は少し空いていて、呼吸をして今にも動き出しそうだったが、だらんと垂れた髭と前足の力の無さと、固く閉じられた瞼が永遠の冷たさの中を漂っていることを物語っていた。

 窮屈そうだが、外界から隔てられた環境は快適なのかもしれない。害虫に食い荒らされることも、カビに腐敗されることからも逃れて、穏やかな眠りの中を安心して深く眠っているのだ。
 一方、一瞬の死をそのままの形で永遠のものとしたボトルは、ネズミの死を美しく彩り冷たく見守りながら、次第に自分の中へと取り込んでいくことに決めたようだ。
 ボトルの中は心地よい静寂のベールに包まれ、取り込まれたネズミはその優しさに凍える結晶と化していた。

「どうだい?」
「…見事なものだよ」
 ボトルを見つめながら僕はぼやく。彼の足音が僕に近づき、ゆっくりと僕の横を通って向かいに座った。
「気に入ってもらえて、よかった」
 彼は満足げに笑った。
「そういえば、よく入ったね。ネズミの方が口より大きい気がするんだけど」
 ふと顔を上げて問うと、彼は今度は企み顔で笑っていた。
「彼らはお互いを求めていたんだよ」
 彼の言い分は妙に納得できた。

 確かに、ボトルの中に入るのは何でもよかったのだろう。
 美しい花びら、輝く小石、雪の断片、誰かの涙、昨日の記憶、赤い目玉。
 何でもよかったのだ。
 けれど、彼は死んだネズミを詰めた。ボトルを求めるネズミの死を見つけた。彼は好き勝手入れた訳ではないのだ。ネズミとボトルが出会うために、彼は詰めるという使命を果たしたまでだった。ネズミはボトルに入ってその死を完成させ、ボトルもまたネズミを取り込むことで美しさを増させた。
 お互いがお互いを完全体へと導いたのだった。

「…流石だねぇ」
「対したことないよ。僕は詰めただけだ」
 彼は得意のすまし顔を見せ、いたずらに笑った。
 僕らは日が暮れるまで、完成した死を飽きることなく眺め、静かな祈りを捧げた。




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