僕の声は君の声


「どうせなら隣を歩きなよ」
 友達が茶化し半分呆れ半分でそう言った。私は摘んだままだった卵焼きを口に運ぶ。
「焦れったいなぁ。せっかく行動する時間が長いんだから、隣並んだらいいのに」
「でもね、そんなんじゃないの」
 ジャムパンを頬張る友人に、必死に反論した。
「確かに、私先輩のこと好きだけど、どちらかといえば尊敬に値するっていうか」
 話の中心になっているのは私の先輩だ。先輩は眼鏡の似合うキリッとした方で、学校の風紀委員と言う名の何でも係の長だ。週一で清掃活動を行ったり、テスト前には放課後に勉強会を設けたりの発案者でもある。対して私は冴えない部下。彼の仕事のサポートをしている。書類をまとめたり、彼が動きやすいように道を切り開くのが私の仕事だ。

「またそんなこと言って!それじゃ何?よく知らない女子に捕られてもいいわけ?」
「そ、れは」
 正直仕方ない話だ。仕事をバリバリこなして、クールでそれなりのイケメンである先輩がもてないわけがなかった。
「だって、それは先輩が決めることであって、私は」
「だからちょっとはアピールしてみろっての!隣歩くくらいしろよ!」
「そんな、おこがましすぎるよ!」
「どこがだよ!」
 彼が私の事を気に留めることはまずない。彼は前だけを見ていた。学校をよくするためにどうすべきか考え、突き進んでいく彼は静かながらも熱く燃える瞳をしている。決して正面から向けられる表情じゃないが、例えば放課後に校内を見回りしている最中、必死に付いていく時にちらりと見えるその表情が好きだ。
 それだけで十分だ。彼に付いていこうと思った理由の一つでもある。私は彼の二、三歩後ろが調度いい。
「昭和かっての…」
「いいの、私はこれで」
 彼の傍にいられるのならそれがよかった。にへ、と笑うと、変な笑い方、と友人も許してくれた。
 それが、調度よかった。

 夕焼け色をした廊下を今日も必死に付いていく。彼の歩調は随分と早い。颯爽と行く様は格好いいに違いないが、私は小走りでないと追い付けない。彼の肩ごしからちらりと表情を見る。前を見据える瞳に満足して、気付かれないように少しだけ歩調を落とした。多分今私の口元は弛み切っている。
 と、先輩が急に足を止めた。びっくりして、わわっと変な声を上げながら、先輩にぶつからないように必死に止まる。恥ずかしく感じながら様子を窺うと、彼は教室の方をじっと見ていた。

「どうかしましたか…?」
「…黒板が汚い」
「え?」
 同じ方を見ると、オレンジに反射して白い数式がうっすらと見えていた。確かに、と頷くより先に、彼が教室の中へ入っていく。私も慌てて中に続いた。
 オレンジ色に染まる世界の中、私は先輩と黒板を前に並んでいた。こんな機会は滅多になくて、心臓がドキドキしてしまう。嗚呼違うんです先輩。私はそんなやましい心でこの仕事をしてるわけじゃなくてですね、
「左上ちゃんと消せてない」
「わっ、あ、すみません」
 私の手が左上に伸び、先輩の手が右上に伸びる。近づいたかと思えば離れていく。私と先輩の教壇に響く靴音が共鳴する。何故か、このまま時が止まってしまえばいいと思った。
「何がおかしい」
「へっ!?え、えっ!?わ、いや、あの、す、すみません」
 じっと見つめられて、慌てて俯く。違うんです。私はこの仕事がとても好きだし、先輩のことは尊敬していますが、決して恋愛感情じゃありませんよ。そんな公私混同してしまったらファンの皆さんに失礼ですし、

「…あ、」
 教室に差し込むオレンジ色の濃さが変わった。窓の外を見ると、夕焼けが紺色のベールに包まれて静かに沈んでいる。
「わぁ…」
 思わず感嘆の声を吐いて、見入ってしまう。先輩も見ているだろうかと振り返った。先輩の瞳にオレンジ色の光が灯っているのを一瞬で確認して、嬉しく思いながら視線を戻す間に右の手首を取られた。
「っ!?」
 驚いて弾かれたように先輩を見ると、優しい黄昏の中で先輩の視線とかち合う。
「え、えっと、何でしょうか」
「…何故君は、いつも俺と視線を合わせたがらない」
「え」
「何故いつも吃る。何故いつも謝る」
 先輩がだんだん闇に溶けていく。まだ表情ははっきりとわかるけれど、それはつまり私の顔もわかるということだ。
「わ、えと」
「いつもこちらの様子を窺って、嬉しそうに笑うくせに話し掛ければ怯える。一体何がしたい」
 何か言わないと。何か言わないと。そう思うのに喉が渇いて、うまく声が出ない。

「…そんなに俺が怖いか」
「ちっ違いますっ!!」
 思ったよりもよりも大きな声が出て、自分でびっくりしてしまう。先輩の顔はもう見えない。それに少しだけ安心して、俯きながら言葉を紡ぐ。
「先輩を、怖いと思うことは、確かにあります。でも、恐怖とかそんなんじゃなくて、」
 畏怖だ。あの強い眼差しに睨まれると、どうしていいのかわからなくなる。
「先輩を、尊敬するあまり眩しくて、ですね」

「…正直、今のままだとやりづらい」
 述べられた言葉に頭が真っ白になる。それは、もしかして、
「辞めさせないで!!」
 まっすぐに先輩を見つめて言った。縋る思いで、並べていく。
「この委員会はとてもやりがいがあるし、充実しています!!少々現つを抜かしてしまうこともありますが、もう大丈夫です!!目が覚めました!!ちゃんと公私混同しないで、仕事をこなしますから」
 握られた手首から力が伝わって、はと我に帰った。辺りは完全に闇に溶け込んでいて、廊下が蛍光灯でぼんやりと明るい。逆光になって、余計に先輩が今どんな表情をしているのか見えなかった。

「確かに君はきちんと仕事をこなす。立ち回りも早い。とても仕事がやりやすくて、助かっている」
「…へ?」
「君は俺を尊敬すると言ったが、そんな大した人間じゃない。君は俺の傍で仕事をしている以上、周りのミーハー共と同じような考え方じゃ困るんだ。俺にだって苦手なこと、出来ないことがある。理想像を作り上げて、そのフィルターから俺を見るのは止めてくれ。ちゃんと、」

 俺を見てくれ。

 言葉に詰まった。何といえばいいのかわからない。でも確かに、本当は心の底で思っていた言葉と重なって、心臓が煩い。

"私を見て"

「俺は君と同等でありたい。だから、今の君の態度は改善してもらいたい。ダメか?」
 随分高いところにいて、手の届くはずのないと思っていた。前を見据えて走る姿は、誰も適わないと思っていた。でも、それは、実は思い込みで、
「…は、い。喜んで」
 初めて、先輩の前で笑えた。初めて、揺るぎない視線の中に優しさを見つけた。その一つ一つに驚きを感じて、それが嬉しくて、少し照れ臭くて。
「あ、の、同等になるということで一つ提案なのですが、」


僕の声は君の声


 先輩の隣は、とても緊張したけれど、先輩の瞳がいつでも見れて、いわゆる特等席であった。


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120315
お題サイト:深淵
「僕の声は君の声」

*自分の中では恋愛物のつもりですが、ぜんっぜん甘くない…(笑)先輩しっかりしろよっ!!



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