ドライヤーを持つのも怠いくらいに眠たい。髪が半分以上乾いたところで電源を切って、大きなあくびを一つした。その時、玄関で呼び鈴の音がした。夜の十一時も過ぎようかと言う時分だ。……こんな時間だろうと気にせず訪ねてくる相手は一人しかいない。

どうしていつもすっぴんの時にやってくるんだろう。立ち上がらずにいたのは一瞬の事だったのに、呼び鈴がもう、壊れるんじゃないかってくらいに激しく連打された。ピポピポピポン…という音に急き立てられて、慌てて玄関へ向かう。

ぼさぼさの髪を申し訳程度に整えてから、一つ呼吸をして玄関のドアを開けた。思った通り、そこには不機嫌そうに腕組みをした沖田くんが立っていた。表情はいつものポーカーフェイスだったけれど。

「居留守使うなんざ、調子乗ってるじゃねェか」
「居留守なんて使ってないよ……」

相変わらず気が短いなぁ……。色素の薄いサラサラの髪も中性的な顔立ちも、どこぞのアイドル事務所に所属していていると言われたら信じてしまいそうな外見なのに、彼の中身はサディスティックかつエキセントリックな黒王子である。その甘いマスクに騙された女の子が何人もいるらしいことは噂に聞いているけれど、中身は激辛だ。

だから、あの日私のことをふったくせに、これまでとかわりなく会いに来るのだ。どうやら私の精一杯の告白なんて無かったことにされているらしい。

沖田くんはこれまでと変わりなく、当たり前のように靴を脱いで何の遠慮もなく私の部屋に上がり込んできた。片手に下げていたコンビニの袋から350mlの缶ビールを一つ取り出すと、残りを私に手渡してくる。ビニールの中にはあと2本、同じ缶ビールが入っていた。

「私ビール嫌いなのに」
「あんたのために買った訳じゃねーもん。冷やしといて」
「自己中すぎない?」

私はお前の彼女でも嫁でも何でもねーんだぞ、と思いながらも、言われるがまま冷蔵庫に冷やしにいく小心者の私だった。惚れた弱味、という言葉が頭の中に浮かび、慌てて打ち消す。もう私、ふられたんだし……未練がましく好きでいちゃダメだ。

忘れなきゃいけないし、忘れたいのに、どういうわけかあの晩から毎晩のように沖田くんは私を訪ねてくるのである。そして適当に飲んで、だらだらして、泊まっていったりいかなかったりするけど、爛れた体の関係は一切無いのだった。今までもこれからも。

いっそ都合のいい女にでもしてくれた方が良かった。何なんだろうこの生殺しみたいな状態は。私は沖田くんにとって何なんだ。今までもこれからも、友達でしかないんだろうか。友達の家に毎晩遅くにアポなしでやってくるのは常識はずれではないだろうか。まして私は女で沖田くんは男で、私は数日前に沖田くんに告白をしているのである。

『沖田くん、好きです』
『……最悪だ』

ああ、思い出しただけで胸がえぐられるように痛い。告白の返しとしてあんな最低な返しはあるだろうか。最悪なのはあんただよ沖田くん。容赦の無いふり方は本当に彼らしかったけれど。

「チューハイ飲まねェの?」

冷蔵庫からカルピスを取り出した私を見て、沖田くんは不思議そうな顔をした。

「昨日で飲みきっちゃったんだよね」
「……じゃあ、今から買ってこようか?」
「え、いいよ。今日は休肝日にするから」

急に優しく来られると調子が狂う。沖田くんはちょっとつまらなそうに「そうかィ……」と呟いた。頼んだら本当に買ってきてくれたのかな。それはそれで見返りが怖いかも。

カルピスの原液をグラスに注いだら、ほんのちょっとしか残って無かった。

「全然無かったわ……」
「逆に何でこれしか残して無かったんでさァ。飲み方下手か」

部屋で座って待ってればいいのに、沖田くんはなぜかまだ、私のそばを離れない。

「飲み方下手だったわけじゃないもん。この前沢山使っちゃったの」

でも大丈夫だもんね。私は冷凍庫からタッパーを取り出した。シンクにおいて蓋を開けると、横から沖田くんにのぞきこまれた。

「げ。何だこれ」

白いシャーベットの中に赤くて丸い実がいくつも凍っている。はじめてみたら、得体が知れなくてぎょっとする見た目かもしれない。

「さくらんぼのカルピス漬け」
「……なにそれ」

さくらんぼにカルピスの原液をかけて凍らせると、水っぽくならずに凍ってくれて、長期保存出来るのだ。カルピスは原液だと完全には凍らないから、さくらんぼはスプーンですくって簡単に取り出せるし、あまったカルピスは普通に水や炭酸で薄めて飲めるのである。

沖田くんに説明しながら、私は大雑把にスプーンでさくらんぼとカルピスをそのまま掬って、グラスに落とした。冷蔵庫に冷やしていたミネラルウォーターを注いでスプーンで混ぜると、赤いさくらんぼがグラスの中を泳いだ。

「……好きなの?」
「え?」
「さくらんぼ」

ああ、さくらんぼか。少しどきりとしてしまった事が何だか悔しくて、私は沖田くんの顔を見ずに、タッパーを冷凍庫に戻した。

「ううん、あんまり好きじゃない」
「……こんなにあるのに?」
「貰ったの。すごく好きってわけじゃないけど、嫌いでもないからなんとなく言い出せなくて」
「何だそれ」

沖田くんが呆れた表情をする。そうだよね、沖田くんならきっと、要らないものは要らないってはっきり言えるんだろうな。また、ずきっと胸の奥が痛くなった。

「や、食べれるんだけど、一人じゃ新鮮なうちには食べきれなそうだから凍らしてみたんだよね」
「ふーん。凍らした方が美味いの?」
「まぁ……どっちもどっちかな?」

私があんまりさくらんぼを大好きじゃないからあれだけど、さくらんぼ好きな人からしたら好評な保存方法らしいので、美味しいことは美味しいんだと思うけど。

「山崎さんち、実家の近くにさくらんぼ農家があるらしくてさ」
「ザキに貰ったのかよ……」

沖田くんの声が低くなった気がして、表情を伺うけれど、相変わらずのポーカーフェイスなので何を考えているのかはわからない。

グラスを片手に部屋に戻ると、沖田くんは大人しくついてきた。小さなテーブルを挟んで向かい合って床に座る。毛足の長い絨毯は、夏にはそぐわないけれど、常に冷房をきかせているからか鬱陶しいという程ではない。

沖田くんがプルタブを起こすと、ビールがプシュッと小さな音をたてた。缶をこちらに差し出してきたので、私もグラスを掴んで持ち上げる。

「乾杯」
「かんぱーい…」

何に対しての乾杯なのかはよくわからないけど、私も沖田くんも黙って自分の飲み物に口をつける。私がグラスを下ろしたあとも、沖田くんはこくこくと喉を鳴らしてビールを飲んでいた。今日は一口目から随分飲むな。余程喉が乾いていたらしい。ぼんやりと沖田くんの顔を見つめていると、彼はやっと缶をテーブルにおいて、少し赤くなった顔で、じっと私を見つめかえしてきた。

「あんたさ、例え嫌いでも相手から来られたら断れないわけ?」

突然何を言い出したのだろう。
少し呆然としてから、ああ、さくらんぼの事か、と思い至る。

「うーん、山崎さん先輩だから断りきれなかったっていうのもあるけど、そもそも嫌いってわけじゃないし……」
「嫌いじゃなくても好きじゃねーなら受けとるなよ」

強い口調で言われた事に驚いて、私は沖田くんの顔をまじまじと見つめた。沖田くんは目に見えて、苛立っているようだった。私の何が彼をそんなにイラつかせているんだろう、と思って、その原因が全くわからなくて、わからないことが怖かったし、急に、わけもわからずものすごく悲しくなってきた。

「……沖田くんわけわかんないよ」
「俺だってわけわかんねー」
「……はぁ?」

何言ってんのか、本当にわけわかんない。私が沖田くんのことを睨むと、彼は気まずそうに目をそらした。そんな沖田くんを見るのは初めてだった。

変な沈黙が落ちて、沖田くんはまたビールに口をつけた。私も釈然としない気持ちのまま、カルピスを一気に半分以上飲んだ。あー、やっぱり酒でも飲まなきゃやってられないような気分だ。今からチューハイ買ってこようかな。私が部屋を出てる間に、沖田くんは帰ってしまうだろうか。……私は、彼に帰ってほしいんだろうか。

沖田くんはもうビールを一缶飲み干したようだった。お酒は好きでも決して強い方では無いはずだから、いつもの彼のペースからすると異常だった。一体どうしたんだろう。……別に、私にムカついてる訳じゃなくて、今日は何か嫌な事でもあったんだろうか。

だとしても友達にあたるなんて酷いし……そもそも私は友達とは思われてるんだろうか。私が沖田くんに告白してしまった時点で、飲み友達ですらなくなってしまったんだろうか。彼に惚れてふられてきた数多の女のうちの一人に成り下がったんだろうか。成り下がるもなにもないか、そもそももともと沖田くんは私のことなんて……


「俺、今日誕生日なんでさァ」
「……え?」

沖田くんは至極真面目な表情で私を見つめていた。突然のセリフに思考が止まる。夏生まれらしいことは誰かから聞いて知っていたけれど、日にちまでは聞き出せずにいた。今日だったのか。でもなんで急に?

「もうすぐ終わっちまうけど」
「……そうだね」

時計を見ると、7月8日の終わりはすぐそこにまで来ていた。こんな日に私の家に飲みに来て良かったんだろうか。……とりあえず今は彼女とかはいないってことなんだろうか。だから何って話だけど。

……っていうか誕生日終わっちゃう。

私が慌てておめでとうと言おうとするのと、沖田くんがその言葉を発するのはほぼ同時だった。

「沖田くんおめで…」
「あんたが好きだ」

一瞬、何を言われたのかわからなくて、……いや、一瞬がすぎたあとも、何が何だかわからなすぎて、私はぱちぱちと瞬きをした。

「好きだから……俺と付き合え」
「……は?いやいやいや、待って」
「嫌いじゃないなら受け入れるんだろ。……つーか、俺のこと好きだって言ってたよなァ」
「え、ちょっと待ってよ沖田くん、意味が……」

グラスを掴んでいた手を、ぎゅっと沖田くんに握られる。彼の手は沸騰しそうなほど熱かった。

信じられない気持ちで彼の顔を見つめると、色白な沖田くんの頬はやはり赤く染まっている。それがお酒のせいだけではない事は明白だった。

「ま、待って。私、この前ふられたよね」
「……ふった記憶なんてねーけど」
「だって、最悪だって言ったじゃん。私が、沖田くんに好きだって言ったら!」
「それは……俺の考えてた計画をあんたが台無しにするから」
「計画……?」
「誕生日にあんたにかっこよく告白して、俺のものにするっていう計画でィ。イメトレまでしてたのに台無しでさァ」
「……何それ?!」

つまり、自分の思い通りの告白をしたかったから……私に告白されたのが嫌だったの??

何という面倒くささ。さすがサディスティック星の王子。ってか、ナイーブか!!!

「理解できない……」
「……で、返事は。俺と付き合うの?付き合わねェの?」
「……付き合う……けど」

エキセントリックな沖田くんと上手く付き合っていける自信は全くない。……でも、やっぱり好きなのだ。悔しいけど。私、だめな恋愛にはまっていこうとしているんだろうか。

「じゃあ早速、誕生日プレゼントを要求させてもらいまさァ」

それでも、物凄く満面の笑みで私を見つめる沖田くんのことを、嫌いになんてなれないのだった。見たことのないくらい無邪気に笑う沖田くんは少年のようにかわいらしかった。しかし、その直後、私は床に押し倒されて、彼が無垢な少年などでは全く無いと言うことを、嫌と言うほど思い知らされた。彼が甘いのは、やっぱり外見だけなのだった。


しろとあか

20180709
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