酩酊ユーフォリア
リーマンパロディ

『さっきの、続き…』

ひどく熱っぽい声が耳元で発せられる。確認のために一瞥したミネラルウォーターのボトルはほとんど減っていない。明日の体調を思えば少しでも飲ませておいた方が賢明だ。

『続き、したい……んですけど』

恥じらいに語尾が縮む。
振り向き様に唇を塞がれた火野は、仕返しにとボトルへ手を伸ばしつつ微笑んだ。

『嬉しいよ。僕もまだ足りないから』

触れるだけのキスを返して、ボトルの代わりに眼鏡をボードへ戻し、キャップを捻り開ける。手元に視線を落とした天子がこてんと首を傾げた。甘えたような仕草が欲を煽る。

『飲ませてあげるね』

ボトルに口をつけて水を少量含み、呆けた彼のあどけない唇に押しつける。

『んっ、ん………っ』

舌先でこじ開けた隙間にゆっくりと流し込めば、ガウンを掴む力が強まった。男らしく突起の浮き出た喉を何度も上下させて、与えられる水を懸命に飲み下そうとする。
動揺していたのは最初だけで、唇を離せば追い縋るようにそっと顔を近づけてきた。

『もっと?』

たぷたぷとわざとらしくボトルを揺らして意地悪く尋ねる。僅かに息を乱した彼は恍惚とした表情を隠そうともせず、素直に頷いてみせた。

『いい子だね』

もう一度、水を含んで口づける。こくこくと喉の奥に落としてから、先程はおとなしかった舌が刺激を欲しがるように絡み付いてきた。耳の柔らかな部分を指で擦ってやると、熱い吐息が合間からこぼれ出す。

『ん、んん……っ…』

色素の薄い前髪を掻き上げた手のひらに、同じシャンプーの香りがふわりと広がる。甘みを含んだ匂いにそそのかされるように、潤った舌を絡めて吸い上げた。

『ぁ、ん……っ』

片腕で腰を抱き寄せれば、期待に満ちた肌が服越しにうっすらと上気する。ここまでくれば後はなすがまま、どうとでもなるだろう。もちろん、乱暴はしないと言った手前、同意を得られない状態では大したこともできないが。

『味見くらいはいいでしょ?』

浅い呼吸を繰り返す唇に軽くキスを落として、彼の背中を支えながらベッドシーツへ横たえる。風呂上がりの一杯が効いているのか、左右に視線を振って戸惑う姿はなかなかお目にかかれるものではない。
でも、こうして家までのこのこくっついてきた子が悪いんだから。

『ん………っ』

首筋から耳に沿って舌を這わせると、天子の両肩がビクリと跳ねた。真っ赤に色づいた耳の縁や内部へ舌先を滑らせる度に、アルコールで過敏になった体が丁寧に刺激を拾う。

『耳、弱いの?』

『そ、んなこと…』

吐息を吹き込みながら尋ねれば、顔を隠すように腕を交差させて首を横に振る。見え隠れする頬は暖色光でいっそう赤みを帯びていた。
いずれにしろ、あからさまに嫌がらないのなら好きにさせてもらおう。前開きのボタンを上からいくつか外しつつ、喉元や鎖骨の盛り上がりに口づける。

『ん、ん………っ』

オーバーサイズの寝間着を左右に開いて、引き締まった腹から平たい胸をつーっと舌でなぞる。繊細そうな胸の一点を吸い上げれば、腹筋がひくりと震えた。

『っん、ぁ……っ』

同様に甘噛みすると、今度ははっきりと嬌声が漏れ出す。己の手で乱れていく様をもっと瞳に焼き付けたくて、だらりと肩幅に開かれた両脚の間を膝頭で突き上げる。

『ぅあ…っ…』

ぐいと押し上げるように膝を当てられ、直接的な刺激に下肢が小刻みに揺れる。天子は思わず腕を伸ばして膝の動きを制限しようとするが、酔っ払いの抵抗など非力な火野でも容易に留められる。シーツをずり上がる体を引き戻し、痛みを感じない程度にぐにぐにと膝を押し付けた。

『ぁ、あっ、や……、それ……ぇっ』

『硬くなってきてる』

『や……っ、言、わな…っ……』

首筋まで火照らせて、薄く涙を浮かべた天子はぱさぱさと髪を揺する。興奮に兆した場所を服越しに見下ろして、火野は今更すぎる感心を口にした。

『てんこって、本当に僕のこと好きなんだね』

刺激されればそれなりの反応を示して当然の箇所だが、酒で箍が外れかかっているとはいえ、愛撫とも言えない触れ合い程度でここまで昇華できるのだ。となると体よりも心、感度より気持ちの問題だろう。彼の自分に対する想いを改めて実感する。
本人は唇を結んで押し黙り、もぞもぞと体をシーツに這わせるように反転させた。振り向いた瞳が、羞恥と期待の間でちらちらと切なげに揺らめく。

『――もしかして、抵抗してるつもり?』

『っひ……』

指先が背中の真ん中をつつっとたどり下りた。覆い被さるように自重を押し付けて、耳の先を優しく食むと怯えた声が漏れる。シーツと体の隙間に割って入った手のひらが、さわさわと若い肌を撫で回した。

『こういうことされるの、わかってたよね? だから寝ないで待っててくれたんでしょ?』

『ち、が……っ、おれは……んっ』

凝った胸の尖りを指の腹で執拗に転がされ、天子はところどころで声を詰まらせながら、再び髪を揺らす。
しかし荒くついでいた呼吸が次第に穏やかになり――はぁ、と熱っぽく息を吐き出した彼は、くてんと片頬をシーツに落とした。覚束ない単語が唇からこぼれる。

『おれ、は……、ふつうに、ねむ……くて…』

とろとろと微睡む瞳。
幾分もしないうちに、重そうな瞼がゆっくりと閉じられる。深い寝息が聞こえた後は、体をそっと揺すっても反応がなくなった。

『あーあ。ずるいなぁ』

上体を起こした火野は小さく肩をすくめる。天子の体の下から、薄曇りの空を流したようなコンフォーターケースを引っ張り出し、彼の肩から下に纏わせた。縺れた髪を梳きながら整えてやり、欲のよの字も知らぬ横顔に言い聞かせる。

『僕、これから忙しくなるんだよね。もう少し遊びたかったけど…』

シーツに手をつくと、僅かに体を屈めて彼の首筋へ唇を落とした。しかし餌を取り上げられた体には物足りなくて、きつく吸いつけば痛々しくも美しい花が咲く。

『楽しみは後に取っておくよ。今度は逃がさないからね』

所有の証を満足げにひと撫でして、自らも隣に体を横たえた。

ーーー

「…………」

嘘だと断言できればどんなによかったか。残念ながらその可能性だけはない。彼は天子に嘘をつかないのだから。

「覚えてない?」

「……何も」

絞り出した声は低い。もはや乾いた笑いすら込み上げてくる始末だ。店のベンチで激昂したあれこれを反芻すると、今すぐ腹をかっさばいて消えてしまいたくなった。

「じゃ……、俺はそれをさっっっぱり忘れてひとりでブチキレてた馬鹿ってことで…」

じわじわと脳裏によみがえる描写。寝室でじっと待っている緊張に耐えられなくて、冷蔵庫を開けたかもしれない。そして酒を飲んだかもしれない。醜態を危惧して水も取り出したかもしれない。限りなく事実に近い根拠がふつふつと記憶の釜を熱してくる。
自己嫌悪に苛まれる天子に、火野はかぶりを振って続けた。

「言わなかった僕も悪いんだよ。次の日の朝、てんこはきっと忘れてるんだってわかってたのに。ちょっと後ろめたかったんだよね。いくら恋人でも、酔ってる間に好き勝手されてたなんて嫌じゃない?」

「んなもん俺だって…!」

長い睫毛をそっと伏せた火野に、天子はソファへ膝をついて詰め寄った。

「そんくらい期待してたっつーか、家に行く時点でそれなりに覚悟してるから別に…」

「まぁ、ね。でもその意思をちゃんと確かめずに、良いように解釈してたのはダメでしょ? だから、ごめんね」

両腕に体を絡め取られ、服越しの控えめな体温に体が熱くなる。同じく背中に腕を回してしがみつき、天子は締め付けられる胸の痛みを堪えた。

「そうやって謝られたら、俺の方があと三倍くらい謝らなきゃならねーって思うんですけど」

「ん? 何かあった?」

「あるだろ! 死ぬほど!!」

華奢な背骨をこのままへし折ってやろうかとすら思う。彼は昔から、自分が何をやっても全く怒ってくれない。

「そもそも人んちの酒で記憶なくなるほど酔うのもありえねえし、この前だって酔っ払った勢いで仕事中に電話かけて、挙げ句さっきだって店の前で散々生意気なこと言って困ら」

「いいじゃない、それくらい」

天子の忸怩たる列挙をばっさり打ち切って、火野はあっけらかんと笑ってみせる。

「何も困ってないし、僕だって、今までろくに会わなくて不安にさせてるんだって知ってたのに、忙しいって言い訳してばかりだったでしょ。物分かりの良い子に甘えてただけだよ」

「物分かりなんて全然良くねえ…」

火野は僅かに体を離し、萎れた声でうなだれた天子の頬をそっと撫でた。

「良くなかったら、僕はきっと応えられてないと思う。知ってるだろうけど、我が侭だからね。どんな時でも、僕だけ見ていてくれる子じゃなきゃ嫌なの」

ちゅ、と脈絡なく唇が落とされる。瞬間、弾かれたように後方へ飛び退いた天子は、思わず口許を手のひらで覆った。頬が燃えるように熱い。
あからさまな反応に満足そうな笑みを浮かべ、火野は尚も腕を伸ばして腰を抱き寄せた。封じられた唇の代わりにと、相乗して火照った耳に小さく口づける。


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