Anniversary
リーマンパロディ その後

「っやめ………、ぁ、んあ…っ」

限界まで膨らんだものを咥え込んだ内壁が収縮し、ひたすらに腹の奥を疼かせる。揺さぶりに何とか追従しようと、絡めた脚にきゅっと力がこもった。密着すればするほど、二人の間にある屹立がひどく擦れる。
腹が重くて苦しい。しかしそれを遥かに凌駕する幸福感が胸の内側に根を張っていた。

「ひぁ………っ、ぁ、あ―――――!」

不意に後頭部を抱かれ、深く腰を突き入れられて意識が白色に染まった。ビクビクと大げさに震える体で逐情を感じたのも束の間、蠕動する腹の奥に生々しく熱を吐き出されて身悶える。

「や……っ、や…!」

言葉とは裏腹に、包み込んだ粘膜は欲の証をきつく搾り取ろうと蠢く。ぐりぐりと腰を回すように先端を奥の壁へ押し付けられ、達したばかりの体は悲鳴じみた声を上げて泣いた。鼓膜に直接吹き込まれる荒い吐息に肌がざわめき、ふわふわとした余韻に浮かされてもう一度高まってしまいそうになる。
しがみついた背から手探りで彼の頬を撫で、呼吸の整わない唇を自ら預けた。

「ん、むっ……んん」

差し入れられた舌を舐めると、褒めるようにその舌がしっとりと絡む。口づけながら、自身を抜き出すべく彼が腰を引こうとするのを、行儀の悪い両脚で制止した。残滓の一滴も、外になど出させてやるものか。

◆◇◆

眩しい。薄目を開けたのにまた瞑る。
遠くから聞こえてくるのはテレビのニュースか。五月らしい爽やかな快晴です、とのかわいこぶった声に眉を寄せ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。白い海のようなだだっ広いベッドに浮いている自分。もう二度目だから驚いたりはしないが。

「いっ……」

起こしかけた体を縮めてうずくまる。背中から下肢へ走り抜けた痛みに小さく呻き、そっと指で腰をたどっていく。
具体的に言うのが憚られる入口と、その奥。指では決して届き得ない場所がじんじんと鈍痛を発している。体の節々もそれなりにぎくしゃくしているが、下半身に比べればどうということはない。腰に手をやって、庇いながら恐る恐る立ち上がる。
二歩三歩と足を踏み出してすぐに、火野がパーラールームからやって来た。きっちりとスーツに身を包んだ姿は昨夜の淫猥な面影をどこにも感じさせない。天子が既に起きているとは思わなかったのか、彼は少しだけ目を見開き、手を貸しながら腰の辺りを優しく撫でた。

「まだ痛いかな。朝ご飯が来るまで寝てたら?」

天子は緩く首を振り、嗅ぎ慣れたミントの香りを振り切るように密着を解いた。接触すると夜のあれこれが鮮明に蘇り、込み上げる羞恥で窒息しそうだ。

「風呂、入ってきます」

「ひとりで大丈夫?」

全く同じ台詞を数時間前にも聞いた。
固辞したにも関わらず、乱れたバスローブごと浴室に強制連行されて。シャワーブースで自分だけ丸裸にされた挙げ句、『お腹痛くなったら困るでしょ』と懇切丁寧に洗われたのだ。体内からとろりと零れ落ちる感触に泣きながら身震いする度、いい子だからと子供のように宥められ、大人の指を含まされた。
死ぬほど恥ずかしかったのに、そんなあっさりした声で今更関わらないでほしい。

「ひとりがいいんです」

できるだけ明瞭な声で応答し、満身創痍の体に鞭打ってバスルームへ向かった。

――約十五分後。
覚束ない足取りで戻ってきた時には、テーブルに朝食の用意が整っていた。バスケットに盛られたパンとふわふわのオムレツ、グリーンサラダ、フルーツ。飲み物は冷たいミルクにオレンジジュース。ぐうと反射で腹が鳴った。椅子を引くなりクロワッサンにがっついてしまい、恥ずかしくなってそそくさと手を合わせる。

「いただきます」

フォークでは決して食べられないとろとろのオムレツは旨いが憎い。その他は文句のつけようがなかった。あれもこれもと無我夢中で胃の中に収めながら、ひょいとソファセットに目線を移す。彼は窓際のスツールで経済新聞を広げつつ、時折ノートパソコンに目をやっては入力操作を繰り返していた。こちらからでは表情が窺えず、居たたまれない気持ちでパンを小さくちぎる。

(さすがに、そっけなくし過ぎたか)

先程の台詞は下心ありきではなく、体調に配慮した申し出だったに違いない。もちろんそれをわかった上で断ったのだが、断るにしてももう少し言葉を選ぶべきだった。しかし謝るタイミングが掴めず、細々と朝食を減らしていく。
黙々と皿を片づけ、最後のオレンジジュースを飲み干した天子は席を立った。テーブルに手をついてよろよろと窓際に近づいていく。気配に気づいたのか、振り返った火野がルームサービスの皿たちを一瞥した。

「食べ終わった?」

「はい」

そのまま体ごとパソコンに戻ろうとする彼を留め、爽やかな朝に不似合いな声音で続ける。

「さっきのはその、すみません。別に嫌とかじゃなくて…」

「さっきのって?」

彼はきょとんとしていた。本当に心当たりがないらしい。てっきり腹を立てているものと思い込んでいた天子は脱力した。

「んだよ…」

単に仕事に集中したかっただけか。ソファに腰を沈め、パソコンの画面を横から覗いた。メールソフトがメインで立ち上がり、オンラインチャットとPDFビューワーが脇に控えている。

「昨日の返信、来たんですか」

アメリカからの問い合わせの件だ。厳密に言うと日付は変わっていたが、眠りにつく前なら昨日と称しても伝わる。来てたよ、と火野はキーボードを軽やかに叩いて言う。返信に対する返信をしたためており、英文の入力が恐ろしく速い。

「ただ、今持ってるデータだと足りないみたい。やっぱり会社のデータベースから引っ張ってこないとダメかな。資料もうちに置いたままだし」

はぁ、と頷きかけた天子だが、ふと彼の荷物が目に留まった。充電中の仕事用スマホおよびタブレット。開発課専用、時間外業務用のIDカード。そして一部の隙もなく着こなされたスーツ。胡乱な瞳で彼を睨む。

「…これから仕事行こうとか思ってます?」

一瞬だけ間を置いたのち、火野は返事の代わりに満面の笑顔を向けてきた。女の子なら『てへぺろ』と言わんばかりだ。
呆れた天子は小さく息を落とし、即座に向き直った。

「俺も行く」

昨夜は会社から直行して来たので出社の用意は万全だ。着替えればすぐにでもタクシーで向かえる。
研修期間中の天子が技術課の仕事に関わることはほとんどないが、データの抽出や収集などの雑用なら少しは力になれるだろう。しかし、火野はゆるゆると首を横に振った。

「嬉しいけど、新卒の子に休日出勤なんかさせたら怒られちゃうよ」

「打刻しなきゃバレねえじゃん」

「それは後でもっと怒られるからダメ。開発課で僕以外にも来てる人がいるかもしれないし」

誰かから見咎められた際に責任を問われるのは間違いなく火野の方だ。ぐっと押し黙った天子に彼は続ける。

「体だって本調子じゃないでしょ。送っていくから、帰ってゆっくり休んだら?」

ね、と宥めようとした手を掻い潜り、ふて腐れた天子はソファに全身を投げ出した。軋む体にやり場のない苛立ちが湧いてくる。

「ひとりで帰れるからいい」

昨夜ここで彼が発した『僕の助手として仕事でこき使われるか云々』が、思いのほか自分の心に響いたらしい。火野は冗談のつもりで口にしたのかもしれないが、天子はどんな時だって、彼を支えられる存在になりたいと願っているのだ。

(つったって、こんな体たらくじゃろくに手伝えねえか)

恋人は恋人であり、仕事上のパートナーとはまた別物だ。そもそも公私を分けて考えられない人間につとまる役割ではない。少々自惚れが過ぎたか。
不意に火野が立ち上がった。ライティングデスクからメモホルダーを手にして戻ると、さらさらと何かを書き付けていく。やがてペンを走らせる音が止み、一番上の紙だけを切り離した彼は天子の背中をつんとつついた。

「何ですか」

憮然とした顔で緩慢に上体を起こせば、眼前にメモが突き出される。その勢いにびくりと竦んだものの、見慣れた筆跡を追った天子は瞠目した。

「これ……」

半角数字とアルファベットが混合した羅列が数行。意味不明と思いきや、各行の左側に『PC』『クラウド』『アカウント』などの項目が付いている。ということは恐らく、

「パスワードだよ」

薄型のパソコンをぱたんと閉じた彼は、そのパソコンをそっくりそのまま差し出してきた。ぎょっとした天子をよそに淡々と続ける。

「この中には昨日の朝の研修で説明した内容の資料がごっそり一年分入ってて、ラボとの共有クラウドには安西先生から譲り受けた海外の学会論文が詰まってて、僕の書斎にもその類いのものが積まれてる。正直、何がどこにあるのかはあんまり覚えてない」

彼はジャケットの内側をまさぐり、摘み出したものをパソコンの上にそっと乗せる。キーホルダーすら付けていない、見覚えのあるディンプルキーを。

「問い合わせの詳しい内容はその中にまとめてある。全部は無理だと思うけど、できるところまで探しておいてほしいんだ。夕方までには戻るから」

呆然として声が出なかった。
ふと、由姫が遠い昔にぽつりとこぼしたことを思い出す。
――贈り物をされたことはほとんどありませんが、部長はいつだって、本当に欲しいものをくれるのです。場所も、知識も、道具も。この放課後の時間すらも。

込み上げる感情をぶつけられない代わりに、渡された鍵をきつく握りしめる。それからひとつ息を吐き出し、パソコンを横におしやってから恋人へ尋ねた。

「チェックアウトって何時ですか」

「あと一時間強、かな」

こちらの思いを見透かしたような微笑みにすら眩暈がする。こくっと我知らず喉が鳴った。

同い年なら遠慮も要るまい。
気怠い体を引きずって、すべてを委ねるべく両腕を伸ばした。


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