sleep | ナノ

「稲様、姫様ぁ…」


情けない声を上げて稲の自室へと駆け込んできたなまえは、もうほとんど泣き出しそうな面持ちである。
稲がどうしたのかと尋ねる前に、なまえは稲の膝に縋って泣き叫ばん限りだ。


「もう泣かないでください…なまえに泣かれては稲も困ってしまいます」


よしよしをするようになまえの頭を撫でながら、情けなくも稲の声まで泣いてしまいそうなものになっていた。
なまえが悲しいと、稲も悲しいのだ。それほど近しい二人の間柄なのである。
ようやく顔を上げたなまえは、やはり目尻に涙をいっぱいに溜めていた。
互いに膝を付き合わせ、稲がなまえの手をとると、ほろりと一滴の涙がなまえの頬を伝った。


「忠勝様が…」
「父がなまえに何か嫌なことをしたのですか?」
「違うんです、その…忠勝様が笑ってくださって…」


泣いて稲に訴える程だから、きっと父がなまえに無礼をしたのだとばかり思っていた稲は、ポカンとしながらなまえの訴えを聞いた。
どうやらなまえが父の背に誤ってぶつかり、父がそれをすまぬと詫びてなまえに笑ってくれたようだが…。


「なまえは何故、父が笑うと泣くのです?」
「それが、その…」


忠勝があまりに優しく笑いかけてくれたのが、この上ないほど嬉しかったのだとなまえは言った。
そして、なまえのことを知っていてくれたことも嬉しかったのだと。
稲は思わず、父がなまえを知らないはずがないではないかと言いかけて、慌てて口を噤んだ。
どうやらなまえは、父の想いを知らぬようだからである。


「私…この先どのような顔をして忠勝様にお会いして良いか分からないんです…」
「どのようって…いつもの笑顔で接してやってください。父もきっとそれを望んでますから」


ね、と稲に促され、なまえは素直にはいと頷いた。
なまえが父を少なからず慕ってくれていることに、稲はそっと頬を綻ばせる。
父とはこれからも笑顔のままで接して欲しいと念を押すと、落ち着きを取り戻したなまえは気恥ずかしそうにわたわたと慌てて帰って行った。


「…父上も罪な人です……」


ボソッとなまえが帰った方とは逆の襖に目をやると、すっと開いたその先にはばつの悪そうな顔をした忠勝がほりほりと頬を掻いて立っていた。
どうひっくり返して見ても、父が笑った顔がなまえの言うほど優しい顔には見えないし、そもそも稲ですら父が笑う姿などあまり見かけない。


「もう少しゆっくり、順を追って距離を縮めた方が良いと思いますよ」
「…俺は、そのように器用な真似は出来ん……」


への字に口を曲げた厳しい面ながらも、どうやら父は照れているらしい。
稲は忠勝に隠して笑みを浮かべると、なまえのあの泣き顔を思い浮かべて胸が温かくなるのを感じた。



For your Hapiness


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -