濡れた髪をひとつに束ねて、なまえは廊下を小走りで進む。
ひんやりと冷たい風が、濡れた髪を冷やしていくのが判る。
パタパタと進むなまえだったが、その足が不意に止まった。
視線の先に、氏康が紫煙を燻らせながら一人月見酒に興じていたからだ。
廊下の柱に背を預けながら一人座すその姿に、なまえは自分が見とれていることにも気付かぬまま…。
なまえは息を顰めるように氏康の姿を見つめていた。
ふわりふわりと氏康の唇から煙が揺れる。
どれほどの時間、氏康を見つめていただろうか。
ふと喉の奥で笑いを噛み殺す彼の声に、なまえは心臓を高鳴らせた。
「いつまでも突っ立ってねえでこっちに来たらいいじゃねぇか」
笑顔でなまえに振り返った氏康は、煙管の火を落とすとなまえを手招きする。
気恥しそうに顔を染めるなまえをよそに、氏康は彼女が隣に腰を下ろそうとするのを手で制した。
「そっちじゃねぇ、ここだ、ここ」
ぽんぽんと彼が示したそこは、胡座で座した氏康の両足の間だった。
彼の傍まで近づいていたなまえは、指し示された場所へ抱きすくめられるような形で座ることを強制される。
「洗い髪とは、なかなか艶っぽいじゃねぇか」
夜風を吸って冷え始めた髪を、氏康の指がなぞる。
指先で毛先から掬いとったひと雫を、そのままなまえの首筋へと氏康は落としてやった。
「……っ」
「おいおい、そういやらしく鳴くなよ…」
なまえの鎖骨を内側へとなぞりながら、耳の傍へとくちづけを落とす。
突然の氏康の行為になまえの身体が跳ねると、彼はまた喉の奥で笑いを噛み殺す。
「氏康様、お戯れにそのようなことは…」
「戯れでこんなことしてると思ったか?」
「…違うのですか?」
「馬鹿言うな、戯れでも無きゃ酔ってもいねぇよ」
背後から優しく包まれたかと思うと、なまえの肩口に急に重さが加わった。
視線だけで見てみれば、なまえの左の肩口には氏康の頭が乗せられている。
「良い女になっちまいやがって…」
「う、氏康様……っくしゅん!」
穏やかな月夜を揺るがすような、大きな笑い声。
なまえの肩口から顔を上げた氏康は、声を上げて豪快に笑った。
「も、申し訳ありません…、私…っ」
くしゃみをしたなまえはといえば、ただひたすら顔を赤くして、己を抱きしめながら笑い続ける氏康に、何故かひたすら詫びていた。
「悪かったな、洗い髪で夜風に当てちまったからすっかり冷えただろ?」
「い…いえ、私は…」
「強がるんじゃねぇよ。女は身体を冷やすもんじゃねぇからな」
振り向きながらかち合った氏康の瞳は、これまでなまえが見たこともないほど優しいものだった。
氏康はなまえを抱きしめる腕にさらに力を込めると、一段低い声でなまえの耳元に囁いた。
I'll be there for you「責任持って、俺がお前を温めてやるよ」