bassist
急にリンの言葉が詰まった。
それから、暫く沈黙が続いた。
口火を切ったのはミクオだった。
「リン、歌って」
ミクオはリンからベースをとり、自分の膝に置いた。
リンは少し躊躇いながらも、ミクオのカウントに揃えて歌った。
(あ)
自分の何度も聞いて、何度も苦戦したベースライン。それが、彼の手元から、シールドで繋がれたアンプから、奏でられた。
リンは吃驚していた。
だってこの曲、
「リンは、なんでこの曲知ってるの?」
「それはこっちのせりふだよ!‥ですよ!」
歌い終わるとミクオがそんなことを聞いてきたから、リンはつい取り乱した。
「だ、だってこの曲、ライブハウスで働いてるお姉ちゃんから貰ったCDに入ってた曲で‥‥、このバンド、プロとかじゃないのに、な、なんで知ってる‥んですか?」
リンの姉は、この学校の近くにあるライブハウスの管理人をしている。そこでよくライブをしていた高校生バンドがあった。姉はそのバンドを酷く贔屓としていた。高校生なのにワンマンライブをさせるくらいのハマり様だった。そのバンドが自主制作CDを作ったらしく、リンもきっと好きになるよ、と姉から貰ったそのCDに入っていた曲が、今歌ったOverDriveだった。
リンはすぐに気に入って、毎日聞いていた。リンのバンドを組みたいと思ったきっかけは、このバンドだった。会ったことも、見たこともない、この人たちに、酷く憧れたのだ。どんな人が作ったんだろう。どんな人が歌ってるんだろう。どんな人が、どんな気持ちで、どんな想いで奏でているんだろう。自分と同年代の人間が、こんなにこころを揺さぶる音楽を作って、奏でられるなんて。
プロとは違って情報が全く入って来ない、つい最近知った高校生バンドを、リンはずっと考えていた。しかしライブに行きたいと言った時、姉に解散したことを告げられてショックだったのを、リンは未だに覚えている。
会いたかった。一度でいいから、このバンドの生の演奏を、一番近くで聴いてみたかった。
「ああ、だってこれ、オレが作った曲だし」
それなのに
「‥‥‥‥‥、ええっ!?!?」
こんなに近くに、その、憧れの人がいるなんて!!大好きな曲を作った、憧れのバンドのベーシストが、私の歌に合わせて、いま本物の演奏をしてくれてたなんて!!
「オレ、このバンドでベースやってたんだ」
「あ、あばばばばば」
「まさかリンが知っててくれるとは思わなかったけど」
「う、う!」
「っていうかリンのお姉さんて、もしかしてメイコさん?」
「あ、は、ははい!!!」
「うわーほんとまさかだ!全然似てないし!リンがあの女社長の妹とか」
「に、似てない、よく、言われますなり」
「なりって」
リンの動揺はミクオに伝わっていただろうか。しかしリンの動揺、即ち感動はミクオの計り知れないところにあったので、ミクオは全く気にする様子はなかった。単に変なやつと思われてるんだろうなと思うと、リンは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にした。
すると、ミクオがいきなり真剣な表情になって言った。
「いいよ、やっても」
「‥‥え?」
「バ、ン、ド」
「‥‥えええええっ!?」
あの、憧れのバンドのベーシストが!大好きな曲を作ったその人が!これは夢ではないかと、リンは頬をつねった。もはや痛ささえわからなかった。夢かもしれない。
それにミクオはあんなに頑なに拒否したのだ、理由は分からないけれど。それなのに、一緒にやってくれるだなんて!
「な、なんでいきなり、え!?」
「いいって言ったらいーの」
ぺいっ、とデコピンされ、リンは口を閉じた。ミクオの長い指で弾かれたおでこから、熱がどんどん上がっていくよう。リンはその熱が外に、ミクオにバレないように、そっと両手で抑えた。しかし抑えた指の隙間から、この火照った熱が伝わってしまうかもしれないなあ、と、リンはぼやけた脳内でほんのり感じていた。頭の中は、さっき知った事実と、溢れる感動でいっぱいいっぱいだったのだ。さっきからどうしてこんなに熱くなるのかな。ああ、これが、憧れた、ひと。