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 真っ先に日向の異変に気づいたのは、部の副主将である先輩の菅原孝支で、それが影山を何とも言えない複雑な気分にさせた。何故なら一年同士、アタッカーの日向と対になるセッターとして、部活中も一番接している時間が長いというのに、影山は菅原から言われるまでそんな日向の様子に気づきもしなかったから。
 別に、部の誰かに、おまえが気づいてやれよと言われたわけではない。だが影山は、心のどこかで自分が気づいて当然のはず、と思っていたのだ。根拠もなく、何とも解せないことに。菅原三年生の周りによく気がつく点は素直に尊敬していたが、今回ばかりはどこか悔しく感じたのも、尚のこと影山を言いようのない心境に陥らせた。
 ……確かに、普段より顔が赤かったような気がする。普段より、息が切れるのが早かった気もする。集中出来ていなかったような気もする。とはいえ、練習中は日向の顔色よりも、どこを見ているか、次にどう動くか。彼にトスを合わせるための、体の動き全てを捉え、またそれ以外にも、レシーブやスパイク時のフォームを注視するのが、影山には当然のことだった。
 まだ経験の浅い日向を打たせるためには、自分の方が日向の所へ、ボールを持っていかなければならない――正式入部前の部内試合の時から、影山は自分の持てる技術を最大限発揮してトスを上げることにやりがいを感じていたし、最近はもちろんそこに留まらず、影山のトスに日向が合わせることが出来るようにという練習も重ねている。それだけでなく、日向は未熟で姿勢もぶれやすいから、変な癖がついたりしないように、周りが見て。指摘して。より良く改善してやらなければならないとも影山は思っていた。自分のトスを打つアタッカーとして、日向にはもっと成長してもらわなければ困るのだし。自分にとっても、チームにとっても。
 それに本人ですら、菅原に言われて初めて「そういえばボーっとするよーな……?」と、発熱を自覚したのだ。ならば俺に気付けるわけないだろと、自分を納得させるための言葉に何故だか影山は自分で腹が立った。
 己のそんな感情の動きが理解出来ないことに加え、日向がふらつきながら早退してから、影山のプレーが明らかに精彩を欠いたため。田中には怒鳴られ月島には嫌みを言われ、「良い傾向じゃないか」と(影山には意味が分からないことを言いつつ)澤村主将になま暖かく微笑まれたのも、影山の苛立ちを増長させて。
 ――ああもう、本当にイライラする、と。部活が終わって、持て余した気持ちをどこにぶつければいいか分からない影山は、体育館を出て何も考えずに駆け出した。校庭を突っ切って住宅街をいくら疾走しても、収まらない気持ちのままに、つい電柱に跳び蹴りすること数度。その内全速力にも疲れ始めてきたが、ここで速度を落とすのも悔しくて、無我夢中で影山は家路を急ぐ。そうして自宅に着いた時にはさすがの彼もぐったりとしてしまい、玄関に突っ伏したら母親から怒られてしまった。
 鉛のように重くなった体を引きずって風呂に入り、その後もそもそと晩ご飯を食べて。自室のベッドに倒れ込んでも尚、もやもやとした影山の胸に巣くうものは消えてはいなかった。まだ少し湿った髪を掻いて、影山は唇を噛む。

「くっそ……なんなんだ、マジで……」

 ふとした弾みで影山の脳裏を横切るのは最後に見た、額に冷えピタを貼られて俯く、日向のどこか茫洋として不安そうな顔だった。喜怒哀楽のはっきりした日向には、全くそぐわないその表情が、考えたくないというのに瞼の裏をちらついては消えていく。
 そもそも、あの様子で日向はきちんと病院へ行けたのだろうか? どこかで行き倒れてはいないだろうか? いや日向は自転車通学だから、自転車に乗ったまま転倒している可能性も――と、そんな風に考えれば考えるほど、影山は日向の安否が気にかかって仕方がなくなってしまう。

「体調管理も出来ねえやつのことなんか、どうでもいいだろ……」

 そう思うのに、言葉とは裏腹の心境は本当にままならなくて。
 寝るにはまだ少し早いのだが、いっそ寝てしまった方がこの際限のなく湧いてくる、悪い予感というか嫌な可能性も断ち切れるだろうか。そう考えた影山は部屋の照明を落として、布団を被って無理矢理就寝しようとした。


「……………………」


 ……就寝しようとしたから、眼を閉じてからしばらくした後、着信音を奏で始めた携帯電話も無視していたのだ。
 しかしなんとも粘り強いことに、そのコール音は5分以上も鳴り続き、止まる様子がないため。

「………………〜〜〜っ」

 ついに我慢できなくなった影山は毟るようにして、枕元に置いてある電話を手にした。ディスプレイの表示を見る間も惜しみ、苛つきを隠すこともなく通話ボタンを押せば。

「誰だよったく……! もしもし!?」

“――……かげやま?”

「……はっ?」

 機械越しに聞こえてきた声が、影山の思考をぴたりと止めてしまう。聞き覚えがありすぎる声、けれど今聞こえるわけがないという先入観に、一瞬誰だか判別できなかったのだが。間違いなくこの通話の発信者は、ついさっきまで影山が、散々頭を悩ませていた人物だった。

“おー……声聞こえる。あ、電話だし当たり前かぁ”
「ひ、なた? なん……」

 何でも何も、男子排球部部員とのアドレスは交換済みだ。毎日顔を合わせるし、部活以外で特に連絡を取ることもなかったから、影山はすっかり忘れていたのだが。
 そう、連絡を取ったことなどないから……これは初めての、日向からかかってきた電話だということで。その事実になぜか、影山の心臓は一度大きく高鳴った。

“あのさぁ、えーと……”
「……何だよ」
“何だっけ?”
「俺に聞くな」
“や、何か話そうって思ってたんだけど、忘れちゃった”

 あははーという小さな笑い声に、驚きは通り過ぎ先ほどまでの苛立ちが戻ってくる。といっても、それはずっと、小さなものになっていたが。

「はぁ…………お前な、用がないなら意味なくかけてくんな! んでさっさと寝ろ!」

 つい、語調も荒くなってしまう。こうして電話してきた以上容態はそこまで悪くないのかもしれないが、まがりなりにも体調不良者であるならば、暢気に話す前にさっさと休んだ方がいいだろう。そんな意を込めて言い放った影山に、電話越しにも慌てた様子の日向は食い下がってきた。

“用はあるってば! えーとえーと、そうだっ! あっついから寝れないし寝ててもつまんないから、なんかしゃべってもらおうと思ったんだ”
「……切るぞ」
“へっ? まっ待てよぉ! 寝れないって言ってるじゃんっ”
「喋ってりゃもっと寝れねえだろ馬鹿! ……大体お前、あの後ちゃんと病院に行けたのかよ」

 それに、大丈夫、なのか。
 そんな風に尋ねるのは、まるで心配してるかのようだったので、影山はグッと堪えた。

“びょーいん? あー行った行った、もう何年ぶりかってくらい久々でさぁ、すっげえ居心地わるくて。病院のにおいってなんかヤなんだよなぁ”
「……どう考えてもお前、行くことなさそうだもんな」

 馬鹿はなんとやらという言葉を想定して影山は言ったのだが、本人としては誉められたように聞こえたらしい。やや得意げな声が返ってくる。

“だろー? おれ元気なのだけが取り柄だもん。なのに、なんでこんなことになったかなぁ……はぁ……”

 小さくため息をついた日向が、唇を尖らせているだろうことが、影山には容易に想像出来た。
 毎日一緒に練習してる相手の、いつも自分より下の位置にあるその顔は、ころころと目まぐるしく鮮やかに感情を乗せる。楽しそうな時、嬉しそうな時、悔しそうな時。決して長い時間を共にしたわけでなくとも、どんな時にどんな顔をするか、もう見ないでも分かってしまう。それだけいつも、自分は日向を見ているということなんだろうか。何という残念さだと思う一方で気恥ずかしいという、複雑で微妙な心地になった影山は、思わず頭を抱えそうになる。……そしてやはり、どうして日向の体調不良に気づけなかったのかと思うほど、胸の裏がちりちりと焼けるようで。

「……腹でも出して寝てたんじゃねえか」
“えーでも腹も、それに喉とかも痛くねえよ? 検査だっけ、してもらったら、インフルエンザでもないんだって。……ただ熱だけ出てる感じ”

 今耳を打つ声は、普段より少しだけ熱っぽく、掠れている。掠れといってもざらついた感じではなく、雲の端が空に溶けて見えるような掠れ具合だ。本当に熱を出しているんだと、手に取れるような。……そうと分かっているなら、この電話も切ってさっさと休ませた方がいいのに。分かっていて、けれど今、携帯から手を離す気になれないのが、自分のことなのに影山はどこかもどかしかった。

「筋肉や関節は痛むか?」
“だるいなーってくらいだから多分平気”
「そうか」
“うん……”
「…………」
“それで、えっと、薬とかいっぱい出てー……家帰ってきて飲んで、あっ粉じゃなくて助かったんだよなぁ、おれ粉のやつくっそ不味いから好きじゃな……”
「……日向」
“? んー?”
「お前、何で俺にかけてきたんだ? 菅原さんとか、もっと話し相手に向いてる人、いるだろ」

 決して愛想は良くないし、話が弾むような言葉回しが出来るわけでもない。日向の声を聞くにつれどんどん不思議に思ってつい、影山はそう尋ねていた。
 すれば、だってさぁ、と。
 日向の声がふんわりとした輪郭を帯びたのが、耳につけた携帯電話から伝わってくる。


“おまえの声聴いてると、すっげぇバレーしたくなんの”


「――――っ……」
“すっげぇバレーしたいから、早く治さなきゃって”
「…………そうか」
“ん、おれ、ほんっとこんな風になるの久しぶりで、だからなんか、やだなぁって。動けねえのほんとやだ。バレー出来ねえのやだ。もっといっぱいボール触りたいのに、コートの上でいっぱい動きたいのに”

 拗ねたように呟く小さな声は、不安が滲んでいる。慣れない風邪に、きっと心細くなっているんだろう。そういう心情を、影山相手に吐露したくなるほど。出るかも分からない相手に電話をかけたくなるほど。……その相手が自分で、良かったなんて。影山は勝手に上がってしまう口角を、極力意識しないようにして、電話の向こうへこう言い返した。

「お前みたいな体力バカ相手じゃ、風邪も長くは保たねえだろ。だから明日には勝手に元気になる、お前なら」
“わー、なんか言い方むっかつく気がするけど、うん、でも、そうなったら、いいな”
「絶対そうなるだろ」
“うん。……へへっ”
「何笑ってんだよ」
“へへ、分かんねえ。……あー、はやくかげやまのトス、うちてえなぁ……”
「明日、体育館来れば何本だって打たせてやるよ。せっかくお前も速攻のタイミング分かってきたんだし、もっと練習しないとな」
“そーだよな……うん…………”
「そうだ。大体お前、スパイク以外のことだってまだグズグズなんだからな。基礎練からみっちりやって、もっと色々出来るようになれよ。それから……」
“いっぱいれんしゅーして……そんで……”
「…………日向? おい」
“勝って……もっと、しあ……んっ…………にぅ…………”
「…………」


 途切れがちになった声が完全に聞こえなくなり、じっと耳をすませば、すーすーと小さな寝息が微かに影山の鼓膜に届く。
 ……相手が寝入ってしまったのが分かった以上、自分の電話代持ちでないといえ、早く切った方がいいだろう。しかし。しばらく影山は、日向の健やかな寝息を聞いていた。
 あれだけ苛々していたのが、今は不思議なくらい、落ち着いていて。


「――早く、治せよ」


 おやすみの代わりにそう呟いて、影山はそっと、携帯の電源ボタンを押した。
 そうして自分も、目を閉じる。
 実際、日向の風邪がどのくらい長引くのかなんていうのは、分からない。けれどきっと、明日にはまた。太陽にも負けないくらいの笑顔で、元気よく走り回る日向の姿が見られるだろうと、そう思いながら。
 持ったままの携帯電話、ほんのり熱くなったその温度を、ぎゅっと握りしめた。



FIN



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今時の子ってほとんどあいぽんかスマホなんだろうけどもなんとなく影山はガラケーのイメージでした。
というわけで季節は特に意識せず影日っぽいものを。電話してる二人を書いてみたいなぁと思ったのですがなんというか影山のヘタレ感ハンパないような。こんなのも有りかなとか思ってもらえたら幸いです。

2012.4.15 pixiv up
2012.4.21 サイトup

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