NOVEL | ナノ

 ノクターンは優しく

オケの練習や公演がせっかくお休みの日でも、先輩は勉強を怠ることはない。先輩と知り合ってからもう3年以上経つけれど、先輩が勉強をしていない日を見たことがのだめには全くなかった。そして今日も相変わらず、先輩はスコアと睨めっこして、タクトを振るみたいに空中で腕を振ってみたり、音符を口ずさんだりして一生懸命勉強している。その姿はやっぱりいつ見てもかっこよくて。先輩のかっこよさは普遍のものなのだとのだめは思いマス。はうん。

「千秋先輩、今度の公演は何の曲を指揮するんデスか?」

一度スコアと向き合うと中々こっちの世界に戻ってこない先輩。ほんとに努力家さんっていうか、周りが見えてないっていうか。でも、きっとどっちもなんですよね。そこも先輩の魅力の一つだと思いマス。素敵だと思うけれど、でもやっぱり一緒の空間にいるのに相手にされなかったら寂しくて。邪魔しちゃいけないってわかってるけど、ほんの少しでいいから、先輩の意識がのだめに向いてくれたら、って、のだめはいつも先輩の近くに寄り添って、小さく声を掛けてみる。先輩がのだめに気付いてくれたときは嬉しくって、つい頬っぺたが緩みっぱなしになりマス。そして今日も先輩はのだめの声に気付いてくれて、ん、と近くに置いてあったクラシックCDをのだめに突き出してきました。

「これ」

短い言葉と一緒に渡される一枚のCD。それを手にとってジャケットを見ると、そこにはタクトを持ったミルヒーの姿があって。いつものふざけた様子とは違って、真剣な表情デス。タイトルはもちろんフランス語で、最近ようやく慣れてきたそれをゆっくり目で追って読んでいく。

「あ、これって」

思わず口から飛び出したのだめの声に、先輩がスコアから顔を上げた。「何、知ってる?」そう言う先輩の声は少し優しくて、のだめはこくり、大きく頷いた。

ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」
ジャケットにはそう書かれていた。のだめが口に出して読むと、隣で先輩が感嘆の声を上げるのが聞こえて、それが嬉しくてつい笑みが零れる。

「おまえがこの曲知ってるなんて驚いたな。どっかで聞いた?」
「えっと…、大学時代にレイナちゃんと遊びで演奏したことがあるんデス。…それにしても先輩、なんでこの曲?誰かと、演奏するんデスか?」

ブラムスの2台ピアノの曲。のだめが大学に入って少しして、レイナちゃんと一緒に演奏した曲。だから、知っていたけれど。どうして先輩、2台ピアノの曲なんて。そのとき、誰かと、のだめ以外のピアニストと舞台に上がる先輩が頭に浮かび上がって、まるで暗雲が立ち込めたみたいに、心が陰った。仕方ないことだとわかっているけれど、悔しくて、つらい。そんなのだめの様子に気付いたのか、先輩がのだめの頭にぽん、と手を置いた。「違うよ」と一言呟いて、そのまま優しく頭をなでてくれた。

「確かにこれは2台ピアノの曲でもあるけど、オケの管弦楽版もあるんだ」

だから、俺がやるのはこっちだ。そう言って先輩はふっと笑った。そう、なんデスか。ぽつり、呟いた後に一気に安堵が押し寄せてきて心をいっぱいにした。ふぅ、と息を吐くと、先輩がまた笑う。

「そんなに安心した?」
「当たり前デス」

おかしそうに肩を震わせる先輩に、むん!と唇を尖らせた。
先輩は、先輩はわかってないデス。のだめがいつもどんな気持ちで先輩と誰かが共演するのを見ているか。苦しいんですよ。すごく。早くのだめだって先輩と共演したいから。早くゴールデンペアって呼ばれたいから。だから、のだめが先輩と同じ舞台に立つまで、ほんとは誰とも共演してほしくないんデス。でも、そんなわがままは言えないから、だから、先輩の公演の話や演奏する曲名を聞くたびに、こうやって不安になったり、安心したりするしかないんデス。

「のだめ」
「何デスか」

不意に先輩に呼ばれて、先輩の両の目をじっと見つめた。綺麗な瞳。吸い込まれてしまいそう、なんて。その瞳がやわらかく細められて、途端に先輩との距離がゼロにまで縮まった。

「…俺は、おまえだけだから」

ゼロになる直前、聞こえた言葉。それがどういう意味だったのかなんて先輩にしかわからないけれど、でもそれって、そういうことデスよね?




ノクターンは優しく

(自分で、心から望んで共演したいって思うのはおまえだけ)

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