短編 | ナノ


私が私という存在を覚えているうちに、ここに刻んでおこうと思う。


面妖な型をした文字が並ぶように続く。少しだけ読むのに手間取ってしまう其れだが、きっと之を読めば、彼女が最期にどんな気持ちであの言葉を口にしたのかが分かる気がした。

薄暗い室でただ一人、冊子を眺める姿は少しばかり不気味さを漂わせていた。
そのせいで女中や家臣、小姓までもに「物の怪に取り憑かれた」と囁かれていることも知っていたし、秀吉様から訝しげな視線を何度も送られていた事にも気づいていた。それでも、まさに取り憑かれたかのように彼女の室に籠っていたのには理由があるのだ。

俺とは違う文字を書き連ねる彼女は、どうしても異様であって酷く魅惑的で恐ろしかった。容姿や見目は細く長身であまりにも貧相な体つきに周りも、俺自身でさえ可哀相だと。まして餓鬼のようで気味が悪いとさえ思ったほどだった。けれど見目に反して彼女はとてつもなく穏やかであり、初心で繊細だった。戦国乱世を生きる俺にとってあまりにも純粋で清らかに見えたのだ。


 人の記憶というものは、いつだって曖昧で不安定だから。忘れたくない事は綴っていくことにする。
 私にはくだらない事で笑える親友や友達がいて、昔から仕事ばかりだったけど、運動会や発表会、授業参観に卒業式。イベントにはちゃんとふたりで出てくれた不器用だけど優しい両親。いつもケンカばかりだったけど私の感情の起伏にいち早く気づいてくれたお兄ちゃん。…もう会えないけどちゃんといた。私は平成という時代で、確かに幸せに過ごしていた



彼女は、名前はいつも奇妙な言葉を使っていた。南蛮語を嗜んでいたと言ってはいたが、真相は分からないしここに乗る言葉も俺にとっては中々に読み辛く可笑しな文章だ。そのせいで名前の異名は"鬼子"だったり"人の皮を被った物の怪"なんてものが常だった。

出会い方はあまり良いものとは言えないが、それでも出会えたことには感謝するほか無い。俺を受け入れ、支え、共に歩んでくれた彼女を、愛しいと思わせてくれた。


 この時代に来てしまった時、なんで私なんだってずっと思って、怖くて不安で。理解なんて出来なくて。感じた事のない恐怖を抱いたのを今でもしっかりと思いだすことができる。
 "間者"といわれの無い疑いをかけられて、乱暴に城へと連れてかれた時は本当に殺されるんだと泣きながら抵抗していたのは、今となっては笑い話ともなるけど本当にあの時は怖かったな…。
 あの時のみつは本当に怖かった。…なんて、もし本人に言ったら「ふん、忘れた」なんて言って罰の悪そうな顔するんだろうなぁ。想像出来る…。



――みつ、見てこの花!

俺と2人きりの時だけの、名前だけの、特別な俺の呼び名。
着馴れないという着物のせいか覚束ない足取りで俺に駆けてくる姿は、実に愛らしかった。庭師に頂いたと柔らかい笑みを向けるその姿へ高鳴る鼓動を抑え込み、平然を装う事に何度苦労したことか彼女は今後も知る由もない。


懐から取り出した押し花の枝折(しおり)。
嗚呼、名前。情けないことに、俺はお前に会いたくてたまらぬのだよ。

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