夜を飲み干す

好きだと伝えたら相手はこちらを見ないまま、そう、とだけ言った。それだけかと思い勇気を出して顔を覗いてみたら、目を見開いて呆気に取られているのが見えた。無防備なそんな表情は、初めて見たな。ちょっとかわいい。

「……珍し」
「るせぇ」

言ってみるのものだなあ。緊張と罪悪感でどきんどきんとびくつく心臓を極力無視しながら、わたしは笑みを浮かべた。

「びっくりした?わたしがこんなこと言って。でも心配しないで、ちゃんと分かってるから」
「……あ?」
「松田くんの邪魔はしない。大丈夫だから。……本当は、言うつもりもなかったんだけど。はは、我慢できなかった。許してください」

松田くんが怪訝そうな顔をするのに構わず言いたいことを続けたら、彼はもっと顔をしかめてしまった。今度は切なさで心臓がぎゅう、と絞られる。ふわふわしていた気持ちだって一気に鉛のような重さだ。
ああわたしはやっぱりそんな顔しかさせられない。覚悟の上のことだったけど、やっぱりつらいものはつらい。

「ごめんねっ、や、ほんと……ごめん」

何に対して謝ってるのかも分からなくなりながら俯いた。情けない。情緒不安定すぎるでしょ、わたし。
もう、逃げ出してしまおうか。
頭を駆け巡るのは、これまでそっと心のメモリに保存してきた松田くんのいろんな表情。むすっとした顔やめんどくさそうな顔、怒ったように眉根を寄せる顔。そんな中でも時たま見えた笑ったかお。ふっと目の力が緩まる瞬間が大好きだった。
でもわたしは松田くんをずっと見ていたから、だから知っている。ずっとって言っても、一年くらいの短い付き合いだけど。好きだから分かる。
松田くんがいろんな表情を見せる時、傍には必ず一人の女性がいること。それは、最初は偶然にも思えるような些細な気づきだったけれど、ここ数日で一気に確信に変わっていった現実だ。
交通課で畑違いのわたしと同じ捜査一課で共に犯人を追う敏腕の美人刑事さん。どちらが松田くんに必要とされるのかなんて、考えるまでもなかった。どうやったって勝てないなあ、と思ってしまった。
松田くんは、もともと機動隊所属だったのだけど少し前に捜査一課に転属した。そのことを知った時にわたしの脳裏に浮かんだのは、いつだったか友人の伊達くんと飲んでいた時に聞いた話だった。彼、松田くんは親友が殉職した爆弾事件の犯人を追っている。
あの事件からあいつは段々変わっていったんだ、と言う伊達くんの心配そうなため息を覚えていた。
爆弾魔を追い続ける松田くんを支え、傍にいて、ちらつく本当の彼の表情を引き出せるのはわたしじゃない。
穴でもあけてやろうかというほどの力を込めて睨みつけていた床から無理やり視線を引き剥がし、上手く力の入らない足を叱咤激励してぐっと踵を返す。下を向いたそのまま駆け出して、向こうの角さえ曲がってしまえばそれで終わりだ。……終わらせよう。

「ちょっと待った」
「へ」

わたしの浅はかな逃亡作戦は、しかし一瞬で失敗に終わった。松田くんが立ち去ろうとするわたしの腕を掴んだのだ。そうしたらわたしは動きを止めるしかない。きっぱりと断られるか、怒られるか。なんにせよわたしの自業自得だ、頑張れ心臓。
わたしは、嫌な汗がじわりと滲むのを感じながら松田くんの次の言葉を待った。後ろから引き留められている今の状況じゃ、松田くんの顔は見えない。それが怖くもあるけれど、でもやっぱり見えなくていいと思った。

「お前、俺が好きなのか」
「え、あの」
「答えろ」
「はっはい!好き、です……」
「……そうか」

そして訪れたのは沈黙。えっと、わたしはどうすればいいんだろうか。希望としてはいたたまれないこの場から一刻も早く脱出したいのだけど、それが許される空気でないのはさすがに分かる。なんというか、背後からの圧がすごいのだ。掴まれてる腕だって、痛くないように加減はされているのがわかるものの、かといって放してくれそうにはない。
重苦しい静寂を破ったのは松田くんの深呼吸だった。ため息じゃなくて、深呼吸。わたしにはそう聞こえた。

「あのさ。ちっとだけ俺の話聞け」
「え……うん」
「俺が今、なんでソウイチにいるかは?」
「知ってる」

微かに松田くんの体が揺れたのが掴まれた腕越しに分かった。そしてほんの少しだけ間があって。

「萩原のことは」
「……知ってるよ。伊達くんから聞いた」
「そうか、そういえば前から仲が良かったんだっけかお前ら……そうか」

何が言いたいのか、分かるような分からないような。ふと浮かんだ「もしも」を自分に都合のいい妄想だと拒否して、わたしは勤めて冷静な声で言葉を紡ぐことだけに集中する。

「俺は、萩原の仇を取らなきゃいけない」
「うん」
「絶対に、あの爆弾魔を捕まえる」
「うん」
「俺は、周りが何と言おうと、やるんだ」
「うん。分かってる。分かってるなんて言われたくないかもしれないけれど、わたしは松田くんを見てたから」
「っそれでもお前は」
「好きだよ」

松田くんの声がなぜか泣きそうに揺れて聞こえて、思わず遮ってしまった。そんな苦しげな彼ははじめてで、どうにかして止めたくて、勢いのまま振り返った先にいた松田くんはやっぱりひどい顔をしていた。
もはやわたしの頭には恥ずかしさや気まずさなんて感じるような正常な判断力は残っていなかった。ただその揺れる瞳から目が離せなくて、とにかく無我夢中だったのだ。

「わたしは、松田くんが、好き」

そして一言ずつ大切に、噛み締めるように口にした思いは、自分自身にじんわり沁みてきた。そうだ、何と思おうが何と思われようがこの気持ちは本物で、変わらない。変えたくない。そもそもそう強く感じたからこそ無謀な告白を敢行したんだった。ならせめて、前を向いていなきゃ。
覚悟を決めて、数十センチ先にいる松田くんと向き合う。今更だけど、近い。腕を掴まれてるんだから当然なのかもしれないけれど。未だ放されてはいないものの、しかしその手にこもる力はほとんど抜け落ちていて少し引っ張ったら離れてしまいそうだ。それがなぜか少し怖くて、わたしはこの距離に留まる。
伝えたかったものは果たしてうまく届いたのだろうか、そう考えた矢先、松田くんに変化があった。
ゆっくりと、まるで祈るように瞼が閉じられ、強張っていた表情が少しずつ溶けていく。時間にするとほんの一瞬だったろう、でもわたしにはその様子がスローモーションに見えた。事の発端から今までの長い長い三分、未だに松田くんの考えていることがわたしには分からないけれど、それを教えてはもらえるのだろうか。
再び視線が通った時、それはもういつも通りの松田陣平だった。クールに凪いでいて、且つその奥にはめらめらと熱い炎を秘めている力強い目だ。
頭の隅に佐藤刑事の顔がちらつく。それでもいい。邪魔はしない、大丈夫。最初にそう言ったのは本当のことだ。だけどわたしは、彼の言葉が聞きたい。
すうと大きく息を吸って、止めた。



20180530(20211104)
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